落語「お文さん」の舞台を行く 三代目林家染丸の噺、「お文さん」(おふみさん)より
■三代目林家染丸(はやしや そめまる);(1906年3月25日 - 1968年6月15日)は、本名: 大橋駒次郎。あだ名は「おんびき」(ヒキガエルのこと)。出囃子は『たぬき』。吉本興業所属。12歳の時、父と死別し、親戚の帽子問屋の丁稚となる。13歳の時、三代目桂文三門下の桂次郎坊に桂駒坊の名をもらい、消防署員を勤める傍ら素人噺の会で素人落語を続ける。1932年、素人落語コンクールで二代目染丸の目に留まり、6月に正式に入門が許され染五郎に柳家金語楼にあやかり二代目染語楼を名乗る。この頃は正式に入門していたのにもかかわらず寄席に出ず、二代目染丸の「林染会」にて修業を積むが依然と消防署に勤めているなどセミプロ状態であった。1944年、日中戦争で出征し、1946年7月、復員後は、静岡の妻の実家で商売を営む。
■お文さん
■中船場(なかせんば);船場は本町通を境に北組と南組に分かれていたことから北船場、南船場との呼び名が起こった。しかし、中船場は確たる地域特定がなされていない。船場の中程を指した地名なのでしょう。
■万両の本家(まんりょうのほんけ);現在の大関株式会社。正徳元年(1711)、長部文治郎の始祖、初代大坂屋長兵衛が攝津・今津村で創業。1764年、清酒「万両」新発売。明治17年(1884)10月「万両」を「大関」と改名し商標登録。
■結城(ゆうき);茨城県西部の市。鬼怒川中流西岸にある。もと水野氏1万8千石の城下町。古くからの絹・綿織物の産地。結城紬・結城木綿の縞織物の称。付近から産する絹織物。木藍で染めた細い紬糸で織り地質堅牢。絣または縞織。結城紬に擬して織った木綿縞織物。下野国(栃木県)足利に始まる。
■大島紬(おおしま つむぎ);鹿児島県奄美大島並びに鹿児島市周辺から産出する紬。織締めによる細かい絣が特徴。地元産のティーチキと称する植物の煮出し液と泥中の鉄塩とで焦茶色に染めた泥染が伝統的技法。今は藍や多色の糸遣いをした藍大島・色大島もある。模造品に対して本場大島とも。
■仙台平(せんだいひら);男子用の絹の袴地。極上質の精好織袴地の一種。元禄(1688~1704)前後頃、仙台藩主が西陣から織師を招いて織り始めたという。
■表打ちの下駄(おもてうちの げた);表面に布・皮・畳表などの素材を貼り付けた下駄。
■神戸下駄(こうべげた);前の部分が歯ではなく、フの字型に斜めになっている下駄。
■角樽(つのだる);角のような一対の大きく高い柄をつけた、黒または朱塗りの祝儀用の樽。古くは長方形で、上の四すみに把手があった。あまのだる。にんぎょうだる。柳樽。
■御寮人さん(ごりょんさん);(ゴリョウニンの訛)
他人の妻または娘の尊敬語。
■抜け路地(ぬけろじ);裏路地(長屋の路地)で袋小路でなく、反対側の道に抜けられる路地。
■宗近(むねちか);三条宗近は、平安時代の刀工。山城国京の三条に住んでいたことから、「三条宗近」の呼称がある。
『月耕随筆 稲葉山小鍛治』尾形月耕。三条宗近が稲葉明神の化身とともに作刀する謡曲「小鍛冶」を題材としたもの古来、一条天皇の治世、永延頃(10世紀末頃)の刀工と伝える。観智院本銘尽には、「一条院御宇」の項に、「宗近 三条のこかちといふ、後とはのゐんの御つるきうきまるといふ太刀を作、少納言しんせいのこきつねおなし作也(三条の小鍛冶と言う。後鳥羽院の御剣うきまると云う太刀を作り、少納言信西の小狐同じ作なり)」とある。日本刀が直刀から反りのある湾刀に変化した時期の代表的名工として知られている。一条天皇の宝刀「小狐丸」を鍛えたことが謡曲「小鍛冶」に取り上げられているが、作刀にこのころの年紀のあるものは皆無であり、その他の確証もなく、ほとんど伝説的に扱われている。実年代については、資料によって「10 -
11世紀」、「12世紀」等と幅がある。
三日月宗近(みかづきむねちか)は、平安時代に作られたとされる日本刀(太刀)の銘。天下五剣の一つ。国宝に指定されている。東京国立博物館所蔵。
