落語「もろこし女房」の舞台を行く
   

 

 松浦泉三郎作
 五代目古今亭今輔の噺、「もろこし女房」(もろこしにょうぼう)より


 

 「おいおい、後家になったからと言って、若いから二度目の亭主を持つなとは言わないが、赤土が乾くまでガマンしろ」、言われた若い後家さん、翌日から墓場に行って、渋うちわで墓を扇いだ・・・。

 「惣助(そうすけ)さん、聞かれると困る話しなんだが・・・」、「よしましょう。度重なると『阿漕が浦・・・』でなんとやらと言いますからね」、「惣助さん、何の話しを・・・」、「番頭同士分かりますよ。一度は筆先で誤魔化して料理屋に行って芸者を上げてドンチャン騒ぎ、『さあさあ、浮いた浮いた瓢箪ばかりが浮くものか、この頃私も浮いてきた。さあさあ浮いた、浮いた』でドンチャン騒ぎも一度は良いですよ。二度、三度になると、あの番頭おかしいと・・・」、「シーッ、そんな話しでは無いんです。若旦那ご夫婦の話です」、「あんな似合いの夫婦はありませんね。若旦那が二十五、おかみさんが二十二、死ぬほど好き合っているんだったら、一緒にさせようと一緒になったが、病気が元で寝込んでしまった。医者の大安(たいあん)先生に聞いたら2~3日も持たないと言っていた」、「悲しくなりますね」、「若夫婦の話を立ち聞きしてしまったんです。おかみさんが泣きながら『私は幸せもんだ。寿命も3日と持たないだろう』。『そんな事は無いが、だったら、万が一の時は・・・』、『二度目の奥さんを娶ると思うと・・・』、『そんな事は無い。親や親戚が言っても、私は一人で暮らす』。いい話でしょ。情が無かったら言えませんよ。若旦那はここ3日ほど付きっきりで看病してるんですから・・・」。
 「そこいくと、与兵衛さんはお袋さんが死んだというのに、吉原でドンチャンですからね、呆れたね」、「何言ってるんだ、その時、一緒だったんじゃ無いか」、「そうだった。ははは」。

 麻布の飯村に木綿問屋の若夫婦、二人の番頭が言うとおり、女房のお菊はスヤスヤと眠りについていた。それを見ていた若旦那の幸太郎は寝ずの看病だったので、ぐっすりと寝込んでしまった。気が付くとお菊さんが居ない。床には書き置きが有り、薄墨で『貴方とお約束をして私も安心、辛い毎日を思うと先立つ不孝をお許し下さい』と言う文面ですから、家中大騒ぎ。枕も上がらない病人が、裏の雑木林の底なし沼という池に身を投げた。見付かると池の中に一輪の椿の花がポッカリと浮かんだようになった。
 野辺の送りも済ませて、四十九日も過ぎる頃には若旦那は痩せ細ってしまった。お菊さんが亡くなる前のようになってしまった。両親の心配は増だけです。

 「幸太郎、障子を閉めて、こちらに座りなさい。お前がお菊のようになったら、だれがこの店を継ぐんだ。また、お前に何か有ったら、親の我々も悲しむぞ。どんな悩みでも言ってごらん、解決しようじゃ無いか。話してごらん」、「はい、・・・お話しします。お菊は浮かばれないのです。成仏することが出来ません」、「どうしてそれが分かる」、「葬儀の晩からお菊が戻ってきています。八つの鐘が鳴ると姿を現して、明六つ前には姿を消します。この事はお菊が『誰にもしゃっべてくれるな』と言うので、誰にも言っていません。お菊は成仏できないのです。私が死んで一緒に成仏したいのです。親の心配は分かりますが、先立つ不孝をお許し下さい」。
 この話しを聞いて父親の幸右衛門ビックリして檀那寺にやって来ました。和尚に相談すると「もう二三日遅かったら幸太郎さんは亡くなっていたでしょう。昔もろこしに『女房が古沼に身を投げて亡くなったが、身柄がどうしても上がらない。2度目の女房との婚礼の晩、沼底の執念が現れ、厩(うまや)に連れ込み殺すこと二度や三度』。お菊さんもこの話しを知っていて後妻の来るのに嫉妬していたのであろう。今晩伺います。幸太郎殿を隠し観音経を唱えましょう」、「お菊さんは幸太郎が居なかったら、私の所に聞きに来るんじゃないですか」、「その様なことはありません」。

 幸右衛門、震えながら戻ってきます。四つの鐘が鳴る頃、大きな青瓢箪を下げて和尚はやって来た。幸太郎を押し入れに隠し、人間の頭の大きさの青瓢箪を逆さにして、身代わりに布団に忍ばせ、和尚も幸太郎の後ろから入って、口の中で観音経を唱えた。九つの鐘が鳴る頃、辺りも寝静まって、シィ~ンとなってきた。やがて八つの鐘が鳴る頃、障子に髪の毛が触る音、音も無く開く障子と共に濡れた髪でお菊が入って来た。寝床の幸太郎の寝姿を見ると、昨日と違って青々とした剃髪ですから、「私との約束を守り、剃髪して仏門に入るのでしょう。あ~ぁ、嬉しゅう御座います」。嬉しそうに霧の中に消えて行きました。翌日も、3日経っても、5日経ってもお菊さんは現れなかった。幸右衛門親子は大喜び。家中の者を集めて、「よかった良かった。これでお菊も浮かばれたな。これも和尚さんのお陰だ。やはりお経のお陰でしょうな」、「それは違いますよ。浮かんだのは瓢箪で御座います」。

 



