落語「酒の粕」の舞台を行く
   

 

 二代目露乃五郎(二代目露の五郎兵衛)の噺、「酒の粕」(さけのかす)より


 

 よそから酒粕を沢山もらったから、勿体ないので、つい焼いて、黒砂糖まぶして食べてしまった。

 「普段酒が飲めないので飲まなかったが、酔うと言うことはこんなに気持ちが良いのかしら。誰か来たら『酒飲んだ』と脅かしてやろうかしら」。
 「おい、喜ぃ公。えらい赤い顔してるやないか?それにろれつが回らないじゃないか。飲んだのか?普段飲めないからと、付き合いをしないが、これからはしろよ。どの位飲んだんだ」、「この位大なのを二枚」。「・・・何だ、酒粕食ったのか」、「どうして判る」、「『二枚食った』と言えば酒粕だ。嬉しいな、酒が飲めないので、赤い顔しているから『酒飲んで・・・』と言うのはイイが、その時は、『こんな大きな武蔵野で二杯やった』でもイイし、『こんな大きな丼で二杯やった』と言いな。丼でやったと言った方がいいな。『二枚』じゃないぞ、『二杯だぞ』」。

 「♪チャチャラカチャン」、「喜ぃさん。喜ぃさんじゃないか。お前飲めんのか。普段我慢しているから、イイ気持ちになって。ナンボほど飲んだんだい」、「ビックリするなよ。こんな大きな丼鉢で二杯。キューッと」、「えぇ~、丼鉢で二杯も。普段我慢しているのにこんなに飲むのは、アテが良かったんだろう。酒の肴は何だ」、「黒砂糖」。
 「・・・?酒の粕や。判るがな『黒砂糖』と言ったらダメだ。言いたいこと言いたれ。『肴はなんや』と言われたら、『鯛のブツ切りにワサビのぶっ掛け』位、言ってやれ。それなら『丼鉢二杯飲めるやろうな』と思う」、「『丼鉢二杯、鯛のブツ切り、ワサビのぶっ掛け』、だんだん難しくなってきたな。早くしないと酔いが醒めてくる」。

 「向こうから、横町のご隠居が来る。♪チャチャラカチャン。ご隠居さ~ん」、「喜ぃさんじゃないか。普段飲まない人がたまに飲むと事故を起こす。早くお帰りなさい」、「『早くお帰りなさい』ではダメですよ。どの位飲んだか聞かないかん」、「絡み酒かしらん。はいはい、聞きましょう。どの位飲んだんだい」、「この位の大きな丼で二杯」、「病気とか事故があるといかん。早くお帰りなさい」、「肴は何だと聞かなあかんのじゃ」、「悪い酒じゃな。ハイハイ尋ねます。肴は何じゃった」、「肴は黒砂糖じゃいけませんよ」、「黒砂糖では飲めんね」、「そう、ワサビ。ワサビのブツ切り」、「塩で飲む人が居るが、ワサビのブツ切り・・・で?」、「それから、鯛のぶっ掛け」、「そら、あっちゃこっちゃと違うか。『鯛のブツ切り、ワサビのぶっ掛け』なら、丼鉢二杯は飲めるだろう。その丼鉢二杯は、冷やでか?燗してか?」、
「ウ~~。焼いて食べたんや」。 

 



ことば

二代目露の五郎兵衛(つゆのごろべえ);(1932年3月5日- 2009年3月30日)は上方落語の名跡で初代は京落語(上方落語)の祖とされる。多臓器不全のため77歳で死去。
 落語家、大阪にわかの俄師(にわかし)。 本名: 明田川一郎。中国の汕頭日本東国民学校高等科卒業。 人情噺や怪談噺、芝居噺を得意とした。 上方落語協会会長、日本演芸家連合副会長などを務めた。双子の娘がおり、姉は女優の綾川文代で自身も「露のききょう」を名乗る落語家でもある。 妹は一般人で単立・西宮北口聖書集会の牧師と結婚をしている。

