落語「池田の猪買い」の舞台を行く
   

 

 桂米朝の噺、「池田の猪買い」(いけだのししかい)より


 

 「寒くなりましたなァ~」。
 「鼻の頭に黒いのが付いているが何だ」、「灸(やいと)を教えてもらったら、こうなったんです」、「のぼせるというので、盆の窪に灸をせえと、教えたたのに」、「だから順番に上に上に植えていったら、頭を通り越して鼻の頭にきてしまった。明日から何処に灸をしたら良いか迷っていた」、「上というのは、同じ所に重ねて、据えるということだ」、「それは治ったんですが、冷え気がキツくて懐炉入れても良くならない」、「外から暖めるのもイイが、中から暖(ぬく)める方がイイ。猪の肉(み)を食べると良い。ぼたん鍋食べたことないか?『薬食い』といって身体を温めて身体に良い」、「早速買ってきます」、「新鮮なものが良いな。大阪ではダメだが、北を指して池田に行きなさい。あすこなら産地だから新しい物がある。寒い所だから、温かくして、明日朝寄りなさい、頼みもあるから」。

 「おはよう。甚兵衛さん。潜り戸では入れないから大戸を開けて・・・。寒いから家に有る物皆着てきたから膨れてしまった」、「余分な物、脱ぎなぁ。頼みとは私にも200目買ってきて欲しい。アンタは300目買えば良いから」、「都合500目ですね。茶代から猪の肉代合わせて2円有れば良いので貸してください」、「困った奴だ。池田までの道分かるか? 分からなければ教えてあげる。ここ丼池(どぶいけ)から丼池筋を北に行くと突き当たるわ、丼池の北浜には橋が無いで、左に曲がって淀屋橋を渡るな、大江橋、蜆橋(しじみばし)を渡るとお初天神が有って、「紅卯」と言う寿司屋の看板がある。そこから真っ直ぐ北に行けば良い。十三(じゅうそう)の渡し、三国(みくに)の渡しを越えて服部の天神さんを通り抜けると岡町、ここを抜けると池田だ。街中じゃダメだぞ、山の手に掛かって、山猟師の六大夫さんと言えば、大阪まで聞こえた猪撃ちの名人じゃ」。
 「行ってきます」、と出掛け、お産婆さんのところに急いでいる男をつかまえ聞いた。甚兵衛さんが言ったとおりに聞くと、「その通り行きなさい」。「も~一回聞こうかな」、急いでいる人が良いとつかまえると先程の人だった。

 寒気の強い時期ですから、ワタをちぎったような雪が降ってきた。「う~~寒。皆着てくれば良かった。お百姓は偉いな、こんな雪でも田んぼにいるよ」。なんべん大きな声を掛けたが無視された、が・・・良く見たらカカシであった。
 「山猟師の六大夫さん家とはここですか」、「手前です」、「来すぎたかな?」、「ここです」、「アンタが六大夫さん? 歌舞伎の山猟師とは大違い。真っ黒い顔だな~」。「大阪から新しい猪の肉(み)を買いに来た」、「お客さんですか。それは丁度良かった。そこに下がっているのが一昨日捕ってきた奴で、いたって新しい」、「素人は新しいか古いかは分からない。目の前で撃ってくれなければ・・・」、「どんだけいるんだ」、「500目」、「それぐらいで、出掛けられるか」、「雪が降ってきて、こ~ゆう日は猟が立つぜ」、「猟師は験を担ぐ。嬉しいことを言ってくれるね。その一言で出掛けるか」。
 山道を上がってきた。猟犬が猪を追い出したようだ。雄雌の2頭の猪が見えてきた。「お客さん。どっちを狙う」、「美味しいのが小さい雌で、雄は硬いが大きいので肉が多い。迷うな~。撃ちやすい方を」、横でゴチャゴチャうるさいもんで、六大夫さん、つい引き金に力が入ってしまった。ダァ~ンと玉が飛び出して、猪の頭をかすめ後ろの岩に当たってバチ~ンと跳ね返った。そのはずみで気絶して、ド~ンと猪は倒れた。そんな事は分からない二人。山道を降りると猪は大きい。「これ新しいか?」、「今見ていただろう」、と銃の台尻でポンポンと喰らわすと、気絶していただけですから、トコトコと歩き出した。
「客人、あの通り新しいがナ」。

