落語「菜刀息子」の舞台を行く 二代目桂小南の噺、「菜刀息子」(ながたんむすこ)、別題「弱法師(よろぼし)」より
笑いの無い噺です。時間の経過や季節の移り変わりは、行商の売り声で、天王寺の境内の雑踏は店の売り声で現しています。小南は随所に笑いを入れていますが、大笑いできる内容の噺ではありません。江戸落語でも笑いのない「ねずみ穴」が有りますが、これはハッピーエンドですが、今回の噺はここまでで、辛いところで終わっています。将来はどうなるのでしょうね。
■能「弱法師」(よろぼし);伝承を翻案したものです。伝承では、俊徳丸は、眉目秀麗、賢明な青年です。隣村の長者の娘と恋に落ちます。しかし、俊徳丸は、継母からいじめられます。継母は、わが実子を世継にしたいと考え、俊徳丸を失明させます。俊徳丸の不幸はそれだけに留まらず、ハンセン病にかかります。家にも、村にもいられません。流浪の俊徳丸は、難波の四天王寺にたどり着きます。もはや、俊徳丸は、乞食と化しています。しかし、俊徳丸の度重なる不幸を忘れていない人がいたのです。隣村の長者の娘です。娘は、四天王寺に駆けつけます。二人は、観世音菩薩に祈ります。そして、奇蹟は起こり、視力は回復し、ハンセン病は自然治癒します。愛し合う二人は、結婚し幸せな人生を送ります。一方、継母は没落し、俊徳丸の慈悲で辛うじて暮らすことになります。変化に富むストーリー展開です。
■「菜刀息子」;能「弱法師」を土台に翻案された落語。紙を切る庖丁を買う用を言いつかった商家の息子が、間違えて菜刀(ながたん)を買ってきてしまう。父親に強く叱られた気の弱い息子は家出。一人息子を失った老夫婦は悲しみにくれた一年が過ぎ、春の彼岸の天王寺にお参りする。何かの功徳にと群集する乞食に金を恵むが、その中の一人、要領の悪い乞食がもらい損ねている。よく見ると家出した息子ではないか。駆け寄りたい母親、それを止める父親、ただ遣るのではなく何か芸の代として金を渡せという。それが乞食なりの自負だという。顔を上げた息子、「ながたん誂えまして往生しております」。
■菜刀(ながたん);包丁のことで、関西方面で使われる語ですが、家庭で使われる先の丸くなった「菜っ切り包丁」の事。
■中日(ちゅうにち);彼岸7日間のまんなかの日。春・秋それぞれ春分・秋分の日に当る。彼岸の中日。彼岸の7日間に行う仏事。平安初期から朝廷で行なわれ、江戸時代には庶民の間に年中行事化した3月21日はお彼岸(今年)の中日!しかも土曜日!というよりも国民の祝日です。下写真:天王寺さんの春の中日風景。天王寺ホームページより
■天王寺さん(てんのうじ);天王寺は、四天王寺の略称として平安時代から使用されていたが、当地で合戦が繰り広げられた南北朝時代から地名に転化した。大阪市天王寺区四天王寺一丁目11番にある和宗(初めは天台宗)の寺。山号は荒陵山。天王寺と略称。古くは荒陵(あらはか)寺・難波寺・御津(みつ)寺と称した。聖徳太子の創建と伝える。中門・塔・金堂・講堂が一直線に並ぶいわゆる四天王寺様式の建築で、飛鳥時代の様式を伝える。現在の建物は戦後復元されたもの。堀江寺。
写真:上、現在の天王寺。下、四天王寺元和再建伽藍図。一番左に鳥居があった。天王寺ホームページより
■亀山のちょん兵衛はん;竹を半割にしたものに人形などを乗せたオモチャ。竹片に小さな人形が乗せてあり裏に竹ひごで細工を施し、手を離すと回転しながら飛び上がる玩具。
■お薦(こも)さん;お乞食さん。薦はムシロのこと、ムシロをまとって生活をする人の意。
■みたらし団子(御手洗団子);竹串に米粉で製した数個の団子を刺し、砂糖醤油餡をからめたもの。御手洗詣での時、京都下鴨神社糺の森で売ったのが最初という。
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