落語「貧乏神」の舞台を行く
   

 

 小佐田定雄作

 桂枝雀の噺、「貧乏神」(びんぼうがみ)より


 

 日本には八百万の神さんがいます。
 嫁さんにまた逃げられた男、家主さんが訪ねてきて、その訳を聞いた。「わたし寝てたんです朝、ほんなら、わたしの枕元へお咲が座りよってね『いつまで寝てなはんねん、早いこと起きて仕事に行きなはれ』と、こんな大胆なこと言ぅんでっせ」、「嫁はんとして当り前のこっちゃないか」、「頭が痛かったんでね『わいちょっと頭痛いねん、今日休みたい』ちゅうたら『何を甘えてなはんねん、ぐずぐず言わんと仕事に行きなはれッ』ちゅうて、わたしがかぶってる布団をシュ~ッと・・・」、「一日やそこら骨休めちゅうことは当り前のこっちゃ。こらお咲さんがいかんぞ」、「今日一日だけのことなら、お咲もあんなことは言わなんだやろと思うんです。きのうはお腹が痛い言ぅてね。おとついは腰が痛い言ぅてね。ざっとまぁ、ふた月ほど仕事行かなんだ。その間、お咲は手内職をしていたが家賃も払えない。そこで回りから銭借りて・・・」。
 「貸してくれるのがいるのか」、「ちょっとコツおまんねん。二十五銭借りまんねん」、「二十五銭? えらい半端な金やなぁ」、「二十五銭、これがねぇ二円、三円、五円、では『五円もこいつに金貸して、返してくれなんだらどぉしょ~。止めとこ』、思うし、『ごめん、五円いま持ち合わせがない』と言えます。ところが二十五銭ぐらいの金『ひょっと返してくれなんでも仕方がないか』と諦めもつくし、大の男がウロウロしてんのに『二十五銭ない』てなこと言えまへん。『ひょっと、倒されても仕方がないか』といぅ気も働き、たいてぇの者なら二十五銭貸してくれます。貸してもろたらこっちのもんです。大の大人があぁ~た二十五銭ぐらい『返してくれ』なんて恥ずかしぃて言えまへん。こっちが借りたら、まぁ恐らくほとんどは催促しまへんわねぇ。催促されなんだら返さない。二十五銭いぅたかて五銭や十銭やおまへんねやさかい、そこそこのおかずは買えます。あっちからこっちから二十五銭、二十五銭・・・、何とかふた月のあいだこぉやってました」、「えらい男やなぁ」。
 「家主さん、二十五銭貸してもらえまへんか?」、「その神経。わたしゃおまはんといぅ人間、好っきゃねん。家賃さえ入れてくれたら・・・」、家主さんが帰っていった。
 「ありがとぉ・・・。腹減ってきた。食ぅもんはないし、起きてたら腹減るだけやなぁ、もぉ寝てこましたろ」。

 おもしろい男があったもんで、グ~ッと寝てしまいましたんで。枕元に人の気配を感じましてフッと目を開けますといぅと、ガリガリで汚ぁ~いお爺さん、枕元に座っております。ビックリして「お前は誰だ」、「わしゃ貧乏神や」、「・・・絵で見たとおりだ。二十五銭、貸してくれへん」、「そんな事言わず精ぇ出して働け」、「貧乏神の台詞じゃない」、「貧乏神とは金の有る奴から、その栄養分を吸って貧乏にするのだ。だから働け、働け」、「ほっといてぇな、わい貧乏でえぇねん」、「貧乏いかんぞ」、「わてが一生懸命働いてもアンタがここにいる間はわて貧乏だ。同じ貧乏なら働かない」、「嫁はんに逃げられてしもてるし、寒むなってくるしこのままやったら硬とぉ冷(ちめ)とぉなってしまうぞ」、「勝手に硬とぅ冷とぅなるの、ほっといて」、「硬とぉ冷とぉなってしもたら、係が死神の方へ移ってしまうでしょ。で、わたしの仕事がなくなる」、「元気なやつに取り憑け」、「頼んない貧乏神やさかい、お前ぐらいが一番易いんです。ですからお願いです、働いてください」。
 「働きに行きとぉても行きよぉがない。道具箱が質屋に入っていて・・・」、「出して来い」、「どぉして出すねん。きのうもお松っつぁんに断られた。もう借りるところがない。どぉしても働きに行かせたいなら、お前何とかしたらどやねん」、「どぉするんですか?」、「前に頭陀袋(ずだぶくろ)みたいなもん下げてるやないか、その中に何ぼか入ってへんのか」、「あるけど、どこぞの世界に貧乏神から金借りるって事あるか。お前なぁ、貧乏神脅すな」、「貸すんか貸さんのか?硬とぉ冷とぉなろか」、「貧乏神脅すのか」。