 来歴:祖父母が京都市下賀茂の映画撮影所の裏で芝居や舞踊の稽古場を営んでいた縁で子役で1938年12月の7歳で羅門光三郎主演の「孫悟空一走万里の巻」に出演。 その後を端役などで映画に出演。 後に中国に渡り、中国にて終戦を迎える。1946年に京都に家族共々引き揚げた。同年に生活の糧を得る為に芦乃家雁玉の主宰する「コロッケ劇団」に所属し地方を巡業や京都の富貴にて前座修行する。1947年11月、戎橋松竹の楽屋で二代目桂春団治にスカウトされる形で、まずは芦乃家一春を名乗り、その後正式に入門して春坊を名乗った。1959年、上方落語協会に入会し、松竹芸能に所属。道頓堀角座等に出演した。1960年10月、二代目桂小春団治を襲名。 千日劇場の「お笑いとんち袋」(関西テレビ、三代目桂米朝司会)での名回答者として活躍。 1967年4月、吉本興業に移籍。 1968年4月に吉本側から改名を促され、上方(京都)落語の祖・露の五郎兵衛の流れを汲む二代目露乃五郎を襲名した。1985年、文化庁芸術祭賞受賞。1987年に漢字表記を「露の五郎」に改める。若い頃から東京の落語界との交流を持ち、二代目三遊亭百生に私淑し、怪談噺大家・八代目林家正蔵(後の林家彦六)からも、いくつかの噺をもらっている。 また、落語協会の客分となり、定期的に東京の寄席に出演していた時期もある。
 大阪にわかの数少ない伝承者の一人でもある。 弟子の露の団四郎に一輪亭花咲を譲り自ら初代露の五郎兵衛が晩年名乗った露休を一寸露久(ちょっとろきゅう)という形で襲名した。 1994年、上方落語協会会長就任、2003年まで務めた(後任は桂三枝(現:六代目桂文枝))。 2000年、紫綬褒章受章。 2002年、9月、脳内出血、11月には奇病の原発性マクログロブリン血症を患った。 2005年10月、芸名の元である二代目露の五郎兵衛襲名。目標として「生涯未完成」を掲げる。 2007年11月、旭日小綬章受章。 2012年1月、第15回上方演芸の殿堂入り。
 得意ネタ:クリスチャンということもあり次女との共作の福音落語(別名、神方噺)もある。反面、クリスチャンの厳格なイメージと異なり、この噺のような、かなりキワドイ艶笑噺「宿屋かか」も得意としていた。 東の旅は晩年の五郎兵衛時代に全篇演じ、またその名所を巡るという壮大な計画を立てていた。
ウイキペディアより  落語「宿屋かか」より孫引き

酒粕(さけかす、酒糟);日本酒などのもろみを、圧搾した後に残る白色の固形物のことである。 酒米を醸造すると重量比で25%ほどの酒粕が取り出され、その成分は日本食品標準成分表によると、水分51%・炭水化物23%・蛋白質13%・脂質・灰分となっており、他にもペプチド・アミノ酸・ビタミン・酵母などが含まれているので、栄養素に富んだ食品としての価値が見直されている。1975年以降、年々、日本酒の生産量が減少していることと、大手を中心に一部の日本酒メーカーが高熱液化仕込み(高温糖化法)を採り入れていて液化粕になり産業廃棄物として処理されることから、副産物である酒粕も流通量が減少傾向にある。2013年7月~2014年6月までの産出量は41906トン弱。2014年7月~2015年6月までの推定産出量は41360トンである(食料新聞より)。 味醂のもろみから取れる味醂粕(こぼれ梅)はもち米を含むことから風味が異なり、焼酎のもろみから取れる焼酎粕はクエン酸を多量に含むので酸味を有する。
右写真:酒粕の板。

酒粕の種類
板粕=清酒と分離、圧搾された酒粕を剥がし揃えた物。地方によっては白い酒粕全てを板粕と呼ぶ。
ばら粕=板状にとれなかった酒粕。時間的・人手的にとれない場合と、大吟醸・吟醸酒の酒粕は米を低温醗酵させているので米粒が融けきれない場合が多く、板状に取ろうとするとボロボロになったり、酒成分が多く残り、柔らかすぎて板状に取れない物理的要因の場合がある。地方によっては粉粕(こがす)と呼ばれる。
練り粕=酒粕を柔らかいペースト状に練った物。
踏込み粕=ばら粕及び板粕をタンクに足で踏込み、空気を追い出して、4 - 6か月熟成(発酵)させたもの。色も茶色・及び黄金色のものが多い。地方によって、「押し粕」「諸白(もろはく)粕」「練り粕」と呼ばれる。酢原料・漬物用に使用されることが多い。同じものを「踏みかす」「土用かす」とも呼ぶこともある。
成形粕=ばら粕を練りこんで棒状に押し出し、板粕状にしたもの。「ニュー板粕」と呼んでいる業者もある。近年、蔵元も機械化や人手不足により板粕を取らなくなっており、板粕が不足しているために製造されたもので、代替品の意味合いが強い。練り込んでいるため使いやすいが、練ることにより米麹が壊れ、また酸化されるため風味に欠ける。

