落語「夏泥」の舞台を行く
   

 

 五代目柳家小さんの噺、「夏泥」(なつどろ)


 

 夏場は長屋入り口の木戸などもあり、暑さのため戸締まりが緩くなります。そこに抜け裏だと思って入って来た泥棒さん、案に反して袋小路だったので戻ってきますと、蚊燻しを焚いて、火事と間違えそうな長屋の一部屋があった。危ないからと知らせに部屋に入ると・・・。部屋の隅に男が寝ていた。

 貧乏そうだが、小銭は持っているだろうから頂戴しよう。叩き起こして「有り金を全部出せ」。
 「誰だ」、「夜、夜中黙って入ってくれば泥棒だ」、「野中の一軒家じゃ無いんだぞ。大きな声を出すと、近所の連中が起きてくるぞ」、「有り金全部出せ」、「そんなの無いぜ」、「出さないのと言えば、二尺八寸のだんびら物がお前の横っ腹にお見舞いするぞ」、「暗くて見えないが、二尺八寸なんて見えないぞ」、「今日は忘れてきた。イイから出せ」、「今度は忘れない方が良いぜ」、「判らない奴だな。蚊燻しを焚いていて火事になるといけないから消してやった。有り難く思え」、「火事になっても良いんだ。借家だから、身体だけ逃げれば良いんだ。金は有ったが、博打ですってんてんだ」、「負けるような博打なんかするな」、「盗が出来ないような泥棒なんかするな」。
 「俺は土方(どかた)だから、道具なんか何も無いいだ」、「何か有るだろう」、「雨で休んだから食う物も食っていない。・・・、おまえに頼みがあるんだが、30銭貸してくれないか」、「テメエに貸す銭なんて無いわ」、「30銭で米買って、薪買って、飯炊いて、晴れれば仕事に出られる。貸してくれよ。返すから」、「ダメだ」、「鼠小僧みたいに義賊になれば、どっかで助けてくれるよ」、「ダメだ」。
 「そうか、貸さなくても良いんだ。この長屋は36軒有るんだぞ。いろんな人間が住んでいるんだ。木戸の所に行ってカンヌキかって『泥棒~』って叫べば、みんな出て来て袋だたきになって警察に突き出されるんだ」、「冗談言うな」、「ダメなら木戸に行って・・・」、「チョット待て。悪い野郎だな。やるから待てろ」、ついに脅かされて30銭出した。「アリガトウよ。でもこれじゃ~おかずが無いよ。あと20銭貸してくれよ」、「とんでもない。ダメだ」、「ダメかい。だったら、木戸の所に行ってカンヌキかって大きな声で『泥棒~』って叫べば・・・」、「待て、まて、悪い野郎だな」、と20銭取られてしまった。
 「見て分かるだろ。俺は裸なんだ。これでは仕事に行けない。質から出さなければならない。あと30銭貸してくれ」、「ダメだぃ」、「せっかくここまで面倒見てくれたんだ。これじゃ、仏作って魂入れずだ。俺が裸で街に飛び出したら、警察で御用だ。それで俺がそこで死んだらお前は人殺しだ。あと30銭貸してくれよ。貸してくれたら、今度来たときに返すよ」、「誰がこんな所に二度と来るもんか。ダメだ」、「ダメなら、木戸で大きな声で怒鳴れば・・・」、「チョット待て。悪い野郎だな。急所に来れば立ち上がるんだから。分かったよ。やりゃ~良いんだろ。ほら30銭」、「アリガトウ。これで半纏、股引出して仕事に行ける。みんなお前のお陰だ」、「俺は帰るが大きな声は出すな」、「分かっているよ。恩人なんだから」、「静かにしていろ」。
 「チョット待て。木戸を出たら右に行っちゃダメだぜ、交番があるから。出たら左に行って直ぐに曲がるんだ。大丈夫だな。フフフ、行っちまいやがった。これだけ有ったら四~五日つなげるぜ。あれ!そそっかしい野郎だな、煙草入れ落として行きやがった」。

