落語「蛸坊主」の舞台を行く
   

 

 露の五郎兵衛の噺、「蛸坊主」(たこぼうず)より


 

 生国魂神社の境内に大きな蓮池が有ったが、現在は無いのです。この蓮池の池畔には藤棚があって綺麗だったようです。この景色を借景にしまして、藤の茶屋という小料理屋さんが有った。

 4人のお坊さんがこの店にやって来て、掛出しに陣取った。女中を呼んで「我々は高野一山の僧形の者で、生臭物は受け付けない。歩いて来たので、喉が渇いている。よってお吸い物をいただきたい。精進物をその後からいただく。決して生臭物は出さないように注意をして下さい」。間もなくお椀に入ったお吸い物が出て来た。「器も良いし、その塗りも良い。器が駄目な店が有るが、この店は良い。味も良い・・・、ん? 一度尋ねてみましょうかな。お女中、この屋の主を呼んでください」、羽織を引っかけ店に出た主は、坊さん連中の話を聞く事になった。「我々は高野一山の修行中の坊主で、戒律で生臭物は禁じられている。精進料理と申しておいたが、この吸い物の出汁(だし)は何を使っているかな」、「親の代から変わっていませので、世間では土佐と言いますが、薩摩を用いております」、「我々僧形の者で有ってな、土佐とか薩摩と言われても良く分からないが、それは・・・?」、「鰹節の産地で御座ります」、「鰹節とは・・・」、「鰹を干したものを・・・。アッ、これは恐れ入りました。申し訳ありません。正さしく魚類で御座います。ただ今、波の花を入れましたお水を持ってきます。それでお口をゆすいでいただいて、その間に昆布の出汁で作り直します」、「おやめなさい。最初に断っておいた。生臭物は出さないように言ってあったはずである。それが、鰹節、カツオ・・・、腹中に入ったので塩水ぐらいでは清まらん。我々4名は戒律が崩れ去った。今までの修行がパーである。高野山には戻れない」、「そこのところは何とか・・・」、「腹中に入ったものはどうしようも無い。今までの修行が台無しになった。で、我々は、経を読むこと以外に何も出来ない。我々4人の坊主を飼い殺しにして貰おうか。言っておくが力は無いぞ、字を書くのも苦手だ。出来る事と言ったら、味噌をすることぐらいか。鰹節で出汁を取ったのだから、ここで養って貰おう。話が決まったら般若湯でも貰おうか」。

 手の込んだ強請(ゆすり)です。4人の坊主を店に置くこともできません。町奉行に訴えることも出来ません。寺社奉行の管轄ですが、この位では奉行は出て来ないという計算が有った。
 この店の緋毛氈で中食をしていた、小柄な品の良い老僧が居た。「お女中。店の評判は誠に良い、先程から経緯は聞いておった。ご亭主を呼んではくれないか」、「当家の主で御座います」、「差し出がましいようですが、口を利いてみようと思うが・・・」、「地獄で仏とはこの様なことです、衣の裾にすがらせてください」、「では、成かならぬか・・・ナムアミダブツ」。
 ほかの座敷の町人連中、なにやら坊主が四枚そろっているのに、一枚増えたのでけんかになりそうだから、ドサクサに紛れて勘定を踏み倒しちまおうと、ガヤガヤうるさい。

 「そつじながら、ご挨拶を申し上げたい。修行のたまもので悟りと申そうか、心の持ちようでそこのところは許してあげてもらえんかな」、「心の持ちようとは何だッ」、「例えば、刺し身を食らっても豆腐だと思えば修業の妨げにはなりますまい。目で見た不淨のものでも心では見ず、口に致しても心では食さず、これも悟道というものでは御座らぬか」、「そこらの僧とは違うのだ。高野一山の僧である。お怪我をせぬうちに引き下がられよ」。
 「戒律厳しい修行で、これが鰹節の出汁だと良く分かったな」、「んッ、戒律厳しいからこそ口にしていなかったからだ」、「では、一つ伺う。『高野一山の僧である』と言われるが、どちらの宿坊かな」、「その様なことは貴様に答える必要は無い」、「では、愚僧の面体はご存じないか」、「貴様の面など見たことは無いわ」、「(大音声で)あの、ここな、いつわり者めがッ!(下座から三味線が入り芝居がかりで)そも、高野と申すは、 弘仁七年空海上人の開基したもうところにして、高野山金剛峯寺と名づけたる真言秘密の道場。百九の道場があって諸国の雲水一同高野に登りて修業をなさんとする際、この真覚院の印鑑なくして足を止めることができましょうや。また、修行がなりましょうや。愚僧の顔を知らずして、高野の名をかたって世間を苦しめる破壊坊主、いつわり坊主、なまぐさ坊主、蛸坊主」、「黙って聞いてれば『蛸坊主』とぬかしたな。蛸坊主のいわれを聞きたい」、「んッ、蛸坊主と言ったが気に入らんか。そのいわれ聞きたくば・・・」、前からおよぐ奴を体をかわして後ろから押すと、ザブンと池の中に。後ろからかかってくる奴を一本背負いで、エイッ、ドブーン。逃げようとする二人を襟と帯を掴んで、池にドブーン。人間頭が一番重いもので四人とも池に落とされ、頭からズブズブ。足だけが水面に出て、「そおれ、蛸坊主」。

