落語「死ぬなら今」の舞台を行く
   

 

 林家彦六の噺、「死ぬなら今」(しぬならいま)


 

 世の中にはけちん坊という言葉はいろいろあります。けちん坊、しみったれ、吝い(しわい)屋、吝嗇(りんしょく)、ガメツイ奴、6日(むいか)知らずと、有ります。

 ある店の番頭さんがご主人に掛け合った。三食おかずは味噌汁だけで他に出ない。今朝、タニシが入っていると店の者が喜んだが、味噌が薄くて自分の目が映っていた。何か具を入れて欲しい。ご主人慌てず、数年前に買ったすりこ木が、味噌を擦るので減ったのは、すりこ木が味噌に入っているからだ。番頭も返事のしようが無かった。
 今日からは鰻にしよう。昼に全員そろって店に並び、前の鰻屋で焼く匂いを嗅いで、食事を済ますことにした。月末に前の鰻屋から勘定書きが回ってきた。鰻の嗅ぎ賃、1貫800文。匂いを嗅がれると匂いが薄くなり、その為タレも炭も余計使うからだという。ご主人慌てず、奥に小銭で1貫800を入れた袋を作らせ、小僧の居る土間に投げた。「拾っちゃダメだよ。音だけだ」。

 質屋の旦那が病の床に伏せっていた。医者が良くなったと言うのは、高い薬を飲ませるためで、自分では日増しに悪くなっていると言う。「私は人が泣くような悪どい事もやってきて、どう見ても地獄行きだ。死に装束で手っ甲脚絆にズタ袋、その中に三途の川の渡し賃として6文入れるが、そんな物は要らない。その替わり、地獄の沙汰も金次第と言うことで、小判で300両の金を棺に入れて欲しい」、「伊勢屋では、その位の金は大したことが無いので、その通りします」と、息子と約束をした。安心したのか亡くなり、葬儀の晩、金を棺に入れようとすると、お節介の親戚が「天下の通用金を土に埋めるのはいけない」と言いだした。芝居の小道具で使うニセ小判を300両調達してきた。それをズタ袋に入れて冥土への旅立ちにした。
 閻魔の庁へ出頭した。そこには閻魔大王を中心に、見る目嗅ぐ鼻、馬頭牛頭(めずごず)、冥官十王、赤鬼、青鬼がずらっと揃っていた。浄玻璃の鏡、これは閻魔の横に置かれており、亡者の生前の所行を映し出すものらしい。調べると、どう転んでも地獄送りだと宣言された。ここだと思ったときに小判を掴んで閻魔の袖の下にねじ込んだ。閻魔は小判の重みで角度が付いた。「しかしながら、一代でこれだけの身上を作るのは大変なことで、天晴れと言うほか無い」、「立志伝中の人物では無い」とクレームが付いた。それぞれに小判を配ったら、無事地獄から極楽に行けた。
 地獄は大変で、これだけの金が溢れたので、鬼たちは閻魔の庁に出頭せずに酒を飲みふけって金を使い放題使っていた。その金が流れ流れ極楽の奉行所に現れた。地獄というのはその様なことを取り締まるのが仕事、けしからんと言って、全員捕らえて牢屋に放り込んでしまった。

 今、地獄は誰も居ません。誰だって極楽に行けるのです。死ぬなら今だ。

 

右図;五百羅漢 芝増上寺蔵

 



ことば

6日知らず(6かしらず);一日、二日と指折り数えていくと五日目には指をみんな握り締めてしまいます。六日目になると指を開くのはもったいないと、開かないので六日知らずと言った。

三途の川(さんずのかわ);あの世に渡る最初の川。一説には、俗に三途川の名の由来は、初期には「渡河方法に三種類あったため」であるともいわれる。これは善人は金銀七宝で作られた橋を渡り、軽い罪人は山水瀬と呼ばれる浅瀬を渡り、重い罪人は強深瀬あるいは江深淵と呼ばれる難所を渡る、とされていた。
 しかしながら、平安時代の末期に、「橋を渡る(場合がある)」という考え方が消え、その後は全員が渡舟によって渡河するという考え方に変形する。渡船の料金は六文と定められており、仏教様式の葬儀の際には六文銭を持たせるという習俗が以来ずっと続いており、現在では「文」という貨幣単位がないことや火葬における副葬品制限が強まっていることから、紙に印刷した六文銭(→冥銭)が使われることが多いようである。 また、三途川には十王の配下に位置づけられる奪衣婆(だつえば)というお婆さんがおり、六文銭を持たない死者が来た場合に渡し賃のかわりに衣類を剥ぎ取ることになっていた。
 奪衣婆は江戸時代末期に民衆信仰の対象となり、盛んに信仰された。 特に遊興の女性達がお客さんから多くはぎ取れるようにと信心された。
 右写真:實永通宝で6文。

