落語「意地比べ」の舞台を行く
   

 

   岡鬼太郎作
 柳家小三治の噺、「意地比べ」(いじくらべ)より


 

 「50円貸して下さい。”ん”と言って下さい」、「無いから貸せないね」、「今日中に50円無いと男が立たなくなるんです。お願いします。表店を持っていて、裏には長屋があるでしょ」、「50円という大金、無いね」、「今日50円ここで借りると、決めて出て来たんですから・・・」、「無い袖は振れないね」、「帰らないよ。5日でも6日でも」、「今日中に必要なのに6日に出来たってしょうが無いだろ」、「ここで借りると出て来たんですから」、「警察呼ぶよ」、「もし、ブタ箱で死んだら恨んで出て来て、孫子の代まで取り殺す」。「とにかく話しをしてごらん」、「どうしても仕事が上手く行かない。その時隠居さんが遊んでいる金が50円あるから、『無利息無証文催促無しで貸してくれた上、おまえさんの無理の無い時にお返しなさいと』言ってくれた。こんなありがたいことは無い。自分は晦日までに必ず返すと心に決めましたので、どうしても今日中に返さないと男が立たない。1日に借りて今日が晦日でしょ。返せないと自分の心に嘘を付くようで、やなんです」、「そうか。イイね。だったら貸そう。でも、本当に今は無いんだ。でも心当たりがあるからかき集めてくるから待っておいで」。
 「50円入ってるから、これを持って、返しておいで」、「アリガトウございました」、「帰りに寄りなよ」。

 地主さんから借りた金を持って、強情隠居さんの所に来た。「こんにちわ」、「お父さん、八五郎さんがお見えになりました」、「こちらに通して」。「その節はお世話になりました。あの~、これ・・・」、「何だい。あの時の50円かい。言っただろう『無理の無い時にお返しなさい』と、見たとこあんまり楽そうじゃ無いな」、「実はそうなんです。貸せないと言うのを無理矢理借りてきたんです」、「無理に借りた金は受け取れない。返しておいで。伜や、そこに有る木刀をよこしなさい。脳天をたたき割る」、「じょ~だんじゃない。サイナラ」。

 「あの~」、「行って来たかい」、「怒られて帰ってきました。で、これ返します」、「男が立たないと言うから、用立てたのに『要らない』だとッ・・・」、「先方は受け取らないというので・・・、受け取って貰わないと、アッシの顔が立たない」、「お前の顔が立たないと言うが、私の顔はどうなるんだよ。頭下げて集めてきた金だよ。もう一度向こうに行って返しておいで。『自分の心に嘘つくのがやだから』と言ったんだろ」、「それを言う前に木刀で脅されたので・・・」、「婆さん、そこらにある薪割り持って来な」。
 そこにお婆さんが知恵を付けてくれた。「八っつあん、貴方も本当のことを言う人がありますか。嘘も方便と言って、無尽に当たって、溜まっていた家賃は全部払って、出入りの商人には全部払った」、「奥さん、とんでもない、店賃は一度も溜めたことは無いし店に借も無い・・・」、「そこは方便ですよ」、「ダメですよ。私は今まで嘘を付いたことが無いんです」、「まだそんな事言ってるの。この薪割りで頭を・・・」、「サヨーナラ」。

