落語「植木屋娘」の舞台を行く
   


 

 桂米朝の噺、「植木屋娘」(うえきやむすめ)より


 

  寺の門前に住んでいる植木屋さんで、名を幸右衛門と言います。自らも植木職人ですが百軒以上の上得意と若い人を使って手広く仕事をしています。夫婦の間に自慢の”お光”というべっぴんな娘が居ましたが、幸右衛門は字が書けませんでした。
 当時は字が書けない事は珍しくなかった。手紙や書き出し(請求書)は皆お寺さんに書いて貰った。

 今日も、書き出しを書いて貰いにお寺にやって来たが、節季だというのに住職忙しく2~3日は手が回らないという。幸右衛門にしたらこの時期をはずしたら集金が出来なくなる。どんな事があっても今日中に出来ないと、集金出来なくなる。「では、代わりに”伝吉”を使わそう。あれはちょっと事情があってこの寺で預かってはいるが、歴々の跡目でいずれ世間へ出て五百石の家督を相続せんならん体じゃ。武家育ち、手ぇも立派に書く」。「では家に来て下さい」と帰って行った。
 伝吉に、「あの幸右衛門ちゅう男、口豪輩(くちごぉはい)な男じゃが、いたって腹のさっぱりしたえぇ男じゃで、何を言われてもどぉぞ気にせんよぉにな」、「心得ております。それでは行て参じます」。

 

 「伝吉さんか。ま、一服は後にして早速書いて貰おう。そこに机おまっしゃろ、墨も硯も、筆も紙も帳面もみな置いたぁるよって・・・」、「帳面をば・・・? この帳面には字が書いてございませんなぁ?」、「当り前やないかいな、字が書けたらわいが書くがな」、「筋が引いてあったり、ちょぼが打ってあったりいたしますが?」、「筋が一本百文でちょぼが一つ十文やよってに、筋が二本でちょぼが三つやったら二百三十文になるねん」、「この丸は・・・」、「そら、一貫や」、「黒い丸は?」、「一両や」、「三角は?」、「一分やぐらいのこと、あんた分からんか」。「お得意さんのお名前は?」、「そら、わいに心覚えがあるねん。わいが言ぅ通り書いてくれたらえぇよってに」、幸右衛門が横手に付きまして、一刻(とき)と少ぉし余りで百本余りの書き出しをば書き上げてしまいます。「書く気になれば2~3日も掛からずに書けるのに・・・」、それから酒・肴を用意をいたしまして、もてなしをいたします。
 これが縁で伝吉さんは、ちょいちょいと植木屋へ来るよぉになります。お寺に頼むより気安く頼めるので、伝吉さん一本槍で、ちょっと手紙を書いてもらうとか「この字はどぉ読むねんや?」とか、「今度こんなことが起こったんやが、どぉしたらよかろぉか?」。すっかり伝吉さんを頼りに思とります。

 

  さて、ある日のことでございます。 「お光は、去年十六、今年十七、来年十八ちゅうて世間もっぱらの評判やぞ。街の男連中は美人のお光の噂で持ちきりだ。虫が付かんうちに婿を貰うんだがどうだ」、「婿養子のあてでもあんのんかいな?」、「伝吉さんだ」、「お光ちゃんの気持ちはどぉだんねん?気持ちを聞ぃてやらんことには・・・」。
 「お光こっち来い。そこ座れ。こんなえぇ婿はん探して来たってるのにぐずぐずぬかしやがって・・・」、「ちょっと待ちなはれ。あんた話してやったんか?」、「いえ・・・まだ・・・」、「お光っちゃん、ビックリせぇでもえぇのん。実は、お寺の伝吉さんなの。・・・、赤い顔して、下ばっかり向いて、畳に『の』の字書いてるわ」、「よし、これから寺行って伝吉っつぁんもろてきたる」。無茶な親っさんがあったもんで、羽織を引っかけて寺へさして飛んで行きよった。

 

 「あれはいずれ世間へ出て五百石の家督を相続せんならん男だ」。と頭から断られてしまった。

 

