落語「紙入」の舞台を行く
   

 

 古今亭志ん朝の噺、「紙入」(かみいれ)


 

 昔は呉服屋さんや小間物屋さんの若い連中をお得意回りをさせると、そそっかしいおかみさん連中が若い連中とおかしな事になってしまうと言うことがあったようです。

 新吉は大事なお得意さんのご新造から手紙をもらった。『今夜は旦那が帰ってこないので来て下さい。今夜来てくれないときにはこちらにも覚悟があります』と言う文面だが、行かなければお得意さん一軒しくじってしまうし、行けば我が子のように可愛がってくれる旦那さんに申し訳ない。「行ける訳が無いよな」。
 「じゃぁ~、チョと行って、スッと帰ってくれば良いだろう」と、浴衣を着たまま湯に入ってしまったような変な気持ちで出掛けた。

 「どうしたんだい。チッとも飲んでいないじゃないか」、「もう結構でございます。あまり飲めないものですから・・・」、「大丈夫、私が看病してあげるから」、「この辺で・・・」、「帰っちゃイヤだよ。婆やも帰したし、旦那もいない。私一人じゃ恐いわよ。泊まっていってちょうだいよ。新さんが帰った後に何かあったらどうするの」、「私が居た方が、間違いが起こりそうで・・・」、「いいよ。どうしても帰るんだった、旦那に有ること無いこと言っちゃうから・・・。どっちにするんだい」、どうしてイイか分からなくなって、ヤケで空きっ腹に茶碗酒2~3杯やったが、酔っ払うのを通り越して気持ち悪くなってしまった。「いっぺんに飲むからよ。横になると良いわよ」。隣の襖を開けると床が敷いてあった。ご新造は食事を片づけて、戸締まりをして、長襦袢一枚になって鏡台の前に座って、鼻の頭に白粉をポンポンとはたいて、顔の左右を見て「ん」と、うなずいた。襖を開けて「新さ~ん・・・」、と入ってきた。

 「おい、今帰って来たよ」と、表を叩く音。旦那が帰って来た。新吉の驚くまいことか。ほうほうの体で裏から逃がしてもらった。
 奴さん、夢中で家に帰って来た。「ビックリしたな。帰らない旦那が帰ってきたよ。見付からなくて良かったな。着物はちゃんと着ているし、煙草入れは有る。あれッ、紙入れが無い!。床の間に置いてそのまま忘れて来たんだ。あの紙入れは旦那に見せて、『良い物だから大事にしろよ』と言われたんだ。それにご新造さんからの手紙が入っているんだ。・・・どうしよう、御店にはここまで一生懸命働いてきたのに、しくじったな~~。待てよ、旦那は見ていないかも知れない。朝行って『この野郎!』と言われたら、それから逃げたって遅くはない」。

 寝られない朝を、早く旦那の所にやって来た。旦那は起きて煙草を吸っていた。呼ばれて部屋に上がると、「早いが何かあったか?」、「(新吉も聞き返した)何かありましたか?。・・・居られなくなったので、おいとまごいに来ました」、「ははぁ~ん。金でなければ女だな。朝っぱらからノロケに来たのか。やりなよ、若い内だけだよ。分かったよ、何処かのお嬢さんだろう」、「お嬢さんでは無いんです」、「その女、言ってごらんよ、俺が間に入ってまとめてやろうじゃないか」、「ダメなんです」、「ははぁ~、もしかしたら、主有る女なんじゃないか・・・、どっかのカミさんじゃないのか」、「そうなんです」、「新吉、それは良くないぞ!」、「勘弁して下さい、スイマセン、許して下さい」、「ここでペコペコしたってダメだ。それは止めた方がイイぞ。『人の女房と枯れ木は登り詰めたら命がけ』と言うだろ。ろくな事は無いぞ。よしな、よしナ。何処のカミさんなんだ?」、「それは・・・、私の得意先のご新造なんです。旦那にも可愛がられ・・・、ご新造から手紙をもらったんです。行ったら、酒の用意がしてあって、婆やも居なく、飲め飲めと言うんです」、「飲めというのか。上手くやったな」、「直ぐ帰ろうとしたら泊まっていけと言うんです。帰ったら旦那に告げ口すると言うんです」、「ふんふん、泊まれというか。俺だって泊まるよ。それからどうした・・・」、「長襦袢一枚で布団に入ってきたら、そこに旦那が帰って来たんです」、「間抜けなところに帰って来たね。で、見付かっていないのか。良かった良かった。もう二度とそんな誘いがあっても行くなよ。お得意無くしても、家が付いているよ。心配するな。逃げることは無いヨ」。
 「それが、忘れ物しちゃったんです。旦那も知っている紙入れで、そこに手紙が挟んであるんです」、「バカだな。そんな手紙は破くなり燃やすなりしなくっちゃ~、お守りじゃ無いんだから・・・。旦那に見つけられたのか?」、「んッ、、、見つけたんですか」、「なんだよ」。