 「良い煙管を持っているな。これは取っちゃ~悪いな。これだけ銭を貰ったんだ。返してやろう。俺が言った通りに行っていれば追いつくだろう。行ってみよう」。男は煙草を吸わないので、 もらってもしかたがないと、後を追いかけたが泥棒さん早足で駆けて行く。
 「早いなあいつは。オ~イ待てマテ。俺だ俺だよ。オ~イ、オイ、逃げんなよ。オ~イ・オ~イ、ヤ~イ泥棒~」、「この野郎ふざけんな。俺は銭を呉れてやったんじゃないか。『泥棒』と言う、言いぐさがあるかィ」、「だって、お前の名前が分からないからさ」、「他に何か用か」、「煙草入れ落としていったぜ」、「俺のだ。わざわざ煙草入れを返すために追いかけてきたのか」、「そうだよ」、「お目ぇ~、以外と良い奴なんだな~」、「エヘヘヘ、それほどでも無いサ」、「ヤニ下がるんじゃ無いヤ」、
「無理もね~。届けたのが煙草入れだ」。

 



ことば

寄席では;客席に眼の御不自由な方がいらっしゃると、眼の不自由な噺はいたしません。
 この噺、泥棒が客席の中に客としていると決して致しません。と言うのは嘘で、「三坊」(三棒)と言って、「泥棒」、「けちん坊」、「つん坊」の三つはどんなに高座で悪口を言っても、また、その噺をしてもクレームが付かないと言います。泥棒は俺は泥棒だけれど、こんなに悪口を言ったとは言いません。けちん坊(吝嗇)は寄席には来ません。また、つん坊は話しが聞こえませんし、その様なお客さんは来ません。
 泥棒の噺は落語には多く見られます。出来心(花色木綿)」「穴泥」「もぐら泥」「だくだく」「締め込み」「転宅」この「夏どろ」「碁泥」「御血脈」「釜泥」「蔵前駕籠」「めがね屋」「長刀傷」「芋泥」「ヤカン泥」「二番目」・・・。

小話から;この噺のマクラで泥棒の小話をしています。

・まずは出典から、『気のくすり』(安永8年・1779)より、
 盗人、箪笥にも葛籠にも米びつに米も無く、味噌桶には味噌も無く、あまりにも貧しいので夫婦を揺り起こし、「俺は盗人だがあまりにも貧な様子なので、合力いたさん」と、金子二百疋出してやれば、夫婦大いに喜び、厚く礼を言い分かれた。その後亭主が追いかけてきて、「泥棒、どろぼう」、「おのれは恩を仇で返す人畜め、真っ二つにしてくれん」、「アイ、お煙草入れが落ちてました」。 

・デモ泥と言って、泥棒にでもなろうという泥棒で、いつも失敗ばかりして一人前になれません。五右衛門の子分で四右衛門、その子分で三右衛門、その子分が二右衛門半と言うよな、中途半端な泥棒が落語の世界は闊歩しています。

・泥棒の中でも技術が立つのが、スリです。冬場、コートの下の背広からボタンを外し、チョッキのボタンを外して内ポケットから財布を取り出し、札束だけ盗んで、財布を戻しボタンを閉めて・・・、と言う凄いのが居ます。
 中には腕時計の機械だけを盗んで、ガワだけ置いて行くと言うスリもいます。スリ仲間のノーベル賞ものです。
落語「一文笛」参照のこと。

・親分の所に戻ってきた子分達が、今日の戦果報告をしています。みんなが入れたはずの戦果が足りないので聞くと、「そんな事は無いんだがな~。そうすると、この中に手癖の悪いのが居るのかな~」。

・奥に泥棒が入ったみたいなので、奥様が亭主を起こした。「本当に泥棒か?ネズミじゃないのか」、「大きな音がしたよ」、泥棒もしょうが無いので、「チュ~」。「ネズミが鳴いてるよ」、「違うよ、もっと大きな音だったよ」、「じゃ~、猫かな?」、「ニャ~、ニャォ~」、「ホラ猫が鳴いてるよ」。「もっと大きな音だったよ」、「犬かな?」、「ワン、ワンワン」、「犬が鳴いてら~」。「もっと大きな音だったよ」、「だったら馬かな?」、「ヒヒ~ン」、「馬が鳴いてら」。「違うよ。もっと大きな音がしたよ」、「牛かな~?」、「モ~ォ」、「ほら牛だ」。「もっとガタガタ大きな音だったよ」、「ゾウかな?」、泥棒さんゾウでは鳴けません。バタバタと庭に逃げて、塀を越せばよかったが高くて逃げられず、池に飛び込んだ。松の枝先に出ているのが泥棒らしいが良く分からないので、竿竹で頭を突いた。「泥棒か、杭か。泥棒か、杭か」、泥棒さん切なかったと見えて、「クイ~、クイ~」。