 



ことば

原話「狩人」より 落噺笑富林(わらうはやし) 天保4年刊 林家正蔵作 北尾重政画

 甲州辺の山にて、狩人山へ行き、猪を撃ち歩く。その後へ付き回り、猪を買ふ者あり。ある日、向ふの山の根にて、猪一疋(ぴき)を見付け、ぽんと放すやいなや、この猪倒れける。この鉄砲、猪の下腹をかすり向こうの山に当たる。臆病なる猪ゆへ、鉄砲にあたりたると思ひ、気絶したり。
 その所へ狩人も、ほんまに打ちしと心得、たづね来たる。後より買人付け来たり、猪の鼻の所へ手をやりて嗅いで見て、買人「アヽ臭や臭や。この猪は打って四五日にもなるべし。大分古い」、狩人「今撃ったばかりじゃ。なんぼ安く買ひたいとて、古いとはあんまりの事。これ、見るがよい」と、鉄砲でいぢり回せば、もとより死なぬ猪なれば、むっくと起きて。一散に、山をさして駆けのぼる。狩人「あれでも古いか古いか」といへば、買人「駆け出す足は新しいが、胴骨が古かった」。

・サゲの胴骨は、背骨や肋骨のことを言うが、度胸とか胆っ玉の意味もあり、いかにも臆病な猪にふさわしい。
少し足りない大阪の男が、池田までの道順や狩人との応答で笑いをふりまく上方落語「池田の猪買」の原形をなす。江戸判では「狩人の貪欲」(鹿野武左衛門口伝ばなし)にある。

(いのしし);イノシシ(猪・豬、英名: boar 学名:Sus scrofa)は、鯨偶蹄目イノシシ科の一種。十二支のひとつ「亥」に肖せられる動物の1つであり、犬と同じくらい鼻が非常に敏感で神経質な動物である。本種の家畜化がブタである。落語にも多く取り上げられて、この「池田の猪買い」、「弥次郎」、「中村仲蔵」等があります。
 体長は雄110–170cm、雌100–150cm、肩高60–90cm、尾長30–40cm、体重80–190kg(岐阜市で約220kgもの雄個体が捕獲されたこともある)で、雌は雄よりも小さい。全身茶褐色から黒褐色でブラシに使われるぐらい剛毛で覆われる。指の数は前後ともに4本で、2個の蹄を持つ。雌雄共に下顎の犬歯が発達して牙状になっており、雄は特に長い。雄の牙は生後1年半ほどで確認できるようになり、半月型に曲がった形で終生成長を続け、最大で15cmほどまでになる。上顎の犬歯も大きく、それが擦り合わさるよう下顎の犬歯が生えているため、常に研磨された状態の牙は非常に鋭い。ただ、この牙は後方に湾曲しているため、攻撃用というよりもむしろ護身用である。湾曲の度合いもブタと比べると緩い。 雑食性でクズやヤマノイモなどの根やシイ類の堅果(ドングリ)、小動物(昆虫類やミミズ等)を捕食する。繁殖期は年1回(春頃)であるが、年2回出産することもある。
 もともとはアジアやヨーロッパなどを中心に生息していたが、人間によってイノシシまたはその家畜化されたブタが再野生化したものがアメリカ大陸やオーストラリアなどにも放され、爆発的に生息域を広げることになった。分布地域によって個体に大きな差がかなりあり、米国アラバマ州では体長約2.8m、体重約470kgもある巨大なイノシシが過去には仕留められている。中国東北部のイノシシも体重300kg以上に達するものがある。
 文:ウイキペディアに加筆。 写真:頭骨とイノシシ。国立科学博物館蔵

