落語「樟脳玉」の舞台を行く
   

 

 三遊亭円生の噺、「樟脳玉」(しょうのうだま)より


 

 美味しい物を食べて、綺麗な着物を着て、何にもしないでブラブラしていたいという人は居たもので、そのような者には、同類が集まるものです。

 八っつあんは博打で取られ、スッテンテンになって兄貴分の所に「イイ儲けがある。手伝って欲しい」とやって来た。裏を閉めて、天窓と仏壇とを閉めさせ、猫を追い出し、三日三晩考えたというその案は、「長屋の捻兵衛(ねじべえ)は変人で逢えば丁寧に挨拶をする」、「当たり前だ」、「そのおかみさんはお屋敷勤めで美人ときている。ところが、愛妻家の女房がぽっくり亡くなってしまった。毎日泣き暮れて仏壇の前に座った居るから、女房の幽霊になって持ち物と金を取り上げようと思う。それを山分けする。どうだ」、「幽霊になっていたら、抱きついてきたら困るだろう」。
 そこで兄貴は別の方法を考えた。「先ず長太郎玉を天窓から下ろし仏壇の前にユラユラと下ろす。翌日捻兵衛の所に行って、『おかみさんは成仏したでしょうね』とカマを掛けると、『人魂が現れまだ成仏していません』と言うだろうから、『たまたま菩提寺の近くに行くことがあるから・・・』と言って着物とお金を預かって、それを二人で山分けするのはどうだ」、「やっぱり兄貴は悪党だ。大悪党の値打ちがあるな。石川五右衛門!、熊坂長範!、鼠小僧!、音羽屋!」、「バカヤロウ、デカい声だすな」。
 これから二人は樟脳玉を買って用意万端、その日の夜に捻兵衛さんを火の玉で脅して帰って来た。

 「お早うさん。立派な葬儀を出したので、さだめし仏も浮かばれたでしょうね」、「それが・・・、家内は浮かばれておりません。昨夜家内の魂が出て来ました」、「おかしいな~。何か気の残るような物があるんじゃないですか。着物は寺に納めたんでしょ」、「まだ、納めていません」、「それだ。近くに行くので、風呂敷もありますので納めてきましょう」、「アリガトウございます」。これがあるわあるは、高価な形見の着物一枚ずつ泣きの涙で、捻兵衛さん亡き女房の想い出を語ります・・・。浴衣から湯文字まで大風呂敷にくるんで持ち出した。
 「兄貴、持ってきたよ」、「ところで金はいくら有った」、「え?忘れてきた」、「おめえは馬鹿か?着物なんぞは足がつくから、江戸じゃ売れねえ」。
 その夜は、特大の樟脳玉を作って、捻兵衛を脅しに行ったが、見当が狂って、火の玉が捻兵衛の頭に。「アチチチチ、迷わず成仏してください。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」。

  また翌朝、熊がようすを探りに行く。「お早う御座います」、「昨日はお世話になりました」、「お寺でも感心だからとお経を上げると言っていました。もう成仏したでしょう」、「それがまだ成仏していません。前より大きくなって、私の頭にぶつかって火傷をしました」、「そうですか。あれだけ納めたのに・・・。おかしいな、お金は納めました?」、「まだです」、「それだ。私が持って行きましょう」、「もうありません。葬儀万端に皆使ってしまいました」、「(残念だが)他には有りませんか?」、「有ります。家内はお雛様を大事にしていたので、それに気が残って・・・いるかも知れません」、「お雛様では・・・、(売りようがない)。でも出しなさい」、「・・・、家内が気を残したのはこのお雛様です」、「どうして分かりました?」、
「今、蓋を取ったら、魂の匂いがしました」。

 



ことば

樟脳(しょうのう);分子式 C10H16O  無色半透明の光沢ある結晶で、特異の芳香をもつ。水には溶解せず、アルコール・エーテルなどに溶解。クスノキの幹・根・葉を蒸留し、その液を冷却すると結晶が析出する。精製するには再び昇華させる。カンフル(カンフル剤)。血行促進作用や鎮痛作用、消炎作用、鎮痒作用、清涼感をあたえる作用などがあるために、主にかゆみどめ、リップクリーム、湿布薬など外用医薬品の成分として使用されている。また人形や衣服の防虫剤として、またゴキブリ・ムカデ・鼠などを避ける用途に、香料の成分また防腐剤・花火の添加剤としても使用されている。 樟脳は皮膚から容易に吸収され、そのときにメントールと同じような清涼感をもたらし、わずかに局部麻酔のような働きがある。しかし、飲み込んだ場合には有毒。
 樟脳を蒸留・分取した残余の精油を樟脳油と言い、帯黄色ないし帯褐色。これをさらに分留して白油・赤油・藍油を製する。白油は防臭・殺虫用、赤油は石鹸香料・サフロール製造原料、藍油は防臭・殺虫などに用いる。

