落語「子ほめ」の舞台を行く
   

 

 春風亭小朝の噺、「子ほめ」(こほめ)より


 

 お世辞が使えるようになったら一人前だと言われます。
 隠居の所へやってきた八つあん。入ってくるなり、『只の酒飲ませろ!!』と言って隠居を仰天させた。これは『只(タダ)の酒』ではなく『灘の酒』の聞き間違いであったのだが、八つあんの態度に隠居は呆れた。八つあんそこにお座りよ、『口が悪いと損をするぞ』と忠告。

 「こないだ岩田の隠居が怒っていたよ」、「家を新築したから褒めに行って、広い立派な家ですねと言ったら『1年も掛かったよ』と言うので、慰めた。大丈夫、火事になれば15分」、「そーゆう事を言うからしくじるんだ。今日は口の利きようを教えてあげる。街で向こうから知った人が来たとする。こっちから声を掛けて、先方が南の方に行って顔が黒くなっていたら『道理で、お顔の色が黒くなりました』、顔が黒くなったと言うことは儲かったことだから『こちらの水で洗えば元の白さになります。お店は益々繁盛、旦那の信用も厚くなる。おめでとうございます』と言ってごらん。『いっぱいやりましょう』と言われるだろう」、「言われなかったら、隠居が飲ませてくれる?」。
 「その時は相手の年を聞く『失礼ですが、お歳は?』。先方が四十五と言ったら、『お若く見えますね厄そこそこです』と」、「分かった。四十五が来たら百そこそこ」、「百では無い、厄だ」、「出し抜けに五十が来たら」、「臨機応変に四十五六と言うんだな」、「六十が来たら」、「五十五六」、「七十が来たら」、「六十五六」、「八十が来たら」、「その順だ。内輪に言えば良いんだ」、「百二十八は」、「分からない人だな。そんな人が町内に居るかい。難しいのは子供だ。親が喜ぶことを言うんだ。ここに赤ちゃんがいるとして『このお子さんは貴方のお子さんですか。道理で福々しいお顔をしています。栴檀は双葉より芳しと言い、蛇は寸にしてその気を現すと言います。先だって亡くなられたお爺さんに生き写しで長命の相があります。私もこーゆうお子さんにあやかりたい』と」、「上手いこと言うね。また来ます」。

 伊勢屋の番頭が歩いて来た。「番頭さん、こんにちは」、「おや、町内の色男」。「あちらの方が上手いよ」、「番頭さん、しばらくです」、「さっきお湯で会っただろう」、「その前はしばらくでしょう」、「煙草屋の前で2時間ほど話をしたな」、「その前はしばらく」、「何処の挨拶だ。その前は大阪に行っていた」、「でしょう。顔がお黒くなりましたね」、「おや、口が上手くなったね。そんなに黒くなったかい」、「真っ黒です。顔の裏表も分からないぐらい。大丈夫こちらの水で洗えばもっと黒くなる。旦那の信用も増して帳面誤魔化すな」、「ヤダよ、そんな事言っちゃ~」。
 「ところで、番頭さん、お歳は幾つです」、「往来の真ん中で聞くんじゃないよ。若いのには負けないと言っていたが、もう駄目だ」、「ダメ? 歳が無い?」、「私はイッパイだ」、「イッパイって、バケツに?」、「四十だ」、「四十とはお若く見える、どう見ても厄そこそこです」、「軽いめまいを感じるね」、「四十五から上を教わってきたから、四十五と言って下さいな」、「言ってあげよう。四十五だ」、「四十五とはお若く見えますな・・・」、「そうだろう。四十だから」、「さようなら」。

