落語「七段目」の舞台を行く
   

 

 二代目雷門助六の噺、「七段目」(しちだんめ)より


 

 お芝居が大好きで、歩いているときでさえ台詞の練習や踊りの稽古をしています。

 若旦那の伊之助は芝居かぶれで帰りが遅い。家に帰って来てまで芝居の稽古をするので、旦那に怒られている。案の定、踊りながら帰って来た。「お帰り」、「番頭お出迎えご苦労千万。はははは、ハヒフヘホ」、「そんな笑い方があるんですか」、「有るんだ。『ヒ』は幽霊笑いで、『フ』はお婆さんの笑い。『ヘ』は太鼓持ち笑いだ、『ホ』は立女形の笑いで、ホホホホホこれがイイ」、「店先で変な声出さないで下さい」。
 「親父は?」、「奥で怒っていらっしゃいます」、「なに、父上はご立腹とな、あいつはバカだ」、「どっちが・・・。どうぞ奥へ」。「伊之助か。何処に行ってきた」、お客さんの名前を挙げて弁解に走った。「芝居に行っていたのだろう。帰りが遅い」、「はは、遅なかりしが、拙者の不調法」、「お前なんで言葉に節を付けるんだ。ご先祖様に申し訳ない。出て行け」、若旦那、歌舞伎調の台詞で弁解「暫く、しばらく、武士の情けだ、お聞き下され~」、「何てやつだ。家中のクズだ」、「塩谷判官をクズに例えたな~」、「私の煙管を持ちやがって、例えたらどうしたんだ」、「師直(もろのう)待てッ」、「あッ、殴ったな。親の頭を。番頭止めなさい」、「しばらく、しばらく、殿中でござる。お出会い召され~」、「お前まで、やりやがって。早く二階に上げなさい」。

 「二階に上がればこっちのものだ。今日の歌舞伎良かったね。三段目のお軽勘平の出なんか良かったね。声が掛かるよ『成駒屋!パァッ』」、「またあいつだ。二階に上がって誰か止めてこい。定吉行ってこい」。
 「若旦那、お父さんが怒っていますよ。芝居の真似はおよしなさいと言ってます。夢中で踊っているからこっちを向かないよ。だったら、こっちも芝居でやろう。若旦那ァ~(下座の鳴り物が入る)。こっち向いた」、芝居の台詞で若旦那を引きつけた。「やあやあ若旦那、芝居の真似をやめればよし、いやだなんぞとじくねると、とっつかめえて」、「お前がこんなに出来るなんて・・・、」。
 下からまたお小言が飛んできた。「親父は先が無い。死んだら私が旦那、定吉は番頭。どうだやるか」、そのまま二人で芝居をやろうということになり、選ばれたのは忠臣蔵の『七段目・「祇園一力の場」』。定吉がお軽、若旦那が平右衛門をやることにし、定吉を妹の赤い長襦袢としごきを前で結び、手拭いの姉さんかぶりで女装させた。「平右衛門の自分が、丸腰というのは変だ。そうだ定吉、地袋にある親父が大切にしている日本刀を持っておいで。有ったか、良く切れる」、「私止めさせていただきます」、「なぜだ」、「ザブッと切られたら一巻の終わりです」、「刀の下げ緒を鍔(つば)に通す、これを巻き付けて結ぶ。これなら抜けない。どうだ」、「それなら結構です。何処からやります」。

 「軽、(下座の鳴り物が入る)その文みんな読んだか」、「アイ、読んだ後に互いに見合わす顔と顔、それからジャラジャラとジャラつき出して身請けの相談」、「まった待った。互いに見合わす顔と顔、それからジャラジャラとジャラつき出して身請けの相談・・・、分かった。こうだ、こうだ。御家老様はそちを・・・、妹よ、私の頼みを聞いてくれないか」、「その頼みは・・・」、刀の下げ緒をほどき始めた。目の色が変わって、「その頼みというは、妹、我の命は兄がもらった」、抜き身を振りかざして定吉に襲い掛かってきた。「若旦那危ない!何するんですか。キャ~~」。
 「二階はうるさいね。番頭どうした?ハッキリ言いなさい『定吉が二階から落っこちてきました』、預かった子供だ。どこだ。・・・何だい長襦袢を着て、目を回している。オイ定吉、しっかりしろ。定吉」、「ヘィ、ハアハア、もし兄さん」、「何が兄さんだ」、「私には勘平さんと言う夫もあり、ふた親があるから、お前の自由にはならぬぞえ。言(ゆ)うたら悪ければ謝りましょう。兄さん、手を合わ・・・」、やっと状況が分かった定吉「ただいま」。
 「危ないヤツだな~。てっぺんから落ちたのか?」、「いいえ、七段目です」。

 



