落語「菜刀息子」の舞台を行く
   

 

 二代目桂小南の噺、「菜刀息子」(ながたんむすこ)、別題「弱法師(よろぼし)」より


 

 息子を前に旦那が説教している。「菜刀ではなく、紙の断ち切り包丁を誂えてこいと言ったのだ。こんなのを店で使えるか」、「お父っつあん、堪忍してやって下さいな。包丁屋が間違えて、菜刀こしらえてしまったのです。この子が悪いのではないんです」、「包丁屋は悪くない? 注文があやふやだからこんな物が出来るんだ。それに間違いは無いな」、「へぇぃ」、「なお許せん。だったら、間違っていますと言って、作り直してこい」、「お父っつあん、この子は気が弱いから・・・」、「婆さん、気の弱いことは良いことだと思っているのかぃ。いったい幾つになったんだ」、「ピェー」、「そんな歳は有るかぃ」、「お父っつあん、『世間の子は・・・』とおっしゃいますが、この年になると遊びほうけて尻を店に持ってきます。煙草も吸わず、小遣いも余らします」、「ど、甲斐性が無いんだ! 金ぐらい使ってこい。世間を見てこい。出て行け!出てけ」。
 「お父っつあん、勘弁してやって下さい。私が悪うございました。さッ、さッさッ、あっちに行きましょう。謝ってね」。

 「茶~もらおか、婆さん。俊造(しゅうぞう)は? あんたも分からなかったろ、俊造がおらんこと。ホンマにも~目立たんやっちゃで、情けない。『グズグズせんと、早よ飯食てしまいなはれ』と言ぃなはれ」。
 「お父っつあん、どこにも居ません」、「今頃、親戚でグチこぼしているんだろう。食事でも食べさせ送ってくるだろうよ。心配いらん」、「お父っつあん、夜遅くになりましたよ」、「丁稚に鳶の頭・熊五郎を呼びに行かせなさい」。
 熊五郎に親戚中を回らせたが、どこにも居なかった。

 (カラスが)カァ~ッ カァ~ッ・・・
 ト~~フぃ~ッ 豆腐
 「お父っつぁん、夜が明けましたがな。とうとう帰ってきませんでしたな」、「女の子じゃあるまいし、心配せんでもイイ。ちょっとぐらい苦労すんのが身のためじゃ」。
 火の用~~心 火の用~~心・・・
 鍋ぁ~べ焼~き~うど~ん・・・、ぬくいのどォ~でやす

 (カラスが)カァ~ッ・・・
 砂~ 磨き砂~・・・
 「お父っつぁん、ぬくぅなって来ましたな」、「ボチボチ春じゃなぁ~」。

 竹ぁ~けの子ッ 蕗(フキ)屋ぁ~竹ぁ~けの子ィ
 麦茶~ 初ッ太鼓~~
 葦(よ)~~しや スダレは要りまへんか~いナ
 スイカ~ スイカ~ 種まで赤ッかいよ~
 金魚~~エ 金魚~~ッ
 栗屋 焼き栗~ 丹波渓の短栗
 甘いミカン 甘いおミカンど~じゃい~
 さや豆ぇ~ 鉄砲豆ッ
 しめ縄 飾り縄ぇッ
 七草あぇッ 七草あぇッ

 熊さんが、1年経って線香上げに来ていた。花売り娘まで、道に咲いてた花を摘んで持ってきてくれた。夫婦揃って息子は死んだものとして扱っていた。母親の息子に対しての溺愛を、父親は「菜刀ぐらいで死ぬような意気地無しだったら、いない方がイイ」、と突っ張ねている。
 今日は中日で天王寺さんに夫婦揃ってお詣りすることになった。

 お~い 凧屋、凧屋~ 五厘の泣き別れじゃ お~ぃ
 こちらは本家、亀山はチョ~ンベはん 亀山はチョ~ンベはん
 泣き独楽でございます(ブゥワ~~~ン)
 孫の手や、孫の手。二銭に負けといたろ そ~ら、えぇ孫の手やで、孫の手買わんか?
 おみや お買いやぁ~す 豆板お買いや~す どうぞ豆板お買いやす
 江戸前のにぎり寿司じゃ こんな旨いモン食ったことがないじゃろう(大きなクシャミを寿司の上に・・・)
 どなたも休んでおいきやす、どなたも掛けて一服しておいきやす
 どなたも休んでいっとくなはれ、こっちゃのイイ席が空いています・・・