樟脳玉長太郎玉。粉末樟脳を色を付けて玉状にしたもの。昔は、防虫剤として樟脳を使っていたがナフタリン(発がん性があるので現在使われていない)に置き換えられた。固形ではなく粒状だったので、そんな樟脳を玉にして、縁日で売っていた。水に浮かべて点火しても消えたり熱くなったりせず、また、青白い光を発し手中で点火しても転がしていれば熱くならず、明治頃まで子供の玩具にされた。
樟脳火(しょうのうび)=樟脳玉。樟脳を燃やして生じさせる炎。歌舞伎で焼酎火を使う以前、狐火などに用いた。

出典;この噺の出典は分かりませんが、明治末から大正にかけて、二代目古今亭今輔(1859-98)などがよく演じていましたが、その後すたれていたのを戦後六代目三遊亭円生が復活させ、円生以外演じ手のないほど、十八番としていました。三代目桂三木助も演じましたが、この音源も、円生の録音から概略を書き出しています。
 円生没後、しばらくまた後継者がいなかったのを桂歌丸が復活して手掛け、現在ではぼつぼつ中堅・若手も高座に掛けるようになりました。

泥棒(どろぼう);江戸落語評論家の榎本滋民氏は次のように言っています。
 「泥棒(泥坊)」は江戸中心の呼称で、上方では主に「盗人(ぬすっと)」という。この噺の『もぐら泥』は『おごろもち盗人』、おごろもちは上方でもぐらのこと。『釜泥』は『釜盗人』、『碁泥』は『碁打ち盗人』です。上方でいう「どろぼう」は怠け者・放蕩者・道楽者を指すことが多い。泥棒も盗人も優劣は無いのであろうが、犯行をとがめるときに叫ぶのは、「ぬすっと」より「どろぼう」の方が声の通りがイイ。窃盗のシノビコミに対して強盗をオドリコミという。隙を狙って奪うのがカッパライ・ヒッタクリ、通行人を襲撃するのはトンビと呼ばれる。店内の商品を盗むのはマンビキでオタナシともいう。待合室で置かれたカバンなどを盗むのをオキビキで、ベンチに置かれた物は隣に座り、自分の物のような顔をして持ち去る事も有る。底を抜いたカバンを獲物上にかぶし、持ち去る手口もある。」
「落語ことば辞典」岩波書店 より。 落語「もぐら泥」より孫引き

石川五右衛門(いしかわごえもん);安土桃山時代の伝説的な盗賊。1594年、三条河原で子供と共に釜煎(い)りの刑(釜ゆでと言われるが、水も湯も入っていず、から煎りにされたという)に処せられたという。浄瑠璃「釜淵双級巴(かまがふちふたつどもえ)」、歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」など多くの作品の題材とされた。
 安土桃山時代に出没した盗賊。都市部を中心に荒らしまわり、時の為政者である豊臣秀吉の手勢に捕えられ、京都三条河原で一子と共に処刑された。墓は京都の大雲院にある。これは五右衛門が処刑の前に市中を引き回され、大雲院(当時は四条寺町下ルにあった)の前に至った際、そこで住職に引導を渡された縁による。
 有名な釜茹でについてもいくつか説があり、子供と一緒に処刑されることになっていたが高温の釜の中で自分が息絶えるまで子供を持ち上げていた説と、苦しませないようにと一思いに子供を釜に沈めた説(絵師による処刑記録から考慮するとこちらが最有力)がある。またそれ以外にも、あまりの熱さに子供を下敷きにしたとも言われている。母親は熱湯で煮殺されたという。熱湯の熱さに泣き叫びながら死んでいったという記録も実際に残っている。
上絵:「本朝二十不孝」の五右衛門が釜煎りの刑に処せられる場面。

熊坂長範(くまさかちょうはん);義経伝説に登場する盗賊。姓はその生国(越後と信濃の境とも、加賀とも)に由来。奥州へ下る金売吉次一行を美濃国(岐阜県)赤坂(青墓とも)の宿に襲い、牛若丸に討たれたという伝説上の人物。幸若舞「烏帽子折」、能「熊坂」、歌舞伎「熊坂長範物見松」などに登場。
 源義経に関わる大盗賊として広く世上に流布し、これにまつわる伝承や遺跡が各地で形成され、後世の文芸作品にも取り入れられた。さまざまな伝承が発生し、江戸時代には歌舞伎・浄瑠璃・草双紙などにおいて盗賊・義賊の代名詞として諸作品に登場することとなる。