猪鍋(ししなべ);日本で獣肉食が表向き禁忌とされた時代も、山間部などでは「山鯨(やまくじら)」(肉の食感が鯨肉に似ているため)と称して食されていた。「薬喰い」の別名からもわかるように、滋養強壮の食材とされていた。白い脂肪に縁どられた赤いイノシシの肉は、切り分けて皿に盛った状態が牡丹の花のようであることから、「牡丹肉」とも言われる。また、鍋にすると馬肉は桜鍋、鹿肉はもみじ鍋といわれる。
 猪肉は縄文時代からよく食べられていた食材であり、これを具材に加えた鍋料理は日本各地に見られる。ぼたんの名は、使われる猪肉を薄切りにし、牡丹の花に似せて皿の上に盛りつける事に因んでいる。 鍋の中で野菜、根菜、きのこ類、芋類、コンニャク、麩、豆腐と猪肉を一緒に煮て食べるのが一般的であり、味付けは地方によって異なるが、昆布と鰹節でとった出汁に主に味噌か醤油を入れることが多い。風味付けに日本酒や味醂を加えても良い。江戸風は、割り下に大量の醤油と砂糖を用い、さらに八丁味噌を加えて濃厚な味にしている。食べる際には、取り皿に生卵を入れてつけたり、薬味として山椒などを振りかけたりする。 ぼたん鍋は熱くても火傷しないという。落語「二番煎じ」にも出てくる、寒いときの絶品料理。

  

 左:ぼたん鍋  右:歌川広重「名所江戸百景」より

冷え気(ひえき);今は冷え性のことですが、梅毒・淋病などの性病、特に淋病。古い演出では「セガレが患うてる」「リンゴ屋のヒョウスケでリンビョウ」などの軽いくすぐりがあるが、今は「淋病」という言葉で辞書を引けば分かるがので「冷え」と言ってぼやかしている。

・りんびょう【淋病・痳病】;淋菌によって起る尿道粘膜の炎症。主に性交によって伝染し、感染後2~3日で放尿時に痒感・疼痛を覚え、また、尿意促迫を起す。初めは粘液性、後には膿様の分泌物が尿と共に出て、その中に多数の淋菌が含まれる。女性では子宮・卵巣等の炎症に進展し、不妊の原因となる。淋疾。トリッペル。今は良い薬が有るので治るが、猪の肉ぐらいでは完治しない。

(やいと。きゅう);漢方療法のひとつ。もぐさを肌の局部、経穴・灸穴にのせてこれに火を点じて焼き、その熱気によって病を治療すること。やいと。灸治。灸術。落語「強情灸」に詳しい。

盆の窪(ぼんのくぼ);首の後ろ、うなじ゙の中央のくぼんでいるところ。ぼんのくど。ぼのくぼ。人体のツボですから、灸やもみほぐしたり、暖めたりすると、疲労や体調不良を治すことが出来ます。ただ、真っ下は脊椎ですから鍼は打ちません。

大戸(おおど);表入口の左右に開く大きな戸。冠婚葬祭時に開放します。通常は、脇に潜り戸があって、そこから出入りします。大家(たいけ)の入口に造られる。

300目(300め);三百匁(もんめ)。1匁は3.75gですから300匁なら1,125g。五百匁で1,875gになります。1貫の半分。

大阪から池田まで歩いた人が居ます。インターネットで道筋を写真付きで公開しています。
『池田の猪買い』に出てくる大阪から池田までのルートをてくてく歩いてみた。http://togetter.com/li/260020 

