落語「ん回し」の舞台を行く
   

 

 三遊亭小遊三の噺、「ん回し」(うんまわし)より


 

 子供時分からの友達は良いものです。
 部屋に集まった友達連中に、「今日は皆も集まったし、ここに二升の酒が有る。残念なことに肴がないので、皆から100円の割り前を取って、飲もうと言うことだ」。
 しかし誰に聞いても、その100円が無い。仕方が無いので兄貴分が財布をポンと出して、肴を買うことにした。表の豆腐屋で木の芽田楽を焼いていた。
 「何?木の芽田楽を知らないの・・・。豆腐を薄く切って味噌を付けて焼くんだ、その上から木の芽をパラパラと振りかけると、イイ香りがして旨いんだ。松っちゃん悪いが豆腐屋に行って買ってきてくれ。冷めたらマズいから、焼けたのを店の人に順繰りに持ってきて貰いな」。
 「はい、第一弾買って来ました」、「これが木の芽田楽か、イイ香りがする」、「オイオイ、ヌッと手を出すんじゃない。食べさすから、言葉の遊び”ん回し”をしよう。言葉の中に”ん”が入っていたら、田楽が1本もらえる。この田楽の中にも”ん”が一つ入っているだろう。”ん”は運が良いに通じるだろ」。

 「ハイハイ」、「じゃ~、お前からやんな」、「う~ん・・・、ん・・・、いざとなるとなかなか言えませんな」、「ガツガツ、手を上げといて『言えません』だって。アッ、その言えませんの”ん”で良いよ。1本持って行きな」。「では私は、”南京豆”」、「んが二つだ。持って行きな。隣は?」、「ニンジン、ダイコン」、「そうか。三つ入ってるな。3本持って行きな。その隣は?」、「ミカン、キンカン、ピーマン」、「手近なところで間に合わせてるな。四つ入っているな。持って行きな」。
 「『へ~』じゃないょ。お前の番だよ」、「・・・・、ナスビ、キウリ、トマト」、「八百屋で売っている物を並べたって駄目だ。”ん”が付く物だ」、「早く言ってよ。ナスビン、キウリン、トマトン」、「そんなのダメだ。子供みたいな事言って。もっと考えておきな。後回しだ」。
 「俺だね。水戸黄門、助さん、格さん、3人さん」、「上手いね。”ん”が六つだね。6本持って行きな。そこは?」、「銀座。新橋。虎ノ門。電車。120円」、「切れ切れに言うな。5本だな」、「違う、10本だ」、「なんで?」、「往復だ」、「そんなのダメだ。5本持って行きな」。
 「田楽まだ有る?」、「まだ焼けてくるから、安心しな」、「では、先年(せんねん)、神泉苑(しんぜんえん)の門前(もんぜん)、玄関番(げんかんばん)、人間半面半身(にんげんはんめんはんしん)不随。金看板銀看板(きんかんばんぎんかんばん)、金看板『根本万金丹』(きんかんばんこんぼんまんきんたん)、銀看板『根元反魂丹』(ぎんかんばんこんげんはんごんたん)、瓢箪看板(ひょうたんかんばん)、灸点(きゅうてん)。42本」、「何だ、それ本当のことか。もう一度言ってみな」、「せんねんしんぜんえんの・・・きゅうてん。2回やったから64本だ」、「勘定が違っているだろう。42本が2回で64だって・・・」。
 「まだいるか?」、「ソロバン入れてくれ」、「用意は出来たよ」、「ズドーン、1本、パン、パンパン~~パン18本、プシュ~ン1本、ポンポン~~」、「お前何やってるんだ」、「花火が空高く上がってパンパンパン~、燃えかすが川に落ちて、プシュ~ン。竹藪に落ちたのが竹林を燃やし、節が抜けて、ポンポンポン~~」。
  「半鐘があっちでジャンジャンジャンジャン、こっちでジャンジャンジャンジャンジャンジャン、消防自動車が鐘をカンカンカンカン・・・、ジャンジャンジャンにカンカンカン・・・」、さすがの兄貴も「おい、こいつに生の田楽を食わせろ」、「なぜ?」、「今のは火事のまねだろう。だから焼かずに食わせるんだ」。

