落語「電車風景」の舞台を行く
   

 

 三代目春風亭柳好の噺、「電車風景」(でんしゃふうけい)より


 

 「キップの無い方は切符を切らせて貰います」、「切らすことは出来ないよ。キップが無いんだから」、「では、買っていただきます」、「タダかと思ったよ。買うんだったら、いくらだい」、「片道7銭で、往復14銭です」、「新しくなくても良いんだ。古いキップは無いかね」、「新しくても古くても同じです」、「座っているが、立つから安くならないかね」、「同じです。乗り継ぎがあれば、ハサミの入れ方が違います。どちらまで」、「おらのキップに穴開けたな」、「これは三ノ輪行きですから千住に行くには乗り換えです。乗り換えキップに穴を開けました」、「乗り換えはイヤだから降りるよ」、「降りるんだったら、キップを貰います」、「田舎者だからとバカにして・・・。買ったものを取り上げるなんて」。

 今度は酔っぱらいが乗ってきた。「田舎者をいじめるな」、「私がいじめられているんです」、「何だと、この蟹野郎」、「何ですか?蟹野郎というのは」、「ハサミを持って、横に歩いているだろう」、「スイマセンね。蟹野郎で」、「顔を赤くして口からあぶく飛ばしているよ。怒ったね。帽子取って謝るよ。あいスイマセン」、「良いんですよ」、「帽子を取って謝っているのに、帽子を被ったままで、偉いね」、「取れば良いんですね」、「だからといって、ポイと取ることは無いじゃないか」、「では、被らして貰います」、「ケンカ売るのか。だからといって被ることは無いだろう」。
 「もしもし、起きて下さい。終点です」、「おォ~、蟹」、「蟹ではありません。車庫(シャコ)です」、「蝦蛄(シャコ)だったら、もう一杯くんね~」。

 



ことば

三代目春風亭 柳好(3だいめ しゅんぷうてい りゅうこう);(1887年4月24日 - 1956年3月14日)野ざらしの柳好とよばれた落語家。本名 松本 亀太郎。東京都台東区浅草出身。出囃子は「梅は咲いたか」。
 花が咲いたかのように艶やかかつ華のある高座で、「唄い調子」と言われる流麗な口調が独特。多くのファンを獲得した。今日でも落語愛好家の間で「柳好」と言えば決まって「三代目」のことを指すほどである。ただし人物描写や心理表現といったものは皆無で、批評家の評価は低く、人気のわりには高い評価を受けなかった。ラジオ東京(現・TBS) 専属落語家。
 1912年2月?、二代目談洲楼燕枝に入門し燕吉を名乗る。東京演芸会社から落語睦会に陣営強化のためにスカウトされる。八代目文楽、六代目柳橋(当時小柳枝)、二代目小文治と並び「睦の四天王」と呼ばれた。1933年ころから、一時期高座を離れ幇間となるが、間もなく日本芸術協会(現在の落語芸術協会)に所属。 出囃子の「梅は咲いたか」が流れ高座横の出演者を示すめくりが「柳好」に変わると客席は「柳好だ」と期待にどよめきだし、本人が高座に出ると拍手の嵐となった。その凄さに、八代目桂文楽は「楽屋で聞いても上手いとは思えません。でも、もう、あの、パアッとしたはなやかさは何なんでしょうねえ」と誉め、序列は上でも構わないから落語協会の方に来て欲しいと真顔で語った。六代目圓生も同様に、序列は上でも構わないから落語協会の方に来て欲しいと思っていた。実際に、落語協会が、柳好を日本芸術協会から引き抜くという計画があった。頓挫したのは、落語協会側の二代目円歌が反対したからです。
 得意ネタは「野ざらし」、「がまの油」、「鰻の幇間」、「電車風景」、「二十四孝」、「たちきり」など。高座へ上がると客席から決まって「野ざらし」や「がまの油」を求める掛け声がかけられたという。また、学習院大学落語研究会に依頼され、学内の講堂にて『五人廻し』を演じたこともあった。晩年は向島の芸者屋の若旦那となっていた。1956年、TBSラジオで「穴どろ」を収録後、上野鈴本演芸場の楽屋で急逝(なお、鈴本の楽屋で亡くなったのは四代目柳家小さんにつぐ二人目)。享年69。

電車(でんしゃ);
 当時の国鉄や私鉄のことではありません。都電で、都営(路面)電車の略。最盛期には41系統が存在し、総延長は213kmに及んだが、自動車の増加による運行の困難と交通局の経営悪化によって昭和42年(1967)から昭和47年(1972)にかけて181kmの区間が廃止され、都営バスや地下鉄に転換された。現在は三ノ輪橋-早稲田の荒川線だけになってしまった。 排気ガスも出さないエコな乗り物として見直され始めています。
 写真;荒川線、王子・飛鳥山脇を自動車と共用して通過する都電。クリックすると大きくなります。
落語「大蔵次官」より孫引き

終点の三ノ輪車庫です;21、31系統の都電が三ノ輪車庫を終点としています。
21系統  水天宮-岩本町-上野駅前-三ノ輪車庫
31系統  都庁前 - 丸ノ内南口 - 蔵前一丁目 - 三筋二丁目 - 菊屋町 - 入谷二丁目 - 三ノ輪車庫

