落語「水道のゴム屋」の舞台を行く
   

 

 六代目三升家小勝の噺、「水道のゴム屋」(すいどうのごむや)より


 

 「水道のゴム屋あっさり断られ」と川柳にあります。戦前までは多くいて12.3歳の子供が多かった。

 頭の先から声が出るような「うんちわ~、水道のゴムはいかがですか~」。
 「何だと~」、「水道のゴム要りませんか?」、「誰が買うと言った。オレに恥を掻かせるつもりだな。俺んとこには水道がねぇ~んだ」、「要らなければ要らないと言えば良いのに」。

 「うんちわ~、水道のゴムはいかがですか~。お婆さん、水道のゴム要りませんか」、「ほうほう、どちらかな。そうか、炭屋の小僧か。ええ?酔狂な米屋」、「違いますよ。水道のゴム屋です。分かりますか」、「分かりませんよ~」、「分かるまで話ししていたら日が暮れちゃうよ」。

 「うんちわ~、水道のゴムはいかがですか~」、「要らないよ」、「ガスのゴムも御座いますが」、「要らないよ」、「味噌こしは」、「要らないよ」、「あの~」、「要らないよ」、「早いな。旦那帰りやすくしてください」、「商人はそう来なくてはいけね。話している間に要らない物でも買ってしまう。年は幾つだ?」、「十三でございます」、「柄が大きいから十五、六に見えるな。学校へ行ったか」、「五年まで行きましたが、お父っつぁんが大病をしたので奉公しました」、「そいつは惜しいことをした。親を大事にしてやれ。どこだ、故郷は」、「東京で」、「何だ、江戸っ子じゃねえか。その心持ちを忘れるなよ。今におまえが大きくなったら、水道のゴム会社の社長にならなくちゃならねぇ。感心だな。あっははは、いくつだ年は?」。
 「ええっ、十三」、「柄が大きいから十五、六に見えるな。学校へ行ったか」、「ですから、五年まで行きましたが、お父っつぁんが大病をしたので奉公しました」、「そいつは惜しいことをした。親を大事にしてやれ。どこだ、故郷は」、「なんだな~。東京と言っている」、「何だ、江戸っ子じゃねえか。その心持ちを忘れるなよ。今におまえが大きくなったら、水道のゴム会社の社長にならなくちゃならねぇ。感心な小僧だな。あっははは、いくつだ年は?」。
 「随分物忘れが激しい人だな」、これを三回繰り返し、しまいには「物覚えのいい小僧だ。オレんとこはいらねえから、脇に持って行ってくれ」、「そんな~。時間が無駄になってしまった」。

 「うんちわ~、水道のゴムはいかがですか~」、「奥さん、水道のゴムは要りませんか」、「ウルサイッ! 畜生メ。何言ってんだ。水道のゴムどころじゃ無いわョ」、だんなの浮気でヒステリーの真っ最中。「家の人、今日で3日も帰って来ないじゃないか」、「私は・・・知りませんよ。変な家に入って来ちゃったな。行き先なんか分からないんですか」、「見当は付いてるのよ。家の人は悪魔よ、嘘つきよ、フラフラッと結婚しちゃったけれど、結婚するとき20万円貯金が有るというの、見たら下ろした後の通帳じゃないの。温室が有って四季の花が咲いているのは、お隣の家じゃないの。結婚一年で家を空けるなんてどういう事よ」、「私に言われても・・・」、「私は決心したの、復讐してやるわ。水道のゴムだけでは無く、ガスのゴムも持っているんでしょ」、「サヨーナラ」。

 「うんちわ~、水道のゴムはいかがですか~」、「君が水道のゴムを売っているのかい。えらいな~。そのゴム1尺幾らするの?」、「19銭です」、「2尺はいくら」、「え~と・・・38銭です」、3尺、4尺、5尺と聞いてきて、「しからば百七十三尺六寸では?」、「6寸なんて半端を・・・、今計算しますよ」、小僧が四苦八苦して計算していると、「もう良い。そういう時にはこういう便利なものがある。 これは最近、九九野八十一先生が考案した完全無欠の計算器。かけ算、割り算はもとより、代数から高等数学までたちどころに分かる。こっちコッチ、近くによってご覧なさい。173.6を合わせると答えは19の上に出ている。32円98銭4厘と出ている。能率が上がるから他の小僧達より売り上げが有るから、会社も認めて出世のカギになる・・・」、露店で売るような方法で、小僧に売り付けた。「5円の商品だが、宣伝広告中で3円にしておくが、君だから特別半額の1円50銭でイイ」、「冗談じゃ無い」。
お馴染みのゴム屋でした。

