落語「代書屋」の舞台を行く
四代目桂米團治作
■落語代書について;米朝の師匠である四代目桂米團治の創作。題名の「代書」は米朝がこの噺を演ずるときは「代書」で通しています。通常は「代書屋」です。
■マクラの「儲かった日も代書屋の同じ顔」という川柳も自作である。五代目立川談志が東京に移植して演じていた。上方で「代書」という題で演じるのは、後半を意識したものであろう。
■この噺、後半まで演じることはまれとなっており、多くの場合は、一人目の客の男のくだりで噺を切る。
■代書屋(だいしょや);明治の初期に、司法職務定制および訴答文例による代書人制度として発足し、1919年の司法代書人法により法律上の制度として認められた。その後、35年名称が司法書士と改められたほか、数次にわたる大小の改正を経て現行の司法書士制度として確立した。当初は、文字どおり〈代書屋〉にすぎなかったが、現行司法書士法(1950公布)では、その業務を、登記・供託および訴訟等に関する手続の円滑な実施に資し、もって国民の権利の保全に寄与するという高い次元に位置づけている。司法書士は、業務の範囲を越えて他人間の訴訟その他の事件に関与することは禁じられており、本来の業務と関係なしに独立して法律相談を受けることは弁護士法に抵触し許されないが、嘱託を受けた本来の業務に関連しての法律相談は許される、とされている。
■箱屋(はこや);御座敷に出る芸妓に従って、箱に入れた三味線を持って行く男。はこまわし。はこもち。はこ。
■履歴書(りれきしょ);履歴を書いた書類。経歴書。
■本籍(ほんせき);戸籍の冒頭に本籍として記載された場所。現実の住所とは関係なしに、どこに定めてもよく、また変更(転籍)もできる。原籍。
■戸主(こしゅ);一家の首長で、戸主権を有し、家族を統轄しこれを扶養する義務を負う者。1947年(終戦後)、家の制度とともに廃止。家の代表者。
■内国勧業博覧会(ないこくかんぎょうはくらんかい);明治時代に明治10年(1877)東京上野公園を皮切りに、5回開かれた博覧会。名称通り国内の産業発展を促進し、魅力ある輸出品目育成を目的とした、明治政府主導の博覧会。明治14、23年(1881、1890)に同じく上野で第2、3回が開催され、同28年(1895)に京都で第4回、同36年大阪で開かれ、第5回が最後となった。なお、第3回については落語「お富の貞操」にあります。
左:第5回内国勧業博 明治期最大規模の博覧会の石版画(明治36年・天王寺)。
■玉造駅(たまつくりえき);巴焼家を始めるつもりだった場所。大阪府大阪市天王寺区玉造元町および玉造本町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・大阪市交通局(大阪市営地下鉄)の駅。
JR西日本の大阪環状線と、大阪市営地下鉄の長堀鶴見緑地線が乗り入れ、接続駅となっている。JRの駅はアーバンネットワークエリア、および特定都区市内制度における「大阪市内」に属する。
噺の時代では、地下鉄は開通していなく、JRでは無く、国鉄玉造駅のみで、大阪城の南側に位置し、大阪環状線の森ノ宮駅と鶴橋駅に挟まれた所。
■干支(えと);十干十二支。十干を五行(木・火・土・金・水)に配当し、陽をあらわす兄(エ)、陰をあらわす弟(ト)をつけて名とした、甲(キノエ)・乙(キノト)・丙(ヒノエ)・丁(ヒノト)・戊(ツチノエ)・己(ツチノト)・庚(カノエ)・辛(カノト)・壬(ミズノエ)・癸(ミズノト)に、十二支を組み合せたもの。甲子(キノエネ)・乙丑(キノトウシ)など60種の組合せを年・月・日に当てて用いる。
■ガタロ;大阪の俗語で、本来は河童の意味(広辞苑)であった。川太郎=かわたろうが訛ってガタロになったとも言われる。大坂の東横堀のクランク状に曲がった、本町橋と農人橋との間には(中央区役所辺り)、ガタロが棲んでいるから川岸で遊んではいけないと、きびしく止められていたという。ガタロ転じて、川さらいの淘屋(よなげや)=廃品回収業者を指したものである。
二代目枝雀は、男が名乗る職業をガタロから「ポン」(=ポン菓子の行商人)に変更して、ポン菓子ができる際の「ポーン」という音を、大きな動きとともに口演するところでオチとする、大幅な改変を行った。米朝一門会において、枝雀が前トリで同演目を演じた際、大トリの米朝は「ほんまは大食いのオチなんですけど、あんな派手な噺やなかったんですが・・・」と苦笑した。二代目小南は、女郎買いのくだりを当世風に「ストリップを見に行きました」とアレンジした。
■天神祭(てんじんまつり);7月(陰暦6月)25日に行われる天満宮の夏祭。
■尋常小学校(じんじょう しょうがっこう);旧制の小学校で、初等普通教育を施した義務教育の学校。明治19年(1886)に初めて設置、満6歳で入学、修業年限は4年、明治40年(1907)に6年(高等小学校)になった。
■兵役(へいえき);軍籍に編入され、軍務に服する務め。第二次大戦前の日本では、現役・予備役・後備役・補充兵役・国民兵役の各兵役に分けた。
■中気(ちゅうき);中風(チュウフウ・チュウブとも)
半身の不随、腕または脚の麻痺する病気。脳または脊髄の出血・軟化・炎症などの器質的変化によって起るが、一般には脳出血後に残る麻痺状態をいう。古くは風気に傷つけられたものの意で、風邪の一症と思われていた。中気。風疾。
■書家(しょか);書道にすぐれた人。能書家。また、書道を教授し、またはそれを職業とする人。書工。
■些少(さしょう);分量や程度がきわめてわずかであること。すこし。へりくだって少ないと言うこと。
■巴焼き(ともえやき);広辞苑では掲載されて無く、今川焼きで載っています。代書屋さんも困ったのが良く分かります。江戸時代中期の安永年間、江戸市内の名主今川善右衛門が架橋した今川橋の神田側に存在した神田西今川町や神田東今川町の店がこれらの焼き菓子を発売し、後に「今川焼き」が一般名詞化して広がったとする。 現在の静岡県中部にあたる駿河国などを治めた守護大名・戦国大名、今川氏の家紋である二つ引両(引両紋)を由来とする説もある。
この和菓子の名称は全国的には統一されておらず、地域や各店舗によってさまざまに呼称されている。
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