落語「妻の酒」の舞台を行く
   

 

 有崎勉(柳家金語楼)作
  五代目古今亭今輔の噺、「妻の酒」(つまのさけ)より


 

 外で飲むと金が無くなるか、終電車が無くなるかのどちらかです。

 友達が遊びに来て、二人共酒しか楽しみが無いんだから、飲みに行こうと誘われたが、そこはグッと我慢した。
 我が家では奥様にイヤな顔をされるし、友達は友達で、「そんなに酒が止められないんだったら、死にましょう」と宣言されたが「まだ死にたくないというと、『では私だけ』と言って、白い薬を飲んで布団を被ってしまった。俺は酔っ払っていて足腰が立たず、病院にも行けず、冷や汗をたっぷりかいて布団の上から背中をさすっていた。そのまま寝込んでしまい、朝、目が覚めて、布団をハグとそこには居なかった。これは大変と便所で首吊りをしているのかと思って覗いたがいない。台所を見たら普段通りに食事の用意をしていた。ホッとして、昨日の薬は何だと聞いたら『砂糖だ』と言った」。

 「こんなに美味しいんだから女房に酒を飲ませたらどうだろう」、「飲まないよ」、「結婚式の時に飲んだんだから飲めるよ、と言えばいいんだ」、「飲むかな」、「普段飲まないから、1~2合で酔っちゃうよ。そしたら奥さんの言うとおりにして、寿司を食べに行ったり、蕎麦を食べたり言う通りにしてあげる。翌日早く起きて食事の用意をして、奥さんが起きてくるまで待つんだ。目を覚まさなかったら、会社休むんだな。そして二日酔いの辛さが分かったら、『自分の亭主も大変なんだな』と思う」、「素直に行けば良いが、『そんなに楽しいのなら私も毎晩』と言ったらどうしよう」、「その時はその時で検討しよう」。

 「家に酒が二本あるんだ。一本は今晩試してみるから、一本は持っていって良いよ」。酒を飲まずにシラフで戻ってきた。「今日は飲んでないんだ」、「あら、まだ6時ですよ。会社が潰れたんですか」、「どうしたんですか、そのお酒」、「僕もやるから君も一緒に飲もう。結婚してから5年、酒が強くなったんじゃ無い、酒の方が弱くなったんだ。夫婦仲良く酒を飲もうよ」、「こんな高いお酒。それにお酒飲んだ事無いから飲めるかしら」、「三三九度で飲んだだろう」、「結婚式は一回だけ。そんな何回もイイのかしら」、「同じ夫婦同士だから良いんだ。どう飲んだって徳利には二合しか入っていないんだ。グーッとやんなさい」、「嬉しいわ。こんなに優しいところがあるなんて。貴方も一杯飲んだら」、「俺は良いから・・・」、「芸者さんや外の綺麗な女の人じゃ無いと駄目なの、女房じゃダメなの」、「飲むのむ、お前のは絡み酒だな」、「私嬉しいわ歌でも唄いましょうか」、「ヨセよせ、近所に聞こえる」、「こんな小さな物じゃダメ。湯飲みで頂戴」、「オイオイ」、「オイシイからみんな飲んじゃった。お替わり」、「そんなに呑まない方がイイよ」、「このお酒は私に貰ってきたんでしょ」、「そんな事言ってると怒るよ」、「怒るとイイ男になるわね」、「隣の奥さんに聞こえるよ」、「聞こえてもイイの。おかめのような顔して、それに白粉(おしろい)塗るんだからなお可笑しいわ」、「そんなに悪口言ってどうするんだ」、
「大丈夫。昨日の貴方の真似をそっくりしただけ」。

 



