落語「死ぬなら今」の舞台を行く 林家彦六の噺、「死ぬなら今」(しぬならいま)
■6日知らず(6かしらず);一日、二日と指折り数えていくと五日目には指をみんな握り締めてしまいます。六日目になると指を開くのはもったいないと、開かないので六日知らずと言った。
■三途の川(さんずのかわ);あの世に渡る最初の川。一説には、俗に三途川の名の由来は、初期には「渡河方法に三種類あったため」であるともいわれる。これは善人は金銀七宝で作られた橋を渡り、軽い罪人は山水瀬と呼ばれる浅瀬を渡り、重い罪人は強深瀬あるいは江深淵と呼ばれる難所を渡る、とされていた。
写真左;奪衣婆。 右;閻魔大王 新宿二丁目・大宗寺にて
小咄:最近スイミングスクールに通い出したお姑さんがみるみる上達して、川なら横断できるほどの力を付けました。お嫁さんがスクールの先生と話しているとき、この事を教えられました。で、先生にお願いしました「ターンだけは教えないでね」。(お婆さんに三途の川でターンされたら大変です)
■手っ甲脚絆にズタ袋(てっこう・きゃはん・ずたぶくろ);死装束。死者に対して冥土に旅立つ旅行用の白装束。
■300両の金(300りょうのかね);1両=8万円として、2400万円です。ま、普通は大金です。
■1貫800(1かん800もん);銭貨単位で、1貫は1000文。江戸中期で1両=5貫文。1貫800は四捨五入して29000円位。高い鰻の嗅ぎ賃です。
■馬頭牛頭(めずごず);地獄にいるとされる亡者達を責め苛む獄卒で、牛の頭に体は人身の姿をした牛頭と、馬の頭に体は人身の姿をした馬頭をいう。右図:地獄草紙断簡 咩声地獄(シアトル美術館蔵)に描かれた馬頭羅刹
■閻魔大王(えんまだいおう);閻魔王は、冥官(めいかん=冥途(めいど=あの世)の役人)で、生きている時に罪を犯した人間を裁く十王の中心的存在。
■冥官十王(みょうかん_じゅうおう);十王が極楽行か地獄行かの判定をする話は、十王信仰と呼ばれ、10世紀ごろ道教との融合で出来上がります。インドでは四十九日までで結論が出たのですが、中国に入ってから審査期間が長くなります。
ただ、浄土真宗では、信者はみな亡くなった時に直ちに極楽浄土に往生するため、この種の追善供養は一切ない。『歎異抄』には、宗祖親鸞は「父母のためにと思って念仏を称えたことは一回もない」とあります。
■見る目嗅ぐ鼻(みるめかぐはな);地獄の閻魔(えんま)の庁の人頭幢(にんずどう)。これは幢(はたほこ=法会などで寺の庭に立てる小さい旗を先につけたほこ)の上に男女の首をのせたもので、亡者の善悪を判断するという。男(見目)は凝視し、女(嗅鼻)は嗅ぐ相を示す。これによって、亡者の善悪を判断するといわれる。
■浄玻璃の鏡(じょうはりのかがみ);これは閻魔の横に置かれており、亡者の生前の所行を映し出す鏡。
■青鬼・赤鬼(あおおに・あかおに);生前に貪欲だった者は、死後に餓鬼道に落ち、餓鬼になるとされている。
また、地獄で閻魔の配下として、鬼が獄卒の役を務めているとされる。
■フランス小咄にも医者の話があります。
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