落語「田能久」の舞台を行く
   

 

 六代目三遊亭円生の噺、「田能久」(たのきゅう)より


 

 阿波(あわ)の国、徳島の在・田能村のお百姓の久兵衛さん。生活に困るようなこともなく、道楽で芝居をしていたが、役者として上手かった。仲間というか弟子も増えて、『田能久一座』を結成し、本業を放って巡業をしていた。人気が高じて伊予(いよ)の宇和島から依頼が来たので出かけ、これが大好評で連日大入り満員。
 丁度4日目、国元から緊急の知らせでおふくろが急病とのこと。親孝行な人で芝居に手が付きませんで、後を仲間に頼んで、カツラや衣装を纏めて帰り道を急いだ。途中、法華津(ほけつ)峠を越え、鳥坂(とさか)峠に差しかかると、雨が降ってきて、村の人達が山から下りてきた。「この山は化け物が出て、誰一人無事に下りた者は居ないから、今晩はここで泊まると良い」と注意を受けたが、母親が心配で、さしたる事は無いだろうと山に入って行った。
 だんだんと雨脚が強くなってきた。峠に差しかかると凄まじい雨で 途方にくれていると、村人が使うであろう小屋があったので、中に入り囲炉裏に薪をくべて暖を取り、濡れた物を乾かした。眠気が襲ってきたので、ぐっすりと寝込み、寒い風を感じ目を覚ましたら、火も消えて、小屋の隅に八十を越えた老人が立っていた。

 その老人は真っ白い頭に、真っ白なヒゲで、白い衣装に一本歯の下駄を履いている。こっちに近づいて来たので、寝たふりをしていると、「オイオイ、目を開けてイビキをかく奴があるか」、「スイマセン、貴方のお小屋とは存じませんで、無断で拝借しておりました」、「小屋のことはとやかく言わない。よく来たな。久しくやらないので、味を忘れかけていた。早く支度をしろ。わしはこの山に古くから住まっている”ウワバミ”だ。山に入るとき村人から注意されただろう。それ以来人間を呑めなくなった。お前の寿命だ、観念しろ」、「母親が病気で心配で、看病に戻ります。全快したら戻ってきます、それまで許してください」、「ダメだ。いったいお前は何処の者だ。震えないでしっかり言え。『阿波国徳島の在?、田能村のたのきゅう?何だタヌキか。獣は吞まなくて人間しか吞まない。喜んで出て来たのにタヌキか」、「どうぞお助けください」、「頼まれてもタヌキは吞まない。阿波の徳島は狸の本場と聞いたが、タヌキ寝入り以外に化けられるだろう。狐七化けタヌキ八化けという。俺の前で化けてみろ」、「(島田のカツラを被って)どうですか?」、「上手いものだな。女性になった」、「次はこれでどうですか?」、「坊さんに化けたか」、「(百日カツラを被って)石川五右衛門で・・・」、「もう良い、元の姿に戻れ。さすがタヌキだな。俺なんか、化けてもこれが精一杯だ。以前はこの格好で村に下りて子供を吞んだが、姿を覚えられて鉄砲を向けられる始末、丁度良い、化け方を教えて欲しい。この先二本松があり、その先の穴が俺の住まいだ。訪ねてきたときに・・・、好きな物で歓待、と言うより嫌いなものを聞いておこう。恐いものでも良い」、「私は・・・、一番恐いと言えば・・・お金でしょうね。金が仇の世の中だから、金がいちばん怖い」と、出任せを言った。「俺も嫌いなモノは、煙草のヤニだな。あれが体につくと、肉から骨まで腐ってしまう。それから柿渋だ。アレが付くと身体がすくんで動けなくなる。お前の嫌いなモノも聞いた、俺の嫌いなモノも言った。決して他の者には喋るなよ」。

 外は白んできて、老人は姿がかき消えていなくなっていた。急いで山を下りると村人に出合った。
 「どうしたんだ」、村人に久兵衛さん、今までの事を漏らさず全部しゃっべってしまった。「早く帰って、おっ母さんの面倒を見なさい」。
 こちらは村人、ウワバミ退治だと、煙草のヤニと柿渋を2ヶ月のうちに四斗樽に二杯も集めた。これをカクテルにして混ぜ合わせ、山に入り大蛇に毒薬のヤニと柿渋をぶっかけると、大蛇は悲鳴をあげて退散した。「俺の嫌いなモノを知っているのは、あのタヌキだけだ。あれだけ約束したのに・・・」、ウワバミは印を結んで雨を降らせ、自分の巣に戻ると焼き討ちになって入れず、山から退散した。