ことば

五代目古今亭今輔(ここんてい いますけ);(1898年(明治31年)6月12日 - 1976年(昭和51年)12月10日)は、群馬県佐波郡境町(現:伊勢崎市)出身の落語家。本名は、鈴木 五郎(すずき ごろう)(旧姓:斎藤)。生前は日本芸術協会(現:落語芸術協会)所属。出囃子は『野毛山』。俗にいう「お婆さん落語」で売り出し、「お婆さんの今輔」と呼ばれた。実子は曲芸師の鏡味健二郎。
 「古典落語も、できたときは新作落語です」というのが口癖で、新作落語の創作と普及に努めた。弟子たちに稽古をつける際も、最初の口慣らしに初心者向きの『バスガール』などのネタからつけていた。だが、もともとは古典落語から落語家人生をスタートしていることもあって、高座では古典もよく演じており、一朝や前師匠小さんに仕込まれただけあって高いレベルの出来であった。特に『塩原太助』は、自身が上州生まれだったこともあり人一倍愛着が強く、晩年は全編を通しで演じていた。
 今輔については落語「妻の酒」、「ダイアモンド」参照

松浦泉三郎(まつうらせんざぶろう);(1905年 - 1982年 )。この落語「もろこし女房」の作者。作品として、「春秋絵双六/伊賀屋三次御用帳」。「新作落語名人三人集」。 「風雲陸奥の陣/醜の御楯」。「風吹かば吹け」。 「吉野朝殉忠記」。 「長篇小説/夜明の歌」。 「好色見世物志」。等を執筆した小説家。
この落語「もろこし女房」は怪談話で古典風の新作落語です。昭和39年(1964)7月に今輔が初演。

もろこし;【唐土】 昔、日本から中国をさして呼んだ名。もろこし。
昔、中国から伝来したものにつけた語。 中国南方の越(えつ)(浙江(せっこう)省付近)の諸国・諸族の「諸越」(しょえつ→もろこし)の訓読みから起こり、最初その地方をさしていたのが、しだいに中国全土をさすようになったという。一説に、その地方から諸物が渡来した意とも。  

赤土が乾く;昔のお墓は土葬でしたから、穴を掘った土が、埋め戻された後でも湿っています。その湿り気が無くなったら、次の連れ合いを探しても良いのですが、まだ湿っているような状態では「お前、早すぎるよ」と言うことになってしまいます。

阿漕が浦・・・(あこぎがうら);『伊勢の海阿漕(あこぎ)が浦に ひく網も度重なれば人もこそ知れ』
という古今六帖の古歌から。阿漕ケ浦は、今の三重県津市南部の海岸。伊勢神宮の禁漁区域で、一度だけなら分からないでしょうが、度重なれば噂に上りバレてしまうでしょう。

■『さあさあ、浮いた浮いた瓢箪ばかりが浮くものか、この頃私も浮いてきた。さあさあ浮いた、浮いた』。
 当時有名な囃子歌で、浮いた浮いたの台詞が有り、これが最後のオチに使われている。

   青瓢箪

麻布の飯村;江戸にはこの様な町名は有りません。麻布は現在の六本木から外苑通りを通って、桜田通りまでの街並みです。飯村は江戸中、何処を探してもありませんので、飯倉または飯倉片町の間違いでしょうか。

観音経(かんのんきょう);観音経は法華経(妙法蓮華経)の中の25品目にあるお経です。観音経には不思議な力があるといわれています。真の信心をもって観世音菩薩の名を一心に唱えたり、観音経を唱えるならば、すべての苦悩から解放されるともいわれています。

 

十句観音経
』(じっくかんのんぎょう)
  観世音。南無仏。 (観世音菩薩に帰依します) *()内は口語訳
  与仏有因。与仏有縁。 (我々にも仏と同じ因果の法則があり、また縁でつながっています)
  仏法相縁。常楽我浄。 (仏と法の縁によって、私たちは常に心を清らかにし、楽しく過ごせます)
  朝念観世音。暮念観世音。 (朝にも夕べにも観世音菩薩を念じます)
  念念従心起。念念不離心。 (この念は仏心から起こり、また心を離れません)

 大乗経典の観音経系経典に属し、わずか42文字の最も短い経典として知られる偽経だが、古来ただ何度も唱えるだけでご利益を得られるとされており、人気が高い。 「十句観音経」は「観音経」のコンパクト版といえるかも知れない。

江戸の時間の数え方
 
江戸の時間の表し方は、日没と日の出を基準にしています。明け方(日の出)の時刻を明六つと言い、2時間ごとに数が減っていきます。四つ(10時)で終わり、正午で九つと言います。2時間ごとに数を減らし、夕方(日没)の6時頃を暮れ六つと言いました。夜も昼と同じように数を減らして五つ(8時)、四つ(10時)、で、九つ(深夜0時)、八つ(深夜2時)、幽霊が一番好きそうな時間ですね。七つ(4時)、そして明六つを迎えます。落語「時蕎麦」に詳しい時間の表し方があります。
 

檀那寺(だんなでら);自家の帰依している寺。檀家の所属する寺。檀寺。だんなじ。
 檀信徒(檀家)の布施、すなわち檀那(旦那)によって運営される寺のこと。本来の意味では信徒と寺との経済的関係を示しているに過ぎないが、江戸時代に寺請制度によって個人は必ず一つの寺に管理されるようになり、多くの庶民は経済的支援をする寺と先祖の墓を管理してもらうそれが一致するようになった。 いずれの名称も祖先崇拝における祖霊の在所となる墓等を管理する仏教寺院を指しているが、寺院と生きている子孫との関わり方によって名称が異なる。



                                                            2016年9月記

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