 そこにご新造が声を掛けた。「新さんどうしたの」。亭主が今までの新吉の話を聞かせてやった。「新さん、青い顔をしてぇ・・・。まぁ~、気が小さいのね。心配でしょうけどね、私大丈夫だと思うわ」、「どうして」、「旦那が居ない留守に若い男と楽しむような女ですから、その様なところには抜かりが無いと思いますよ。男を逃がして、直ぐに旦那を入れるような事はしませんよ。回りを見て、具合の悪いことは直して、財布が落ちていたら、旦那に分からないように仕舞ってありますよ。ねぇ~旦那、大丈夫よね」、「そうだ、そうだ、よしんば見付かっても自分の女房を取られるような奴だ。まさかそこまでは気が付かないだろう」。

 



ことば

呉服屋(ごふくや);昔は反物を売るのが呉服屋であったが、後年、仕立てた着物も売るようになった。現金掛け値無しで評判を取った越後屋さんが有名です。日本橋の現三越です。
 右:越後屋の看板。江戸東京博物館蔵。

小間物屋(こまものや);芝の「若狭屋」と「かねやす」が、江戸では指折りの高級小間物店であった。
 本郷三丁目の「かねやす」は、江戸時代からの小間物屋で、目貫(めぬき)や、小刀や化粧品、口紅、白粉、かんざし等、こまごました物を売っていた。それが小間物で、小間物を売る店が小間物屋、小間物店。 
 「かねやす」は、兼康祐悦という歯科医が乳香散なる歯磨き粉を売り出したところ、これが当たり、店を大きくした。芝神明前の「兼康」と本家争いがあり、芝は漢字で、本郷は「かねやす」と仮名に改めた。

 個人経営の背負い小間物屋さんもいますが、大店の小間物屋さんでは、小僧さんを大勢使っていて、お得意さん回りをさせていた。若い小僧さんでイケメンには、志ん朝も言っているように、そそっかしいおかみさん連中が若い連中とおかしな事になってしまうと言うことがあったようです。

 上写真;「かねやす」暖簾(実物)。文京ふるさと歴史館蔵。下:現在の「かねやす」。

間男(まおとこ);夫のある女が他の男と密通すること。また、その男。情夫を持つこと。男女が私通すること。
 間男を発見された場合、二つに重ねて四つに切っても良かった。ただ、10両の命であったから(10両盗めば首が飛ぶ)、10両払えば示談が成立したが、助命のための示談金は享保年間以後、ずっと七両二分と相場が決まっていました。高い買い物ですが、どちらも止められない。

 

 旅から帰った亭主に驚き、裏から逃げ出す間男。右:同じく逃げ出す間男。文藝春秋デラックス11月号より

間男の小ばなし
 長屋の男が、 隣のかみさんとの間男を見つかり、 亭主に脅され示談金の相場は七両二分(7.5両)だから、持って来いと脅された。当然そんな大金持ち合わせが無いので、こわごわ家に帰って女房に相談すると、「隣の亭主はそんな事を言ったのかい。それでは、お釣りの七両二分もらって来な」。あらら、どちらさんもすご腕ですね。