 



ことば

出典;文化年間(1804-1818年。町人文化が顕著に発展した時期)に江戸落語が出来た頃から有ると言われる噺で、多人数の集まり、特に、遊里・宴会などでの多人数の客が出る、大一座物の代表と言われた噺。この噺は「寄合酒」の一部として出来たもの。決まった筋はなく、何処で切っても良く、決まったオチも有りません。実に伸縮自在な噺で、新しいギャグを入れたりアドリブを入れることも自由、演者の創意工夫が楽しめます。

落語「寄合酒」概略;各自肴を持ち寄りで吞むことにした。
 数の子を煮てしまう奴がいたり、山芋をヌカ味噌に漬けたり、鰹節を、二十本もいっぺんにかいてしまって、大釜でグラグラ。そのダシで行水してしまい、後は全部捨ててバケツ一杯だけ残した奴が現れ、今褌を浸けている。とっておきの鯛は、料理しているところに犬がきて、座って動かないので、「そんなのは頭を一発食らわして追っ払え」と言われて頭を食べさせ、「胴体を食らわせろ」と言うから胴体をやってしまい、まだ動かないので尻尾まで食らわせて、とうとう全部犬の腹へ。・・・で、材料は有ったのに、肴は何も無くなってしまいました。

木の芽田楽(きのめでんがく。このめでんがく);豆腐を細長く切って竹串を打ち、みそを塗ってあぶった料理。田楽豆腐の略。田楽の名は串に刺した豆腐の形が長い棒に横木をつけた鷺足(さぎあし)に乗って踊る田楽法師の姿に似ているためだという。やがてこれに倣って、こんにゃく、サトイモなども作られるようになり、さらには魚を材料とするものも現れ、これを魚(うお)田楽、略して魚田(ぎよでん)といった。こうして《守貞漫稿》が〈今ハ食類ニ味噌ヲツケテ焙(あぶり)タルヲ田楽ト云、昔ハ形ニ因テ名トシ、今ハ然ラズ〉というように、串に刺さず、ただ、みそをつけて焼く料理一般をも田楽と呼ぶ風を生じた。田楽に丁寧語の”お”を付け、末尾を省略したのが”おでん”です。
 小遊三は噺の中で、「豆腐を薄く切って味噌を付けて焼くんだ、その上から木の芽をパラパラと振りかけると、イイ香りがして旨いんだ」。

銀座。新橋。虎ノ門。電車。120円;電車とは東京都の路面電車”都電”の事。東京都が経営する路面電車は、最盛期には41系統が存在し、総延長は213kmに及んだが、自動車の増加による運行の困難と交通局の経営悪化によって1967年から1972年にかけて181kmの区間が廃止され、都営バスや都営地下鉄、営団地下鉄(現・東京メトロ)に転換された。現在は専用軌道を走る荒川線のみが存続しています。
 地名は繁華街にあった都電の停留所名です。
 料金の120円は昭和56年5月~59年6月まで3年間の期間です。昭和59年7月に130円に値上がりし、現在170円です。

 ・銀座(ぎんざ);東京都中央区の地名で、旧京橋区の地域にある。日本有数の繁華街であり下町の一つでもある。東京屈指の高級な商店街として、日本国外においても戦前よりフジヤマ、ゲイシャ、ミキモト、赤坂などとともに知られる。「銀座」の名は一種のブランドになっており全国各地の商店街には「○○銀座」と呼ばれる所がそこかしこに見受けられる。銀座の地名の由来は、江戸時代に設立された銀貨幣の鋳造所のことで、慶長6年(1601年)に京都の伏見に創設されたのが始まり。後1800年に東京の蛎殻町に移転して以来、元の「新両替町」の名称に代わり「銀座」として親しまれるようになり、この地名が定着した。また、銀座四丁目交差点周辺は商業地として日本一地価の高い場所としても知られる。

