落語「おしくら」の舞台を行く
   

 

 三笑亭夢楽の噺、「おしくら」(おしくら)より


 

 「宿の客引きが大勢出ている。捕まったら大変だから、『定宿』が有ると言えば大丈夫だ」、「捕まらないおまじないか?では、俺がやってみよう」、あちこちから声が掛かるが、俺たちは定宿だというと、どの客引きも「ご縁のね~ことでごぜ~ます」、と引き下がった。「え~、もし。先程から見ていますと、定宿と言っていますが、その定宿はどちら様で・・・」、「え?・・・鶴屋善兵衛よ」、「その鶴屋善兵衛は当宿で御座います」。「与太さん。何でそこに入ってしまうんだ」、「とっさに鶴屋善兵衛だと言ったら、『当方だ』と言われちまった」、「とっさに、鶴屋善兵衛と良く出たな」、「ここの家の行灯を見て言ったから」。
 「ここで良いか。ではここに泊まろう」、「おいでなさいまし。足、こちらに突(つ)ん出してくれよぉ~。お前達の脛ぽし洗ってこかすからよぉ~」、「足洗ってくれるんだ」。「思いだして、涙が出るよぉ~」、「この姉さんのろけてるよ。国に残してきた男を思い出して、涙流しているよ」、「な~に、父っつ様が引いてくる馬の足に、よ~ぉ似とる」、「ガッカリさせやがら。姉やん、部屋はここかい」。
 「畳の上は良いね、落ち着けるよ。誰か来たよ」、「ちょっくら、うけげえますけどよ~。風呂ふたくできて、飯(まま)ふたくできました。風呂にすべ~かままにすべ~か、どちらを先にすべ~か。いっぺんに片付けてもれ~てえと思ってねぇ~。これうけげえに参りましたでのぉ~」、三人に三回言って、三人とも会話が通じない。ゆっくり言ってもらったら、何とか通じたので、風呂に入りながら膳を湯殿に運ばせようとしたが無理。

 「良い湯だったね~。膳の用意が出来て、銚子が横に付いてるよ。姉ーやんがお酌してくれるんかい。嬉しいね」、「姉ーやんに聞くのもなんだけれど、いろんな名が有るよ、惣嫁(そうか)、草餅、ダルマ、ざるそば。お宝出して一晩夜伽をしてくれる女いるかい?」、「いるよ」、「ここでは何という・・・」、「『おしくら』というよ」、「今晩呼んでくれよ」、「呼ばなくても良いよ。目の前に一人いるよ」、「宿にいるなんて良いな。姉さんは幾つになる」、「『じょうご』になります」、「じょうごって・・・?」、「分かんね~か。じょう一、じょう二、じょう三、じょう四、じょう五だよ」、「十五かい。下で足洗ってくれた姉やんは?」、「じょう八」。「で、何人いるんだい?」、「三ねん」、「?」、「ひっとり、ふったり、さぁんねん」、「他の客に呼ばれる前に、その三人こっちに・・・」、「ダメだよ。一人身体悪くして国に帰っているよ」、「3人いるのに2人では・・・」、「いるけど・・・」、「『耳を貸せだって』、それで、そのおしくらは奥の離れで、二人は2階か、それでイイよ」。
 「源ちゃん、話聞いてただろ。脇から年増が来ると言うのだがどうだろう。江戸の柳橋で左褄を取っていたんだ。この地に来たが男に逃げられ、独り身なんだ。『江戸のお客さまなら出ます』と言うんだ。どうする?」、「どうするって、年増を回して貰おう」、「どうしても年増が良いの。源ちゃんと話をするといつもイイ女を取られちゃうんだからな。この、女殺し」、「さあさあ、お開きお開き」。

