落語「天神山」の舞台を行く
   

 

 五代目桂文枝の噺、「天神山」(てんじんやま)より


 

 季節は何と言っても春です。花に浮かれて家にジットしていられません。

 「こっちにやって来るのが、この町内で言ぅ、変ちきの源助やがな。頭見てみぃ半分剃って半分伸ばしたぁるわ。着物、この辺がひとえもん、腰の辺りがあわせや、裾の辺りが綿入れになったぁるやろ。足袋いぅたら白足袋と紺足袋と片っぽづつ履いとぉるやろ」、「何処行くんやろ」、「さぁ、俺の思うには花見にでも行くと思うねや。聞いてみるから・・・、花見にでも行きなはんねやな?」、「いや、わしゃ墓見に行くねや。石塔や塔婆見て一杯呑むねやないかい。弁当はオマルに、お酒はシビンに」、「どっちもサラだっしゃろなぁ?」、「両方とも古やがな。どや、わしと一緒に墓見て一杯呑まんか?」、「よろしぃわ、聞ぃただけで胸悪なってきたがな」、「よし、今日はひとつ墓見て一杯呑んでこましたろ」。変わった男で、そのまま南へ南へと一心寺の前まで出てまいります。

 「いやぁ~ぎょ~さん石塔が建ったぁるなぁ・・・、『千田川留吉』、立派な墓やなぁと思たらスモン取りのお墓やな。おんなじ呑むねんやったら、やっぱり色気のある石塔の前で呑みたいなぁ、色気のある石塔てな、ないんかいな・・・、こらまた小さいやないか『俗名小糸』 小糸、こら女ごやな、よしここで呑んでこましたろ」、小糸の墓前で一人しゃべりしながら飲み始めた。「肴には鰆(さわら)の生鮓(きずし)、イカの鹿の子焼きに卵の巻焼き、ちょっといけまっせ。いえいえ、そんなんあんた 注いでもらわんでも結構、独酌でいきます」。
 一人でしゃべって一人で呑んでた。もぉ帰ろと立ち上がりますと、横手に土がこ~んもりと高こなったぁる。「何じゃいなぁ?」と、塔婆を持って来よってグッと掘り起こしますと、こんな舎利頭(しゃりこぉべ)がそこへ(大太鼓で)ゴロ ゴロッ・・・(お客さんビックリ)。「何やこら? 舎利頭やないかい。墓原から舎利頭の出て来るのは不思議はないわなぁ、しかし昔の人はえぇこと言ぅてんなぁ「骨隠す皮には誰も迷うなり、好きも嫌いも皮のワザなり」って、皮が扼(やく)して別嬪、ヘチャの区別が付くねんわ。死んでしもたらこのとぉりや別嬪もヘチャも分からへん・・・。無キズやなぁ、持って帰ったろかしらん。床の置きもんにえぇなぁ・・・」、変わった男で、舎利頭を懐へ入れて帰りました。やもめ暮らしのこと、舎利頭を仏壇の前へ置いてグ~ッと寝てしまいよった。夜中に表の戸をば叩く者が居る。

 「(トントン)ちょっとお開け、(トントン)ちょっとお開け」、「どなた?」、「一心寺でお目にかかった者でござります」、「一心寺で? 誰にもお目にかかりまへんがな」、「ゆぅでござります。お礼(れぇ)にまいりました。ここ開けて。開けてくださらねば戸の隙間から・・・」。障子ぃ陰火が映ったかと思うとそれへさしてズ~ッ・・・(脅かしの太鼓が入る)。「見たとこ若いし綺麗ぇなが、全体あんた何だんねん?」、「わたしは京都(きょ~とぉ)は西陣、織屋清兵衛の娘「小糸」と申しますもの。父は商法に損失いたし、その日の煙の立てかねますを私がどぉ見ておられましょ~。浮き川竹の勤め奉公、初日よりふと馴れ初めた方がござります」、「アホらしなってきたホンマ。夜中に幽霊に起こされてノロケ聞ぃてたら世話ないわ」、「互いに変わるな変わらじと、言ぃ交わした仲。男には急(せ)き急かれ、いっそこの世で添い遂げられねば、あの世でと、無分別にもここ一心寺で心中。男はわたしの死に姿を見てその場を逃げ去り、おのれ、やれとは思いますれど、お天道さまに恐れ、浮かびもやらでおりましたところ。図らずも今日、あなたさまの結構なお手向けにあずかり、お礼にまいリみますれば、あなたもいまだやもめ草(そぉ)、逆縁ながら女房に・・・」、「アホなこと言ぃなはんな。『女房にしてくれ』て、そんなアホな話、アホな~・・・、そらホンマだっか? 待てよ、俺も変ちきやがな、普通の嬶(かか)もぉててオモロないなぁ、変ちきに幽霊の嬶て、これ洒落たぁるなぁ。それホンマでっか? ホンマやったら気の変わらんうちや祝言の真似事、昼の酒・肴残ってまんねや、一杯いきまひょか?」。
 源助、幽霊と夫婦になった。ガラリと夜が明けますと、隣りに住んでんのが胴乱の安兵衛て、これもやもめで・・・。