ことば

妻の酒 有崎勉:作
 関東の落語(江戸落語)では、明治期に三遊亭圓朝により「牡丹灯篭」「真景累ヶ淵」など多くの落語が創作され、今日では古典の評価を受けている。圓朝の弟子の初代三遊亭圓遊は「野ざらし」「船徳」などの旧来の古典を新しく再構成した。大正~昭和戦前期には益田太郎冠者作の「宗論」・「堪忍袋」・「かんしゃく」、柳家金語楼の「落語家の兵隊」等の兵隊落語をはじめとして、二代目桂右女助(後の六代目三升家小勝)「水道のゴム屋」「操縦日記」、初代柳家権太楼「猫と金魚」、初代柳家蝠丸「女給の文」・「電車風景」、二代目三遊亭円歌「呼出電話」、(俗に)初代昔々亭桃太郎(金語楼の弟)「お好み床」、五代目柳亭燕路「抜け裏」などが作られた。
 純然たる新作ではないが、六代目春風亭柳橋は「うどん屋」を「支那そば屋」に「掛け取り万歳」を「掛け取り早慶戦」にそれぞれ現代風にアレンジした。 戦中期には、さまざまな戦時色の濃い作品が作られたが、戦後三代目三遊亭金馬の「防空演習」、二代目円歌の「木炭車」ぐらいが残る程度であとは殆ど消滅した。終戦直後には、三代目三遊亭歌笑が文芸風のパロディを基本に戦後の風景をスケッチした「純情詩集」を発表して戦後の新作落語のスタートを切った。また四代目鈴々舎馬風が「蔵前駕籠」をアレンジした「蔵前トラック」なる怪作を作っている。特に1941年10月に古典落語が禁演落語で禁じられるようになってからは多くの新作が生まれた。
 戦後期の落語ブームでは、五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭圓生のような古典至上主義といった風潮や、久保田万太郎・安藤鶴夫(安鶴)師弟による徹底的に新作落語を否定し、新作落語中心の落語家を過激に攻撃する落語評論が席巻し、ホール落語で古典が専ら口演されることとなり、新作落語は押される。
 この中でも、古典落語も出来たときは新作だという持論を持ち新作落語の闘将と呼ばれた五代目古今亭今輔「青空おばあさん」「ラーメン屋」「印鑑証明」「バスガール」(多くが柳家金語楼=有崎勉、作)や、その後継者の四代目桂米丸「宝石病」「電車風景」、三代目三遊亭圓右「銀婚式」「日蓮記」「寿限無その後」の他、五代目春風亭柳昇「結婚式風景」「日照権」「与太郎戦記」、四代目柳亭痴楽「痴楽綴り方教室」「幽霊タクシー」等。
 落語協会では、安鶴にいじめられた初代林家三平「源氏物語」(未完)や二代目三遊亭歌奴「中沢家の人々」「授業中」「浪曲社長」、五代目柳家つばめ「佐藤栄作の正体」・「笑いの研究」のような俊英が新作派としての保塁を守った。一方では九代目桂文治「大蔵次官」(作者は十代目桂文治の父親である初代柳家蝠丸)、五代目柳家小さん「真二つ」(作者は男はつらいよで有名な山田洋次)、六代目圓生「心の灯火」「水神」、八代目林家正蔵「笠と赤い風車」「ステテコ誕生」「年枝の怪談」、三代目桂三木助「ねずみ」など、本格的古典落語の師匠連にも優れた新作落語の演目があった。立川志の輔も「歓喜の歌」「親の顔」「バス・ストップ」「みどりの窓口」「メルシーひな祭り」「はんどたおる」「忠臣ぐらっ」「ハナコ」「踊るファックス」等々。
 そんな中、1962年米丸・圓右・柳昇・三平・歌奴に三遊亭小金馬を加えた6名が新作のネタおろしを目的とする「創作落語会」を結成し翌1963年には芸術祭奨励賞を受賞している。
ウイキペディアより 削除及び書き足した。

五代目古今亭 今輔(ここんてい いますけ);(1898年(明治31年)6月12日 - 1976年(昭和51年)12月10日)
群馬県佐波郡境町(現:伊勢崎市)出身の落語家。本名は、鈴木 五郎(すずき ごろう)(旧姓:斎藤)。生前は日本芸術協会(現:落語芸術協会)所属。出囃子は『野毛山』。俗にいう「お婆さん落語」で売り出し、「お婆さんの今輔」と呼ばれた。
 『お婆さん三代記』、『青空お婆さん』、『ラーメン屋』、『葛湯(くずゆ)』、この噺『妻の酒』『ダイアモンド』といった新作がほとんどであるが、古典怪談噺は本格派で、『江島家怪談』、『もう半分』、『藁人形』、『死神』などを得意とした他、『ねぎまの殿様』、『囃子長屋』などの珍品や芝居噺の『もうせん芝居』、三遊亭圓朝作の長編人情話『塩原太助一代記』など。 小山三時代までは素噺の達人と評されたが、上州訛りに苦労した末に新作派に転向した。 米丸時代からSPレコードを吹き込み、戦後も多くの録音が残している。
 「古典落語も、できたときは新作落語です」というのが口癖で、新作落語の創作と普及に努めた。弟子たちに稽古をつける際も、最初の口慣らしに初心者向きの『バスガール』などのネタからつけていた。だが、もともとは古典落語から落語家人生をスタートしていることもあって、高座では古典もよく演じており、一朝や前師匠小さんに仕込まれただけあって高いレベルの出来であった。特に『塩原太助』は、自身が上州生まれだったこともあり人一倍愛着が強く、晩年は全編を通しで演じていた。
ウイキペディアより