 こちらは久兵衛さん、おっ母さんの病気も大したことなく、安心して床に付くと、激しく戸を叩く者が居る。恐る恐る開けると、鳥坂峠で出合った老人が、顔を血だらけにして立っていた。さも恨めしそうに「俺の嫌いなモノを喋ったな。お前以外に知っている者は居ない。俺は死ぬ身だ、俺と同じような苦しみを味わえ」と、大きな箱を土間にデン~と放り投げて姿を消した。その箱を開けてみると、金が一万両入っていた。

 



ことば

「日本昔話集成」に「田之久」の題で収録され、また高知県の民話には、この噺の原型となるものがあります。その他、全国に流布する「親孝行が長者となる伝説」の要素が加わっています。故人・宇井無愁氏の考証によれば、「田能」とは本来田楽のことで、田能久は村の鎮守の祭礼に、吉例のお神楽を奉納する田楽師だとか。ウワバミにいっぱい食わせる小道具も、したがって 噺のような芝居の衣装でなく、お神楽の面をいろいろに取り替えただけといいます。

民話から;数少ない、特定の地方を舞台にした噺で、登場する地名はすべて実在のものです。 阿波・徳島は昔から芸能の盛んな土地柄で、阿波人形浄瑠璃の本場でもあります。 歌舞伎・文楽でよく上演される「傾城阿波鳴門」(けいせいあわのなると、通称「どんどろ」)の舞台になりました。 なお、四代目円蔵は、法華津峠を法月峠、鳥坂峠を戸坂峠としましたが、のちに弟子の六代目円生が、これを訂正しています。
 落語の田能久の意味は、四国の阿波国徳島在にあったとされる田能(たのう)村に住む、素人芝居の上手い久兵衛さんと云う親孝行なお百姓のお話。圓生さんは師匠の四代目 圓蔵がやっているのを聴いて憶えたと語ってますが、義父の五代目 圓生の昭和4年(1929)の速記も残っています。

民話「田の久」 (秋田県東成瀬村)
 昔、富山の薬売りで“田の久”って人いたけど。なかなか機転の利く人で、商売も繁盛していました。 ある時、山の向こうサ、行かねばならぬ用ができて出かけて行きました。ふもとの村まで来たとき、村の人達が口ぐちに言いました。 「山には化け物いるから、行がねほう(が)いいよ」どうしても行かねば、と、振り切って山に向かいましたたが・・・、あちこち迷って、やっと灯りを見つけました。
 戸を叩いたら、男の人が出てきました。「何だ?」、「迷ってしまって、一晩泊めて貰いてして」、「ほうか、まず入れ」って、囲炉裏にあたって、ごっつお(御馳走)なって、いろいろ話をしました。「おまえ、何という名前だ?」 と、男。「田の久だ」 男は、独り言のようにぼそりと言いました。 「え? たのきゅう? たのきゅう~な。たのきゅう~な、ふ~ん」 なぜか感心したようす。「たのきゅう。たのき・・・、う~ん、うまく化けたもんだな」 って言うけどな。 田の久が、わけが分からずポカンとしていると、「おまえ、たのきか! 実はな、おれはウワバミだ」 男はとんでもないことを言い始めました。「だども、誰どサにも言うなよ」 何度も念を押していたけどよ。田の久は震えをこらえ顔を見ないようにしても、答えるのに精いっぱい。田の久の心の内を読めないで男は、またとんでもない質問をしたけど。「たのきよ、オメーは、世の中で、何、一番おっかないもんだ?」、「そうだなあ、やっぱり銭っこ、一番おっかね~な」 (なかなか頭の回転の速い人ですね) 「そうか、銭っこな。オレよ~」 そう言って、田の久の顔をじろっと見て言ったけど、な。 「たばこのヤニ、一番おっかねえ」 田の久は、心の中でよく覚えておこうと思いました。
 