 その晩は、てんでにお開きになって、夜が明けます。「何をニヤニヤしてるんだい。早く飯食って・・・。源ちゃんどうしたい?」、「来たよ」。
 「源ちゃんどうしたんだい、仏頂面して。おはよう」、「ウルサいや」、「お、おッ、どうしたんだい」、「朝っぱらから、怒鳴りつけて・・・」、「どうもおかしいと思ったら、一杯はめやがったな。お前達は2階で、俺は離れまで連れて行かれ、ポンと押されて部屋に入ったら、灯りが取っていなくて真っ暗だ。手探りで布団に入ったら、ツルッときた。それが女の頭だから情けね~や」、「ヤカン頭だったのか」、「歳を聞いたら八十八だと言う。年増でも歳がいき過ぎている」、「七十年前に左褄だったんだ」。
 「昨夜の姉さん達が来たよ。決めだけの祝儀は払ってやろう。姉さん昨日は大変世話になったね。旅の帰りに寄るから、それまでは達者で暮らしなよ。これは少ないが取っておいてくれ。女は髪が大切だ、これで油でも買って髪へ付けてくんね~」、「ありがとう御座いますけ~のう」、「与太オメエも渡せ」、「姉さん夕べはいろいろご苦労さん。旅の帰りに寄るから、それまでは達者で暮らしなよ。これは少ないがオメエにやらぁ~。女は頭が大切だ、これで油でも買って髪へ付けてくんね~」、「ありがとう御座いますけ~のう」。
 「源ぼう、お前もやりなよ」、「何を言ってるんだ。俺は御免被ろうじゃないか」、「そんな事言うな。年増だから、なにか世話になったんだろう」、「ならないよ。夜中に3回ション便に起こしてやったんだ」、「これは親孝行だ」、「だから、御免被ろうじゃないか」、「江戸っ子だ。決めのものだけは出してあげなよ」、「やら~良いんだろ、やら~。盗人に追銭だ、まるっきり。おい、お婆さん、耳が遠いんだ。お・ば・あ・さ~ん、や~ぁい」、「はあ~い」、「やっと通じた」、「お前の、名前は、何て、言うん、だ~ぃ」、「小野小町と申します」、「何て言うんだ。夕べはいろいろ世話に・・・ならなかったけどね、俺は旅の帰りに寄るから、それまで寿命があったら生きていな。これは少ないがお前ぇにやら~。女は頭が大切だ、これで油を買ってかみ・・・、にと言ったって髪なんて何処にも無えじゃないか。これで油を買って、お灯明でも上げてくんねぇ~」。

 



ことば

■「おしくら」;枕芸者のこと。落語「三人旅」の『発端』、『びっこ馬』、『鶴屋善兵衛』 と噺が続き、この小田原の宿・『鶴屋善兵衛』の宿で起こる夜のドタバタ劇です。通称「三人旅」の下。「朝ばい」、「神奈川宿」、「鶴屋善兵衛」、「おしくら」、「尼買い」とも。
 「おしくら」というのは、本来は中山道の熊谷宿から碓氷峠辺りにいる飯盛女の別称。飯盛女を「八兵衛」というのは、シベエ、シベエで合わせて八兵衛というのが語源だという。 六代目円生は舞台を中山道の熊谷宿で演じています。

飯盛女(めしもりおんな);表向きは宿屋の女中が、半ば公然と夜のお相手をしていた宿場女郎。幕府公認の吉原以外は、遊女屋の看板は上げられないが、街道筋の宿屋は2名だけ飯盛女を置くことが許された。 しかし、大勢の旅人相手には2名では当然足りず、女中や下女が女郎の役を果たした。
 宿場の衰退は幕府の宿駅制度を危うくさせることも有り、飯盛女を容認せざるを得なかった。宿場の繁栄は彼女たちの双肩にかかっていて、留女(とめおんな=女客引き)としても活躍した。

 