 



ことば

生國魂神社(いくたまじんじゃ);生國魂神社(いくくにたまじんじゃ。簡体字:生国魂神社、一般には生玉神社)は、大阪府大阪市天王寺区生玉町にある神社。昔ここに大きな蓮池が有ったが、現在までに埋められて東隣の生玉公園となっている。
下図:摂津名所図会による生國魂神社全景。右下の北向八幡の左側にある大池が蓮池。

 

 大阪市中心部、難波宮跡や大坂城(大阪城)から南西方の生玉町に鎮座する。かつては現在の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して石山本願寺も建立され繁栄したが、石山合戦後の豊臣秀吉による大坂城築城の際に現在地に遷座されている。 この生國魂神社が祭神とする生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)は、国土の神霊とされる。両神は平安時代に宮中でも常時奉斎されたほか、新天皇の即位儀礼の一つである難波での八十島祭(やそしままつり)の際にも主神に祀られた重要な神々で、生國魂神社自体もそれら宮中祭祀と深い関わりを持つとされる。また、同様に大坂城地から遷座されたという久太郎町の坐摩神社とともに、難波宮との関わりも推測されている。その後中世・近世を通じても崇敬を受け、戦前の近代社格制度においては最高位の官幣大社に位置づけられた、大阪の代表的な古社の一つである。 古くからの社殿・神宝は幾多の火災・戦災によって失われたが、現本殿には「生國魂造(いくたまづくり)」と称する桃山時代の独特の建築様式が継承されている。

雲水(うんすい);(行雲流水のようにゆくえの定まらないことから) 所定めず遍歴修行する禅僧。行脚僧。転じて、自由気ままな旅。放浪の僧を広く雲水というが、本来は高野聖と呼ばれる諸国修行の真言僧。

掛出し(かけだし);建物の一部を外方へ突き出して造ること。さじき・縁などを、外方へ張り出して造る。

高野一山(こうやいっさん);高野山は山中に開かれた宗教都市である。山内は西院谷、南谷、谷上、本中院谷、小田原谷、千手院谷、五の室谷、蓮花谷の各地区に分かれ、それぞれに多くの寺院が存在する。これらの地区全体の西端には高野山の正門にあたる大門(重文)があり、地区東端には奥の院への入口である一の橋がある。信仰の中心になるのは、山内の西寄りに位置する「壇場伽藍」(壇上伽藍)と呼ばれる境内地で、ここには金堂、根本大塔を中心とする堂塔が立ち並ぶ。その東北方に総本山金剛峯寺及び高野山真言宗の宗務所がある。この他に、「子院」(塔頭)と呼ばれる多くの寺院が立ち並び、高野山大学、霊宝館(各寺院の文化財を収蔵展示する)などもある。弘法大師信仰の中心地である奥の院は、上述の一の橋からさらに2kmほど歩いた山中にある。

僧形の者(そうぎょうのもの);僧のすがた、僧のみなりをした者。僧侶。

精進料理(しょうじん‐りょうり);肉・魚介類を用いない植物性の食物。野菜類・穀類・海藻類・豆類・木の実・果実など精進物のみを用いた料理。反対語:生臭物

鰹節(かつおぶし);おろしたカツオの身をゆで、または蒸し、焙(アブ)って乾かし、黴付(カビツケ)を施して日光で乾かしたもの。古く紀州に発した。削って出し汁に用いるほか、料理にかけたりする。かつぶし。
 江戸時代には、紀州の甚太郎という人物が現在の荒節に近いものを製造する方法を考案し、土佐藩(現・高知)では藩を挙げてこの熊野節の製法を導入した。江戸時代には鰹節の番付、明治時代には品評会などが開催された。伝統的な枯節は、土佐、薩摩、阿波、紀伊、伊豆など太平洋沿岸のカツオ主産地で多く生産されてきた。