ことば

原話は、初代林屋正蔵が文政2年(1819)に出版した笑話本『たいこのはやし』の一遍である「芝居好」。芝居噺に分類される演目である。元々は上方落語の演目で、いつごろ東京に移植されたかは不明。 題名の由来は、中盤で歌舞伎の演目『仮名手本忠臣蔵』の七段目「祇園一力茶屋の場」にあたる場面が取り上げられていることにある。これは、密書を読まれて仇討ちの計画を知った遊女お軽を、身請けしてから殺そうという大星由良助の腹を察した寺岡平右衛門が、妹であるお軽を自ら手に掛ける手柄によって、敵討の同志に加えてもらおうとする見せ場である。

仮名手本忠臣蔵・七段目 あらすじ(祇園一力茶屋の段)
 これが分かると落語の意味が分かってきます。では、
 ここは京都、遊郭や茶屋の連なる夜の祇園町。その一力茶屋に師直(もろなお=吉良上野介)の家来鷺坂伴内とともにいるのは、もと塩冶の家老斧九太夫(斧定九郎の父)である。九太夫は師直の側に寝返り内通していた。二人は大星由良助が、仇討ちを忘れてしまったかのように祇園で放蕩に明け暮れているという噂を聞き、それを確かめにきていたのだったが、由良助は二階座敷で遊女たちを集め酒宴を開き、太鼓や三味線で騒いでいる。これを下から見ていた九太夫も伴内も呆れるが、なおも由良助の心底を見極めようと、座敷に上がり、ひそかに様子を伺うことにした。
 由良助は酔いつぶれて寝ている。そこへ人目を避けながら息子・力弥が現われるとむっくと起きた。力弥はかほよ御前(判官高貞の妻)からの急ぎの密書を由良助に渡し、またその伝言として師直が近々自分の領国に帰ることを告げて去る。由良助が密書を見んと封を切ろうとするところ、九太夫が現われる。

 「忠臣蔵 七段目」一力の場 広重画。 九太夫と酒を飲む由良助。そのまわりを仲居や幇間が取り巻く。

 九太夫と酒を飲む由良助。そのまわりを仲居や幇間が取り巻く。由良助は九太夫と盃を交わす。今日は旧主塩冶判官の月命日の前日、本来なら魚肉を避けて精進すべき日であった。九太夫は由良助の真意を探ろうと、わざとタコを勧めるが、由良助は平然とこれを食し、幇間や遊女たちと奥へと入る。伴内が出てきて「主の命日に精進さへせぬ根性で、敵討ち存じもよらず」と九太夫と話すが、ふと見ると由良助は自分の刀を置き忘れていた。「ほんに誠に大馬鹿者の証拠」と、こっそり由良助の刀を抜いて見ると、刀身は真っ赤に錆びついている。「さて錆たりな赤鰯、ハハハハハ…」と嘲笑する二人。だが九太夫は、まだ由良助のことを疑っていた。最前、力弥が来て由良助に書状を渡すのを見かけたからで、それについての仔細を確かめるべく、縁の下に隠れて様子を伺うことに。伴内は九太夫が駕籠に乗って帰ると見せかけ、空の駕籠に付き添い茶屋を出て行った。
 あの勘平の女房お軽は遊女となっていたが、今日は由良助に呼ばれてこの一力茶屋にいた。飲みすぎてその酔い覚ましに、二階の座敷で風に当っている。その近くの一階の座敷、由良助が縁側に出て辺りを見回し、釣燈籠の灯りを頼りにかほよからの密書を取り出し読み始めた。そこには敵の師直についての様子がこまごまと記されている。だがそれを、二階にいたお軽と縁の下に隠れていた九太夫に覗き見されてしまう。密書を見るお軽のカンザシが抜けて地面に落ちた。その音を聞いた由良助ははっとして密書を後ろ手に隠す。「由良さんか」、「お軽か。そもじはそこに何してぞ」、「わたしゃお前にもりつぶされ、あんまり辛さに酔いさまし。風に吹かれているわいな」。