 天王寺さんの境内は参拝人で混み合っていた。
夫婦も茶店の床几に腰掛けて、混雑した境内を見回している。お茶が来て飲んだが「色の割りには味の無いお茶。お父っつあん、ここで待ってておくれやし。あすこにぎょうさん乞食が出ていますので、施しをして来ます」、「ただ渡しては駄目だよ。何か言わせな『右や左の・・・。どうぞ、哀れな・・・』でもイイ。あいつらの芸を買ってやるんじゃ」、乞食に一人ずつ小銭を渡してみたが、一人気の弱いのがいて、何か言わなければいけないよと、声を掛けて顔を覗き込むと・・・。

 「お父っつあん、伜が生きています」、「そうか、伜が生きていたか。1年の間だ、親のすねをかじらず生きていたか。会ってやりましょう。鳥居の陰に・・・。婆さん、人違いだ。生きているはずがない」、「いなしません。お腹を痛めた子供、誰が間違えますか。『出世していたら会ってやる、落ちぶれたら会わないで帰る』そんな親はどこにも居ない」、「バカ!同じ親だ、歳取っての子だ、抱きしめて帰ってわがままさせてやりたい。それをした婆さん、その結果がアレだ。もう少し世間の風に当てて、私らが死んだ後も生活できるようにさせたい。分かったな婆さん」、「へぃ」。
 みたらし団子と餅を包ませ先程の乞食の下(もと)に。「イイですか。他のお薦(こも)さんと同じように大きな声であの旦那様に聞こえるように、何か言いなさい」、
「へぇ、ながたん誂えまして(長々患いまして)難渋しておりま~す」。 
 


 上図:一遍聖絵巻第二、部分 「天王寺西門」の景。西門は極楽浄土に通じる聖地と考えられていて、乞食が集まってきていた。両親夫婦も分かっているので、そこで施しをしていた。絵巻物で見ると、鳥居の脇と下方にも屋根の下に居る乞食に施しをする人達が居ます。東京国立博物館蔵
  


  笑いの無い噺です。時間の経過や季節の移り変わりは、行商の売り声で、天王寺の境内の雑踏は店の売り声で現しています。小南は随所に笑いを入れていますが、大笑いできる内容の噺ではありません。江戸落語でも笑いのない「ねずみ穴」が有りますが、これはハッピーエンドですが、今回の噺はここまでで、辛いところで終わっています。将来はどうなるのでしょうね。


ことば

能「弱法師」(よろぼし);伝承を翻案したものです。伝承では、俊徳丸は、眉目秀麗、賢明な青年です。隣村の長者の娘と恋に落ちます。しかし、俊徳丸は、継母からいじめられます。継母は、わが実子を世継にしたいと考え、俊徳丸を失明させます。俊徳丸の不幸はそれだけに留まらず、ハンセン病にかかります。家にも、村にもいられません。流浪の俊徳丸は、難波の四天王寺にたどり着きます。もはや、俊徳丸は、乞食と化しています。しかし、俊徳丸の度重なる不幸を忘れていない人がいたのです。隣村の長者の娘です。娘は、四天王寺に駆けつけます。二人は、観世音菩薩に祈ります。そして、奇蹟は起こり、視力は回復し、ハンセン病は自然治癒します。愛し合う二人は、結婚し幸せな人生を送ります。一方、継母は没落し、俊徳丸の慈悲で辛うじて暮らすことになります。変化に富むストーリー展開です。
 能では、物語は単純化されています。俊徳丸(シテ)の父親(ワキ)が、誹謗中傷により、息子を勘当するのです。家を放逐され、しかも失明した俊徳丸は、いつしか弱法師(よろぼし)と呼ばれます。放浪の末にたどり着いたのが、四天王寺です。一方、父親は、俊徳丸を勘当したことを後悔します。貧者に施しをすべく、四天王寺に向かいます。そして、息子が乞食をしているのを目撃するのです。人目をはばかり、夜を待ちます。俊徳丸は、日々、祈願を続けています。そして、奇蹟が起こったように思えました。しかし、彼の視力は戻っていなかった。不憫に思った、父親は俊徳丸の勘当を許します。
 右写真:「弱法師」屏風 下村観山筆 東京国立博物館蔵 17.01.追加



