落語「近日息子」の舞台を行く 桂文朝の噺、「近日息子」(きんじつむすこ)より
■出典;安永3年版(1774)笑話本「茶の子餅」(江戸後期作唐辺木著)中の「忌中」という小話から来ていると言われています。他にも幾つかの小話をつないで一遍の落語になったと言います。初めは江戸の落語家の手で産み落とされたのですが、出来が悪くて大阪に貰われて行った。そこで作り直され修行して磨かれいっぱしの噺に仕上がっていった。初代桂春團治や二代目桂春團治が得意とした。東京には、二代目春團治から教わった三代目桂三木助が東京好みに味付けし、好んで演じられて以来、広く演じられ、元の古巣東京の寄席に定着した。人間だけではなく、「近日息子」も旅から帰って、大きく成長し人気ものとなりました。
■近日(きんじつ);芝居では次の公演予告を早くから出して、その日取りはまだ確約できないときは「近日開演」と書いた予告札「近日札」を下げます。そこからこの噺が出来ています。
■千秋楽(せんしゅうらく);演劇・相撲などの興行の最終の日。千歳楽。、「最終日」を指す業界用語。縮めて楽日(らくび)や楽(らく)ともいわれる。本来は江戸期の歌舞伎や大相撲における用語だったが、現在では広く演劇や興行一般で用いられている。
これにちなみ、千秋楽の前日、もしくはひとつ前に行われる公演は前楽(まえらく)、また、ひとつの演目で各地を巡業した場合、最後の公演地で行われる千秋楽の公演を、特に大千秋楽(おおせんしゅうらく)、略して大楽(おおらく)ともいうことがある。
「千穐楽」など異体字での表記は「秋」の文字にある「火」を忌んだものである。これは、江戸時代の芝居小屋は特に出火や延焼に悩まされることが多かったためである。
今は無き浅草六区にあった電気館。日本初の映画専門の劇場で、明治末年、当初は輸入サイレント映画の専門館であったが、のちに浅草電気館(あさくさでんきかん)と改称、国産映画の専門館となった。お芝居の劇場と違い近日公開のビラはありません。江戸東京博物館蔵。
■葬儀屋(そうぎや);葬儀に関する器物を貸しまたは売り、または葬儀一切を引き受ける職業(の人)。葬儀社。
■忌中(きちゅう);近親に死者があって、忌(イミ)にこもる期間。特に死後49日間。葬儀を出すときに入口にすだれを裏側に吊ってその中央に「忌中」と書いた札を張ります。しかし、地方では知りませんが、最近東京では自宅で葬儀を出すことはなく、葬儀場でしますので、すだれを裏側にして出したり、忌中の張り紙をすることも見ることも無くなりました。
■忌中(きちゅう)」と「喪中(もちゅう)」の違い;「死は穢れ(けがれ)たもの」と日本では古くから考えられてきました。
その穢れを祝いの場へ持ち込まない、殺生をしてはいけない期間のことを「忌中」
と呼びます。
一方、「喪中」は死者を偲ぶ期間になります。
この「喪中」の考えは、もともとは儒教からきているようですが、
奈良時代の「養老律令(ようろうりつりょう)」や、
江戸時代から明治時代までは、「服忌令(ぶっきりょう)」と、
法律で決められていたようです。
しかし、現在そのような法律はありません。浄土真宗やキリスト教では「死」を穢れと捉えないので、
忌や喪という概念はありません。
■白黒の幕(しろくろのまく);紅白の幕は祝い事で張りますが、黒白(青白=浅黄幕)の幕は不祝儀に張ります。この幕の名を『鯨幕』と言います。右写真
■医者(いしゃ);江戸時代の医者は一般的には徒弟制度で、世襲制であったが、誰でもなれた。
しかし、医師免許も教習もなければ資格もなかった。なる資格は”自分が医者だ”という、自覚だけであった。医者になると、姓を名乗り、小刀を腰に差す事が許された。
右写真:シーボルトが所持していた携帯外科道具差。東京国立博物館蔵。
料金に公定相場はないので、自分で勝手に付けられましたが、名医ならば患者が門前市をなしますが、ヤブであれば、玄関に蜘蛛の巣が張ってしまうでしょう。で、自然と相場のような値段が付いてきます。またヤブは自然淘汰されていきます。ですから、無能な者が医者だと言っても長続きはしませんでした。
上記写真:江戸時代の医者が想像していた解剖図の模型。誰が見てもこんな内蔵では無い事は分かりますが、当時は真剣に信じられていた。白井白石などによって、腑分けが行われ、実際の臓器類が判明した。東京国立博物館蔵。
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