  

 写真左;奪衣婆。 右;閻魔大王 新宿二丁目・大宗寺にて

小咄:最近スイミングスクールに通い出したお姑さんがみるみる上達して、川なら横断できるほどの力を付けました。お嫁さんがスクールの先生と話しているとき、この事を教えられました。で、先生にお願いしました「ターンだけは教えないでね」。(お婆さんに三途の川でターンされたら大変です)

手っ甲脚絆にズタ袋(てっこう・きゃはん・ずたぶくろ);死装束。死者に対して冥土に旅立つ旅行用の白装束。
・手っ甲=布や革で作り、手の甲をおおうもの。武具にも労働用・旅行用にも用いる。 
・脚絆=旅などで、歩きやすくするため脛にまとう布。 
・ズタ袋(頭陀袋・ずだぶくろと元来は濁る)=だぶだぶして何でも入るような袋で、死人を葬る時、その首にかける袋。死者の日用品などを入れることもある。すみ袋。さんや袋。

300両の金(300りょうのかね);1両=8万円として、2400万円です。ま、普通は大金です。

1貫800(1かん800もん);銭貨単位で、1貫は1000文。江戸中期で1両=5貫文。1貫800は四捨五入して29000円位。高い鰻の嗅ぎ賃です。

馬頭牛頭(めずごず);地獄にいるとされる亡者達を責め苛む獄卒で、牛の頭に体は人身の姿をした牛頭と、馬の頭に体は人身の姿をした馬頭をいう。右図:地獄草紙断簡 咩声地獄(シアトル美術館蔵)に描かれた馬頭羅刹

閻魔大王(えんまだいおう);閻魔王は、冥官(めいかん=冥途(めいど=あの世)の役人)で、生きている時に罪を犯した人間を裁く十王の中心的存在。

冥官十王(みょうかん_じゅうおう);十王が極楽行か地獄行かの判定をする話は、十王信仰と呼ばれ、10世紀ごろ道教との融合で出来上がります。インドでは四十九日までで結論が出たのですが、中国に入ってから審査期間が長くなります。
 十王とは秦広王(しんこうおう=不動明王)。初江王(しょこうおう=釈迦如来)。宋帝王(そうたいおう=文殊菩薩。五官王(ごかんおう=普賢菩薩)。閻魔王(えんまおう=地蔵菩薩)。変成王(へんじょうおう=弥勒菩薩)。泰山王(たいざんおう=薬師菩薩)。平等王(びょうどうおう=観世音菩薩)。都市王(としおう=勢至菩薩)。五道転輪王(ごどうてんりんおう=阿弥陀如来)。
 十王の服装は右の絵のように、みんな閻魔王のような服装をしています。

 ただ、浄土真宗では、信者はみな亡くなった時に直ちに極楽浄土に往生するため、この種の追善供養は一切ない。『歎異抄』には、宗祖親鸞は「父母のためにと思って念仏を称えたことは一回もない」とあります。
 これでいくと、浄土真宗だったら「死ぬのは何時でも」となります。

見る目嗅ぐ鼻(みるめかぐはな);地獄の閻魔(えんま)の庁の人頭幢(にんずどう)。これは幢(はたほこ=法会などで寺の庭に立てる小さい旗を先につけたほこ)の上に男女の首をのせたもので、亡者の善悪を判断するという。男(見目)は凝視し、女(嗅鼻)は嗅ぐ相を示す。これによって、亡者の善悪を判断するといわれる。

浄玻璃の鏡(じょうはりのかがみ);これは閻魔の横に置かれており、亡者の生前の所行を映し出す鏡。

青鬼・赤鬼(あおおに・あかおに);生前に貪欲だった者は、死後に餓鬼道に落ち、餓鬼になるとされている。 また、地獄で閻魔の配下として、鬼が獄卒の役を務めているとされる。

フランス小咄にも医者の話があります。
 若息子が二代目医者として親父の代わりに診療に携わった。なかなか治らなかった婦人が、若先生の力が通じたものか、ケロリと治ってしまいました。自慢げに父親の医者に言った。「お前もまだ若いな。お前が学生時代にどれだけお金が掛かるか知らなかったのか。あのご婦人がお前の学費を絞り出してくれたんだぞ」。



                                                            2015年1月記

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