 とぉとぉ貧乏神泣き出しよったんで。おもしろい男があったもんで貧乏神に金借りて道具箱をば出し、仕事に行きまして、さて、ひと月もしましたある日のことでございます。仕事には行きませんが、部屋の中は片付いて、前よりも元気そう。心配した友達の吉(よし)さんが訪ねてきた。
 「皆が心配しているぞ。嫁さんもろうたか?」、「もぉ誰が来てくれるかいな。お前、ここへ入って来る時、誰ぞとすれ違わなんだか?」、「あぁ、そぉいぅたら何や汚ぁ~いお爺(じ)んがタライ持ってヒョコヒョコォしてた」、「それ、貧乏神や」、「あのお爺んがか・・・」、「お爺んオジン言ぅてやりな、あれでも業界では若手やそぉな。道具箱出して貰って、一応仕事に出たことは出たんやけど、三日ほどしてえらい雨降ったやないか。また仕事行くのん嫌になってしもて、もぉブラブラして仕事休んでしもてんねん。さぁ、はじめのうちは『仕事に行け、仕事に行け』言ぅとったけど、貧乏神に負けるような、わいではない。『とてもこら、言ぅてもいかん』と、諦めよったんや。じっとしてたら、俺がこの家放り出されてしもたら、貧乏神もおんなじよぉに出ないかんやろ。『こらいかんなぁ、何とか家賃だけでもせにゃいかん』言ぅてね、内職始めよったんやで」、「貧乏神が内職やっとんのん」、「はじめね、つま楊枝削りの内職ね、両端とも削って貧乏削りにしてしまいよって、えらい怒られよって、この頃、近所の洗濯もん聞ぃて回って洗濯やりながら、わずかづつもろてる」。
 「じつ、お前にちょっと相談したいことがあるんや」 、「ちょっとこんなことしに(酒飲みに)出よか」、「銭、大丈夫か?」、二人共銭はないので、貧乏神の頭陀袋からくすねて出掛けた。
 「頭陀袋・・・、しもた、やられたぁ! これに手を付けるようじゃアカン。こんな生活をしていたら。どっちが貧乏神や分れへんがな。こんな家、もぉ出よ」。

 「貧ちゃん、いま戻った。怖い顔していますねぇ、どぉしたんですか? 何ですか?『この家、出て行く、今日限り』、あっそぉ、スビバせんねぇ、スビバせんでしたねぇ。あぁ~たにお世話になりまして、面目ないこっちゃなぁ言ぅて、ハハハぁ~。そら出てってくれた方がわいの為や。お前は悪いことない。お~きありがとぉ、済まなんだねぇ。よし、これ気持ちだけや取っといて」、「そんなんしぃな、お前から餞別もらお~思てない。しぃな」、「頭陀袋の巾着の中から盗ったやつのお釣や、お前の銭や」、「ありがとぉ気持ちはもろとく。お前の為にもならんと思うし、出て行くことにする。どこ行ったって嫌われるもんや。そんなわいとひと月も嫌がりもせんと一緒に居ってくれたんや。ホンマはわいかて嬉しぃと思てんねん。心を鬼にしてわいは出て行く。体だけは気ぃ付けや。もぉ世話するもんないねんよってな、わいが居ったらわいが世話したるけどなぁ、世話するもんもないねん。疫病神や死神の方へなるたけ取り憑かんよぉに言ぅといたる。元気でやってくれ」。
 「おい、貧ちゃんどこ行くねん?」、「『どこ行く』って、仕方ないやないかい、どこなとまぁ探して行くわい」、「おい、お前の行き先、おれにちょっと世話さしてくれへんか? 」、「アホなこと言ぃな、世の中に貧乏神に来てくれてな家がどこにある?」、「あるある。最前うち来よったわいの友達の吉、あいつとこ行ったってくれ。あいつもわいとおんなじよぉな気性の男や。それにあの男もな・・・、きのう、嫁はんに逃げられよったんや」。

 



ことば

貧乏神(びんぼうがみ);民間で、人を貧乏にさせると信じられている神。小さく、痩せこけて色青ざめ、手に破れた渋団扇を持ち、悲しそうに立つという。貧鬼。窮鬼。

死神(しにがみ);人を死に誘うという神。人に死ぬ気を起させる神。落語「死神」をご覧下さい。

頭陀袋(ずだぶくろ);頭陀の僧が経巻・僧具・布施物などを入れて首にかける袋。頭陀。死人を葬るとき、その首にかける袋で、雑多な品物を入れて運ぶ、簡単なつくりの布製の袋。
右写真上:頭陀袋。

巾着(きんちゃく);布・革などでつくり、口をひもでくくり、中に金銭などを入れて携帯する袋。
右写真下:巾着。江戸東京博物館蔵

貧乏削り;おもに鉛筆を両端ともに削って使用することを意味する俗語。
 ネットで実例拾ってたら「貧乏削り」と呼ばれてた地域は中部以西が多く、「泥棒削り」は関東が多い印象です。両端を削るのは、商人文化が強い地域で貧乏呼ばわりされたり、武家文化が強い地域で泥棒扱いされることは一定の抑止効果を持つのではないかと思われています。
 赤・青のこの鉛筆は何削り?決して貧乏削りでも泥棒削りでもありませんよね。

道具箱(どうぐばこ);大工道具一式が入った工具箱。

疫病神(やくびょうがみ);疫病を流行させるという神。転じて災難をもたらすとして嫌われる人。

八百万の神(やおよろずのかみ);神様の数がきわめて多いこと。
 自然のもの全てには神が宿っていることが、八百万の神の考え方であり、欧米の辞書にはShintoとして紹介されている。日本では古くから、山の神様、田んぼの神様、トイレの神様(厠神 かわやがみ)、台所の神様など、米粒の中にも神様がいると考えられてきた。自然に存在するものを崇拝する気持ちが、神が宿っていると考えることから八百万の神と言われるようになったと考えられる。八百万とは無限に近い神がいることを表しており、多神教としてはありふれた考え方である。 またこういった性格から、特定能力が著しく秀でた、もしくは特定分野で認められた人物への敬称として「神」が使われることがある。

  歌川国久画 『大社縁結図』 古代出雲歴史博物館蔵 八百万の神が集まり男女の組み合わせをしている。

餞別(せんべつ);遠くへ旅立つ人や転任・移転する人などに、別れのしるしとして贈る金品。また、それを贈ること。はなむけ。



                                                            2016年3月記

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