 



ことば

六代目三升家 小勝(みますや こかつ);(1908年8月3日 - 1971年12月29日)は、東京出身の落語家。本名、吉田 邦重。生前は落語協会所属。出囃子は『井出の山吹』。通称「右女助の小勝」「糀谷の師匠」と呼ばれた。夫人は舞踊の花柳一衛。
 神田錦町の電機学校(現:東京電機大学・北千住駅前)卒業後、東京市水道局(現:東京都水道局)に勤務し金町浄水場の技師を務める。当時の落語家の中では珍しいインテリ出身であり、協会の幹部候補だった。
 昭和5年(1930)3月、叔父の友人「中村さん」の紹介で、曲芸の春本助次郎を通じて八代目桂文楽に入門。文楽の「文」と中村の「中」から一字ずつ取って「桂文中」と名乗り、常磐亭で初高座。昭和8年(1931)3月、「桂文七」で二つ目に昇進する。昭和11年(1936)5月にキングレコード専属となり、最初の吹き込みレコードを発売。このレコードに収録された自作の新作落語『水道のホース屋(のちの『水道のゴム屋』)』がヒットする。昭和12年(1937)5月、「二代目桂右女助」を襲名、真打昇進。明るくスマートな芸風で、高座でもレコードでも人気を博す。
 太平洋戦争中2度応召に遭い、寄席の高座やレコードの吹き込みも中断された。戦後も新作落語を高座にかける一方、古典落語にも力を入れ、三代目三遊亭金馬、二代目三遊亭円歌と並んで「両刀使い」と称された。
 昭和31年(1956)3月、「六代目三升家小勝」を襲名。襲名披露興行中の同年4月、右手にしびれを感じて軽い脳溢血に陥る。東宝演芸場での襲名披露には半分の日程を残して出演できなくなり、落語家として致命傷というべき言語障害に苦しむ。必死のリハビリの末、同年6月に高座復帰するも、右女助時代の気力と体力を取り戻すことはできず、師匠・文楽が昭和46年(1971)12月12日に没してからわずか17日後の同月29日、後を追うようにして死去。享年六十三。墓所は谷中佛心寺。戒名は「慈観院楽説日勝居士」。

小勝は、八代目桂文楽門下の俊秀で創作の才に富み、この噺は入門間もない前座(桂文中) 時代の昭和6年ごろの作です。二つ目のころから人気者で、右女助時分は新作で売れに売れました。
 「水道のゴム屋」は、創作から5年温めて、キングレコードから 「水道のホース屋」としてSP発売。大当たりで、客席から「ゴム屋ッ!」と声がかかるほどの大ヒット。でも、なかなか売れず、浪曲で「オレんとこじゃ買わねえんだ」と断られるくだりは、明らかに古典落語の「豆屋」を下敷きにしていて、サゲの部分は「壷算」「花見酒」などの踏襲でしょう。「モダンガール」風の奥さんが「ウチのひとったらうそつきよ、色魔よ、復讐してやるわ。精神的に復讐してやるわ」と、ヒステリックに小僧にわめき散らすところが当時のメロドラマ映画と重なり、大受けだったようです。当時、まだまだ十分普及していない家庭用上水道事情を知る上で貴重な資料ですが、未成年労働者といい、あまりに隔世の感がありすぎな噺です。不遇な晩年、右女助(当時)は、出世作の「ゴム屋」に続き、「妻の釣り」「操縦日記」、酔っ払いを諷刺画風にした「トラ」シリーズなどの新作を数多く自作自演。古典でも「初天神」など、子供の登場する噺や「穴泥」「天災」ほか、軽いこっけい噺など、明るく軽快なテンポで、人気を博しました。

水道のゴム;水道のゴムホース。昭和初期にはホースを売り歩いていたんですね。当時のホースはゴム製で大変重いものでしたが、最近は合成樹脂製で軽く取り扱いも簡便になりました。ただ、ガスのホースはゴム製もありますが、安全性を考えると口金が付いた、網入りの樹脂製が主流になっています。水道用も網入りが有って、ホースの先端にノズルを着けて散水したり、車を洗う時はホースがパンクしたりしますので、網入りが丈夫で耐久性が有りますが、当然高価になって来ます。
 戦前は江戸時代から続く物売りが、各家庭まで売りに来てくれました。行商は当たり前で、便利でしたが、最近はとんと行商人も御用聞きも見なくなりました。
右図:散水用のホース。