 道順地図。距離約26km。歩いて約6時間、小旅行です。大阪からの別天地で、阪急宝塚本線急行で26分。

■道順:ここ丼池(どぶいけ)から丼池筋を北に行くと突き当たるわ、丼池の北浜には橋が無いで、左に曲がって淀屋橋を渡るな、大江橋、蜆橋(しじみばし)を渡るとお初天神が有って、「紅卯」と言う寿司屋の看板がある。そこから真っ直ぐ北に行けば良い。十三(じゅうそう)の渡し、三国(みくに)の渡しを越えて服部の天神さんを通り抜けると岡町、ここを抜けると池田だ。

丼池筋(どぶいけすじ);心斎橋筋の東側三休橋筋との間の筋。「丼池」の名称は明治頃まで存在した芦間池に由来すると言われる。また、俗称ですので地図上には載っていない。
   
丼池の北浜(きたはま);北浜というのは地名ではなく、丼池筋の北の浜(大川の水際)という意味。

蜆橋(しじみばし);蜆橋が掛かっていた蜆川が今はもう埋め立てられて無い。で、橋も無い。堂島川を渡って少しの所、北新地(きたのしんち)の南に蜆川の記念碑が建っています。

紅卯(べにう);お初天神(露天神社=大阪市北区曽根崎二丁目)の西門、または演者によっては北門にあった寿司屋。今は無い。
お初天神;「お初天神」の名で広く知られる当神社は、正式名称を露 天神社(つゆのてんじんしゃ)といいます。元禄16年(1703)に当神社の境内で実際にあった心中事件を題材に、近松門左衛門が人形浄瑠璃「曽根崎心中」を書きました。以後、そのヒロインの名前「お初」にちなんで「お初天神」と呼ばれるようになったのです。
 「曽根崎心中」は、元禄16年4月7日に起こった、堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が当神社の「天神の森」にて情死した事件をもとに、近松門左衛門が劇化したものです。この作品は当時の人々の間で大評判となり、当神社にも参詣回向の老若男女が大勢押しかけたといわれています。
 お初天神の説明より

十三(じゅうそう)の渡し、三国(みくに)の渡し;どちらも現在渡しは無く、淀川に架かる十三大橋、神崎川に架かる新三国橋になっています。

服部の天神さん;大阪府豊中市服部元町一丁目-2。少彦名命と菅原道真を主祭神として祀る。関西では「足の神様」として知られている。
 延暦2年(783)、藤原魚名は大宰府に左遷され筑紫国へ向かったものの、当地で病没。祠の近くに葬られた(「川辺左大臣藤原魚名公の墓」が今も境内に残る)。約100年後の延喜元年(901)、菅原道真が魚名と同様、大宰権帥として左遷され任地へ赴く途中、当地で持病の脚気に襲われ動けなくなった。そこで里人の勧めるまま、路傍の祠と魚名を祀る五輪塔に平癒を祈念したところ、たちまち健康を取り戻して任地へ辿り着けた、との言い伝えがある。菅原道真の没後、天神信仰の高まりと共に当社にも菅原道真を合祀することとなり、新たに堂宇が建立された。この頃から「服部天神宮」と呼ばれるようになり、菅原道真の故事にちなみ「足の神様」として崇敬を受けた。

岡町(おかまち);豊中市岡町。阪急電鉄宝塚本線の岡町駅は大阪府豊中市中桜塚一丁目にある。大阪国際空港の東側の町。
 
池田(いけだ);現在、大阪府池田市は、20世紀初頭の阪急電鉄宝塚線開通後宅地化が進み、住宅密集エリアでは猪は出なくなった。現在も北側の五月山公園内など緑地エリアでは掘り返し跡や糞などにより猪の生息を確認することができる。山間部の伏尾温泉(池田市伏尾町128)や隣接する兵庫県川西市、同じく宝塚市の武田尾温泉(JR福知山線武田尾駅)では猪の肉を用いたボタン鍋が食べられる。池田の駅前にも猪料理屋さんが有りますし、池田市の西側を流れる川が猪名川(いながわ)で、猪に関係する名が付いています。

山猟師(やまりょうし);山で猟をして生計をたてている人。狩人。



                                                            2016年2月記

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