写真左、能「弱法師」の俊徳丸がつけるお面。東京国立博物館蔵。 右、伝龍右衛門作。銕仙会所蔵

■「菜刀息子」;能「弱法師」を土台に翻案された落語。紙を切る庖丁を買う用を言いつかった商家の息子が、間違えて菜刀(ながたん)を買ってきてしまう。父親に強く叱られた気の弱い息子は家出。一人息子を失った老夫婦は悲しみにくれた一年が過ぎ、春の彼岸の天王寺にお参りする。何かの功徳にと群集する乞食に金を恵むが、その中の一人、要領の悪い乞食がもらい損ねている。よく見ると家出した息子ではないか。駆け寄りたい母親、それを止める父親、ただ遣るのではなく何か芸の代として金を渡せという。それが乞食なりの自負だという。顔を上げた息子、「ながたん誂えまして往生しております」。
 手をかけたい母親と、甘やかすだけでは両親の亡きあと、一人で暮らせないと諭す父親。結果として乞食になった息子。屈託のない調子で言うサゲは、両親に対する復讐の言葉にも聞こえる。笑うところはどこもない、苦い落語だ。五代目桂米團治が、この噺に入れ込み、「弱法師(よろぼし)」としてガリ版の台本を出版している。

菜刀(ながたん);包丁のことで、関西方面で使われる語ですが、家庭で使われる先の丸くなった「菜っ切り包丁」の事。
写真下:左から、欲しかった紙断ち包丁と新品菜っ切り包丁2本。我が家では先の尖った包丁をメインで使っていますので、菜っ切り包丁の出番がなく錆びさせています。

    

中日(ちゅうにち);彼岸7日間のまんなかの日。春・秋それぞれ春分・秋分の日に当る。彼岸の中日。彼岸の7日間に行う仏事。平安初期から朝廷で行なわれ、江戸時代には庶民の間に年中行事化した3月21日はお彼岸(今年)の中日!しかも土曜日!というよりも国民の祝日です。下写真:天王寺さんの春の中日風景。天王寺ホームページより

   

天王寺さん(てんのうじ);天王寺は、四天王寺の略称として平安時代から使用されていたが、当地で合戦が繰り広げられた南北朝時代から地名に転化した。大阪市天王寺区四天王寺一丁目11番にある和宗(初めは天台宗)の寺。山号は荒陵山。天王寺と略称。古くは荒陵(あらはか)寺・難波寺・御津(みつ)寺と称した。聖徳太子の創建と伝える。中門・塔・金堂・講堂が一直線に並ぶいわゆる四天王寺様式の建築で、飛鳥時代の様式を伝える。現在の建物は戦後復元されたもの。堀江寺。

写真:上、現在の天王寺。下、四天王寺元和再建伽藍図。一番左に鳥居があった。天王寺ホームページより

亀山のちょん兵衛はん;竹を半割にしたものに人形などを乗せたオモチャ。竹片に小さな人形が乗せてあり裏に竹ひごで細工を施し、手を離すと回転しながら飛び上がる玩具。
右図:「亀山のちょんべさん」 大坂ことば事典 牧村史陽編
兎・虎・犬・蛙・猫・猿・狸・狐・福助・お多福など多くの種類があって、夜店で売っていた。

泣きゴマ;主に九州地方の郷土玩具。空洞の本体サイドにスリットが切られ回すとブ~ンという音を立てる。

お薦(こも)さん;お乞食さん。薦はムシロのこと、ムシロをまとって生活をする人の意。

みたらし団子(御手洗団子);竹串に米粉で製した数個の団子を刺し、砂糖醤油餡をからめたもの。御手洗詣での時、京都下鴨神社糺の森で売ったのが最初という。



                                                            2016年2月記

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