紙入れ(かみいれ);「紙入れ」は「三徳」とも言います。『広辞苑』によれば、「(三つの徳用がある意) 鼻紙袋の一種。更紗または緞子で作り、鼻紙を挟む口とは別に書付・楊枝を入れる口をも付けたもの。江戸時代に流行。
1.紙幣を入れて持ち歩く入れ物。札入れ。財布。
2.鼻紙・薬品・つまようじなどを入れるもの。革または絹で作る。鼻紙入れ。
3.打掛を着たとき、胸元のポイントとして襟の部分に挿すもの。もともとは懐紙を入れるために使われた。

 

 「紙入れ」左:外側は平凡な単色ですが、それを開くと、右:派手な色合いで、小物類が入れられます。其角堂(きかくどう)コレクション、江戸風俗研究家の平野英夫氏蔵。    http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071112/140344/?rt=nocnt より

 

 「古渡り更紗散り縫い聖母子紙入れ」 アベマリアが描かれた紙入れ。三つ折れになっていて小物も入れられます。江戸東京博物館蔵

 

 

 

 

 

煙草入れ(たばこいれ); たばこを携帯する袋から出発したたばこ入れは、きせるも合わせて持てるように専用の筒がつけられ、機能的になりました。さまざまな形のなかで、代表的なものは腰に提げる「提げ(さげ)たばこ入れ」と着物の懐(ふところ)に入れる「懐中(かいちゅう)たばこ入れ」です。特に、提げたばこ入れは、腰まわりの装飾品として庶民に愛用され、個性的なものも作られました。また、たばこ入れの発達は、他の袋物の発達にも大きな影響を与えました。
 木綿散縫(もめんちらしぬい)提げたばこ入れ (江戸後期)根付で腰に提げます。 たばこと塩の博物館蔵 

マクラから、間男うわさ話
 「この話は大事な用件だから忘れずに伝えておくれ」、と言われると、無駄話をして帰って来て、言い忘れてしまいます。反対に「言ってはいけないよ」と言われると喋りたくなるものです。
 「気が付かなかったなぁ~」、その言葉を聞いた仲間が、内容を聞きたがった。「これだけは話せないんだよ」、「俺とお前はガキの時分からの付き合いだろ」、「お前は喋るからなぁ~」、「俺は喋るなと言われたら、背中をナタで割られて鉛の熱湯を注がれても喋らないよ」、「大きな声で言えないから、こっちによれョ。間男一件の話なんだ。横町の豆腐屋のおカミさんで、相手は建具屋の半公なんだ。亭主はまだ知らないんだ。知れたら大変なことになるから、喋るんじゃ無いョ」。
 「ふ~ん、分からないもんだな~」、「何が?」、「喋れないんだ。お前はおしゃべりだから」、「喋らないよ。背中をナタで割られて鉛の熱湯を注がれても喋らない・・・」、「今、俺がやって来たんだ。大きな声で言えないから小さい声でするよ。間男一件で、豆腐屋のカミさんが、半公と出来てるんだ。亭主は知らないから他で言うなよ」、「分かった。なるほどね~。 オ~イ、チョットこっちに来いや。知ってるか?豆腐屋のカミさんが間男しているんだって。相手は建具屋の半公だって。亭主は知らないんだって、脇に行って喋らない方がイイよ。う~~マズい奴が聞いているよ、与太郎だ」、「あたい聞いちゃった。豆腐屋のカミさんが間男している・・・」、「大きな声出すな。他で言うなよ」。
 「おじさ~ん、ここにオカラいっぱい入れとくれ」、「買い物、偉いな」。「おじさん面白い話が有るよ。横町の豆腐屋のカミさん間男しているよ」、「?・・・、横町の豆腐屋と言えば家だけだ。相手は誰だ」、「建具屋の半さんだ」、「道理で、時々顔を見せるんだ。教えてくれて、アリガトウョ」、「脇に行って喋らない方がイイよ」。
 これは喋りませんな。

 


                                                            2015年2月記

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