落語「雛鍔」の舞台を行く
   

 

 三代目三遊亭金馬の噺、「雛鍔」(ひなつば)より


 

 子供は氏より育ちと言います。

 植木屋さん、帰って来なり「やんなっちゃった」と言って、湯にも行かず、酒にも飯にも手を出さず、座り込んでしまった。「人間止めたくなっちゃった」。
 おかみさんが訳を聞いてみると、さっきまで仕事をしていた大名屋敷で信じられない光景を見たというのだ。 「植木の枝を下ろしているとな、そこにお屋敷の若様が通りかかったんだよ」、若様がトコトコ歩くたびに、その後ろをお供の侍かぞろぞろ付いてゆく。可愛いんだ。大変そうだと思って見ていると、泉水のほとりで若様が何か拾った。
 「穴あき銭、御あしを拾ったんだ。ニッコリと笑ったんで、『若様と言ってもやはり子供。銭を拾って嬉しいのか』と思ったんだが、違うんだよ」。 お付きの三太夫に御あしを見せ、真顔で「これは何じゃ」と、尋ねた。 銭だとは答えられないので、「いっこうに存じません。若様は、これは何とお思いですか?」、と逆に聞いた。「ウム。丸くって、四角な穴が空いていて、文字が書いてあるな。裏には波が彫ってある。おそらく、これはお雛さまの刀の鍔(つば)ではないか?」、見立てがまことにイイ。「左様でございますか。若、それは不浄の物にございます。お取り捨て遊ばしますよう」、「さようか」 若さま、銭をポーンと投げ出して行ってしまった。
  「後で三太夫さんに聞いてみたら、『若さまは今年お八歳になられるが、高貴なお方には汚らわしい銭のことは教えない』って言うんだよ」 うちのバカ餓鬼も同じく「お八歳」だが、始終「銭をくれ」、「おアシをくれ」とまとわりついて熊さんを閉口させている。やらないと植木を引っこ抜いてしまう。
 「今度から、考えなくちゃいけねぇな…。そういえば、あの馬鹿はどこだ?」、「『バカ』ね。あんたの後ろに居て、話を聞いてるよ」。ちゃっかり後ろで聞いていた悪餓鬼。「屋敷の若様は穴あき銭を、『お雛様の鍔だ』と言った。お前には言えないだろう」、「つまらないことを感心してやら~。チャンチャラ可笑しいや」。待ってましたとばかりに前へまわり、「遊びに行くから銭おくんな」と両手を突き出した。
 見かねたお袋から銭をもらい、金坊は表に駆け出していった。
 「ダメだよ。やっちゃ~」、「大名の若様とこんな長屋の息子と同じになるかい」、「銭を与えるのではなく、品物を渡せば良いだろ」、「お屋敷の若様は大勢で一人を遊ばせているだろう。家で私が遊ばせていたら家の仕事が出来ない、銭が遊ばせてくれるんじゃないか」、「違うんだよ。お客が来ると『銭をおくれ、銭をおくれ』と言うだろう。お客がたまらず銭をくれる。それを知っているんだ。それだから頑固なこと言うんだ」。

 そこへお店(たな)のご隠居さんが直々にやって来た。熊さん、仕事が忙しくてお店の仕事が出来ずに居たら、新しい職人を入れて仕事をさせていた。つい、カッとなって「こんな家は、こちらから出入り止めだ!」 と啖呵を切って帰って来た。が、親から受け継いだお得意を無くしたのかと思ったら悲しくなった。それ以来『敷居が高くて』、謝りに行けずに一週間。隠居が言うには「歳取ると、わがままで、待てなくなって他の植木屋を入れたが、あれはあれだけ。これからは元通り仕事をして貰うよ」、と手を付いたから・・・、 「チョット待ってください。手を上げて・・・。どうしようかと悩んでいたのですが…。アリガトウございます」、「根岸に隠居所を建てるんだ。一切やってくれるかい。仕事が一段落してからで良いんだ」、「アリガトウございます。やらせて頂きます」。
 外へ逃げて行った金坊がいつの間にか戻って来て、「こんなもーのひーろった、こんなもーのひーろった」 穴空き銭を振りかざして、「何だろうな、これ。真ん中に四角い穴が空いていて、字が書いてある。裏に波が書いてある。あたい、お雛さまの刀の鍔だと思うけど」。さっきの騒動を知らないご隠居は、金坊の言葉にビックリ。「あたしにも同じぐらいの孫が居るが、のべつに銭をくれってウルサイんだ。それなのに、この子は…この子は、銭をしらないのかい?」、「カカアは元屋敷の女中だし、あっしも屋敷に出入りしていました。見よう見まねで・・・」 熊さんがシドロモドロの言い訳をすると、ますます関心したご隠居が歳を訊いてくる。 「へえ、お八歳に相なります」、「お八歳はよかった。坊や、おじさんが銭を・・・上げようと言っても知らないか。おじさんが好きなものを買ってあげよう。何がいい?・・・、そうだな・・・、手習いの机から筆、墨、硯、お手本まで書いて貰って来るよ」、「どうもありがとう存じます。やい、喜べ金坊。 ん? それは不浄物だから、威勢よく捨てちまえ」、
「やだい。これで焼き芋を買って食べるんだィ」。