味噌こし(みそこし);曲物の底に竹の簀を張り、または細く削った竹でフルイのように編んだもの。主として味噌汁を漉して滓を取り去るのに用いる。また、小さなざるに柄のついたものもあり、味噌汁に直接味噌を溶き入れるのに用いる。味噌漉し笊(ザル)。
 水道のホースだけでは無く、家庭用雑貨まで売り歩いていたんですね。

右図:味噌こしと味噌すり。現在は、アルミやステンレスで出来た物が主流です。

未成年労働者(みせいねんろうどうしゃ);現在の労働基準法は昭和22年(1947)に制定されました。それ以前、我が国においては労働基準を定める法律として工場法、商店法等が存在していたが、それらはいずれも労働者を保護するには不十分なものであり、労働基準法が日本初の本格的な労働者保護法規であると言えます。
 現・労働基準法で、18歳未満の雇用は一定の条件下で無いと雇用できません。特に義務教育期間を終了した者(15歳以上)で無いと雇用の対象になりません。違反すると1年以下の懲役、または50万円以下の罰金になりますが、非工業的な職業で、健康や福祉に有害でなく、労働が軽易なものについては雇用可能で、映画や演劇の事業(子役など)については雇用可能です。家庭内で家のお手伝いは、雇用でないので使用は構いません。
 戦前は義務教育と言っても、強制力が弱く落語「代書屋」等でも卒業でなく中退など多く散見されます。

工場法:日本における近代的な労働法の端緒ともいえる法律であり、その主な内容は、工場労働者(職工)の就業制限と、業務上の傷病死亡に対する扶助制度である。ただし、小規模工場は適用対象外であり、就業制限についても、労働者全般を対象としたものではなく、年少者と女子労働者(保護職工)について定めたにとどまるなど、労働者保護法としては貧弱なものであった。 工場法は、労働者の権利として合理的な労働条件を保障するものではなく、「慈悲の規則」「労働力保護の例外的規則」であったと評される。工場法制定にあたっても、「産業の発達」と「国防」という面が強調されており、今日の労働法のような「労働者の保護」を目指した法というより、人的資源としての「労働力の保護」という思想の下に制定されたものであった。
 制定時の規定では、工場法施行の際10歳以上の者を引続き就業させる場合を除き、12歳未満の者を就業させることが禁止された(2条1項)。ただし、官庁の許可があれば10歳以上の者を就業させることができる例外規定が存在した(同条2項)。

商店法:商店などの使用人保護を目的とした18条からなる法律。休日や閉店時刻などを規定。昭和13年(1938)制定、同22年労働基準法の施行により廃止。

計算尺(けいさんじゃく);対数の原理を利用したアナログ式の計算用具。棒状や円盤状のものがある。 ほとんどのものが乗除算および三角関数、対数、平方根、立方根などの計算用に用いられる。加減算を行えるものは非常に稀である。計算尺は結果をイメージとして示すものであり、得られる値は概数です。
 特定の目的の計算に特化した計算尺も数多く作られている。航空エンジニア向けの航空機の燃料計算から家電セールスマン向けの電球の寿命計算、写真撮影用の計算尺式露出計、操縦士・航空士が航法計算に用いる「フライトコンピュータ(カリキュレーター)」など、さまざまな分野で特化型の計算尺が作られ、現在も様々な計算尺が製造されています。
 昭和45年(1970)代頃まで理工学系設計計算や測量などの用途に利用されていたが関数電卓の登場で市場がなくなり、昭和55年(1980)頃には多くのメーカーで生産が中止された。
 右写真:これは写真撮影の時に使う露出計です。

 私も使ったことがありましたが、電卓が登場したのを期に、使わなくなってしまいました。解の有効数字は3桁ぐらいで、詳細は判りませんし、桁は自分で式の状態から導き出さなくてはなりません。一桁違うと10倍(又は1/10)の違いですから、解答の数字より大きな誤差となってしまいます。
 173.6を合わせると答えは19の上に出ている。32円98銭4厘と出ている。とは噺の上で、実際は173X19で329と解が出ます。概数ですからこれで正解とし、単位は頭の中で考えます。噺の4厘なんて、とんでもないことです。 



                                                            2016年10月記

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