落語「呑める」の舞台を行く 古今亭志ん朝の噺、「呑める」(のめる)より
■無くて七癖;無くて七癖有って四十八癖。人には多かれ少なかれ癖があるの意。
■下足札(げそくふだ);客などが座敷へあがるために脱いだ履物を下足という。江戸時代から芝居小屋、料亭、寄席、遊郭、集会所、催物場などが、下足番を置いて客の履物をあずかって下足札を渡した。旅館も客の履物をあずかるが、昔の旅客はわらじ履きだったので下足札はわたさなかった。
■沢庵(たくあん);沢庵(1573~1645)は人名で江戸初期の臨済宗の僧。諱(イミナ)は宗彭(ソウホウ)。但馬の人。諸大名の招請を断り、大徳寺や堺の南宗寺等に歴住。寛永6年(1629)紫衣事件で幕府と抗争して出羽に配流され、32年赦されてのち帰洛。徳川家光の帰依を受けて品川に東海寺を開く。書画・俳諧・茶に通じ、その書は茶道で珍重。著「不動智神妙録」など。
たくあん漬け:漬物の一種。干した大根を糠(ヌカ)と食塩とで漬けて重石でおしたもの。沢庵和尚が初めて作ったとも、また「貯え漬」の転ともいう。たくあん。たくわん。
■四斗樽(しとだる);江戸っ子は、『ひ』と『し』が言い分けられない。最初、一樽(ひとだる)と聞こえていたが、前後が繋がらない、そこで一斗樽だと思ったが、これも醤油樽と変わらない大きさ。四斗入りの樽だと分かったのは少し時間が経ってのことだった。いけませんね、江戸っ子同士が・・・。
右写真:薦被りの四斗樽とコモを外した四斗樽。その右側の白い樽は陶磁器製酒用一斗樽。谷中・旧吉田屋酒店にて。
■醤油樽(しょうゆだる);樽にもいろいろなヴァリエーションが生まれましたが、醤油樽として専ら用いられるようになったのは、杉板の結樽でした。この結樽は、元来、主に酒の輸送容器として用いられていましたが、やがて醤油にも用いられるようになったものです。醤油が工業的に生産される時代に入った江戸時代前期、醤油を各地に流通させるためには、従来の重くて壊れやすい甕(かめ)・壷(つぼ)では不都合でした。そこで、軽量であり、壊れる心配がより少ない樽が輸送に便利な容器として選択されたわけです。なお、醤油樽は、江戸の醤油問屋仲間では容積が1斗、実際に中身は8升の樽が標準とされていました。明治以降、1樽につき9升入れるようになりました。1斗=18リットル、1升=1.8リットル。お酒の大瓶が1升瓶で、それが内容量10本入るのが1斗樽です。
■たが;【箍】竹を割ってたがねた輪。桶や樽その他の器具などにはめて、外側を堅く締め固めるのに用いる。また、銅・鉄をも用いる。わ。「―をかける」「―をはめる」。落語「たがや」に出てくるたがです。
■ヌカ;【糠】穀物、主に玄米を精白する際に生ずる、果皮・種皮・外胚乳などの粉状の混合物。飼料・肥料などに用い、またビタミンB1の原料。
■詰め将棋(つめしょうぎ);将棋で、詰手を研究するため、与えられた譜面で、決められた駒を使って、王手をつづけて王将を詰めること。
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