落語「笠碁」の舞台を行く
   

 

 五代目柳家小さんの噺、「笠碁」(かさご)


 

 碁が大好きな二人、「碁敵は憎さも憎し懐かしし」の言葉通り、毎日、のべつあれやこれや言いあって碁を打っている。

 「その一手、待ってくれないか」、「よしましょうよ。待ったなしで始めたのも、貴方が言い始めたからですよ」、「この一手だけ。後は言わないよ。貴方の時も一手だけ待つから。ダメ?・・・良いところに下ろされたな。(タバコを飲みながら思案しているが)はいはい、分かりましたよ。いいですよ。どうしてもダメなら、こちらも言いにくいことだが言わなくちゃ~ならない」、「言いなさいよ」、「一昨年の暮れの29日、200両貸しただろ。元旦、の挨拶にも来ない。七草になってぼんやり来たが、『15日まで待って欲しい』と言ったが、その時待てないと言ったかい。この一手ぐらい待ちなさいよ」、「その話を聞く前だったら待ちましたが、待てません」、「貴方も強情だね」、「子供の時から強情です」、「分かりました。ここは私の家だし、盤も私のものだ」、盤の石をかき混ぜてしまった。「あぁ。そーゆう方とお付き合いは出来ません。帰ります」、「帰れ。ヘボ」、「何がヘボだ。貴方はザルだ」、ヘボ、ザルで喧嘩になって金輪際貴方とは碁はやらないと、別れた。

 お孫さんも有るような旦那二人が、当初は上野だ浅草だと孫を連れて遊びに行っていた。しかし、3~4日も雨が降り続くと、そろそろ退屈をしてきます。

 「こんな時は碁でもしたいな。しかし喧嘩したからナ~。玄関先にいれば声でも掛けてくれるだろう。見てくるか」。女房に足駄を出させ、傘を貸してくれと言ったが買い物に行くからと断られた。では、この笠をと言って、お山に行ったときの古笠をかぶって、出掛けた。

 碁会所行っても負けてしまうので、行けない。

 「来やがった。俺と同じで我慢が出来ないのだ。いつもの部屋に碁盤と羊羹を出しておきな。決まりが悪いんだな、向こう側を歩いている。変ななりだよ、菅笠被っているよ。ス~っと入ってくれば良いじゃないか」。目線で追う旦那、「・・・行っちゃったよ」。「あ、戻ってきた。向こう側を歩くことは無いだろう。帰っちゃったよ。やな奴だな。・・・帰ったんじゃ無いよ。向のポストの影で考えているよ。来れるようにしよう」、碁盤を店に移して、パチン、パチンといい音を出している。「あの音がするよ。誰か別の奴とやっているのかな。それは無いだろう」と戻って来た。
 「来た来た、おい、ヘボ」、「なんだ、ヘボとは、こっちが待ったをするなと言うのに、待ったを掛けやがって。ヘボはどっちだ。このザル」。ヘボ、ザルと言い合っていたが「ヘボかザルか、一番勝負するか」、「いいとも」。
 「この町内で子供の時分からの付き合いは、二人になってしまった。仲良くやろうじゃないか」。

 「あれっ? 盤が濡れるよ。雨漏りがするのかな。しずくが落ちてくる。アッ、まだ、被り笠を取らないじゃないか」。

 

絵;御正 伸 画「笠碁」。文藝春秋デラックス 日本の笑いより

 



ことば

囲碁(いご);単に碁ともいう。2人の対局者が、碁石と呼ばれる白黒の石を、通常19×19の格子が描かれた碁盤へ交互に配置する。一度置かれた石は、相手の石に全周を取り囲まれない限り、取り除いたり移動することはできない。ゲームの勝敗は、自分の色の石によって盤面の'より広い領域を確保する(囲う)こと。
 勝敗は、より大きな地を確保することで決定される。ゲームの終了は、将棋やチェスと同じように、一方が負けを認めること(投了という)もしくは双方の「もう打つべきところがない」という合意によって行われる。他のボードゲームと比較した場合の特異な特徴は、ルール上の制約が極めて少ないこと、パスがルール上認められていることがある。



 発祥は中国と考えられ、少なくとも2000年以上前から東アジアを中心に親しまれてきた。平安時代から広く親しまれ、枕草子や源氏物語といった古典作品にも数多く登場する。戦国期には武将のたしなみでもあり、庶民にも広く普及した。江戸時代には家元四家を中心としたプロ組織もでき、興隆の時期を迎えた。明治以降も引き続き広く親しまれ、近年ではインターネットを経由して対戦するネット碁も盛んである。