『岐阻街道 深谷之駅』、渓斎英泉画。飯盛女が描かれている。

定宿(じょうやど);いつもきまって宿泊する宿。常宿。

与太さんの知力;鶴屋善兵衛と咄嗟に読めてしまう実力には完敗。いつもの与太さんと大違い。

 『東海道五十三次・御油』 歌川広重画部分。「留め女」と呼ばれる旅籠の女が旅人らを無理矢理引きずり込もうとしているさまを描く。右側には足を洗って貰う旅人がいます。

足洗ってくれる;江戸、明治時代は街道は舗装されていなく、ホコリまみれで、宿に着くと、当然ホコリにまみれた足を女中さんが洗ってくれた。

風呂ふたくできて;風呂の支度できて。小田原では『風呂』と言ったのでしょうが、江戸では『湯』と言いました。

夜伽(よとぎ);女が男の意に従って共に寝ること。枕のとぎ。

惣嫁(そうか)、草餅、ダルマ、ざるそば;惣嫁=上方で、路傍で売淫する最下級の淫売婦。草餅=草の上で餅を搗くから。ダルマ=直ぐ転ぶから、ざるそば=?。 青森地方では同じようにお饅頭といった、甘い物が苦手な、ある小説家は女中の勧めで「饅頭は食べないか」と言われ、ムキになって断ったが、後で考えると・・・。

年増(としま);娘盛りをすぎて、やや年をとった女性。江戸時代には20歳過ぎを言った。年増の中でも年かさの女を、大年増と言った。また、中ぐらいの年増で23、4歳から28、9歳ごろの女を、中年増と言った。広辞苑
 源ちゃんの相方は、大年増をとっくに通り越して、お婆さんだった。

柳橋(やなぎばし);花柳界で芸娼妓の社会。花街。東京には赤坂、新橋(銀座)、神楽坂、浅草、芳町(人形町)、向島、柳橋等があった。
子規の句で、
 「春の夜や女見返る柳橋
 「贅沢な人の涼みや柳橋
と唄われるように、隅田川に面していて両国橋西詰めから神田川が合流する、その際に架かった柳橋を渡ると、その北側には柳橋と言う町があって、その柳橋花柳界で金持ちは遊んだ。江戸っ子というと職人さん達や小商人さん達ですが、大店の旦那衆は金銭感覚が違っていて、ここは職人達がおいそれと遊べる所では無かった。
 江戸が明治に変わり、新政府に仕える元武士達が東京に大勢入ってきた。その時江戸っ子はその者達を粋さが無いと馬鹿にして軽蔑した。吉原でも同じようにその者達を軽蔑して楽しく遊ばせなかったので、彼らは柳橋や赤坂で遊ぶようになった。ために、柳橋は多いに賑わった。
 また、両国の花火では多いに賑わい、そのスポンサーとしての地位を築いていたが、隅田川の護岸が高くなり川面が見えなくなってしまった。それに輪を掛けて、高度経済成長期であったので、隅田川の水が墨汁のように真っ黒く染まり、悪臭を放って遊びどころでは無くなった。その為、客が激減して営業が成り立たなくなり花火も中止になり、街はマンションや事務所ビルに変わっていった。しかし、現在でも幾つかの料亭は続いています。私の調べでは、和風造りの「傳丸」、ビルの1階で「亀清楼」の2軒が営業していますし、夜になれば料理屋さんとして店を開くであろう和風の昔ながらの店もあります。
 しかし、芸者の元締め、見番が無くなって久しい。と言うことは、残念ながらこの柳橋には芸者が現在絶滅して一人も居ません。
右図;「大正期の柳橋と芸者」部分  大正風俗スケッチ「東京あれこれ」 竹内重雄画

左褄(ひだりづま);(左手でつまをとって歩むからいう) 芸妓の異称。
「左褄を取る」とは、(芸妓となる、また芸妓勤めをする)。

お灯明(おとうみょう);神仏に供える灯火。みあかし。「お灯明をあげる」。



                                                            2016年9月記

 前の落語の舞台へ    落語のホームページへ戻る    次の落語の舞台へ

 

 

inserted by FC2 system