 「ごめんなさ~い」、「八っつあん、先程は申し訳ない事したね。伜に怒られちゃったよ。お茶入れるから上がんなよ」、「・・・(ソーッと金包みを出す)、聞いて下さいよ。さっき借りたと言ったのは違って、無尽に・・・(その後スラスラと出て来ない)無尽に当たったとか」、「『とか』と言うのは何だ」、「思わぬ金で、家賃の溜まっているのを払い・・・」、「普段から家賃を溜めているのか?」、「(大声で)借りなんかねぇ~」、「ビックリするじゃないか」。
 「聞いて下さい。旦那が貸してくれたとき『無利息無証文催促無しで貸してくれた上、おまえさんの無理の無い時にお返しなさい』と。口には出さなかったけれど、思ったんですよ。腹の中で手を合わせちゃったんです。いつまでも借りていたらいけない。必ず、一月で返そうと心に決めたんです。金は無いが心が許さない。で、借りてきて、今お返しに伺った」、「好きだよ、そ~いうの。返して貰おう。しかし、一月というのは明日1日昼過ぎだ」、「それって可笑しいでしょ。私の心の中での話しで、隠居さんは混ざっていませんよ。そうでしょうけれども、半日でも、一日でも早く返すから、アッシの溜飲が下がるんですから」、「なにぃ~。わたしゃ、溜飲なんて下げさせないからね。明日じゃないと受け取れないよ」、「そうですか。アッシだって、明日の昼までここを動かないからね」、「私も付き合って、ここに座るよ。仇同士じゃ無いんだ、ここでイッパイやろうじゃないか」、「・・・、せっかくですから」。
 「伜や、すき焼きするから牛肉買って来な。八っつあん、牛肉食べるかい」、「食べたことが無いんで・・・」、「さっき、お前とすき焼きでイッパイやろうと心で決めたんだ。ここら辺りでは相当な意地っ張りだと思っていたが、負けていないな。男というものはそうでなくてはならない」、「でもそれで随分損をしているんです。だからって、引っ込める訳にはいかないんです」、「燗が付いたから一杯やらないか。伜は遅いね。2時間は経ってしまった。気が短いので、交番にしょっ引かれているかも知れないので、チョッと見てくるよ。こんな事情だから許して貰うが、そのスキにお金置いて帰ったら承知しないよ」。

 「牛肉なって、そんな遠くじゃないよ。ん?あれは伜だな。妙な男と向かい合っているな。往来で突っ立って・・・」、声を掛けた。「伜、お~ぃ、どうしたんだ」、「お父さん、牛肉買おうと思って、ここまで来ると、この人と向かい合ったんです。この人がどいたら向こうに行こうと思っているんですが・・・。この人がなかなかどかないんです」、「お前さんも、少しどちらかに避けたらどうだ」、「アンタはこの人の親御さんかい。世の中にこんな強情も居ないね。私は駅に人を見送りに行くんだが、2時間も経って、もう人なんか居ないよ。こうなったら、この人がどくまで動かないよ」、「面白いね。この勝負どちらが勝つか見届けてやる。でも八っつあんが腹を空かせて待っている・・・。伜や、チョッと牛肉買って来な」、「お父さん、そんな事したら私が負けます」、「う~ん、心配するな。その間オレが代わりに立っている」。

 



ことば

■作者は岡 鬼太郎(おか おにたろう、明治5年8月1日(1872年9月3日) - 1943年(昭和18年)10月29日)は、歌舞伎作家、劇評家、著述家。本名嘉太郎(よしたろう)。号は鬼吟(きぎん)。
 新聞記者として、鬼太郎の名で厳しい劇評を書く。岡本綺堂と親しく、その影響で花柳(かりゅう)小説や戯曲も書いた。1908年記者を辞め、永井荷風とともに二代目市川左團次の演劇革新運動に加わる。1912年松竹に入って書いた戯曲「小猿七之助」「今様薩摩歌」は今でも上演される代表作である。その傍ら、戯曲の創作、辛口の批評で人気を集め『鬼言冗語』などの歌舞伎関係の批評随筆を多く残した。公正で反俗的態度を貫いた鋭利辛辣(しんらつ)な劇評は、劇界の指針として高く評価された。落語でも、若手真打はもちろん、大師匠ですら、その辛らつな批評に震え上がったそうで、六代目三遊亭円生も 「本当にこわい先生でした」と回想しています。
 この噺「強情比べ」は初代三遊亭円左により初演、四代・五代柳家小さんに伝わった。懸賞募集の応募作だという。落ちは中国の『笑府』にある。

