落語「尻餅」の舞台を行く
   
 


 八代目三笑亭可楽の噺、「尻餅」(しりもち)


 

 『大晦日箱提灯は恐くない』という川柳がありました。暮れが押し迫ってくると、普段怖がっている武士が下げる箱提灯より、商家がかかげる弓張り提灯の方が恐かった。それって、集金人の持っている提灯だからです。『元日や今年もあるぞ大晦日』、この位の気持ちなら、暮れは越せるのですが・・・。

 金算段で歩き回って戻ってきたが、何処も融通はしてくれない。「家に居ると借金取りが来て大変なんだよ。『晩になったら届けてあげる』と言っておいたよ」、「『晩になって出来ましたらお届けします』と言わなければダメだよ」。
 「今晩は・・・、コンバンハ、薪屋で御座います。お忙しゅう御座います。また居ないのか、何度足を運ばせるんだ。・・・、いらっしゃるんですか」、「『お忙しゅう御座います』と言うから、家じゃ無いと思ったんだ」、「奥さんが『晩になったら・・・』と言うので、寄らせて貰いました」、「払ってさっぱりしたいね」、「では、さっぱりして下さい」、「逆さに振っても、鼻血も出ないんだ。無いからお帰り」、「親方、口の利き方がありますよ。『無いからお帰り』は無いでしょう。小僧の使いじゃ無いんですから・・・。横町で会ったときも、そっぽを向いて行っちゃった。普段が大切だ。ニコッて笑って通ったってバチは当たらないよ。こうなったら、貰うまで動かないよ」、「算段に行ってくるが、半年かかるか分からない。その間動くなよ。死んだら、死骸は店に届けてやるよ」、「ヤダナ~、貰ったつもりで帰るよ」、「なんだよ『つもり』って言うのは・・・」、「勘定はもらった・・・」、「だったら、受け取り置いて行け」、「からかっちゃ~いやだよ。分かった、持ってけ~」、「投げ出したな。2円80銭、受け取り候。印鑑が押してない」、「押すよ~」、「そんなに押すなよ」、「沢山有った方が賑やかで良いだろう。帰るよ」。

 「まだ、餅を搗いていないんだ。近所では、もう搗いてしまったんだ。恥ずかしいよ」、「音がすれば良いんだな」、「そうだよ」、亭主は気が乗らないが、奥さんはそうも言ってられない。ごろ寝をしていた亭主を起こし、「餅を搗くんだ」、「外から怒鳴り込んで来るからな。何をやっても文句を言うなよ」、そっと外に出て、聞こえよがしに大声で、「こんばんは、『えー、餅屋でございます。八五郎さんのお宅は・・・ここですな!』」、「旦那さんから、お酒が出て、ご祝儀もらったよ」、一人二役で大変になって来た。
 「水汲んで来な。お前はかまどの番頼むよ」、「フー、ふ~、餅米が蒸けてきたよ。『そろそろお餅を搗きますので』・・・、おっかあ、臼を出せ」、「臼って何だい?」、「お前の尻だよ。早く出せ。もっと着物をまくれ。デカい臼だな。フー、ふ~・・・」、「寒いよ、そんなに吹いたら・・・」、「ホッ、(ポンポンポンと小気味のいい音が響いてきた)、コラショ、ヨイショ・・・そら、ヨイヨイヨイ! アラヨ、コラヨ、ポンポンポン」 、「あら、イタタッ、痛いよ。目が回っちゃったよ」。
 「上がったよ~、上がったよ~、フ-、ふ~」、「まだやるの?」、「ひと臼と言うことは無いだろう。少しはガマンしろ。コラショ、ヨイショ・・・そら、ヨイヨイヨイ! アラヨ、コラヨ、ポンポンポン」、「あッ、イタタッ、痛いよ。チョイと~、餅屋さん~、まだどの位有ります?」、「え~、まだ、二臼有りますが・・・」、「後の二臼はおこわにして下さい」。

 



ことば

■「餅つき」という内容から、年末に演じられることの多い作品。決して転んで尻餅をつくのとは違います。上方では、「おこわにしとくれ」というオチが「白蒸(しろむし)で…」となっている。 おこわや白蒸は、もち米を蒸して、まだ搗いていない状態のもので、『もう叩くな』という意味です。八代目可楽はこの前に『掛取万歳』の前半部を付け、この夫婦の貧乏と能天気を強調しておくやり方を取っていた。上方では笑福亭系の噺で、五代目・六代目松鶴の十八番だった。ちなみに、要となる『餅をつく音』は、丸めた掌をもう一方の掌ではたいて表現しています。