 酒粕はエタノールが含まれているので、腐敗しにくい。ただし、含まれる酵素により熟成が進み、また、糖分とアミノ酸がメイラード反応*し、温度、時間に比例し、白色→黄色→ピンク色→褐色→焦げ茶色→黒色となる。 漬物用酒粕は4か月~1年程熟成させた酒粕を、酢原料酒粕は1~7年熟成させた酒粕を使用するのが一般的である。 市販の酒粕商品は、保存方法を「要冷蔵保存」あるいは「直射日光、高温多湿を避け、涼しいところでの保存」を記載している。又、熟成に伴い、茶色等の着色や軟化など風味が変化していくことを記載し、この変化を抑えたい場合は冷蔵庫あるいは冷凍庫での保存を勧める旨を表示している商品が多い。-18℃以下であれば3年間以上保存しても品質が大きく劣化することはない。また、熟成の過程でアミノ酸の一種・チロシンが結晶化し表面に白い斑点状のものが現れることがある。 しぼりたては香りは豊かだが、やや硬く、味が薄いが、1週間ほど熟成させると香りは薄まるが、しっとりと軟らかくなり、味が出てくる。
 *メイラード反応=加熱した状態で、糖とアミノ酸が反応して、茶色く色づき様々な香り成分を生む反応。

■この噺は与太郎話のマクラで使われる小話です。今回も時間の半分以上は、酒の飲み方や上戸下戸の話、悪酔いしたときの醜態、など酒にまつわる話しをして、お客さんを笑わせています。

 「赤い顔しているがどうしたんだ」、「そこで、酒粕食べて、酔っぱらっちゃった」、「よせよ、イイ若い者が。そんな時は『酒を飲んだんだ』と言え。威勢がイイだろう」。
で、与太郎さん、八っつぁんと出合ったので、「顔が赤いだろう」、「どうした。悪い魚でも食ったか」、「違うよ。酒を飲んじゃった」、「お前は酒が飲めたかな~。赤いところを見ると相当飲んだな」、「この位の欠けら二枚」、「酒粕を食ったな。見なくても分から~。二枚と言うから分かるんで、そ~言う時は『二杯飲んだ』と言え」と教わった。
「おばさん、あたいの顔赤いだろ」、「どうしたの」、「お酒を二杯ぐ~っと飲んだの」、「それはいいけど、飲めないアンタなんだから、冷やは毒だけど、お燗をしたのかい」、「いいや、焼いて食った」。
 

 これは江戸前の同じ噺です。

武蔵野(むさしの);大杯。大盃のこと言ぅねやなぁ。あの東京、江戸や。武蔵野っちゅうたら 江戸時代のあの時分からやなぁ、こぉ広いひろい野原やったんやて「野ぉが 見ぃつくせん」ちゅうんで「呑み尽くせん」、武蔵野とこぉ言ぅねん。(噺から)
 江戸時代にはしばしば酒戦(しゆせん)と称して酒の飲みくらべが行われたことなどもあって、大杯に対する関心がかなり強く、三都の〈浮瀬(うかむせ)〉のように最大6升5合入りなどの大杯を備えて人気を集めた料亭もあった。内側一面にススキの図柄を蒔絵で施したものもあった。右図。

アテ;酒の肴

喜ぃ公(きいこう);喜ぃさん。江戸落語に登場する与太郎さんで、上方では喜ぃさんと呼ばれ、同一キャラクターです。

黒砂糖(くろざとう);サトウキビの絞り汁を煮詰めて作る黒褐色の砂糖で甘味料として用いる。黒糖は沖縄県と鹿児島県の離島で主に生産される含みつ糖のうち、サトウキビの搾り汁だけを煮沸濃縮以外の加工をせず製品化したものをいう。さらに、「沖縄黒糖」は2006年(平成18年)4月に特許庁の地域団体商標の登録を受けた文字商標で、同年6月には財団法人食品産業センターの「本場の本物」認証制度に認定され独自のマークを印刷され販売されている。一般に黒糖(こくとう)のほかマスコヴァド(英: muscovado)や、産地の奄美大島から称される大島糖(おおしまとう)なども含め黒糖と呼ばれることもある。
 黒砂糖をbrown sugarと訳している和英辞典もあるが、これは多少糖蜜を残して精製した三温糖や赤砂糖、主にコーヒー用に用いる結晶状のコーヒーシュガーなどのことである。
 主成分である糖分の他にカリウム、鉄、カルシウム、亜鉛ほか多くのミネラル成分を含み、特有の香味を持つ。
ウイキペディアより 右写真:黒砂糖。



                                                            2016年7月記

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