強情者参上! 中国の古典『晋書』にある「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」は、晋の孫子荊(孫楚=そんそ)がまだ若かった頃、厭世し隠遁生活を送りたいと思い、友人である王武子(王済=おうさい)に、漱流枕石=「山奥で、石を枕に、清流で口を漱ぐという生活を送りたい」というところを間違えて、漱石枕流=「石で口を漱ぎ、流れを枕にしよう」といってしまった。王武子が「流れを枕に?石で口を漱ぐ?できるものか」と揶揄した。すると孫子荊は負けじと「流れを枕にするのは俗世間の賤しい話で穢れた耳を洗いたいからだ。石で口を漱ぐのは俗世間の賤しいものを食した歯を磨きたいからだ」といい返し、自分の過ちを認めなかったという。
 漱石枕流は、うまくごまかして言い逃れること、負け惜しみが強いこと、を意味する。「さすが」という言葉に「流石」という漢字を当てるのも、この逸話から。夏目漱石というペンネームもここから取っているが、一度言い出したら絶対に曲げない「強情者」という意味でペンネームにしたという。

50円;明治の初め頃、明治政府は1両を1円と言い変えました。1円を10万円としたら、当時の500万円の貨幣価値があります。右から左に融通できるような金額ではありません。現在の感覚で数千万円はしたでしょう。

表店(おもてだな);格子状になった表通りに面した店。その表店に囲まれた裏側に長屋があった。それを裏長屋と言った。その裏長屋や表店を持っているのが、地主と言った。大家は長屋の管理人で、地主に雇われている。

無利息無証文催促無し(むりそく・むしょうもん・さいそくなし);
 利息:高利貸しでは元金2両に対して利息は月1分より少し安いぐらい。年利にすると15割、元金を超えてしまいます。質屋で年1割5分から1割2分であった時にです。棒手振りのようなその日の仕入資金を100文借りて、その日の夕刻に返すと101文であった。安いようだが年利3.65割。武家が市中から借りるのも年10割近くかかっていた。それを無利息でイイという好条件。
 無証文:元本利息を確実に返済させるためには、後日の証として必ず証文を作った。
 催促無し:期限無しの貸し金と同じで、年10割(元金が倍)時世に、親子でもしない約束であった。

嘘も方便(うそもほうべん);嘘をつくことは悪いことではあるが、時と場合によっては嘘が必要なときもあるということ。例えば、時には嘘も良い時があります。結構重い病気だったとして本人に伝えるとき大したこと無いよ、と嘘をついたりするのを時には嘘も悪くはないって感じです。
方便:〔仏〕(梵語 up ya) 衆生を教え導く巧みな手段。真理に誘い入れるために仮に設けた教え。目的のために利用する便宜の手段。てだて。たとえば、極楽や地獄があるから、現世では善行をなさなければならない。

無尽(むじん);庶民金融の一。頼母子講(たのもしこう)のことで、互助的な金融組合。組合員が一定の掛金を出資、一定の期日に抽籤または入札によって所定の金額を順次に組合員に融通する組織。鎌倉時代から行われた。無尽。無尽講。

溜飲(りゅういん)が下がる;胸がすいて気持がよくなる。不平・不満が解消して気分が落ち着く。

すき焼きするから牛肉;明治に入って四つ足(獣肉)が表だって食べられるようになった。それまでは、獣肉は忌避されていて、食卓に上るようなことは無かった。ま、これは建前の世界で、本音では、イノシシは山鯨、またはボタンと称し、馬は桜、鹿はモミジ、と言葉を変えて食していた。また、薬食いとして病人には食べさせていた。
それが、幕末から明治に入ると諸外国の技術者や指導者が日本に入って来て、獣肉の需要が急激に上がってきた。それまでは、入港する船で輸入されていたが、間に合わなくなって東京の築地では牛肉の解体が行われ、その需要をまかなっていた。その関連商品として、牛乳やチーズ、バターが作られるようになった。
文明開化の恩恵としてフランス料理のレストランや、牛鍋(すき焼き)等がこぞって食べられるようになり、その食堂も各所に出来、民衆も食べるようになった。

「オランダ商館の厨房」 川原慶賀筆 『唐蘭館絵巻』より 長崎市立博物館蔵。

 「牛鍋」 安愚楽鍋 東京家政学院大学図書館蔵。 江戸時代、「ももんじ屋」(イノシシ料理店)等と名を変えた料理屋で食べられていたが、幕末になると横浜、京都などで牛鍋屋が開業した。牛肉にネギを入れ、味噌で調理した牛鍋は、明治期に爆発的に流行した。



                                                            2016年10月記

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