落語「土橋漫才」の舞台を行く 桂小南の噺、「土橋漫才」(どばしまんざい)より
■クライマックスの若旦那殺しは、上方歌舞伎の名作である『夏祭』の見事なパロディとなっています。
忠義な番頭は歌舞伎の主人公・団七に、傲慢な若旦那は主人公の義父である義平次に準えられており、殺人のシーンは歌舞伎同様のダンマリ*で演じられる。
■夏祭浪花鑑(なつまつり なにわ かがみ);人形浄瑠璃および歌舞伎狂言の題名。延享2年7月(1745年8月)に大坂竹本座で初演。作者は初代並木千柳・三好松洛・初代竹田小出雲。初演後間もなく歌舞伎化され、人気演目となった。
全九段。通し狂言としての通称は『夏祭』。ただし今日では三段目「住吉鳥居前」(通称: 鳥居前)・六段目「釣船三婦内」(通称: 三婦内)・七段目「長町裏」(通称: 泥場)がよく上演されるので、これらが通称として用いられることが多い。
団七は、幼いとき浮浪児だったのを三河屋義平次に拾われ、今ではその娘のお梶と所帯を持って一子をもうけ、泉州堺で棒手振り(行商)の魚屋となっている。元来義侠心が強く、名も団七九郎兵衛と名乗り老侠客釣船三婦らとつきあっている。
■落語の若旦那、と言えばまじめな働き者…というのはごく少数で、大抵は『飲む打つ買う』の三道楽に血道を上げる極道者ばかり。
この話でもご多分にもれず、番頭を突き落としたのに「厄介払いができた」とドンチャン騒ぎを始めるような非情な若旦那に天誅が下ってしまう。
ちなみに、冒頭で若旦那が定吉にあげると言うお金の単位から、この話の舞台が明治時代であることが推測される。
帯刀が禁じられた時代で起こった刀による殺人劇を、番頭が葬式に出席する為に『葬礼差し』を持っていたことにすることで見事にクリアしている。昔、葬礼、葬式の、お弔いに立つのに、葬礼差しといって、短い刀を差したんです。飾りもんですけれども、しかし、ここに出て来る刀は、本身で、良く切れる刀だった。また、武士以外でも持てたのは、道中差しと言って旅の時は許された。
■大和(やまと);国名に使用される「やまと」とは、元々は「倭(やまと)、大倭(おおやまと/やまと)」等と表記して奈良盆地東縁の一地域を指す地名であった(狭義のヤマト)。その後、「大倭・大養徳・大和(やまと)」として現在の奈良県部分を領域とする令制国を指すようになり、さらには「日本(やまと)」として日本全体を指す名称にも使用された。
■大和の丁稚;大阪商人は我慢強い大和地方出身者を丁稚に迎えた。大和では正月に俄(にわか)漫才で大阪に出て来ます。定吉のお父っつぁんも漫才師だったのです。そこに行くと大阪出身者は根性が無く、叱ると直ぐに泣いて家に帰ってしまいます。『大阪のど根性』はどこに行ったのでしょうね。
■万歳楽(まんざいらく);新年に家々を回り祝言を述べ、舞を見せる門付芸能。風折り烏帽子(えぼし)に大紋の直垂(ひたたれ)姿の太夫が、大黒頭巾にたっつけ袴の才蔵の鼓に合わせて演ずる。江戸時代に千秋(せんず)万歳より興り、三河万歳・大和万歳・尾張万歳・秋田万歳などがある。大阪へは主に大和から門付けでめでたい言葉を囃しにきた。
■難波土橋(どばし);1732(享保17)年の大飢饉の際、救済事業のために米蔵(難波御蔵=現在のなんばパークス西北角(難波中交差点)。南海難波駅隣)を建て、道頓堀から御蔵まで入堀川(新川)が掘られた。その入堀川にかかっていた土橋。架かっていたのはちょうど高島屋の西北角(難波西口交差点)あたりになる。入堀川は現在埋め立てられて、上部に高速道路が走っています。
■二十銭銀貨(20せんぎんか);明治3・4年製造。右写真20銭銀貨裏表。
■ミナミの遊所;南地五花街:宗右衛門町、九郎右衛門町、櫓町、阪町、難波新地を総していう。
■新町(しんまち);現在の大阪市西区新町1 - 2丁目に存在した遊廓。豊臣秀吉の大坂城建築によって城下町となった大坂では、江戸時代の初期にかけて諸所に遊女屋が散在していた。 1616年、木村又次郎が幕府に遊郭の設置を願い出、江戸の吉原遊廓開業後の1627年、それまで沼地だった下難波村に新しく町割りをして散在していた遊女屋を集約、遊廓が設置された。 新しく拓かれた地域の総称であった新町が遊廓の名称となり、城下の西に位置することからニシや西廓とも呼ばれた。その後徐々に発展し17世紀後半には新京橋町・新堀町・瓢箪町・佐渡島町・吉原町の五曲輪(くるわ)を中心として構成されるようになり、五曲輪年寄が遊郭を支配下においた。
廓は溝渠で囲まれ、さらに外側は東に西横堀川、北に立売堀川、南に長堀川と堀川がめぐらされており、出入りができる場所は西大門と東大門に限定されていた。当初は西大門だけだったが、船場からの便宜をはかって、1657年に東大門ができ、1672年に新町橋が架橋された。他に非常門が5つ設置されたが普段は閉鎖されていた。江戸の吉原、京の島原と並んで三大遊郭のひとつとされ、元禄年間には夕霧太夫をはじめ800名を超える遊女(太夫など)がいたことが確認されています。
Tasogare Kinnosuke氏作図 2012
■ハサミ箱;武家が公用で外出する際、供の者にかつがせる物品箱。長方形の箱の両側に環がついていて、それにかつぎ棒を通したもの。右写真:箱根大名行列。左の切手、左側がハサミ箱を持った人物。
■鞘走る(さやばしる);刀身が自然に鞘から抜け出る。
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