落語「四段目」の舞台を行く 古今亭志ん朝の噺、「四段目」(よだんめ。別名・蔵丁稚)より
■忠臣蔵(ちゅうしんぐら);江戸城松の廊下で吉良上野介に切りつけた浅野内匠頭は切腹、浅野家はお取り潰しとなり、その家臣大石内蔵助たちは吉良を主君内匠頭の仇とし、最後は四十七人で本所の吉良邸に討入り吉良を討ち、内匠頭の墓所泉岳寺へと引き揚げる。この元禄14年から15年(1701 - 1702)にかけて起った赤穂事件、いわゆる「忠臣蔵」の物語は、演劇をはじめとして音曲、文芸、絵画、さらには映画やテレビドラマなど、さまざまな分野の創作物に取り上げられている。
「四段目判官切腹の段」 落合芳幾画 江戸東京博物館蔵
四段目概略
四段目;落語「淀五郎」。そしてこの噺「四段目」
■上方と江戸噺の細部の違い;落語には、その粗筋は同じでも、細部の展開が古今東西によって異なるものが多い。本作で旦那が定吉を引っ掛けるくだりもこれにあたる。
■一幕見(ひとまくみ);芝居を一幕だけ見ること。歌舞伎座などでは一幕見の客専用の座席を設ける。まくみ。
■築地(つきじ);中央区築地。江東区豊洲に移転が決まっている、東京中央卸売市場が有ります。また、築地本願寺があります。
■五段目の山崎街道(5だんめ やまざきかいどう);右図:「五段目」北尾政美画。
■猪は前足を大阪の中村鴈治郎(なかむらがんじろう);上記の山崎街道に出てくるイノシシで、下っ端の役者の役です。馬の足ではないので二人でやることはありません。
■後ろ足の方をこちらの尾上菊五郎(おのえきくごろう);六代目 尾上 菊五郎(ろくだいめ おのえ きくごろう、1885年(明治18年)8月26日 - 1949年(昭和24年)7月10日)は大正・昭和時代に活躍した歌舞伎役者。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。俳名に三朝がある。本名は寺島 幸三(てらしま こうぞう)。
初代中村吉右衛門とともに、いわゆる「菊吉時代」の全盛期を築いた。歌舞伎界で単に「六代目」と言うと、通常はこの六代目尾上菊五郎のことを指す。『仮名手本忠臣蔵』では早野勘平・高師直・お軽を演じた。
五代目 尾上菊五郎(ごだいめ おのえ きくごろう、天保15年6月4日(1844年7月18日) -
1903年(明治36年)2月18日)は明治時代に活躍した歌舞伎役者。本名は寺島 清(てらしま きよし)。
尾上菊五郎としての屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。俳名に梅幸。
市村羽左衛門としての屋号は菊屋。定紋は根上り橘、替紋は渦巻。俳名に家橘。
九代目市川團十郎、初代市川左團次とともに、いわゆる「團菊左時代」の黄金時代を築いた。
■上手(かみて);客席から見て舞台右手を言う。左側を下手(しもて)という。
■シキビ(樒);シキミ。シキミ科の常緑小高木。山地に自生し、また墓地などに植える。高さ約3メートル。葉は平滑。春、葉の付け根に黄白色の花を開く。花弁は細く多数。全体に香気があり、仏前に供え、また葉と樹皮を乾かした粉末で抹香や線香を作り、材は器具用。果実は猛毒で、「悪しき実」が名の由来という。
■九寸五分(くすんごぶ);30cm弱の刀。刀の長さによっていう 短刀。切腹するときに使う最善な大きさの刀。
国宝「相州貞宗」 東京・文化庁蔵 貞宗は正宗の弟子で正宗の作風を伝えています。
■肩衣(かたぎぬ);室町時代の末から武家が素襖(スオウ)の代用として用いた服。背の中央と両身頃胸部とに家紋をつけた素襖の、袖をなくしたもの。肩から背にかけて小袖の上に着る。下は袴を用いる。
■花道の揚げ幕(はなみちのあげまく);花道の突き当たりの小部屋、鳥屋(とや)の入り口にかかっている鳥屋揚幕(とやあげまく)。多くの場合、黒や紺の布に劇場のシンボルマークが白く染め抜かれています。揚幕は金輪(かなわ)を使って吊られています。そのために勢いよく開け閉めをすると「チャリン」という独特の音がします。俳優が出るときに「チャリン」という音がすると観客は、揚幕に注目します。
■花道の七三(はなみちの しちさん);花道の舞台とは反対側の端には役者が入退場する為の鳥屋(とや)という部屋があり、その入り口には部屋の中を隠す為の揚幕(あげまく)という幕がかかっている。また本舞台と揚幕を3:7に分ける場所(実際にはここよりも舞台によった場所)を舞台寄りの七三、7:3に分ける場所を揚幕寄りの七三といい、花道上の演技は多くの場合このいずれかの場所(特に前者)で行われる。舞台寄りの七三にはセリがあり、すっぽんと呼ばれている。すっぽんは妖怪や幽霊などを演じる役者が登場したり退場したりする場合に使われる。花道は通常下手にしかないが、演目によっては演出の都合上、上手側にも花道を仮設する場合がありこれを仮花道(かりはなみち)という。
なお歴史的には七三といえば揚幕寄りの七三の事であったが、大正の頃から混同が起こり「七三」という言葉が舞台寄りの七三の事も表すようになった。混同された理由としては、揚幕寄りの七三が二階席から見づらい為に演技の位置が舞台よりの七三に移った事、また、無知なジャーナリストが誤用した可能性などが挙げられている。また「鳥屋」という言葉は上方のものであり、江戸ではこの部屋も揚幕と呼ばれた。
写真:客席側から見た花道の突き当たりの揚げ幕。 右:花道。 千代田区・国立劇場
■チョボの三味線(ちょぼの しゃみせん);チョボ=歌舞伎義太夫とも。文楽(人形浄瑠璃)の太夫の三味線と区別して竹本と呼び、文楽から竹本に転向した者は再び文楽には戻れぬという鉄則が現在も守られている。このため、かつては文楽より下位に置かれ、〈チョボ〉と呼ばれて蔑視された。その後、義太夫狂言は歌舞伎の重要な柱であり、これを支える竹本の存在が重視されて、人間国宝の指定を受ける者も出た。
■太棹(ふとざお);長唄・端唄・小唄などの細棹や、常磐津・清元・新内・地唄棹などの中棹と異なり、歌舞伎義太夫には棹の太い太棹といわれる三味線を使用します。棹だけでなく胴も大きく絃も太く、同じ太棹でよく間違われる津軽三味線とは撥(ばち)や駒の素材・形状も違い音色も大きく異なります。その音色は低く、強く、太い音を出すのが特徴です。
■一反風呂敷(いったんふろしき);簡単に言うと2m角の大きな風呂敷です。
■御膳(ごぜん);ぜん・飯・食事を敬っていう語。
また、「御前」は、高貴な人の前。おんまえ。「おまへ」とも。
高貴な人を尊敬していう語。
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