木戸(きど);長屋の入口には木戸が設置されていて、袋小路の長屋だったら、そこしか出入り口が有りません。木戸にはカンヌキがあって、朝6時から夜は10時までしか開放されていません。木戸には潜り戸があって、そこにはカギが掛かっていて大家か月番が持っています。扉の外から声を掛けてカギを開けて貰いますが、借りが一つ出来てしまいます。

 右図:長屋の入口。浮世床より

 各長屋の住人は扉のカギは横開きの引き戸ですから。内側から長い棒の”心張り棒”をかいます。でも夏で貧乏長屋では盗まれる物も有りませんし、木戸もありますから、戸締まりは緩くなります。
落語「締め込み」にあります。

抜け裏と袋小路(ぬけうらとふくろこうじ); 長屋の中を通過して、裏に出られるのを、抜け裏と言い、裏に抜けられない長屋路地を袋小路と言います。

ダンビラ;大刀で、刃の幅広いもの。 徒広(ただびろ)が語源で、セリフの「二尺八寸・・・」は 落語・講談・芝居の泥棒の常套句です。二尺八寸は84.84cm。刀の定寸が「二尺三寸」(約70cm)位であるというが、実戦刀ではないので通常の大刀はもう少し短く、60cm台が多い。

上:国宝「相州正宗」(名物 観世正宗)東京国立博物館蔵。刃長64.4cm、もとの茎(なかご)をきり詰めて寸法を短くしている。 能楽の観世家が所持していたことから「観世正宗(かんぜまさむね)」と称される。
下:和泉守兼定_土方歳三佩刀2尺8寸。

蚊燻し(かいぶし);「蚊遣(かやり)」。蚊帳が無いと蚊に食われ放題になりますから、今の蚊取り線香の代わりに、蚊を追い払うために、煙をくゆらし立てること。その燃やす物は蚊遣りに焚く香で、原料は除虫菊の花・葉・茎などの粉末です。ここの長屋の主はそんな高価な物は焚けないので、枯れ草などを集めて、火を着けています。モウモウと煙が出て、まるで火事のようです。いえ、火事になりそうです。

火事(かじ);「武士鰹大名小路広小路、茶店紫火消錦絵、火事に喧嘩に中っ腹」。
別の言い方があって、武士鰹大名小路生鰯、茶店紫火消錦絵、火事喧嘩伊勢屋稲荷に犬の糞』。
 江戸は名物に、どちらにも”火事”が入っているほど、火事早いところでした。長屋は借家ですから住人は火事になっても財産が減る事も無く平気です。また、家具類も賃借り(レンタル)していたので、損料を払っていれば良く、懐は痛みません。江戸の火事は冬場に多く強い北風で空気は乾燥していますし、木と紙から出来ているので一度火が出たら大変です。落語「二番煎じ」を参照。

鼠小僧(ねずみこぞう);義賊と言われたが、その実、盗んだ金1万2千両は飲む・打つ・買うの道楽につぎ込んで、貧乏人に配った事実は無い。小塚原で処刑され、両国と千住の回向院に墓がある。

半纏、股引(はんてん、ももひき);股引はパッチとも呼ばれ、職人がはいたズボンのような物。その上に着たのがダボシャツで、寅さんが上着の下に着ていたブカブカの白いシャツ。職人はこの上に、紺色の腹掛けを着けます。この腹掛けには大きな(ドラエモン)ポケットがあり、ドンブリと呼ばれていて小銭をバラで入れていました。この中から小銭を出して使っていたのを、どんぶり勘定と言いました。職人はこの上に半纏を羽織って颯爽と職場に出掛けました。
 地方の祭りでは、それぞれの服装がありますが、江戸の御輿を担ぐ服装の基本は、江戸職人の服装です。

 着物の下に腹掛けを着けています。下半身は股引です。煙草入れを腰に下げている者も居ます。半纏は職人の正装ですから着ていません。江戸東京博物館蔵。「熈代照覧」より”基礎固め中の職人”部分

煙草入れ(たばこいれ);煙草を入れる携帯袋で、これには煙管(キセル)入れが付いていて、帯に挟んで持ち歩きました。

ヤニ下がる(やにさがる);煙草を吸うとき通常はキセルの雁首を下に下げて吸います。しかし気取ってキセルを持つと、キセルの雁首゙を上にあげ、脂(ヤニ)が吸口の方へ下がるようなかたちでタバコをふかします。転じて、気どって構える。得意気になって、にやにやする事を指します。



                                                            2016年7月記

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