落語「みかん売り」の舞台を行く 二代目桂三木助の噺、「みかん売り」(みかんうり)より
■みかん売り;東京で別題は「かぼちゃ屋」「唐茄子屋」。原話は、安楽庵策伝が元和2年に出版した『醒睡笑』第五巻の「人はそだち」。
元々は「みかん屋」という上方落語の演目で、大正初年に四代目柳家小さんが東京に持ち込んだ。東京の主な演者として、五代目柳家小さんや七代目立川談志などがいる。
上方では「みかん売り」の題で二代目桂ざこば一門(桂塩鯛
桂出丸
桂わかば
桂ひろば
桂ちょうば
桂そうば
桂あおば
桂りょうば
)が多く演じる。ざこばは六代目笑福亭松鶴から直接教わった。
「かぼちゃ屋」が既にアップされていますので、何処がどう違うのか、またどう同じなのかを比較してみて下さい。
■二代目桂三木助(2だいめ かつら みきすけ);(1884年11月27日 - 1943年12月1日)は、大阪の落語家。本名: 松尾 福松。享年59。
大阪生まれ。1894年1月、二代目桂南光(後の桂仁左衛門)に入門、子役として桂手遊(おもちゃ)を名乗り、同年2月、桂派の金沢亭で初高座。1904年に入営、日露戦争に従軍後、1906年に帰国し、「滑稽ホリョー踊り」なる演目で高座に復帰。同年11月27日に真打で二代目三木助を襲名。
1911年、賭博が過ぎて借金を作り桂派に居られなくなり互楽派に身売りし七五三蔵の名で出演し支度金で返済しようとしたが桂派から苦情が出て、仕方なく兄弟子の初代桂小南を頼り上京(支度金は初代桂ざこばが支払った)。四代目橘家圓喬門下で橘家三木助を名乗り、三遊派の各席に出席するが、1916年に帰阪し三友派に加わり、後に吉本興業の大看板として名を馳せた。
持ちネタは膨大で、神戸湊川の寄席で3年間真打を勤めた時、一度も同じ噺を掛けなかったという。東京時代に人情噺に傾倒したことから、帰阪後も笑いを取るネタより、むしろ『立ち切れ線香』『菊江仏壇』『ざこ八』『箒屋娘』『抜け雀』など、はめ物を極力抑えた東京風の演出による素噺を得意とした。時折り東京弁が混じったり、上方情緒を失ったりと、賛否両論はあったが、三代目三遊亭圓馬とともに東西落語に精通した名人として上方落語が衰微して行く中、その実力を謳われた。
晩年は軍務中、耳を悪くしている。
SPレコードは『丁稚芝居』『三年酒』『宿屋仇』『動物園』『鮑のし』『みかん売り』『お伊勢詣り』『無筆な犬』等がある。この噺、「みかん売り」もSPレコードからの音です。
弟子には、三代目桂三木助、桂小半(後の三代目立花家千橘)、九代目桂文治、桂三木丸、剣舞の源一馬らがいる。八代目林家正蔵(林家彦六)は、大阪を訪れた際に三木助から『ざこ八』や『莨の火』などを教わっている。
肖像の写真が数枚残されており一枚は日露戦争に従軍時の軍服姿の写真と晩年の着物姿の写真が残されています。
■みかん;ミカン科の常緑低木。またはその果実のこと。様々な栽培品種があり、食用として利用される。
収穫量(2009年度) 全国合計 100万3,000 トン(2007年比6万3,000 トンの減少)。(2013年度)約80万4,400トン
落語には、真夏に季節外れのミカンを求める『千両蜜柑』という演目があります。
■前に100、後ろに100コ積んで行ってきな;棒手振り。前の篭と後ろの篭に商品を入れて、天秤棒を前後に通しかついで街中を売り歩く商人。誰でも小資本で魚や野菜を簡単に仕入できるので、参入者は多いが、生活に直結した品が多かったので、高額で高級品は扱っていなかった。この噺のみかん屋も、素人であったが、品質に対しての価格が適正なら売り歩くことが出来た。
■1厘(りん):1円の1/100を1銭。1銭の1/10を厘と言いました。現在は生活の中では使われていませんが、金融関係の指標では未だ健在です。噺の中では1厘X200コ=20銭です。
上左から、1銭稲青銅貨、明治31年-大正4年発行。1銭桐青銅貨、大正5年-昭和13年発行。1銭カラス黄銅貨、昭和13年発行。1銭カラスアルミ貨、昭和13年-15年発行。 半銭銅貨、明治6年-21年発行。5厘青銅貨、大正5年-8年発行。
■外後架(そとこうか):禅寺で、僧堂の後ろにかけ渡して設けた洗面所。その側に便所があり、転じて便所の意になる。
■上がり框(あがりがまち):家のあがり口のかまち。玄関の床などの端にわたす化粧横木。玄関の靴脱ぎ場と部屋に通じる廊下(玄関広間)との境目に置く石や横柱材(?)、銘木で仕切った部材。
■掛け値(かけね):実際の売り値よりねだんを高くつけること。また、そのねだん。仕入れ値+掛け値(経費・利潤)=売値。
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