ようやく夜明けになったので、後ろも見ずに山の向こうへ走りました。用をすませて、また山のふもとの村に戻って来ると、心配した村の人々が田の久を取り囲みました。「よく戻ってきたな。化け物に食われねして!」 田の久は、恐ろしかったウワバミの話をして、「山のアレは、たばこのヤニ、一番、嫌だから」 と教えました。
 みんなで村中のキセルのヤニをかき集めて、山に登り、そこら中に塗りたくって降りてきたけど。そうやってたば、化け物は居なくなったんだな。村人は安心して暮らしたと。
 何年も経って、田の久がまた、村にやってきました。宿サ、泊まっていたば、夜中に呼ぶ声がした。「たのきゅう、たのきゅう」 “おや、誰かな? オレどこ、呼んでらな” と、不審に思って戸をがらっと、開けると、「ホレッ」 という掛声がして、何かがどさっと土間に投げ込まれました。中身は、な、な、なんと、田の久のおっかない銭っこだったけど。
 それでまず、終わりです。

『田の久』という、昔話で、『子どもに語る日本の昔話1』 に載っている昔話です。
「民話・昔話集作品名総覧」(2004年 日外アソシエーツ)には、「たのきゅう」「田之九」「田の久とうわばみ」など類似の話が載った民話集・絵本などが40点以上挙げられており、それらの書名に含まれる地名を拾うと、越後・三河・因幡・岡山・伊予・阿波・土佐・屋久島といった地名が入っています。このうち、阿波の民話としては「日本の民話19 阿波編」(1974年 未来社)に小松島市で採録された話として「田野久兵衛さん」という話が入っており、土佐の民話としては「日本の民話35 土佐編」(1978年 未来社)に安芸郡で採録された話として「田能久の話」が掲載されています。どちらも「田能村」の所在地や登場人物の名前以外はほぼ落語と同じ話の展開を見ます。

日本昔話「たのきゅう」;映像付きで昔話が楽しめます。右図。 http://www.dailymotion.com/video/xgj6mg_0006-%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8D%E3%82%85%E3%81%86_creation 

阿波の国、徳島の在・田能村(あわのくに とくしまのざい たのうむら);徳島県徳島市?。田能村は現在存在しませんが、徳島市南の小松島市辺りにあったと思われる村。ご存じの方がいらしたら教えてください。
 田能村の久兵衛さんを縮めて田能久と呼んで、口の中でモゴモゴ言うと、たのき→たぬき となりタヌキで有名な阿波の狸の一族と思われたのでしょう。上手く人間に化けていたとウワバミは思ったようです。

伊予の宇和島(いよのうわじま);宇和島市は、四国の南西部、愛媛県の南部に位置する都市で、南予地方の中心都市。旧北宇和郡の一部と旧宇和島市の合併により発足。宇和島城を中心に発展した闘牛で有名な旧城下町。
 宇和島と徳島では、四国の西の外れと東の外れに位置します。本当に遠方まで芝居をしに行ったものです。

鳥坂峠(とさか とうげ);愛媛県大洲市と西予市の市境にある峠。標高470m。
国道56号の峠。古くから交通の難所であったが、峠の直下を鳥坂隧道で抜ける改修が行われた結果、南予地方の動脈として機能している。 急峻な地形に作られた道路であり、ヘアピンカーブの連続した坂道が続く。また、冬季には積雪や凍結がみられる。
 戸坂峠と法華津峠間は約20km弱で、法華津峠を南に越えると宇和島です。

 写真:戸坂峠

法華津峠(ほけつ とうげ);愛媛県の宇和島市と西予市との間に位置している標高436mの峠で、市境を形成している。峠越えの道の頃は宇和島と宇和とを隔てる難所であったが、現在はトンネルが開通し今日では道路(国道56号)、鉄道(JR予讃線)ともに整備されている。法花津峠と表記されることもある。
 峠道は四国百名山の一つである高森山 (635m) 西側斜面に位置し、現在の国道56号やJR予讃線はこの峠をトンネルで通過する。トンネル南口から、南へ(宇和島市街方面)へと下る。旧国道56号は峠の登り口で新国道と分岐し、曲がりくねりながら上り下りする、昔ながらの峠道。旧道の峠付近の路傍には西村清雄の山路こえての歌碑も設置されている。沿線は果樹園(みかん畑)と雑木林が混在しているが、峠付近から見下ろすみかん畑や法花津湾、遠く宇和海の眺望は素晴らしいものがある。新国道の両側は一面のみかん畑であり、みかんの実の色づくころには独特の景観を形成している。こちらからの眺めもまた別の素晴らしさがある。予讃線の宇和島側の線路方面には春先には菜の花が咲き乱れる。