 



ことば

雛鍔(ひなつば);古典落語の演目の一つ。原話は、享保18年(1733年)に出版された笑話本「軽口独機嫌」の一遍で、「全盛の太夫さま」。 全盛の吉原の太夫が、 百文のつなぎ銭(穴あき一文銭を百枚、縄に通したもの)を蛇と思い込んで驚き、 梯子から落ちたのをまねして失敗する話。
 後に上方落語にも導入され、「御太刀の鍔」という演目で演じられるようになった。主な演者には三代目三遊亭金馬、八代目橘家圓太郎などがいる。

『御太刀の鍔』;上方版「雛鍔」です。金を知らない子供が、大富豪の「ぼんぼん」という設定になっている。 内容そのものは東京の演出と大差ないのだが、そこに含まれるニュアンスは大阪の商業主義都市で金銭感覚が薄いというのは、どんなものなのでしょうか。

 江戸の都市は武家社会ですから町人も影響を受けていて、「武士は食わねど高楊枝」とか、「宵越しの金は持たない」など、落語「三方一両損」でも語られるように、金銭に対しては希薄を粋としたところがあります。
 人口の半分以上が武士だったという江戸の町人は、「武士は喰わねど高楊枝」という、朱子学をバックボーンにした武家の金銭を卑しむ思想に大きな影響を受けていました。 もっとも、落語では、寝言にまで「金をくれ」と言う「夢金」の船頭・熊五郎や、小粒をアンコロ餅に包んで食べ、悶死する「黄金餅」の西念のような、江戸っ子の風上にもおけない、強欲な守銭奴も例外的に登場しますが、 だいたいにおいて、やせがまんの清貧思想がこの江戸では支配的だったわけです。そういう意味でこの噺には、誇張・デフォルメされた形でも、「強欲よりも無知のほうがずっといい」 という江戸っ子の信念(?)が、よくあらわれていると思います。

四文銭(しもんせん);明和5年(1768)以降鋳造されたもので、 青銭ともいいました。裏に波模様が描かれているのは真鍮四文銭で、波模様は「青海波」(せいがいは)というもので、1768年に発行されたのは21波、翌年から11波に変更されています。 波銭には二十一波と十一波があります。波形が刻まれているものが四文、刻まれていないものが一文として区別されていました。

 

写真:左、波銭の二十一波。 右、十一波の四文銭。

亀戸銭座跡;江東区亀戸二丁目。寛文8年(1668)江戸亀戸村において幕府直轄にて鋳造したのが始まりです。
その後、明治2年(1869)までの200年間庶民の銭として親しまれた。

写真:亀戸銭座跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お雛様の鍔;イイ見立てですが、男の子が居ると、刀を引き抜いてチャンバラごっこを始めたりします。雛壇の上に、モグサと線香を置いておくこともあります。それは男の子除けにお灸のセットを置いておくのです。
五月の、男の子の節句では、大きな刀やカブトがありますので、男の子は大喜び。早々に壊しに掛かります。

ひな人形の中で、刀を持っていそうな家来達。 

泉水(せんすい);庭園の中にある池。いずみ。

出入り止め;商売をしていて、出入りの業者がレベルが低かったり、思うように動いてくれないときは、お客さまが「出入り止め」宣言をすると、仕事が出来なくなります。熊さんは反対に職人側から店に宣言したのです。店側もビックリしたでしょうね。

寺子屋(てらこや);江戸時代に多くあった営業的手習所。寺子を扱う職業の意。

 子供達も飽きてくると、あらら、こんな状況です。」下河邊拾水著 江戸東京博物館蔵。



                                                            2016年7月記

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