 囲碁の東京大本山「日本棋院会館」 千代田区五番町 (前の道は菊坂と言って、幽霊お菊さんが出たところ)

  左:「アゲハマをお菊みたいに数えるな」
 日本棋院会館前の道は「菊坂」と言われ、お菊さんに因縁があります。お菊さんのように取り上げた石を、「一つ・二つ・三つ・四つ・・・」と数えられたら、負けた方は悔しくて悔しくて・・・。

右:碁会所の前で、「ざる、ざる」、と連呼したら怒られます

下左:でも勝っていたら、心は違います。

下右:午前午後は「碁前、碁後」と言います。これを一日中と言います。

日本棋院会館のホールにある川柳から。

 

 

囲碁に由来する慣用表現
 ・傍目八目、岡目八目(おかめ はちもく):そばで見ていると冷静だから対局者の見落としている手も見え、八目ぐらい強く見える意から、当事者よりも第三者の方がかえって物事の真実や得失がよく分かる例え。
 ・一目置く(いちもく おく):棋力に明らかに差のある者どうしが対局する場合、弱い方が先に石を置いてから始めることから、相手を自分より優れていると見なして敬意を表すること。その強調形の『一目も二目も置く』が使われることもある。
 ・下手を打つ(へたをうつ):良くない意思決定をして失敗すること。
 ・手を打つ(てをうつ)、先手を打つ(せんてをうつ):(先に)手段を講じること。
 ・駄目(だめ):自分の地にも相手の地にもならない目の意から、転じて、役に立たないこと、また、そのさま。
 ・駄目押し(だめおし):終局後、計算しやすいように駄目に石を置いてふさぐこと。転じて、念を入れて確かめること。また、既に勝利を得るだけの点を取っていながら、更に追加点を入れることにもいう。
 ・八百長(やおちょう):江戸時代末期、八百屋の長兵衛、通称八百長なる人物が、よく相撲の親方と碁を打ち、相手に勝てる腕前がありながら、常に一勝一敗になるように細工してご機嫌を取ったところから、相撲その他の競技において、あらかじめ対戦者と示し合わせておき、表面上真剣に勝負しているかのように見せかけることをいう。
 ・布石(ふせき):序盤、戦いが起こるまでの石の配置。転じて、将来のためにあらかじめ用意しておくこと。また、その用意。
 ・定石(じょうせき):布石の段階で双方が最善手を打つことでできる決まった石の配置。転じて、物事に対するお決まりのやり方。
 ・捨て石、捨石(すていし):対局の中で、不要になった石や助けることの難しい石をあえて相手に取らせること。転じて、一部分をあえて犠牲にすることで全体としての利益を得ること。
 ・死活(しかつ)、死活問題(しかつもんだい):石の生き死にのこと。また、それを詰碁の問題にしたもの。転じて、商売などで、生きるか死ぬかという問題ごとにも用いられる。
 ・大局観(たいきょくかん):的確な形勢判断を行う能力・感覚のこと。転じて、物事の全体像(俯瞰像)をつかむ能力のこと。
 ・目算(もくさん):自分と相手の地を数えて形勢判断すること。転じて、目論見や見込み、計画(を立てること)を指す。

 

 左:囲碁ギャル。旦那が碁会所でも勝てない相手。 右:公式戦。

(かさ);雨・雪を防いだり日光をさえぎったりするために頭にかぶるもの。かぶりがさ。
右図;蓑(みの)・笠。傘がない頃の典型的な雨具。深川江戸資料館蔵

笠に対して、傘は雨・雪を防ぎ、また日光などをさえぎるため頭上にかざすもの。からかさ・こうもりがさ・ひがさなどの総称。さしがさ。枝の付いたもの。

足駄(あしだ);近世以後、雨天に用いる高い2枚歯のついた下駄。たかげた。ヘボ碁とは関係なく、同じ足駄を履いても「足駄をはいて首ったけ」という言葉もあります。

カサゴ;魚名は、頭部が大きく、笠をかぶっているように見えることから起こった俗称「笠子」に由来すると考えられている。一方、皮膚が爛(ただ)れたように見えることから、「皮膚病にかかって瘡(かさ。かさぶた)ができたような魚」との意味での「瘡魚」が語源であるとする説もある。なお、「笠子」と「瘡魚」は漢字表記としてともに存在する。煮魚が旨い。
 あれ?同じカサゴでも意味が違ったm(_ _)m



                                                            2015年1月記

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