右図:『朧夜月』(月岡芳年画 『月百姿』) 熊坂長範

鼠小僧(ねずみこぞう);鼠小僧次郎吉(1797~1832)。盗んだ金を貧乏人たちに施す「義賊」と呼ばれた大泥棒。実際は違っていて、武家屋敷に侵入して金銀を盗み、遊興費に全て使い果たした。北町奉行・榊原忠之の尋問に対し、二度捕まった十年間に荒らした屋敷95箇所、839回、盗んだ金三千両余り。と鼠小僧は供述したが、本人が記憶していない部分もあり、諸書によっても違うので正確な金額は未だに不明である。
 「金に困った貧しい者に、汚職大名や悪徳商家から盗んだ金銭を分け与えた」という伝説がある。が、現在の研究家の間では「盗んだ金のほとんどは博打と女と飲酒に浪費した」という説が定着している。
 処刑は小塚原刑場にて行われた。享年36。千住と両国の回向院に墓がある。

 

上写真:両国回向院の鼠小僧墓。黒い大きな石に刻まれた「教覚速善居士」とその前にある白い墓石は欠き石と言われ、欠いた破片を財布に入れとけば、賭け事に強くなり、持病が治ると言われます。その為、数年ごとに建て替えられ、現在までに数百基に及んでいます。

音羽屋(おとわや);歌舞伎役者の屋号。 初代尾上菊五郎の父・半平は、京の都萬太夫座(みやこ まんだゆう ざ)付き芝居茶屋の出方を営んでいたが、生まれたのが東山の清水寺にほど近い地だったことから、その境内の「音羽の滝」にちなんで、自らを音羽屋半平(おとわや はんぺい)と名乗っていたことがその名の由来。
 歌舞伎役者の屋号は、江戸時代のはじめ頃に商人にならって用いるようになった。市川宗家の「成田屋」をその始まりとするといわれる。

湯文字(ゆもじ);女性の和服の下着の一種。腰巻とも呼ばれる。巻きスカートのように腰部から膝までをおおう下着であり、裾除けの下に着用する。素材は普通のものは綿、高級なものは絹で羽二重、縮緬である。女性用ショーツのクロッチに当たるような股間を覆う部分はない。昭和初期まで広く着用されていた、その後、洋服が広まりズロースが普及し、その後、昭和30年代頃から現在のパンティー(ショーツ)に代わられた。一部では現在でも和服で用いられている。八っつあんがいくら何でも、湯文字まで持って来るなんて・・・。

お屋敷勤め;武家屋敷に勤めること。武家勤め。屋敷奉公。
 江戸の娘達は行儀見習いに武家屋敷に奉公に出掛けた。それは行儀見習いがしっかり出来ていたら嫁に行くのに条件が良くなるからです。また、お屋敷奉公に入るのも、屋敷側では同じ娘でも、芸の一つぐらい出来ている方が良いので、芸の出来る娘を選んだ。その為、三味線などの楽器や、小唄、長唄、踊り、生花など出来ると喜ばれたので、競って芸事を習いに行った。その影響で、江戸では習い事の教室が繁盛した。

菩提寺(ぼだいじ);先祖代々のお墓があって、法要を営むお寺。
・菩提寺(ぼだいじ)は、代々その寺の宗旨に帰依して、(先祖の)位牌を納めてある寺。菩提所とも呼ばれる。ここでいう菩提とは「死後の冥福」を指し、菩提を弔う寺院という意味である。例えば、徳川家の寛永寺や増上寺が有名。古代・中世では一般的に氏寺と呼ばれていた。
・香華院(こうげいん)は、仏前に香や花を供える役割を担う寺院のこと。香華寺(こうげじ)や香華所(こうげしょ)とも呼ばれる。陵墓・霊廟・墓所などに隣接して置かれる。例えば、皇室の陵墓に隣接する泉涌寺、伊達政宗の霊廟「瑞鳳殿」に隣接する瑞鳳寺などがこれにあたる。
・檀那寺旦那寺(だんなでら)は、檀信徒(檀家)の布施、すなわち檀那(旦那)によって運営される寺のこと。本来の意味では信徒と寺との経済的関係を示しているに過ぎないが、江戸時代に寺請制度によって個人は必ず1つの寺に管理されるようになり、多くの庶民は経済的支援をする寺と先祖の墓を管理してもらうそれが一致するようになった。
 いずれの名称も祖先崇拝における祖霊の在所となる墓等を管理する仏教寺院を指しているが、寺院と生きている子孫との関わり方によって名称が異なる。
ウイキペディアより



                                                            2016年6月記

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