 大人は駄目だから、今度こそおごってもらおうと竹さんの所を訪れた。「お前の所は赤ん坊が産まれて弱っているんだってな」、「弱っているんじゃ無くて祝っているの」、「そうだってな~、お悔やみにも来なくて・・・」、「そんな事言うんだったら帰ってくれ」、「褒めに来たんだ。赤ん坊は何処だ」、「屏風の陰で寝ている。産婆さんが大きい子だと褒めていた」、「これは大きい。頭が禿げて、眼鏡掛けて、ヒゲはやして・・・」、「それは爺さんが昼寝をしているんだ」、「このフキンを取って、顔に掛けて・・・線香は無いか」、「よせよ。赤ん坊はこっちだ」、「小せえな。育つかな。赤い顔してるぞ。茹(うで)たのか」、「赤ん坊は皆赤いの」、「でも、人形みたいだな」、「嬉しいな。そうかい」、「違うんだ。お腹押したら『ギュウ~』と言った」、「ダメだよ。死んじゃうよ」。
 「これからなんだ。竹さん、この子は竹さんのお子さんですか」、「改まって聞くな。それでなくても酒屋に似ていると言われるんだ。俺の子だよ」、「道理でふてぶてしい顔をしている。洗濯は二日有れば乾くでしょう、蛇はスマトラで遠方だ。先だって亡くなったお爺さんに似て長命丸で・・・」、「お爺さんは、そこで昼寝をしているよ。婆さんは買い物だ」、「私も、こーゆうお子さんに蚊帳吊りたい、首吊りたい」、「危ないな」。
 「竹さん、この子はお幾つで・・・」、「見て分からないか。生まれて七日目だよ」、「初七日?」、「お七夜と言うんだ。まだ、一つだ」、「一つとはお若く見える」、「何言ってんだ、一つで若かったら幾つに見えるんだ」、「どう見てもタダでございます」。

 



ことば

長命丸(ちょうめいがん);女悦丸と並んで、四つ目屋の代表的な商品の一つで、明応(1500)の頃作られたとも言われます。効能は「射精が遅れ、水を飲むと途端にイク」というものです。ある時、田舎のお婆さんが長生きの薬と間違えて長命丸を買う。「たんと飲んだら長生きしますかいね」。長命丸を飲んだ婆さんしゃきばって苦しむ。水を飲ませるとたちまち治った。という笑い話もあります。もっと凄い話は、この文章が明治になって、どうゆう訳か女学校の国語の教科書に載って大問題になった事です。長命丸五十六文とあります。
 「長命丸は日が暮れてから買う」
「江戸学事典」弘文堂より 落語「四ツ目屋」から孫引き

(やく);厄年。災難に遭うことが多いので気をつけるべきだといわれる年。男は数え年の二五・四二・六〇歳。女は一九・三三歳という。陰陽道で説かれたものという。 番頭さん四十だと言うのに厄だと言われたら目まいを起こすでしょう。

栴檀は双葉より芳し(せんだんはふたばよりかんばし);「栴檀」とは、白檀のことをいう。白檀は香木であり、双葉のときから非常によい芳香を放つことから、すぐれた人物は幼少時代から他を逸したものを持っているということ。 「双葉」は「二葉」とも書く。 「栴檀は双葉より薫じ梅花は蕾めるに香あり」ともいう。

右写真:白檀の花。丸い実が沢山できて、数珠に使われたりします。香木ですから、扇子の骨にしたり、高級な線香に混ぜられたりします。

 しかし、栴檀について反論があります。以下http://jinjigate.jp/column_detail/blog_id=3&id=53 より引用

 この諺は「栴檀(せんだん)は双葉の頃から香気を放つように、大成する人は幼い頃からすぐれていること」の意味で、平家物語の「栴檀は二葉(ふたば)より芳(かんば)しとこそ見えたれ」から誤って広まったそうです。しかも、この諺には二つの誤りがあります。

 第一の誤りは、日本には本当の「栴檀」の木はどこにも生えていないのです。
 植物学者によると、諺の栴檀はインドの栴檀で、日本でいう栴檀とは、字は同じでも全く違う種類の木です。念のため広辞苑などで「栴檀」を引くと「この諺のインドの栴檀は香気の強い白檀のことで、現代の日本でいう栴檀とは古来、あふち(おうち)と呼ばれた別の木のことで香気は全くない」とわざわざ注釈をつけています。
 なぜ、こんなことになったのでしょうか?日本原産の「あふち」がインド原産の「栴檀」と間違えられるようになったのかについては次のような紆余曲折があります。
 「あふち」の木は、春に花が咲き秋には実が鈴なりに、千個の団子のようにぶら下がり、「千団子」とも呼ばれました。インド産の本来の栴檀にはこういう実は成りません。
江戸時代、三井寺ではあふちの実にちなんだ千団子祭という行事があり、その「千団(せんだん)」の部分を三井寺がわざと「栴檀」と書いたので、一般人は白檀の別名であるインド産「栴檀」と混同しいまだに「あふち」を「栴檀」と呼び、混同しています。
 万葉集には「妹が見し あふちの花は散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに」(798番)、枕草子にも「あふちの花いとおかし」のように古典文学に「あふち」がよく登場します。
 現代でも誰でも知っている「夏は来ぬ」(明治29年)の四番の歌詞は「あふち散る、川辺の宿に」で始まりますが、作詞者の万葉学者佐々木信綱は「栴檀」としたい所を正直に「あふち」を使ったものといいます。
 