 ここだけの内緒話。貧乏長屋の土間(入口の土足で入る場所)は畳半畳の広さしかありません。そこに臼をしつらえて、大の男が杵をふるって餅を搗く余裕はありません。また、その餅をくっつかないようにする相方も必要です。下の図でも分かるように、臼を中心に二人掛かりです。そんな事も忘れて尻餅を搗く二人に笑い転げることになります。

■昔の大晦日は、日付的にも金銭的にも一年の「総決算」だったため、人々の心はかなり殺気立っていた。 大晦日を題として川柳には、どれもただ事ではない雰囲気が漂っている。
 「大晦日 ますます怖い 顔になり」
 「大晦日 猫はとうとう 蹴飛ばされ」
 「大晦日 どう考えても 大晦日」
 「押入れで 息を殺して 大晦日」
噺にも出て来る極め付きなのが次の句、
 「元日や 今年もあるぞ 大晦日」
 昔の江戸っ子は『宵越しの銭は持たない』がモットーだったため、年末が来るたびにいろいろな意味で大騒ぎをしていた。

 図、上:十二月之内 師走 餅つき 歌川国貞画 家族中で手分けして作業している。江戸東京博物館蔵
 図、下:餅つき、『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年出版

白い尻;東京でも上方でも、女房の尻をまくった亭主が「白い尻だなあ」と言うセリフがある。 江戸時代には、床を共にする際の《後ろからのアレ》は問題視されていたため、八は初めて見る女房の尻につい見とれてしまったのだろう。 尻を引っぱたく亭主がだんだんと”過熱”していくなど、どこと無く『艶がかった』内容の噺です。

梅屋;北海道様似郡様似町本町2丁目115。右写真:冗談で作ったのが当たって今では名物に・・・。

白蒸し;もち米の蒸したもので、ウラ盆に仏に供える。赤飯に対して、これは色をつけていないので、白蒸しという。

箱提灯(はこぢょうちん);上と下とに円く平たい蓋があって、たためば全部蓋の中に納まる構造の大形提灯。蓋には蝋燭を出し入れする孔がある。

弓張り提灯(ゆみはりぢょうちん);鯨のひげや竹を弓のように曲げ、火袋をその上下にひっかけて張り開くように造った提灯。弓のところを持つ。

 

 「東海道五十三次 関」 広重画 本陣から旅立ちで陽が出る前の朝の風景。

 上図左の煙草を吸う小者の前に置かれたのが、弓張り提灯。幔幕や提灯の柄は広重の実家「田中家」を図案化したもので、回りを御所車で囲ってあります。

 上図正面奥で持っているのが、箱提灯。箱提灯に描かれている図柄は、四角の中にカタカナのヒが描かれ斜めにしたもので、広重の意匠で、遊び心です。
 吉原で、道中や茶屋の送り迎えに使う提灯も箱提灯です。

大晦日(おおみそか); 1年の最終の日。おおつごもり。
 街中の商店は、町内の者には掛け売りを認めていた。これは、現代と違い商人と顧客が信頼関係で結ばれていて、取引はおおむね盆暮れ勘定、つまり支払いがお盆と年末の年2回だった。その2回は待ってくれないので集金する方も、支払う側も必死だった。落語の中でもそのドタバタを描いた噺は多い。

薪屋(まきや);燃料にする木。雑木を適宜の大きさに切り割って乾燥させたもの。たきぎ。わりき。それを売る店。石炭や石油の化石燃料が無い時代に、燃料と言えば炭やたきぎの薪しかなかった。現代で言えば燃料屋さんで、生活に欠かせない商売であった。江戸の周辺地から農閑期の冬に炭を焼いて都市部に出荷されていました。エネルギーの最重要品目でした。その薪も買えない貧乏人が住む長屋を戸無し長屋と落語では言っています。戸も下水の板まで燃やしてしまったのです。

餅を搗く(もちをつく);多くの蚊が群れて上下しあう。また、男女が交接する。あもつく。
糯米を蒸し、臼で搗いて種々の形に作った食物。切り餅、丸餅、鏡餅など、多く正月・節句や祝事に搗く。正月はハレの日ですから前日までに餅を搗いて正月を祝う。
 餅屋という専門職が有って、「餅は餅屋」と言い、物事にはそれぞれの専門家がある。「餅屋は餅屋」とも。プロが搗いた餅は旨いのですが、奥さんの臼では少々ひ弱で他人には見せられない。

おこわ(御強);こわめし。赤飯(セキハン)。餅を搗く前の蒸かしただけの飯。臼が悲鳴を上げていますので、搗かないそのままの飯で結構と奥さんは懇願しています。



                                                            2015年11月記

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