仮名手本忠臣蔵 七段目 国輝画。 由良助は密書を読むが二階ではお軽が、縁の下では九太夫が盗み読み。

 由良助は、お軽にちょっと話したい事があるから、そこから降りてここに来るよう頼む。そばにあった梯子で、わざわざおをふざけながら下へと降ろす由良助。右絵:歌川国明画 江戸東京博物館蔵。
そしておに「古いが惚れた」、自分が身請けしてやろうと言い出した。男があるなら添わしてもやろう、いますぐ金を出して抱え主と話をつけてやるといって、由良助は奥へと入った。夫勘平のもとへ帰れるとおが喜んでいると、そこに兄・平右衛門が現れる。おは由良助が読んでいた書状の内容について、平右衛門にひそかに話した。平右衛門「ムウすりゃその文をたしかに見たな」お「残らず読んだその後で、互いに見交わす顔と顔。それからじゃらつき出して身請けの相談」、「アノ残らず読んだ後で」、「アイナ」、「ムウ、それで聞えた。妹、とても逃れぬ命、身共にくれよ」と平右衛門は刀を抜いておに斬りかかろうとする。驚くお、ゆるして下さんせと兄に向って手を合わせると、刀を投げ出しその場で泣き伏した。
 父与市兵衛が六月二十九日の夜、人手にかかって死んだことをおに話した。びっくりするが、「こりゃまだびっくりするな。請出され添おうと思ふ勘平も、腹切って死んだわやい」と、勘平もすでにこの世にいないことを話す。あまりのことに兄に取り付き泣き沈むお。だがあの由良助がわざわざ身請けしようというのは、密書の大事を漏らすまいと口封じに殺すつもりに違いない。ならば自分が妹を殺し、その功によって敵討ちに加えてもらおうと、平右衛門は悲壮な覚悟でおに斬りつけたのである。「聞き分けて命をくれ死んでくれ妹」と、おに頼む平右衛門。
 「勿体ないがとと様は非業の死でもお年の上。勘平殿は三十になるやならずに死ぬるのはさぞ口惜しかろ…」となおも嘆くが、やがて覚悟を決めて自害しようとする。そこに由良助が現れ、「兄弟ども見上げた。疑い晴れた」と敵と味方を欺くための放蕩だという本心をあらわし、平右衛門は東への供を、すなわち敵討ちに加わることを許し、妹は生きて父と夫への追善をせよと諭す。さらにおが持つ刀に手を添えて床下を突き刺すと、そこにいた九太夫は肩先を刺されて七転八倒、平右衛門に床下から引きずり出された。 由良助は九太夫の髻を掴んで引き寄せ、「獅子身中の虫とはおのれが事、我が君より高知を戴き、莫大の御恩を着ながら、かたき師直が犬となって有る事ない事よう内通ひろいだな…」と、九太夫を土に摺りつけねじつける。九太夫はさらに平右衛門からも錆刀で斬りつけられ、のた打ち回り、ゆるしてくれと人々に向って手を合わせる見苦しさである。由良助は、ここで殺すと面倒だから、酔いどれ客に見せかけて連れて行けと平右衛門に命じる。そこへこれまでの様子を見ていた矢間たち三人が出てきて言う、「由良助殿、段々誤り入りましてござります」。由良助「それ平右衛門、喰らい酔うたその客に、加茂川で、ナ、水雑炊を食らはせい」、「ハア」、「行け」。

 「仮名手本忠臣蔵 七段目」北斎画。 終幕の九太夫成敗。

■父親と若旦那の台詞は、歌舞伎の中の台詞を流用したパロディ。
 「ははァ~ッ、遅なわりしは拙者重々の誤り」;『仮名手本忠臣蔵・三段目』塩谷判官の台詞「遅なわりしは拙者が不調法」から。
 「暫くしばらく、武士の情けだ、お聞き下され~」;『暫(しばらく)』清原武衡(きよはらのたけひら)が、自分の意に従わない人々を家来に斬らせるところに、登場する鎌倉権五郎(かまくらごんごろう)の台詞。
 「師直(もろのう)待てッ」、「あッ、殴ったな。親の頭を。番頭止めなさい」、「しばらく、しばらく、殿中でござる。お出会い召され~」;『仮名手本忠臣蔵・三段目』塩谷判官が殿中で師直に切りつけたときの台詞。
 「やあやあ若だんな、芝居の真似をやめればよし、いやだなんぞとじくねると、とっつかめえて・・・」 ;忠臣蔵・道行の鷺坂伴内のパロディー。

成駒屋(なりこまや);中村芝翫家、中村鴈治郎家、中村歌右衛門家。屋号は他に、松嶋屋;片岡仁左衛門家。 播磨屋;中村吉右衛門家、中村又五郎家。成田屋;市川団十郎とその一門の屋号。等々。

長襦袢(ながじゅばん);肌につけて着る短衣。はだぎ。汗取り。着物と同じ丈の、長い襦袢。

しごき;並幅の布をくけたりしないで、そのまま用いる帯。抱え帯。兵児(へこ)帯・三尺帯など。扱(しご)き帯。良家の女性は部屋では着物の裾を引きずっています。外に降りるときは、裾を引き上げるため、たくし上げた部分を「しごき」で止め、略式帯とします。

お軽(おかる);「仮名手本忠臣蔵」の登場人物。早野勘平の妻、山崎の与市兵衛の娘。夫のため身売りした祇園・一力茶屋で、由良之助の助力により敵に内通した斧(おの)九太夫(斧定九郎の父親)を夫に代わって刺す。落語「片袖」参照。六段目の解説有り。

平右衛門(へいえもん);「仮名手本忠臣蔵」の登場人物、寺岡平右衛門。お軽の兄。お軽が手紙をみんな読んだことを知り、由良助がお軽を請け出して殺そうとしているのを察知。自分の手で殺し、忠義を見せて討ち入りに参加させてもらおうと思っている。

地袋(じぶくろ);天袋の反対で、違い棚の下などに、地板に接して設けた小さい戸棚。

下げ緒(さげお);刀の鞘(サヤ)の栗形(クリガタ)の孔に通して下げる緒。革緒・組緒や、わなにして栗形にかける半下緒などがある。この図は小刀(合口)ですから鍔は有りません。

抜き身(ぬきみ);鞘から出した刀。



                                                            2016年2月記

 前の落語の舞台へ    落語のホームページへ戻る    次の落語の舞台へ

 

 

inserted by FC2 system