波の花(なみのはな);(女房詞) 食塩。塩は邪悪な物を清澄にするという。相撲の土俵上でまく塩など。

飼い殺し(かいごろし);家畜を死ぬまで飼うこと。転じて、役に立たなくなった者を一生養っておくこと。また、能力を発揮できる仕事を与えないまま雇っておくこと。

般若湯(はんにゃとう);(僧の隠語) 酒。
 五戒とは、不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒・不妄語戒・不飲酒戒の五つ戒めです。 最後の不飲酒戒の場合は、酒を飲むこと自体をいましめたというよりも、酒を飲むことによって、前の四つの戒めを犯しやすくなるからという理由によって制定されました。「酒を飲むこと自体がいけないのではないから、酒を飲んでも他の悪いことをしなければよいはずだ」と解釈するようになった。薬として身体のために少しぐらい飲むのならよかろう、ということで、酒として飲むのではない、という意識から、「智恵のわきいずるお湯」という意味を持った「般若湯」という名をつけた。 『般若』というのは、単なる人間の知識や知恵ではなく、真実を見抜く悟りへの智恵ということで、智恵のわきいずるお湯と言われるようになった。

強請(ゆすり);悪意を持って無理に要求を通すこと。

町奉行(まちぶぎょう);戦国時代末ごろからの武家の職名。江戸幕府では旗本から登用し、老中の支配下に、江戸・京都・大坂・駿府・奈良・堺・長崎などに置き、行政・司法・警察等をつかさどり、特に町政を管轄し訴訟を聴断した。単に町奉行といえば江戸町奉行を指す。江戸時代では勘定奉行・寺社奉行・町奉行などがあった。

寺社奉行(じしゃぶぎょう);武家時代、寺社に関する人事・雑務・訴訟の事をつかさどった職。江戸幕府では三奉行の第1で、奏者番が兼帯し、将軍に直属。寺社・神職・僧侶の管理・訴訟、寺社領の人民の支配や訴訟、連歌師・楽人・検校などに関する事をつかさどった。

宿坊(しゅくぼう);寺院に参詣した人の宿泊する寺坊。宿院(スクイン)。寺院で僧侶が生活する所。僧坊。
 高野山内の寺院数は総本山金剛峯寺と大本山宝寿院を除いて117か寺とされている。ただし、この中には独立した堂宇としては現存せず、寺名だけが引き継がれているものも含まれる。山内寺院のうち52か寺は「宿坊寺院」となっており、塔頭寺院と参拝者の宿泊施設を兼ねている。これらの寺院は平安時代には単なる僧の住居である草庵に過ぎなかったが、鎌倉・室町期以降に諸国の大名の帰依により現在のようなある程度の規模がある寺院に発展したものである。国宝の多宝塔を有する金剛三昧院も宿坊の一つである。

高野山金剛峯寺(こうやさん_こんごうぶじ);金剛峯寺(こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗総本山の寺院。 高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。100か寺以上の寺院が密集する、日本では他に例を見ない宗教都市である。京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が修禅の道場として開創し、真言密教の聖地、また、弘法大師入定信仰の山として、21世紀の今日も多くの参詣者を集めている。平成16年(2004)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部。 「金剛峯寺」という寺号は、明治期以降は一つの寺院の名称になっている。しかし金剛峯寺の山号が高野山であることからも分かるように、元来は真言宗の総本山としての高野山全体と同義であった。
 東西60m、南北約70mの主殿(本坊)をはじめとした様々な建物を備え境内総坪数48,295坪の広大さと優雅さを有しています。

真覚院(しんかくいん);高野山中には実在しない寺院です。落語の中で、実名を出したのではまずいので仮名にしたのでしょう。似た名前の寺院には本覚院があります。
 本覚院(ほんかくいん);本覚院は、高野山真言宗 総本山金剛峯寺の塔頭寺院、別格本山。
本覚院は後鳥羽院の建久年間(1190年)行空上人が待宵小侍従の請によって登山し、弘仁年中、弘法大使が自ら六地蔵菩薩を彫刻して安置せられた所、即ち今の本覚院境内に宿して読経せられるに、地蔵菩薩出現し尊像光を放って告げられるには、汝此処に住せよと、行空感喜して遂に講坊十二院を建立し、常に法華経を講ぜられたので講坊と称せられました。
 宿坊としても完備され、いくつもの庭園に囲まれた静かな客室は大小あわせて57室(最大285名)あり、全室落ち着きのある和室です。冷暖房はもちろんテレビも全室に整備、いつでも快適に過ごせるよう配慮されています。



                                                            2016年9月記

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