 「源さん、お早よぉさん。『お早よぉさん』やないで、お前っちゅう男は殺生な男やなぁ」、「何がいな?」、「夜中に女ご引っ張って帰ってイチャイチャ・イチャイチャしてからに。俺もやもめやないかい、耳障りんなって寝てられへんがな」、「済まんすまん、出し抜けに来よってんがな」、「『出し抜け』って、あら、ただもんやないやろ?」、「そや。ただもんやない。実はこれこれこぉいぅわけや」。
 「お前、幽霊嬶にしたん?」、「ん、お前も嬶もらうねんやったら幽霊嬶にせぇ、幽霊の嬶得やぞ。昼出てけぇへんがな。三度の飯は助かるやろ、これだけでも得やないか。頭といや年中、さんばら髪や、元結(もっとい)は要らん鬢(びん)付けは要らん油は要らん、着物と言えば盆が来ぉが正月が来ぉがあれ一枚、なるだけ古いのんが値打(ねぐ)ちもんや。足がないさかい足袋履かん下駄履かん、こんな得な嬶あるかい。お前も嫁はんもらうなら幽霊嫁はんにせぇ」。
 「聞ぃてみるとそぉやなぁ、一心寺行ったらまだ落ちてるか?」、「さぁ、もぉ一つぐらいやったらあんのん違うか」、「そぉか、ほな俺も拾ろて来るわ」。

 変わった男で、そのまま酒肴用意して一心寺やってまいりましたが、そぉ幾つも舎利頭のありそぉなはずがない。あっちウロウロ、こっちウロウロ、ポイッと出ますと向かいが天神山、安井の天神さんへやって来よった。

 「ちッ、アホらしなってきたホンマ、こないなったらもぉ天神さんにすがるよりしゃ~ないわ。(ポンポン)天神さん、ちょっとあんたに頼みおまんねん。夕べ、隣りの変ちきの源助嬶もらいよったんですわ。わても急に嬶が欲しなりましてな、えぇ 嬶あったらひとつ世話しとくなはれ。(ノロケ話になったので)、いつの間にやらぎょ~さん子どもが寄って来よった。お前らそっち行け、そっち行けっちゅうのに、石ぶつけなアホ。天神さんに嬶頼んどんねやがな、こらッ、石ぶつけたらあかんちゅうのに。あかんわ、ここに居れんわ、裏手回ったろ」。
  裏手へクルリッと回りますと片方(かたえ)が崖、熊笹がいっぱい生え茂ってある。そこへ若い男が汚い手拭で頬(ほ)っかぶりして、前をジ~ッと睨んどぉる。「アホらしなってきたホンマ、あぁ痛ぁ~。もしあんた、何してはりまんねん?」、「あっち行ってくれ、そっち行ってくれ。狐を捕ってんねん、そっち行け」、「狐? こらえぇとこ来たなぁ、ちょっと見してもらお」、「大ぉきな声やなぁ」、「見るぐらいよろしやないかい」、「見るぐらいはえぇわいな、こいつの穴やないねん、餌拾らいに出よったんやなぁ、俺に見付けられたと思てこの穴へ逃げ込みよってん。畜生でも人間の言葉悟りよるさかい、しばらくのあいだ黙っててっちゅうねや」、「えぇ黙ってます、わてもの言わずだっせ。男といぅもんそぉベラベラしゃべるもんやおまへん『三言しゃべれば氏素性が現われる、言葉多きは品少なし』ちゅうて、男のしゃべりちゅうんはみっともないもんでんなぁ。そやから言ぅて、黙ってたら友達が言ぃまんが『お前ツンとしてんなぁ、偉ぶってんなぁ、ちょっとぐらいもの言ぅたらどやねん』言われまっけど、わてまた口不調法で何にもよぉ言わん」、「言ぃ過ぎてるわアホ。頼むさかい黙ってて・・・」。

  二人が喋ってる息考えて狐、穴からポイッと飛び出しよった。そこは商売人なかなか逃がさん。前にある縄を狐めがけてビュ~ッと投げつけますと、うまいこと狐にグルグルっと巻き付いた。それを前にグ~ッと引っ張って来たもんやさかい、狐が前へゴロゴロッ(太鼓が入ってお客さんまたビックリ)。
 「ほぉ~ら、もぉちょっとで逃がすとこやった。捕まえたら何ぼなとしゃべれ」、「へへへッ、もぉしゃべることおまへんわ。えらい大きおまんなぁ」、「大きぃなぁ、雌(めん)やなぁ」、「何やあんたの顔見て、えらい頭下げてまんなぁ」、「畜生や、ものは言えんけど『堪忍してくれ』と謝ってるんやろ」、「堪忍したったらどぉです」、「これから高津の黒焼屋へ持って行くねやないかい。これだけ大きかったら五円には買うやろ」、「なぁもし、わてに五円で売んなはれ、持って行くだけの手間が助かりまっしゃろ」、「こんなもん買ぉてどないすんねん?」、「逃がしたりまんねやがな、可哀相ぉでっしゃないかい」、「そらそやなぁ、これから高津の黒焼屋へ持って行って五円に売るなら、お前にここで五円に売ったら持って行くだけの手間助かるわ。ほんでお前、五円あんのんかい?」、「ちょっと待っとくなはれ、これは五円おまへんなぁ」、「なかったらあけへんやないかい」。粘って二円で売って貰った。

 「おい、危ないとこやったなぁ、もぉちょっとで黒焼になるとこやったがな。 餌拾らいに出たんか、餌やったら家来い、家やったら何ぼでもあんねや。うちは高津新地(こぉづじんち)百軒長屋がたがた裏に住んでる胴乱の安兵衛ちゅうもんやで。ここらへ出て来たら無茶もんが出て来て黒焼にするねんぞ、気ぃ付けよ、出て来んねやないぞ。あッせや、お前にちょっと頼みがあんねん。夕べ、隣りの変ちきの源助が嬶もらいよったんや。わいも急に嬶が欲しなってなぁ、えぇ嬶あったら世話してくれ、えぇか・・・。出て来んねやないぞ。逃がしたぁら、それっ逃げぇ・・・。わ~っ、嬉っそぉに逃げて行きよった。あぁ臭っ、狐って臭いもんやなぁ、嬶探しに来て二円損したがな、もぉ帰ったろ。
 去(い)にかけますと、いま逃がしてもぉた狐、薮の横手からひょこっと姿を現しまして、前にある藁束頭に載せて一つポ~ンと返りますと、奇麗ぇ~な二十二、三の女ごに化けよった。安兵衛の後ろから追いかけて行て、「おい、お~い」安兵衛もずぼらなやっちゃ。とぉとぉこの狐を嬶にしてしまいよった。そぉこぉしてるあいだに子どもができた。男の子、童子(どぉじ)といぅ名前を付けまして、三年添ぉておりますと長屋が放っときまへんなぁ。

 「おい、おらもぉ、この長屋宿替えするで~。こんな長屋居られへんがな。変ちきの源助とこの嫁はん、あら幽霊やろがな。安っさんとこの嫁はん、あら、狐やがな。何や化けもん屋敷に住んでるよぉや、居れるけ」、「そやなぁ、変ちきとこの嫁はん幽霊や、安っさんとこの嫁はんは、あらお常はん言ぅねやな」、「名前はお常やけどもな、あれ狐や言ぅねや」、「色は白いし、目ぇ吊ってるし、口とがってるさかいな狐みたいな顔や言ぅてるわ」、「いや、狐みたいな顔やあれへんねん。ホンマに狐やねん」。
 「そぉか、よし聞かしたるわ。俺がもの言ぅあいだお前黙ってなあかんで。お常はん針仕事してるわ・・・。お常はん、こんちゃ~」、「まぁ~、誰やと思たら、清ぇやんに喜ぃやんや、おまへんかいな。まぁ、こっち上がりコ~ン」、「ほんまに言ぃよったなぁ」、「言ぃよったやろ。お常はん、安っさんは留守かいな?」、「寺町のオッサンとこ行きましてな、まだ帰ってけぇしまへんの。上がってオブ(茶)なとお上がりコ~ン」、「言ぅたやろ」、「止めとこ、オブやと思たらお前、馬のションベンかも知れん」、「しょ~もないこと言ぃないな。あのな、別に用事があって来たわけやないねや。安っさんが居てたらな、日和もえぇさかいに、ちょっと遊びにでも行こかいなぁ思て、ほいで誘いに来たんや。いや、居らなんだらしゃ~ないわ、また改めて出直すわ」、「まぁさよか、何の愛想もおまへんなぁ、また遊びに来とくれやっしゃコ~ン」、「お常はん、あんたもシッポ出さんよぉに気ぃ付けや、コ~ン」、「アホッ、何ちゅうこと言ぅねん! お前、しょ~もないこと言ぅさかい、お常はんの顔の色が変わったがな・・・。こっち来てみぃ、裏手の節穴から覗いてみ」。

  節穴から覗きますと、狐といぅことを悟られたといぅので狐の正体を現しまして・・・(歌舞伎調で)今、長屋の者の言葉の端、どぉ~やら我れを狐と悟りし様子。あの清八は城の堀、喜六はドツボへ放り込んで、目にもの見せてやるわい。
  寝てる子ぉの枕元へ行きまして、「これ童子、この母の言ぅことを寝耳ながらに良ぉ聞きゃ・・・。我ぁれこそは人間にあらずして、天神山に千年近き狐ぞや。三年以前、そなたの父安兵衛殿に助けられ、今までこぉしていたけれど、長屋の人の言葉の端、どぉ~やら我れを狐と悟りし様子。もはやこの家(や)に長居も出来ず、母は古巣へ立ち返る。名残惜しぃは安兵衛殿、せめてひと筆、書き残さん。おぉ、そぉじゃ、そうじゃ・・・」、筆を持ちまして障子へさらさらっと・・・。
   「恋しくば尋ね来て見よ南なる天神山の森の中なり」  
 芝居でやりますと蘆屋道満大内鑑(あしやどぉまんおぉうちかがみ)「葛の葉の子別れ」、えぇ芝居でございますが、そのまま天窓からス~ッと消えてしまいました。
 ビックリしましたのが二人。「うわぁ~、清やん、お常はん消えたがな」、「お前がドツボへ、俺は城の堀へ放り込むと言ったぞ」、「逃げよう」、「腰が抜けて立てない」、やっと立ったところに、安さんが帰って来た。「安さん、お常はんは狐だった」。障子の書き置きを見て、「3年も連れ添ったのに、そうであったか」と、天神山に駆け出した。
 「お~い、安さんも気がおかしくなったのと違うか」、「どこ行った?」、「俺が思うに、寺町のおっさんの所だと思う」、二人しておっさんの家にやって来た。
 おっさんというのは歳六五、六であったが、ものすごいツンボ。「おっさん、こんにちは」、「よう起こしやす」、「安さん、ここにコナンだか」、「ハハハ、良い天気じゃのう」、「天気は良いんじゃ。安さんは・・・」、「わしかい。わしは六五じゃ」、「歳じゃないん。安さんコナンだか?」、「わしは耳がよう聞こえんで、紙に書いておくれ・・・」、「よっしゃぁ~。これで良いかい」、「『安さんはここに来なんだか?』、ん、安兵衛はここには、コンコン」、「このおっさんんも狐や」。

 



ことば

天神山の舞台となる大阪市天王寺区逢阪(おうさか)1丁目3にある安井神社が上町台地の一心寺の北向かい、上町台地の南端になり、このあたりから北側(夕陽丘)は坂道が多い。古くはこの一帯を天神山と言ったことに由来します。現在は大阪市のど真ん中に有ります。
 安井(安居)神社(安居天満宮)は、昌泰4年(901)、菅原道真が筑紫に左遷される道中、この神社境内でしばし安居したところから名付けられたという。また、元和元年(1615)、大坂夏の陣における真田幸村戦死の地として伝えられ、その石碑が建っています。境内には桜や萩などがあり、茶店もあって見晴らしよく、遊客も多かったという。摂津名所図会、浪速名所図絵でも花見の名所として選ばれている。

 「天神山の花見」 広重画  この山の下、一心寺で墓見が出来た。

本家・大阪の落語「天神山」;桂米朝、門下の故・枝雀、 笑福亭仁鶴を始め、今も多くの演者が手掛けます。
 舞台は大坂・天王寺門前の安居の天神と、その南向かいの国道を挟んだ一心寺(天王寺区逢阪2丁目8)の墓地。「ヘンチキの源兵衛」の偏屈ぶりは、東京よりはるかに徹底的。頭は半分伸ばして半分坊主、しびんに酒を入れ、おまるに飯を入れるえげつなさ。上方は、そのヘンチキがシャレコウベを持ち帰り、夜中に現れた幽霊と夫婦になる段取りです。
 サゲは、演者がどの部分で切るかによって三通りに分かれます。まず、東京同様、長屋の者が押しかけて正体がバレ、狐女房が「もうコンコン」と姿を消す部分。ついで、こちらは東京にはない部分ですが、女房に去られた保平(東京の安兵衛)が、障子に書き残された 「恋しくば尋ねきてみよ南なる天神山の森の中まで」の歌を見て、狂乱して後を追うくだりで切ります。ここは、浄瑠璃の「芦屋道満大内鑑」・「保名狂乱」 のパロディ仕立ての芝居噺になります。昔は、このくだりで「保名」の振りで立ち踊りする噺家も多かったとか。サゲは地口で、「芦屋道満」「葛の葉」をもじり、「貸家道楽大裏長屋、ぐずの嬶(かか)ほったらかし」。 最後は「安兵衛狐」と同じ、長屋の者と保平の伯父のトンチンカンな会話で「あ、叔父さんも狐や」でサゲ。

伝説の概要;伝説の内容は伝承によって多少異なるが、おおむね以下のとおりである。
村上天皇の時代、河内国のひと石川悪右衛門は妻の病気をなおすため、兄の蘆屋道満の占いによって、和泉国和泉郡の信太の森(現在の大阪府和泉市)に行き、野狐の生き肝を得ようとする。摂津国東生郡の安倍野(現在の大阪府大阪市阿倍野区)に住んでいた安倍保名(伝説上の人物とされる)が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を助けてやるが、その際にけがをしてしまう。そこに葛の葉という女性がやってきて、保名を介抱して家まで送りとどける。葛の葉が保名を見舞っているうち、いつしか二人は恋仲となり、結婚して童子丸という子供をもうける(保名の父郡司は悪右衛門と争って討たれたが、保名は悪右衛門を討った)。童子丸が5歳のとき、葛の葉の正体が保名に助けられた白狐であることが知れてしまう。次の一首を残して、葛の葉は信太の森へと帰ってゆく。 「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」 この童子丸が、陰陽師として知られるのちの安倍晴明である。保名は書き置きから、恩返しのために葛の葉が人間世界に来たことを知り、童子丸とともに信太の森に行き、姿をあらわした葛の葉から水晶の玉と黄金の箱を受け取り、別れる。数年後、童子丸は晴明と改名し、天文道を修め、母親の遺宝の力で天皇の病気を治し、陰陽頭に任ぜられる。しかし、蘆屋道満に讒奏され、占いの力くらべをすることになり、結局これを負かして、道満に殺された父の保名を生き返らせ、朝廷に訴えたので、道満は首をはねられ、晴明は天文博士となった。この伝説については「被差別部落出身の娘と一般民との結婚悲劇を狐に仮託したもの」とする解釈もおこなわれている。
 ウイキペディアより 右図:月岡芳年『新形三十六怪撰』より「葛の葉きつね童子にわかるるの図」。童子丸(安倍晴明)に別れを告げる葛の葉と、母にすがる童子丸の姿を描いたもの。

江戸落語では、「安兵衛狐」といい、罠にかかった狐を逃がしてやった保名ならぬ「安兵衛」のところに狐が化けた女房が訪ねてくる物語。信太ではなく、上方落語では安居天神(安井神社)、江戸落語では谷中の天王寺が舞台となる。落語「安兵衛狐」を参照。

黒焼(くろやき);動植物を黒く蒸し焼きにしたもの。薬用にしたりする。大阪では高津神社の西にあった「高津の黒焼屋」が有名。
 この高津の黒焼き屋は、高津神社(大阪市中央区高津1丁目1番)の西坂をおりたところに戦前まで大阪名物の黒焼き屋がニ軒あった。惚れ薬「イモリの黒焼き」「願かけのへび」など奇妙な薬を売っていた。「黒焼きの作り方」は、土器で作られた釜の中に、素材である食品を入れて、蒸すように焼きあげてゆきます。
「狐の黒焼き」の伝承では、脳梗塞後の体調不良、五十肩、尿もれに良いと伝えられている。