 「おら、諦めん。これから伝吉さん呼んで来て、酒呑ましてお光と二人きりにしょ。手ぇ握ったら、手ぇ握ったら子どもが生まれるぞ、家へ養子に来いッ!」、「そんな無茶なことができるかいな」、「わいやったるねん。おぉ~い、お光、酒・肴用意せぇ。寺行って伝吉さん呼んで来い」、無茶な親っさんがあったもんで、何にも知らんとやってまいりました伝吉さん。

 

 「伝吉さん、こっち入ってこっち。今日はちょっと暇ができたんで、あんたと一杯呑もと思て・・・」。お光ちゃんを側に置いて給仕をさせ、奥さんを二度目の嫌がる風呂に追いやって、飲み始めたが、急に隣町の仕事を思いだしたと表に飛び出した。裏へ回って焼板の塀、節穴を見つけて部屋の中を覗くと、二人とも恥ずかしそぉにモジモジしてる。
 「伝吉っつぁん、おひとついかがでございます・・・」。差して、返杯が来た、「お光っちゃん、あんたもひとついかがでございます・・・」。それなのに、それなのに、「わたくしは、いたって不調法で・・・」。そこで飲んで、初めて事が進むのに、「それではわたくしは、これでぼちぼち失礼を・・・」、伝吉さん立ち上がったが、引き止めに入らなくてはいけないのに、送り出してしまったお光っちゃん。 
 さぁ、こっちの目をば焼板の塀へ摺り付けたもんでっさかい、顔半分真っ黒けになりよって・・・、お光っちゃんに笑われた。そこに風呂から帰ったおかみさん。「このややこしぃ最中(さなか)にどこ行ってけつかんねん?」、「アンタが行けと言ったじゃないか。で、どやったん?」、「あけへん、お光がいかんねん、お光が・・・」、「あんたどんな行儀の悪いこと・・・」、「違うがな、行儀が良すぎるねんやないか。酒の一杯もよぉ呑まんやなんて」。
 「伝吉っつぁんのこと、諦めなはれ」、「わしゃ、どんなことあっても、諦めんぞぉ~~ッ!」。
 こればっかりはどぉしょ~もない。それからニ、三縁談もございましたが、お光っちゃんの方が進まんもんでございますから、それなりになっています。そのうちに、あの植木屋の娘は男嫌いであろぉといぅ評判が立ちかけましたある日のことでございます。

 

 お光っちゃんのお腹が大きくなった事が解った。母親が順を追って優しく聞くと、「あの~~」、「『あの~~』では分からへんやないか、相手の男はんは?」、「あのぉ~・・・、お寺の、伝吉っつぁん」。
 まさかと思てたお寺の伝吉さんといぅ言葉が耳に入った。嫁はんビックリしよって、「ほたら何かいな、あんたのお腹を大きしたんは、あのお寺の伝吉さんかいなぁ~ッ!」。この声聞ぃて親っさん、二階に隠れていたが、二階からころこんで落ちて来よった。
 「お、お光、ビックリせぇでもえぇ。よぉ取った、よぉ取った。あの取り難い伝吉さんをよぉ取った。こぉなったらあのクソ坊主にグゥの音も言わさんぞ。よっしゃ、これから伝吉さんもろてきたる・・・ 」。そのまま、すっ飛んでお寺に。

 

 「こんちわ」、「しばらく来いで助かってたんじゃが・・・、どぉしたんじゃ?」、「へぇ、伝吉さん養子にもらいまひょ」、「何? 伝吉を・・・? まだそんなこと言ぅてるんかえ、何べん言ぅたら分かる。あれは五百石の家督を相続せんならん・・・ 」、「♪うちのお光はボテレンじゃぃ ♪うちのお光はボテレンじゃぃ」、「ほたら何かいな、うちの伝吉がお前とこの娘のお光ちゃんのお腹を・・・」、「大きしたんや・・・。伝吉さん、養子にもらいまひょ。うちの根分けから接木からみな仕込んで、大坂一の植木屋にしまっさかい、安心しなはれ」、「それはありがたいことじゃけれども、先方にどう話をしたら・・・」、「それも成るよぉな話にしまひょ。よろしぃか、とりあえず伝吉っつぁんうちへ養子にもらいます。子どもができます。男の子。これを向こぉへ回してでっせ、五百石でも八百石でも継がしたらえぇやおまへんかい。二人目から、家で貰いまひょ」、「侍の家を取ったり継いだり出来るかいな」、
「接木も根分けも、家の秘伝でおますがな」。

