落語「夢の焼きもち」の舞台を行く 桂米丸の噺、「夢の焼きもち」(ゆめのやきもち)より
■似た噺があって、落語「夢の酒」です。夢の酒に出てくる、焼きもち焼の奥様は、新婚間もない可愛い嫁さんで、この噺の夫婦とは大違い。まだまだ、焼きもちを焼いている内が華です。大いに焼いて焼かれましょう。歳取ってからでは志ん生曰く「宮戸川」の伯父さん夫婦の会話、「焼きもち焼くような歳では無いだろう。自分を焼くような歳だろう」と言われたら身も蓋もありません。
焼きもちの噺は落語には多く有って、直接相手が居るわけではありませんが、亭主が信じられなくて兄さんの所に別れたいと相談に来る「厩火事」。死んでも惚れた亭主が後添いを貰うのがガマンできずに、独身で過ごすとの一言で納得する「三年目」。お菊さんは幸太郎の後妻が来るのに嫉妬して成仏できない「もろこし女房」。
片一方が相手側に想いが伝わらず、ヤケを起こしかける「おせつ徳三郎・下」(刀屋)。惚れた男に会えなくなって、幽霊になって出て来た「怪談於三の森」。「怪談牡丹灯籠」も同じような噺です。越後から出てきた縮売りの新助は芸者・美代吉にだまされて焼きもちどころか刀を振り回すはめになる「名月八幡祭り」。同じような「大丸屋騒動」。怪談「真景累ケ淵」では、死んでも七代祟るという根津七軒町の豊志賀。焼きもちを通り越して怪談じみてドロドロの人生が待っています。
焼きもちが元で、亭主が出歩かないように呪文を教えて貰う「洒落小町」。幇間の奥様も勉強を始めると素晴らしい奥様になる「無筆の女房」。
凄いですね~。こんなにも焼きもち=悋気の噺が有るんですね。ホントはまだ有るんですが、キリが無いので・・・、この辺で。
■夢(ゆめ);睡眠中あたかも現実の経験であるかのように感じる、一連の観念や心像のこと。睡眠中にもつ幻覚のこと。視覚像として現れることが多いものの、聴覚・触覚・味覚・運動感覚などを伴うこともある。通常、睡眠中はそれが夢だとは意識しておらず、目覚めた後に自分が感じていたことが夢だったと意識されるようになる。
この伝でいくと、カラーについて興味がある人や画家、ペンキ職人達はカラーの夢は観ることが出来ます。私も七色の虹や海のブルーが変わっていくグラデーションを見ることがあります。
夢の続きも、アッ、この夢の世界に居たいと想って目をつぶったら、続きを見たことを思い出しました。また、4~5日続けて、同じ場面の中にいることもありました。
この摩訶不思議な世界ですから、「夢占い」が発生します。火事の夢は?ヘビの夢は?一富士二鷹三茄子のような夢は?と、考え始めたら際限が無くなります。どんな夢も楽しい方向に意味づけすれば、その占いは正解となります。と私は思います。
■恐い夢;ここに描かれた身投げの女の噺は、上方落語の「饅頭恐い」の中に出て来ます。皆で恐い話をしているのですが、一人食べ物でなく、恐い話を。女が橋の上から止めるのを聞かず身投げをしますが、同じように『今、助けてやろうとおっしゃった方~』と後を女が付けてきます。恐くなって夜道を逃げるのですが・・・。上方で演じられる饅頭恐いは、怪談話になって、仲間連中(お客も)を恐怖の中に突き落とします。枝雀の噺は落語と言うより、この部分は怖さで引きつけます。
■何処までが夢?;落語にも「宮戸川」で、後半の部分、お花・半七は仲良く暮らしていたが、悪者が三人してお花をさらって行き、手込めにして殺害する。遂に行方不明のまま一周忌の法事を済ませた。その帰途、半七は山谷堀から舟で両国まで戻ると、船頭の二人が三人組の片割れで、半七はその口からお花殺しを聞き、お花の仇を討つ。この部分はそっくり夢物語になっています。
■いびき;(鼾)睡眠中に呼吸にともなって鼻・口から出る雑音。
最大のリスク(?)は、寄席や観劇、映画などで、本人は気持ちいいのでしょうが、イビキをかかれ台無しになる事があります。寄席でもイビキをかかれると噺がメチャメチャになってしまいます。デキた師匠は噺がリズミカルでお客さんを安心させて夢の世界に誘うからだと言いますが・・・。ま、デキすぎた解釈です。
私の母親が、昼寝の最中にイビキをかき始め、うるさいな~と思っていたら、往復になって音量が上がりました。すかさず、「ウルサいな~。寝ていられないワ」ときたもんです。自分のイビキでも、驚いて目を覚ますもんですね。
■古い電話ボックス;公衆電話が町々の角に有った初期型のボックスで、頭が赤い色をしていたので丹頂型と呼ばれていました。扉の取っ手部分は、丸い穴が空いていて、そこに手を入れて扉を開けた。その穴に女の手が入ってきたら、それは恐い。
■ウワサをすれば何とやら;「噂をすれば影がさす」。噂をしていると、噂をされている当人が現れることがある、という意味。人の噂や悪口はほどほどにするべきだという戒めの意も含む。
「噂をすれば影」、「言えば影がさす」ともいう。
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