日本酒(にほんしゅ);通常は米と麹と水を主な原料とする清酒(せいしゅ)を指す。日本特有の製法で醸造された酒で、醸造酒に分類される。
  日本では、酒類に関しては酒税法が包括的な法律となっている。同法において「清酒」とは、次の要件を満たした酒類で、アルコール分が22度未満のものをいう(3条7号)。
  1.米、米こうじ及び水を原料として発酵させて、こしたもの
 2.米、米こうじ、水及び清酒かすその他政令で定める物品を原料として発酵させて、こしたもの
 3.清酒に清酒かすを加えて、こしたもの



 お酒(日本酒)には普通酒と特定名称酒があります。普通酒は全生産量の8割を占めています。ここでは特定名称酒を取り上げます。

 本醸造酒

   本醸造酒とは、精米歩合70%以下(3割を糠として捨てて、残りの7割で酒を醸す)の白米、米こうじ、醸造 
  アルコール及び水を原料として製造した清酒で、香味及び色沢が良好なものに用いることができる名称であ
  る。
  使用する白米1トンにつき120リットル(重量比でおよそ1/10)以下の醸造アルコールを添加してよいことになっ
  ている。

  特別本醸造酒とは、本醸造酒のうち、香味及び色沢が「特に良好」であり、かつ、その旨を使用原材料、製造
  方法その他の客観的事項をもって当該清酒の容器又は包装に説明表示するもの(精米歩合をもって説明表
  示する場合は、精米歩合が60%以下の場合に限る)に用いることができる名称である。

純米酒

   純米酒とは、白米、米こうじ及び水のみを原料として製造した清酒で、香味及び色沢が良好なものに用いるこ
  とができる名称である。ただし、その白米は、他の特定名称酒と同様、3等以上に格付けた玄米又はこれに相
  当する玄米を使用し、さらに米こうじの総重量は、白米の総重量に対して15%以上必要である。

  特別純米酒とは、純米酒のうち、香味及び色沢が「特に良好」であり、かつ、その旨を使用原材料、製造方
  法その他の客観的事項をもって当該清酒の容器又は包装に説明表示するもの(精米歩合をもって説明表示
  する場合は、精米歩合が60%以下の場合に限る)に用いることができる名称である。

  純米酒は、特定名称酒の中でも(純米のものを含む)吟醸系の酒や本醸造酒に比べて濃厚な味わいがあ
  り、蔵ごとの個性が強いといわれる。

    1991年(平成3年)に日本酒級別制度が廃止されて以降、2003年(平成15年)12月31日までの間は、「純米
  酒」の品位を一定以上に保つため、「精米歩合が70%以下のもの」と法的に規制されていた。当時は精米歩
  合が高いほど高級酒であるという通念があったからである。

    しかし、近年の規制緩和の一環として、この規定は2004年(平成16年)1月1日に削除され、米だけで造ってあ
  れば、たとえ普通酒並の精米歩合であっても「純米酒」の名称を認めることとなった。この改正に関しては、評
  価は消費者の選択に任せるべきで「消費者の権利拡大である」と賛成する立場と「酒造技術の低下を招くも
  の」と批判する立場がある。

    この規制緩和によって、醸造アルコール無添加でも米粉などを使用していたために「純米酒」を名乗れなかっ
  た銘柄が、数多く格上げされるのではないかという疑念があったが、実際には先述のように「麹歩合15%以
  上」「規格米使用」といった制約があり、麹歩合15%未満の酒や規格外米・屑米・米粉を使用した酒は「純米
  酒」を称することはできない。

   一方で上記の条件を満たした上で、かつて普通酒にも用いられなかったような低い精米歩合にあえてするこ
  とで、独特の酒質を引き出す低精白酒などの新しい純米酒の開発も進んだ。

 吟醸酒・純米吟醸酒

  吟醸酒とは、精米歩合60%以下の白米、米こうじ及び水、又はこれらと醸造アルコールを原料とし、吟醸造
  り
によって製造した清酒で、固有の香味及び色沢が良好なものに用いることができる名称である。低温で長時
  間かけて発酵させて造られ、吟醸香と呼ばれるリンゴやバナナ、メロンを思わせる華やかな香気成分(酢酸イ
  ソアミルやカプロン酸エチルなど)を特徴とする。吟醸造りでは、最後にもろみを絞る前に、吟醸香を引き出す
  ために醸造アルコールを添加する(使用する白米1トンにつき120リットル、重量比でおよそ1/10以下という制
  限がある)ことで、芳香成分や味に関係する成分をより日本酒側に残すため、香りや味が濃くなる。また、絞っ
  た後の日本酒に醸造アルコールを添加すると、味に関しては淡麗ですっきりする。

  純米吟醸酒とは、吟醸酒のうち、醸造アルコールを添加せず、米、米こうじ及び水のみを原料として製造した
  ものに特に用いることができる名称である。一般に醸造アルコールを添加した吟醸酒に比べて穏やかな(控え
  めな)香りや味となる。

   一般に吟醸系(の酒)と表現する場合は、吟醸酒・純米吟醸酒・大吟醸酒・純米大吟醸酒などの吟醸香を持  
  つ酒を総称している。

  元々は鑑評会向けの特に「吟味して醸した酒」を意味した。1920年代から開発に着手され、1930年代の精米
  技術の向上、1950年代以降の吟醸酒製造により適した酵母の頒布、1970年代の温度管理技術と麹および酵
  母の選抜育種技術の進歩に促されて品質が向上するとともに、やがて一般市場に出回るだけの生産量が確
  保できるようになった。吟醸系の酒が日本国内の市場に流通するようになったのは1980年代以降であり、
  2000年代以降では日本国外でも日本食ブームに伴って需要が高まっている。

大吟醸酒・純米大吟醸酒

  大吟醸酒とは、吟醸酒のうち、精米歩合50%以下の白米を原料として製造し、固有の香味及び色沢が特に
  良好なものに用いることができる名称である。吟醸酒よりさらに徹底して低温長期発酵する。最後に吟醸香を
  引き出すために少量の醸造アルコールを添加する。

  純米大吟醸酒とは、大吟醸酒のうち、醸造アルコールを添加せず、米、米こうじ及び水のみを原料として製造
  したものに特に用いることができる名称である。一般に醸造アルコールを添加した大吟醸酒に比べて穏やか
  な香りで味わい深い。フルーティで華やかな香りと、淡くサラリとした味わいの物が多いが、重い酒質も有り、
  酒蔵の個性が大きく反映される。
  大吟醸酒は最高の酒米を極限まで磨き、蔵人の力を結集して醸した日本酒の最高峰といえる。

三三九度;神前の結婚式で行われる固めの儀式のひとつ。三献の儀ともいう。
三三九度のやり方は

            一の盃(小) 新郎→新婦→新郎
            二の盃(中) 新婦→新郎→新婦
            三の盃(大) 新郎→新婦→新郎

本来はこのように三段に重ねられた盃を上から順番にひとつの盃で 交互に三回、合計九回いただく作法だったことから三三九度と言われるようになりました。 これは陰陽説で奇数が縁起のいい数字とされていることに由来します。 お酒を注ぐときもお銚子を3度傾け3度目で盃に注ぎ、飲むときにも1、2度目は口をつけるだけで3度目に飲むのが一般的な作法です。

 また簡略して、初めに女性が三度、次に男性が三度、最後に女性が三度の合計九度飲む。儀式には大中小三つの大きさの盃を一組にした三ツ組盃が用いられる。三三九度は婚礼の中で、夫婦および両家の魂の共有・共通化をはかる儀式である。日本の共食信仰に基づく。また、古代中国の陰陽に由来する儀式で、陽の数である三や九が用いられた。

しらふ;【素面/白面】  酒に酔っていない、ふだんの状態。



                                                            2016年7月記

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