 

 


 

 

ことば

 

植木屋(うえきや);植木の栽培・販売や、造園・手入れなどを職業とする人。また、その職業。植木職。
 庭木の栽培、手入れと庭作(にわつくり)の職人。14世紀から庭園に対する需要が高まり、茶庭の露地作(ろじつくり)(露地の者)や正しい箒目(ほうきめ)をつけるための庭掃(にわはき)などの職人が生まれた。また、このころの庭園は植木よりも石に重点が置かれて、石立(いしだて)といった僧体の職人も生まれた。17世紀になると、石を主にした作庭は、武家や町家の住宅にもみられ、庭作、のちに庭師という職人が現れ、同時にその庭に草木も植えるようになり、それらを供給する職人、つまり植木屋がみられるようになった。自家で植木や盆栽、草花などを栽培して、これを販売するばかりでなく、18世紀からは縁日や植木市にも出すようになり、さらに出職(でしょく)によって庭木の手入れもするようになった。植木職ともいい、庭師の仕事と重なってきた。道具は植木鋏(ばさみ)(巻蔓(まきづる)型の二つの指輪のある庭師鋏と両手で使う長い柄の木刈鋏)と鋸(のこぎり)である。近代では造園業といわれるように、庭師と植木屋は一括されてきたが、造園が主となったために、植木鋏で出入りの家の庭木を、秋口に刈り込みなどをする植木職人は少なくなった。庭師にしても、大きな園芸店の下請けとなる者も出てきた。しかし、注文の木を探して歩く下入屋(したいれや)とか、縁日などへ木を掘って持って行く地掘屋(じぼりや)(縁日屋)などは存在している。庭師、植木屋は今日では造園士と総称されている。

 

  

 

節季の書き出し;盆・暮または各節句前などの勘定期。もともとは年末に一回、のちに半期の盆前を合わせて二回、もっと下ってその中間を合わせて四回、売掛けの清算期。落語には年末の掛け取りの悲喜こもごもな情景を描いた「言い訳座頭」、等の噺が多く有ります。
 

書き出しは、元帳から書き抜いた請求代金や納入代金の請求書。勘定書。

 

手ぇも立派;文字が書けるのは当たり前で、その書体は素晴らしい事。

 

口豪輩(くちごうはい);大阪ことば辞典「口強い(くちごぉわい)」より、理屈っぽく言いつのる。また、口やかましい。 

正しくは、「口やかましい」という意味。


・広辞苑にも載っていません。「落語大阪弁講座」初版98~99頁、小佐田定雄(おさだ さだお)著、平凡社より
 この言葉が滅んだかと思ったら、先年、二代目桂春団治師の未亡人にお話を伺っていると、「うちの主人、くちごうはいなとこがおましたさかいな」、という言葉が出て来た。大阪弁はどっこいまだ生きている。小佐田定雄。

 

100文(100もん);噺の中では「筋が一本百文でちょぼが一つ十文やよってに、筋が二本でちょぼが三つやったら二百三十文になるねん」、「この丸は・・・」、「そら、一貫や」、「黒い丸は?」、「一両や」、「三角は?」、「一分やぐらいのこと、あんた分からんか」。
 金1両が4分(ぶ)。また1両は銭4貫文(貫。江戸前~中期。中~後期で5貫文。幕末では倍近くになります)。
1貫文は1000文。現在の価格に直すと、1両(8万円として)=4000文、1文=20円になります。上の噺で230文は4600円です。
 落語「五貫裁き」をご覧になると、金・銀・銭三貨の換算法が分かります。

 

一刻(とき);江戸時代に使われた時刻の単位。1日を昼夜の長さが違うが、約12等分して得た時間。約2時間。落語「時蕎麦」で詳しく説明しています。

 

焼板の塀(やきいたのへい);杉板の表面を焼いた板を使った塀。杉板を焼いて表面を炭化させることで耐候性・耐久性が増します。 下図「焼板塀」。この節穴から中を覗くと、部屋の二人が丸見えです。

 

 

ボテレン;妊娠してお腹が大きくなった様。

 



 

                                                           2016年3月記

 

 

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