江戸の黒焼き総元祖黒焼
 「とにかく古い黒門町であって、以前は黒焼屋が軒を並べていた。今の人はイモリの黒焼きというものを知らないだろうが、催春剤よりもっと高尚な作用を及ぼす薬である。つまり想う相手に、その薬を使うと、先方もこっちを恋愛してくれることになっている。それも相手に黒焼きを服用させる必要もなく、相手の気付かぬうちに、その頭上にふりかけさえすればいいそうである。この頃流行のフリカケの一種らしいが、恋愛という精神的食欲を誘うのだろう。そんな黒焼を、大きな看板を出して黒門町で売ってたのである。少なくとも、十軒ぐらい黒焼屋があって、どこも元祖を名乗っていたが、今度、電車の窓から覗いて見ると、たった一軒、総元祖という黒焼屋が残ってるだけだった。
『獅子文六「ちんちん電車」』より   *電車とは、今は無き路面電車の都電の事です。

 伊藤黒焼総本舗;千代田区外神田6丁目16-7にある、東京でただ一軒残った黒焼き屋。上野広小路中央通りから外神田に向かう右手は旧黒門町で、ここに老舗の黒焼屋があります。黒焼の種類は、「蝸牛(カタツムリ)」、「馬歯(バシ)」、「地龍(ミミズ)」、「意守(イモリ)」、「寒鮒(カンブナ)」、「林檎」、「蝮(まむし)」等々50種類程販売。
 イモリの黒焼き見せて貰いました。グレー色をした粉末で無味無臭で、一日3回ティースプンすり切れ1杯を飲むと精力、体力増強剤として有効だそうです。ただし、振りかけて使う事はないそうです。 落語「縁切り榎木」より

高津新地(こうづじんち);浪速区日本橋3丁目交差点から東へ入った辺り、天王寺御蔵の近くに当たる。一心寺まで1kmも無い至近距離です。
百軒長屋がたがた裏:長町裏同様窮乏者が多く住んでいたのだろう。長町裏とは背中合わせで隣り合う位置関係になる。

蘆屋道満大内鑑(あしやどぉまんおぉうちかがみ);人形浄瑠璃のひとつ。時代物。竹田出雲作。1734年初演。通称「葛の葉」。和泉国信太(しのだ)の森の白狐が女に化けて安倍保名(あべのやすな)と契って安倍晴明を生んだという伝説を脚色したもの。四段目の「子別れ」が有名。

一心寺(いっしんじ);一心寺は、大阪府大阪市天王寺区にある浄土宗の寺であり、正式名称は坂松山高岳院一心寺。骨仏の寺としてよく知られている。天王寺公園に隣接した上町台地の崖線上に建ち、緑の多い広い境内を有している。法然上人二十五霊跡第七番札所。下写真:中央に一心寺、左隅に安井神社。

きずし(生寿司、生鮨)は、青魚を塩締めしたもの。概ね鯖(さば)であるが鰆(さわら)など他の魚を用いたものもある。鯖の場合はしめさばと類似する。 概ね西日本できずし、東日本でしめさばと言うようである。ただ、西日本の「きずし」は東日本の「しめさば」とは酢の浸かり具合に差があり、西日本の「きずし」は酢の浸かりが深く、何もつけずにそのままで食べるのが一般的であるのに対し、東日本の「しめさば」は浸かりが浅く、わさび醤油または生姜醤油で食す。この点は西日本ではバッテラをそのまま食すのが一般的であるのに対し、東日本では鯖寿司に醤油をつけて食すことが多いのと同様である。
 寿司という名前だが飯無しの切り身で食べるのが普通。切り身はさらに切り込みを入れる場合もあり、ワサビ、生姜などを添える場合もある。飯に乗せて寿司としたものはきずしずし、鯖寿司、バッテラなどになる。

イカの鹿の子焼き;イカの身に包丁を入れて焼いたもの。右写真。オマルに入っていなければ食べたいもの。

舎利頭(しゃりこうべ);頭蓋骨。

千田川留吉(せんだがわとめきち);芝居の中に出てくる関取。大阪相撲で活躍した力士。

ドツボ;肥溜め。肥料にするために糞尿を醗酵させためておく所。こやしだめ。

川竹(かわたけ);川辺に生えた竹。「川竹の流れの身」とて、浮き沈みのさだめのない遊女の身にたとえていうが、大阪では特に、道頓堀両岸の遊女町・芝居町のことを称した。



                                                            2016年3月記

 前の落語の舞台へ    落語のホームページへ戻る    次の落語の舞台へ

 

 

inserted by FC2 system