落語「蛙茶番」の舞台を行く 三遊亭円生の噺、「蛙茶番」(かわずちゃばん)より
■天竺徳兵衛(てんじゅくとくべえ);ここに登場する芝居は、正式な外題を「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえぃ・いこくばなし)」といい、現在も市川猿之助のレパートリーになっています。寛永10年(1633)、貿易商角倉与市の船子頭、高松徳兵衛の書記として天竺(インド)に渡り、『天竺聞書』を残した天竺徳兵衛を主人公にした作品が多く生まれた。四代目鶴屋南北(1755~1829)の『天竺徳兵衛韓噺』はその集大成、文化元年(1804)7月、河原崎座で初演された。
【天竺徳兵衛韓噺】 歌舞伎脚本。時代物。五幕。四世鶴屋南北(つるやなんぼく)作。文化元年(1804)7月、江戸・河原崎(かわらさき)座で初世尾上松助(おのえまつすけ=松緑)が初演。寛永年間(1624~44)天竺(インド)へ渡り、天竺徳兵衛といわれた船頭の巷説(こうせつ)「天竺徳兵衛物語」を脚色したもので、近松半二(はんじ)作の浄瑠璃『天竺徳兵衛郷鏡(さとのすがたみ)』を下敷きにした作。天竺帰りの船頭徳兵衛が自分の素姓を吉岡宗観(そうかん)実は大明(だいみん)の臣木曽官の子と知り、父の遺志を継いで日本転覆の野望を抱き、ガマの妖術を使って神出鬼没、将軍の命をねらうが、巳(み)の年月そろった人の生き血の効験によって術を破られる。原作には徳兵衛に殺された乳母五百機(いおはた)の亡霊が現れる怪奇な場もあり、松助が二役で勤め評判になったが、その後、三世尾上菊五郎の再三の上演ごとに脚本も改訂され、五世・六世の菊五郎に継承されて尾上家の芸となり、普通『音菊(おとにきく)天竺徳兵衛』の外題で「宗観館」「同水門」「滝川館」の二幕三場が上演されている。草双紙趣味豊かな舞台で、「水門」でガマから引き抜いた徳兵衛の引込み、「滝川館」で本水を使い、越後座頭に化けた徳兵衛が偽上使になって登場する早替りなどが見もの。[松井俊諭]
右図:『市村座三階之圖』(歌川国貞画)より四代目鶴屋南北。
この「天竺徳兵衛」さんは、慶長17年(1612)- 没年不詳)は、江戸時代前期の商人、探検家。 人物。播磨国加古郡高砂町(現在の兵庫県高砂市)に生まれる。父親は塩商人だったという。 寛永3年(1626年)、15歳の時に京都の角倉与市の船頭「前橋清兵衛」さんの書役として朱印船貿易に関わり、ベトナム、シャム(現在のタイ)などに渡航し、さらにヤン・ヨーステン(東京の八重洲の地名の由来となった元船員。落語「熊の皮」で取り上げています)さんとともに天竺(インド)へ渡り、ガンジス川の源流にまで至ったという記録が残っておりますことから「天竺徳兵衛」と呼ばれるようになった。徳兵衛さんの帰国後、江戸幕府が鎖国政策をしいた後に、徳兵衛さんは自身の見聞録「天竺渡海物語」を作成し、長崎奉行に提出した。鎖国時に海外の情報は物珍しかったため世人の関心を引いたんですが、どうも嘘くさい話が混じっていたようで、内容には信憑性を欠くものが多いとされています。 で、九十数才で死去した後に徳兵衛さんは何故か伝説化し、江戸時代中期以降の近松半二の浄瑠璃「天竺徳兵衛郷鏡」や、四代目鶴屋南北の歌舞伎「天竺徳兵衛韓噺」で主人公となり、妖術使いなどの役回しで人気を博した。この徳兵衛さんまるで落語「弥次郎」の主人公みたいです。
上図:天竺徳兵衛、17世紀の肖像画。中:歌川国芳によって描かれた徳兵衛。 右:同じく国芳によって描かれた歌舞伎の登場人物としての徳兵衛。多くの絵で大蝦蟇が描かれて、まるで児雷也みたいな風体です。
43編からなる長編の合巻作品の主人公、児雷也はもともと肥後国で栄えた豪族の子孫である尾形周馬弘行(おがた しゅうま ひろゆき)で、信濃国で育つ。その後、雷獣を退治するなどしてその勇力の頭角を現わす。その後、蝦蟇をあやつる妖術を身につけ、児雷也を名乗り、各地で活躍する。のちにはナメクジをあやつる術をつかう綱手(つなで)や、蛇を自在にあやつる宿敵大蛇丸も登場し、カエル・ヘビ・ナメクジの三すくみの展開を繰り広げる。児雷也と綱手たちは一時、大蛇丸に敗れるも戦闘を続ける。
左;「天竺徳兵衛韓噺」合本より。 右:「児雷也」より、ガマに乗る児雷也。
■芸談;三代目三遊亭金馬は、大正末期、関東大震災後、神田立花亭主で独演会をやった際に、『蛙茶番』を口演し、当時春風亭小柳といった三代目桂三木助を客席に入れておき、忍法ゆずり場で、いよいよ徳兵衛が九字をきった所で、三木助が客席のなかから「蛙がでないじゃないか」というと、高座の金馬がこれをうけて、「出ないはずで、舞台番の股倉から青大将がのぞいております」とオチをつけたという。当時としては、まことに思いきった派手な演出で、この噺の陽気なムードとも、金馬のあくまでも明るい芸風ともよくマッチしたアイデアとも言えよう。(興津要)
■舞台番(ぶたいばん);江戸時代の劇場従業員のひとつ。明治中期まで存続した。舞台下手の角ござの上に座し、場内整理に当ったもの。
明治に入ってからも「舞台番」を置いた。舞台の左側に半畳敷きの上に座っています。江戸東京博物館蔵。
「江戸期の中村座」 江戸東京博物館蔵。 実物大の再現建物。ここで演じられる芝居を仲間内で再現したかったのでしょう。
■素人芝居(しろうとしばい);役もめは必ず有るものです。小僧の定吉ですら、ガマの役はヤダと言っています。伊勢屋の若旦那だったらもっとイヤでしょうね。
■茶番(ちゃばん);ばからしい、底の見えすいたふるまい。茶番劇。
■緋縮緬(ひ
じりめん);緋色のちりめん。江戸っ子は、「ひ」が発音できなくて、「しじりめん」と訛っています。縮緬は絹織物のひとつ。経糸(タテイト)に撚のない生糸、緯糸(ヨコイト)に強撚糊つけの生糸を用いて平織に製織した後に、ソーダをまぜた石鹸液で数時間煮沸することによって緯の撚が戻ろうとして布面に細かく皺をたたせたもの。口にくわえて引っ張り、放すとチリチリといって縮みます。
■油っ紙(あぶらっかみ);油紙(ユシとも)。
桐油(トウユ)または荏油(エノアブラ)をひいたコウゾ製の和紙。防水を目的とする荷造り用または医療用。桐油紙。
■青大将が狙ってる;ヘビ(青大将)はカエルを食用としているので、ヘビの前に出たら食べられてしまうと定吉は心配したのでしょう。青大将は半公の股ぐらの間にいます。
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