 

 廃止前の都電。停留所風景と車内。江戸東京たてもの園にて

片道7銭で、往復14銭;大正9年6月~昭和18年5月まで片道7銭。翌月18年6月、10銭となります。18年7月、市電と呼ばれていたのが「東京都電車」となります。同じ時期、国鉄(現JR)の普通電車・初乗り運賃は5銭でした。この時期からも分かるように、大正から戦前に掛けての噺だと分かります。

キップ;現在の都電はワンマンカーですから運転手一人です。ですから横歩きの蟹さんもいませんし、キップもありません。有るのは料金収納の透明ボックスにカード読み取り機です。運転手さんが現金を直接触れることもありません。
 当時は、車掌がいてキップを販売していました。販売されたのに降りるときは切符を回収されてしまいます。「自分の買ったキップなのに」と、思うのは登場人物だけでは無いように思います。安いのなら、古いキップでも良いのですが・・・。

都電のゲージは1372mm。東京にはこのゲージ(軌道の内径)の鉄道が存在します。ほとんどの鉄道は、1435mm(標準軌=新幹線のゲージ)、あるいは(JR在来線のゲージ)1067mmのゲージを使用しています。しかしながら、新宿駅西口から調布・府中・八王子方面に路線をもつ京王電鉄では、渋谷を起点とした井の頭線を除き、全て1372mmゲージを使用しています。これは、京王線がまだ新宿追分(現在の新宿三丁目付近)から発着していたころ、都電との直通運転を考えていたからです。しかし、昭和20年7月に、現在の新宿駅西口のほぼ同地点(地上)に駅が移動したため、都電との直通運転は行われませんでした。その後、都営新宿線の開通により、東京都交通局と京王電鉄との間で直通運転が実現しました。もちろん、都営新宿線のゲージは都電と同じ1372mmです。新宿から都電は消えましたが、都電の遺産は地下鉄へと受け継がれ、再び都電のゲージに戻ってきました。

(かに);蟹の小話をひとつ。赤い顔した蟹が普通は横に歩くのですが、この蟹は縦に歩いています。仲間が心配して聞きました。「酔っているので・・・」。
 多くのカニが「横歩き」をするが、ミナミコメツキガニは前歩き、アサヒガニ科やカラッパ科のカニは後ろ歩きをする。クモガニ科とコブシガニ科のカニは七個の節からできている脚の各節が管状で、前後左右へ自由自在に動くことができる。また横歩きしか出来ない種類でも回転で目を回し弱らせると暫く縦歩きをします。
 蟹の横這い:単に横に移動するという意味にも使うが、貴人に顔を向けたままで横に移動する様子をその様に言う場合もある。この言葉が諺として使われる時は「人目には奇妙に見えても、自分には適したやり方」と「物事が奇妙に横にずれていくこと」という二通りの意味がある。登山では、断崖絶壁の中腹にあって足を交互に出せないほど細いルートをこのように呼ぶことがある。この噺の車掌のように、狭い場所をお客さんにぶつからないように移動するには、この蟹歩きが一番適しています。
 蟹は、熱帯から極地まで、世界中の海に様々な種類が生息し、一部は沿岸域の陸上や淡水域にも生息する。成体の大きさは数mmしかないものから、脚の両端まで3mを超す世界最大のタカアシガニまで変化に富む。箱形にまとまった頭胸部に5対の歩脚(胸脚)があり、このうち最も前端の1対が鉗脚(かんきゃく:はさみ)となる。触角は2対あるが、どちらもごく短い。腹部は筋肉が発達せず、頭胸部の腹面に折り畳まれる。ただしそれぞれ例外もある。 なお、食用の「カニ」としてタラバガニやヤシガニ等も知られるが、これらは正確には短尾下目ではなく異尾下目に分類される。よく見ると歩脚が3対6本しかないように見えるが、これは第5歩脚が甲羅内の鰓室(鰓がある空間)に折り畳まれているためです。

蝦蛄(シャコ);シャコは下手なシャレとして、ガレージとか車庫などと言われる。その時は黙って笑ってあげて下さい。
 蝦蛄は、外見は同じ甲殻類であるエビ類に似ているが、エビ類はカニ類その他とともに真軟甲亜綱という別亜綱に属し、両者の類縁関係はかなり遠い。 体長は12~15cm前後、体型は細長い筒状で腹部はやや扁平。頭部から胸部はやや小さく、腹部の方が大きく発達する。 頭部先端には二対の触角とよく発達した複眼が突き出す。付属肢にエビ・カニのような鋏を持たず、6-7個のトゲがある特徴的な1対の鎌のような捕脚を持つ(英名のmantis shrimp=カマキリエビの由来でもある)。 歩脚は3対、腹部には遊泳脚があり、また背甲左右の辺縁に短いトゲを持つほか、尾節には鋭いトゲのある尾扇を持つ。
 エビよりもアッサリとした味と食感を持ち、寿司種は美味。旬は産卵期である春から初夏。秋は身持ちがよい(傷みにくい)。



                                                            2016年11月記

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