 第二の誤りは、本当のインドの栴檀でも双葉の頃は決して芳しくないということです。
 ズバリ嘘です。インド産の栴檀は、双葉の頃は香気がなく、この諺は真実ではないといいます。なぜ間違えたのかというと、古いインドのお経に「栴檀は双葉にならぬうちは香りがないが、成長して大きな木になると香気が出るのだ」とあるのが、オーバーに「既に双葉の頃から香気が出る」と誤まり伝えられたのを平家物語の作者が本気にしたためです。現在でも、インド産の栴檀は双葉の頃は香気はないと、日本の植物学者が述べています。

 「科学的でない」例に「ゆで蛙現象」という言葉があります。蛙をぬるま湯に入れて少しづつ温度を上げた湯を足していくと熱湯でも気が付かずに死ぬという、怠け者向けの警句でよく引用されますが、生物の専門学者は、警句の狙いは分かるが、環境の変化に敏感な生物にはこういうことは有り得ない、蛙には甚だ迷惑な作り話といいます。

蛇は寸にしてその気を現す(じゃはすんにしてそのきをあらわす);「蛇は一寸にしてその気を得る」と言い、上記と同じ意味。

お悔やみ(おくやみ);人の死を惜しんで弔う。

初七日(しょなのか);人の死後、7日目にあたる日。仏事を営む。赤ちゃんが生まれて目出度いのに、言う言葉ではありません。

お七夜(おしちや);子の生誕の日から7日目の祝。赤ちゃんの生後7日目が「お七夜」です。昔は生後すぐの死亡率が高かったため、1週間たてば一安心と、盛大にお祝いを行ったようです。法律上出生届は、生後14日間のうちに赤ちゃんの名前を届け出ます。

灘の酒(なだのさけ);タダの酒ではありません。兵庫県神戸市の東灘区・灘区と同県西宮市を合わせた阪神間の地域を指す。酒造りに適した上質の酒米(山田錦)と上質のミネラル水(宮水)が取れ、製品の水上輸送に便利な港があったことから、日本酒の名産地として栄えた。
右図;灘五郷の地下水は宮水と呼ばれ、酒造りに最適なミネラル分を含んでいて500mの範囲だけでしか汲み上げられない。その地下水は北側のかって海だったところのミネラルを含んだ地下水と東から流れる地下水と、西から流れてくる地下水がブレンドされて、最適な醸造水となる奇跡的な場所なのです。硬度が高いため男酒と呼ばれる、キリッとした酒に仕上がります。

 灘五郷は、
 今津郷:兵庫県西宮市今津地区、 大関・白雪・扇正宗・金鹿(大関に醸造委託)
 西宮郷:兵庫県西宮市浜脇・用海地区、 白鹿・白鷹・日本盛・灘自慢・喜一・灘一・寶娘・島美人・富貴・徳若
 魚崎郷:兵庫県神戸市東灘区魚崎・本庄地区、 桜正宗・道灌・松竹梅白壁蔵・金正宗・浜福鶴・大東一
 御影郷:兵庫県神戸市東灘区御影地区、 白鶴・菊正宗・剣菱・戎面・瀧鯉・福壽・灘泉・泉正宗・大黒正宗
 西郷:兵庫県神戸市灘区西郷地区、 沢の鶴・富久娘・金盃

 各地の酒造メーカーの進出も多く、京都の松竹梅、滋賀の道灌なども灘五郷にも工場を置いている。かつては、京都の月桂冠、伊丹市の白雪、和歌山の世界一統なども工場を置いていた。また、忠勇、富貴、富久娘、福徳長など非関西資本の傘下に入ったところもある。あの剣菱ですら京都・伊丹からここ灘に昭和の初め引っ越してきた。

 五十三次日本橋、広重画。 対岸には上方からの下り物の蔵が建ち並んでいます。日本橋際には魚市場が有って魚を担いだ商人と、その中に剣菱の樽を担いだ人も居ます。この当時の剣菱は伊丹に蔵がありました。



                                                            2015年2月記

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