カツラや衣装;現代では歌舞伎でもお芝居でも、専門のカツラ師や衣装係がいますが、当時は全て自分持ちで調製した。久兵衛さんも自分の物を風呂敷に包んで持って帰った。

 左写真:島田髷は、根で束ねた髪を一度後ろへ折り曲げて結び「いち」を作った形が特長で、中でも「文金高島田」は、根の位置が最も高い髪型。和装婚礼において、最も格が高い花嫁の正式な髪型。

ウワバミ;大きなヘビのこと。漢字では蟒蛇と書く。特にボア科のヘビを指す。伝説上の大蛇(おろち)を指すこともある。 大きなヘビを指す日本語としては、古代の「をろち(おろち)」に代わって15世紀頃から使われるようになった。

狐七化けタヌキ八化け;化け狸(ばけだぬき)は、日本の古典や各地の民話・伝説に見られるタヌキの妖怪。
 キツネと同様に他のものに化ける、人を化かす、人に憑くなどの能力を持つものとしての話が残されている。 新潟県の佐渡島や四国にはタヌキの伝説が多く、中でも佐渡の団三郎狸、阿波国(徳島県)の金長や六右衛門、香川県の太三郎狸のように、特別な能力を持つタヌキたちには名前がつけられ、祭祀の対象にもなっている。
 「狐七化け、狸八化け」といって、タヌキのほうが化け方が一枚上手であるといわれている。これについては、キツネは人を誘惑するために化けるのに対し、タヌキは人をバカにするために化けるのであり、化けること自体が好きだからという説がある。

百日カツラ(ひゃくにちかつら);歌舞伎の鬘の一。盗賊・囚人などに用い、月代の醜くのびたもの。歌舞伎では石川五右衛門の髪かたち。

右図:五右衛門の処刑 一陽斎豊国 画 『石川五右衛門と一子五郎市』 

石川五右衛門(いしかわごえもん);(生年不詳 - 文禄3年8月24日(1594年10月8日))は、安土桃山時代の盗賊の首長。文禄3年に捕えられ、京都三条河原で一子と共に煎り殺された。 従来その実在が疑問視されているが、イエズス会の宣教師の日記の中に、その人物の実在を思わせる記述がある。処刑記録も現存しておりその光景を当時の絵師が残してさえもいる。処刑の際に詠んだとされる辞世の句は有名。
「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ」と辞世の句を詠んだという。  

煙草のヤニ;ニコチン (nicotine) は、アルカロイドの一種の有毒物質である。揮発性がある無色の油状液体。主にタバコ属(ニコチアナ)の葉に含まれる天然由来の物質である。 即効性の非常に強い神経毒性を持つ。半数致死量は人で0.5mg~1.0mg/kgと猛毒で、その毒性は青酸カリの倍以上である。またニコチン自体に発癌性はないものの、代謝物であるニトロソアミンに発癌性が確認されている。 複数回の摂取によりニコチン依存症を発症させる。WHO世界保健機関は「ニコチンはヘロインやコカインと同程度に高い依存性がある」と発表している。ほぼ全ての生物に対して毒性を発揮するため、殺虫などの用途で使用されている。しかし人間に対しても毒性を発揮するため、昆虫などに対してのみ選択的に毒性を発揮するよう改良されたネオニコチノイドなどが開発され使用されるようになった。

柿渋(かきしぶ);渋柿の未熟果を擦り潰して搾汁して、発酵させ濾過したものを「柿渋(かきしぶ)」と言います。柿渋液の中に含まれる「柿タンニン」には防水、防腐、防虫効果があり、塗布することで効果を発揮します。柿タンニンには、蛋白質を凝縮させる効果もあり、古来から火傷の治療薬や、マムシの蛋白毒の解毒剤としても使われていました。人間への利用価値は高いのですが、毒性は認められません。しかし、ウワバミには毒性を発揮するのでしょう。

四斗樽(しとだる);1升瓶の中身40本分が入る樽。通常日本酒を入れる樽に使われる。

一万両(いちまんりょう);一生涯使い切れない大金ということ。これで心配なしに芝居三昧になれます。

右写真:千両箱。江戸東京博物館蔵



                                                            2016年4月記

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