 

 銀座六丁目の歩行者天国

 ・新橋(しんばし);港区新橋。上記銀座の南側に位置する。新橋には新橋駅が有り、東日本旅客鉄道(JR東日本の山手線、京浜東北線、東海道本線、横須賀線)・東京地下鉄(東京メトロ銀座線)・東京都交通局(都営地下鉄浅草線)・ゆりかもめの駅がある。東海道新幹線は新橋駅の側面を通過していきます。
 国道では第一京浜国道が南北に走り、東西に走る外堀通り交差する。

 ・虎ノ門(とらのもん);東京都港区にある町名。現在の町丁名としては虎ノ門一丁目~五丁目がある。
「虎ノ門」とは江戸城の南端(現在の虎ノ門交差点附近)にあった門の名前であり、明治6年(1874)に門が撤去された後もその近隣地域の俗称として使われ続け、交差点名や都電・地下鉄銀座線の駅名となった。虎ノ門の名が地名に初めて採用されたのは昭和24年(1949)になってからです。
 右写真:新橋から西に新しい道「新虎通り」が正面の虎ノ門ヒルズの地下を抜けて開通しました。

金看板『根本万金丹』(きんかんばんこんぼんまんきんたん);金色の看板に、根本(物事のおおもと。本家)の万金丹。
 万金丹(萬金丹
=江戸時代、旅の道中に常備する万能薬とされていましたが、主に胃腸の不調を改善するもので、その効能は、食欲不振、消化不良、胃弱、飲みすぎ、食べすぎ、胸やけ、胃もたれ、はきけ(胃のむかつき、二日酔い、悪酔、悪心)などとなっており、又、配合されている生薬には、下痢、腹痛にも効果があり、その用途は幅広いものでした。

銀看板『根元反魂丹』(ぎんかんばんこんげんはんごんたん);銀色の看板に書かれている本家製造の反魂丹。
 反魂丹
越中富山の反魂丹と言われ、木香(もっこう)、陳皮(ちんぴ)、大黄(だいおう)、黄連(おうれん)、熊胆などをもって製した懐中丸薬。霍乱(かくらん=暑気あたり)・傷・食傷・腹痛などに効くという。元禄頃から富山の薬売りが全国に広め、江戸では芝・田町の堺屋長兵衛が売出し、一手に販売した。「田町の反魂丹」として名高い。落語「反魂香」の反魂香とは違います。

瓢箪看板(ひょうたんかんばん)、灸点(きゅうてん);瓢箪形の看板には灸点処と記されていた。
 灸点=灸をすえる箇所に墨でつける点。灸をすえること。 経穴(つぼ)と呼ばれる特定の部位に対し温熱刺激を与えることによって生理状態を変化させ、疾病を治癒すると考えられている伝統的な代替医療、民間療法である。中国医学、モンゴル医学、チベット医学などで行われる。 もぐさを皮膚に乗せて火を点ける方法が標準とされるが、種々の灸法が存在する。
落語「強情灸」に詳しい。

半鐘(はんしょう);小形の釣鐘。火の見櫓の上部などに取り付け火災・洪水発生・非常時などに鳴らし、地域の消防団を招集するとともに近隣住民に危険を知らせた。 地域毎に鐘の打ち方が定められ、火災の大まかな場所や災害の種類が分かるようになっていた。 もとは寺院で時間を境内の僧侶に知らせるために使用されているもので、現在も法要開始などの合図用として使用している。明治時代以降、近年まで用いられていた。 現在、それらの多くはサイレンや市町村防災行政無線などに役目を譲っており現存するものは消防団が活躍する一部地域を除いて地域のシンボル代わりに残されている場合がほとんどである。もっとも、東海地震の警戒宣言が発された際には従来どおり使用される(鳴らし方が定められている)。

 「自身番屋」広重画 自身番屋の屋根上に設けられた半鐘を叩いています。東京・消防博物館蔵



                                                            2016年5月記

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