■乳母(おんば・うば);「おうば」の転訛したもの。母に代って子に乳をのませ、また養育する女。めのと。
■鰻谷(うなぎだに);現・大阪市中央区心斎橋筋、西心斎橋1、心斎橋筋1、東心斎橋1、島之内1の北端辺り。長堀の南の筋が「鰻谷北通」その南が「鰻谷南通」。
■北の新地;曽根崎新地、宝永年間(1704~1710)に蜆川北岸開発。1708年に町割りが行われ、蜆川北岸の曽根崎新地が北の新地の中心となった。曾根崎(そねざき)は、大阪府大阪市北区の町名および地域名。
■北の新地の梶川;北新地(きたしんち)は、大阪府大阪市北区曾根崎新地・堂島に広がる歓楽街。大阪キタを代表する飲食店街で、東京の銀座と並んで日本を代表する高級飲食店街でもある。大阪駅前のダイヤモンド地区に南接して東西に細長く広がっている。ラウンジ、クラブ、料亭などを中心とした料飲店が集中している地域で、風俗店やパチンコ店は皆無である。過日は「北の遊里」として、その中に『梶川』も有って、お文さんはここから出ていた。
■酢でもコンニャクでも、芋・蛸・南京、ドジョウ汁でもいかん;どうにも手に負えないことをいう。どうにもこうにも。まず「酢」は体を柔らかくするという意味から、懐柔。「芝居、コンニャク、芋、蛸、南瓜」は女性の好きな嗜好品。それらを使っても「うん」と言わない堅物であることを言っている。
■女衆(おなごし);下女・はしため。雇われた順あるいは年齢順に、松竹梅からとってお松どん、お竹どん、お梅どんと呼んだ。長じるとお松っつぁん、お竹はん、お梅はんとなる。決して呼び捨てにはしなかった。
■猫いらず;黄リン・亜ヒ酸などを用いた殺鼠剤の商標名。「石見銀山猫いらず」の石見銀山とは島根県中部、大田市、邇摩郡温泉津町、同仁摩町一帯の銀鉱採掘場。また、猛毒の砒素(ひそ)、砒素を用いた殺鼠薬の代名詞としても使う。
■熊野の牛王(ごお)さん;熊野三山で授与する特別の神札。牛黄(ごおう)を混ぜた墨で書かれているという。熊野誓紙。牛王誓紙。この誓紙の裏に誓約文を書き、守れなかったときは熊野のカラスが三羽死ぬと言われる。
■牛黄(ごおう);牛の腸・肝・胆に生ずる一種の結石。漢方に使用される生薬。牛黄の薬理作用の一つに末梢の赤血球数を著しく増加させる効果がある。
■和讃(わさん);声明(しょうみょう)の曲種の一種。日本語(韻文)の歌詞による仏徳賛美の歌。梵讃(ぼんさん)・漢讃(かんさん)に準じて、平安時代以降盛んに作られた。良源・源信・親鸞・一遍などの作が有名。今様(いまよう)歌の源流でもある。
■五障;女人がもっている5種の障礙(シヨウゲ)、すなわち梵天王・帝釈天・魔王・転輪聖王・仏身となり得ないこと。法華経提婆達多品に説く。いつつのさわり。五礙(ゴゲ)。五つの雲。
■三従;[儀礼喪服伝]女性が従うべき三つの道。すなわち家にあっては父に従い、嫁しては夫に従い、夫の死後は子に従うこと。「五障三従」。
■御文;蓮如(れんにょ・1415年-1499年)上人の書簡・法語集。お文さま。
■白骨の御文章;御文第五帖十六通、「朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて夕べには白骨(はっこつ)となる 」。《和漢朗詠集・下の「朝に紅顔あって世路に誇れども、暮(ゆふべ)に白骨となって郊原に朽ちぬ」から》この世は無常で、人の生死は予測できないことをいう。
親鸞聖人のみ教え(浄土真宗)を、正確に、全国津々浦々にまで弘められた蓮如上人(1415-1499)は、「浄土真宗中興の祖」と仰がれています。数多く書き残されたお手紙から、80通が編纂された『御文章』の中でも有名な「白骨の章」(五帖目十六通)は、上人75歳の時に書かれました。
蓮如上人の「白骨の御文章」 (原文を現代文に書き直したもの)
2016年12月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |