落語「将棋の殿様」の舞台を行く
   
 

 五代目柳家小さんの噺、「将棋の殿様」(しょうぎのとのさま)より


 

 太平の世の中になりますと、殿様もわがままになって無理を通す様になります。

 幼少のみぎりに習った将棋を指すという。家来一同を集めて対戦となったが・・・。自陣の駒も家来に並ばさせ、先手決めも先手が有利と聞くと、予から始めるという始末。角道を開けるのが常道と聞けば歩を突いてきた。「まてまて、その歩を取ってはならぬ」、「私の番ですから・・・」、「でもいかん。他の手を使え」、「やるところが御座いませんので、隅の方で」、「ははは、では歩を取って・・・。考えているようでは負けてしまうぞ。ん?いつ、この飛車が我が陣地にいるのだ」、「やっと入ったのですから、御憐憫に」、「助けてやるが、我が飛車が陣地で埋もれている、そちの陣地に成込ませたら許して使わす」、「金・銀を飛び越して侵入するとは・・・」、「金・銀は目障りじゃ、取り片付けぃ。まてまて、その金・銀はこちらによこせ。王手じゃ。そちは弱いな」。これでは誰がやっても勝てません。

 「ただ将棋をするだけじゃつまらん、これからは負けた者は、この鉄扇でぶたれることにしようぞ」、
いつものように飛び越し、お取り払いが有って負けてしまった。お手加減無く頭を打たれ、頭にコブが出来た。将棋相手は近侍の若侍ばかりで、数日たたぬうちに、月代がコブだらけになってしまった。

 どの藩にも殿様が煙たがる爺さんが居るもので、徳川家の大久保彦左衛門のような・・・、この屋敷にもご意見番の田中三太夫がいた。病気療養中で有ったが、この噂を聞きつけて、「ご意見をしなくてはいけない」、と登城してきた。若侍に将棋のローカルルールを聞いて殿と対座した。
 「早く並べろ。予のが並んでいない」、「これは、けしからん。自分の陣地を敵方に築かせるとは・・・、ご自分で築きなさい」、「自分で並べられるわ。予が先手である」、「ヘタが先手と決まっている」、「いつも角道から開けておる」、「ヘタは角道から開けるものです」、「爺は早いな」、「戦場で考えているようでは、勝つことは出来ません」。
 外野では、それ始まった、お飛び越し、お取り払い、勝てるわけが無い。ヤカン頭の凹むのも見てみたい。などと勝手なことを言っています。
 「チョット待て。その桂馬を取ってはならぬ」、「敵の不利は味方の有利、これは頂きます」、「予の言葉に反して取るか」、「歩は雑兵である、それが騎馬に乗った侍を討ち取ったので有るから、士分に取り立てられてもしかるべき。それを敵の大将がとやかく言うのは・・・」、「分かった分かった。取れ」、「言われなくても取ります」。
 「これ無礼であろう。予の駒を取り上げるのは」、「金・銀を飛び越して乱入するとは。金・銀は城壁を護り、王将を護衛している大将にて、そこに礼儀も知らず乗り込んでくるとは無礼千万。刀で切り捨てても良いが、穏便を持って差し返した」、「敵が城壁まで攻めよしているのに、策略も無く見ておるようでは雪隠詰めになって慌てふためくのはバカ大将で御座る」、「バカ大将だと。ん?そこに金を打ったか。予の行くところが無い」、「行くところが無いと言いますと・・・」、「予の負けだ」、「では、鉄扇を拝借して」。
 「もうよい」、「武士の一言、覆してはなりません。鉄扇を御拝借。手頃な鉄扇で御座るな。若い頃一刀流片手打ちが得意であった。(気合いを入れて大声で)ヤァー!」、「気合いを掛けるな」、「では、おつむりをこちらに。では・・・」。いくら爺でも殿様の頭は打てません。膝のところをピシィ、腕の立つ人のことですから、痛いの痛くないの(痛いんです)、殿様飛び上がって悲鳴を上げます。「手元が狂いまして、打ち直し」、「とんでもない。そち達、何を笑っておる。将棋盤を片付けぃ。焼捨てぃ。明日から将棋をする者が居たら切腹を申し付けるぞ」。

 



ことば

講談が元になったいわゆる「釈ネタ」で、大久保彦左衛門の逸話がもとになったといわれる。初代三笑亭可楽が時の将軍・徳川家斉の御前で演じた、という伝説が残る。小さんは道場も持った剣術の達人ですから、鉄扇で叩かれたら痛いでは済まされません。
 落語の演目には、趣味に凝った殿様に、周囲が振り回されるというストーリーがあり、「目黒のさんま」、「そばの殿様」、「ねぎまの殿様」等があります。

将棋(しょうぎ);チェスやシャンチーなどと区別するため日本将棋(にほんしょうぎ)ともいい、特に日本の「本将棋」には「持ち駒」の観念があることが特徴とされ、これは諸外国の将棋類似のゲームにも例のない独特のルールである(持ち駒を利用したチェス派生のゲームも考案されている)。『レジャー白書』によると将棋人口は推定670万人である。 国際将棋フォーラムや世界コンピュータ将棋選手権の開催などもあり、日本国外への普及も進みつつある。

将棋に由来する慣用表現
王手(おうて);次に相手の玉将を取れる状態を表す用語から転じて、あと1勝で優勝などの場面で用いる。また、相手もあと1勝で優勝という状況になったときには「逆王手」という表現が用いられることもあるが、将棋における「逆王手」とは意味が異なる(将棋の場合、逆王手をかけることにより、自玉の王手を解消しつつ、同時に敵玉に王手がかかった状態となるが、一般に慣用表現として使われる「逆王手」は双方ともに王手がかかった状態であり、本来の意味とは異なる)。
詰んでいる(つんでいる);いかなる手を指そうとも王手の連続で詰みになってしまうことを表す用語から転じて、事実上勝敗は決している状態、また進退窮まる状態を指す。特に、まだ抵抗の余地はあるが何をしても結局は負ける、または苦境を脱することができないという場合に用いられる。
将棋倒し(しょうぎだおし);大勢の人ごみがあるきっかけで連鎖的に倒れること(類義語:ドミノ倒し)。駒を立てて並べ連鎖的に倒す遊びに由来する。古くから使用されてきた表現であるが、2001年に発生した明石花火大会歩道橋事故の際には、将棋のイメージが悪くなるとして日本将棋連盟が報道関係各社にこの言葉を使用しないように依頼し、これを受けて実際に使用の自主規制が行われたため、言葉狩りと批判を受けた。
捨て駒(すてごま);大局的な利益のために駒損を覚悟で相手に取らせる駒のこと。転じて、全体の利益を考えてあえて犠牲として見捨てる味方のこと。類語=トカゲの尻尾切り。
高飛車(たかびしゃ);飛車を定位置から二間または三間前に出して中央を制圧する戦法のこと。かつて横歩取り8五飛戦法が出現して間もないころは横歩取り高飛車戦法と呼ばれることもあった。近年、将棋の戦法に関しては「浮き飛車」という呼称が多くなり、戦法としての高飛車という呼称はほとんど用いられない。また、飛車の様子から転じて、高圧的な性格のさまを「高飛車な態度」のように使われる。
成金(なりきん);歩兵が成って「と金」となることから転じて、急に金持ちになった庶民のことを指す。多くの場合相手をねたんだりさげすむなどの意味で用いられる。似た言葉として、身分の低い者が高い地位に登りつめるという意味の成り上がりがある。
飛車角落ち(ひしゃかくおち);「二枚落ち」の別の表現で、一方の対局者が飛車と角を取り除いて対局することから転じて、チームスポーツにおける主力選手が二人欠けるなど、中心となる戦力を欠いた状態で勝負すること。
待った(まった);相手が指した気に入らない手をやめてもらうことを待ったと言い、転じて相手の行動に制約をかけることを指す。「待ったなし」とは待ったを許さない真剣勝負のことで、転じてやり直しの利かないことを指す。
持ち駒(もちごま)、手駒(てごま)、(こま);対戦相手から奪って我が物とした駒の意で、随時任意の場所に打てることから、自分が利用できる人材や権利、選択肢のことを指す。「手駒」、また単に「駒」とも言う。「駒が足りない」のような使い方をする。

将棋の反則行為;次に挙げる行為は反則と決められており、着手した場合直ちに負けとなる。対局中であれば、反則行為が行われた時点ではそれに気付かずに手が進められても、後になって反則に気付き指摘された時点で勝敗が決定する。ただし、対局相手が反則に気づかないまま投了・終局した際は投了が優先される。また、対局中の助言は一切禁止されるが、反則行為が行われた場合に限り第三者がそれを指摘しても良い。 反則によって決着した場合は、その時点で反則者が投了したものとする。
 2手続けて指す(二手指し)、ルール上移動できない位置に駒を移動する、駒を成れない状況で成ってしまう、玉や金を成ってしまう、成り駒を盤上で裏返し元の駒に戻す、成り駒を打つ(持ち駒を裏返して打つ)、持ち駒を駒台に乗せず手に隠し持つあるいは将棋盤や駒台の陰に置く(隠し駒)などの基本ルールに反する行為。いったん着手した手を変える行為(待ったと呼ばれる)も基本的には即負けである。駒から手を離した時点で着手が完了となるため、一旦駒を動かしても手を離さなければ、その時点では元に戻して別の手を指してかまわない。
 殿様は無理を言って駒を進めたり、飛び越したり、相手に指させなければその時点で負けです。

鉄扇(てっせん);骨が鉄製の扇。武士が用いた。暗器・護身用として用いられ、現在でも創作作品の武器として人気を博している。
 分類として親骨(大外の骨組)を鍛鉄でしつらえた物と、鉄の板を加工して紐を通した総鉄製の物、閉じた状態で固定された物と開いて本来の扇として用いる事も可能な物、閉じた扇の形をしただけの鋳鉄製の鈍器(文鎮のようなもの)に分けられる。 明確な起源については不明だが、少なくとも日本では戦国時代から存在しており、陣中で避暑のための扇と非常時の護身具の両面で用いられていたという。 有名どころでは、新撰組の初代局長芹沢鴨もこの鉄扇を愛用していた。
 使用法としては閉じた状態で叩く・剣などを受けると言うのが現実での使い方。 また鉄扇を用いた「鉄扇術」という正式な武芸も存在する。

月代(さかやき);男の額髪を頭の中央にかけて半月形に剃り落したもの。もと冠の下にあたる部分を剃った。応仁の乱後は武士が気の逆上を防ぐために剃ったといい、江戸時代には庶民の間にも行われ、成人のしるしとなった。

  

 左、市川團十郎の助六図 国貞画。 右、相撲取り、谷風・江戸ヶ崎・柏戸 勝川春好画。東京国立博物館蔵 

 平時は側頭部および後頭部の髪をまとめて髷を結った。なお、現代日本において時代劇等で一般男性の髷としてなじみとなっているのは銀杏髷であり、髷が小さい丁髷ではない。さかやきをそり、髷を解いた髪型を「童髪(わらわがみ)」といい、「大童(おおわらわ)」の語源となっている。また、兜を被った際に頭が蒸れるのを抑える目的は「弁髪」に共通している。 「サカヤキ」の語源、また「月代」の用字の起源は諸説ある。一説にさかやきはサカイキの転訛であるという。戦場で兜をかぶると気が逆さに上るから、そのイキを抜くためであるという伊勢貞丈の説が広く認められている。
 江戸時代になると、一定の風俗となった。公卿を除く、一般すなわち武家、平民の間で行われ、元服の時はさかやきを剃ることが慣例となった。蟄居や閉門の処分期間中や病気で床についている間はさかやきを剃らないものとされた。外出時もさかやきでない者は、公卿、浪人、山伏、学者、医師、人相見、物乞いなどであった。さかやきの形は侠客、中間、小者は盆の窪まであり、四角のさかやきは相撲から起こり、その広いものを唐犬額といった。江戸時代末期にはさかやきは狭小になり、これを講武所風といった。また若さをアピールする一種のファッションとして、さかやきやもみあげを藍で蒼く見せるという風習も流行した。 明治の断髪令まで行われた。

大久保彦左衛門(おおくぼ ひこざえもん);大久保 忠教(おおくぼ ただたか)は、戦国時代から江戸時代前期の武将。江戸幕府旗本。徳川氏家臣・大久保忠員の八男。通称の彦左衛門で有名。
 家康直臣の旗本として召し出され、三河国額田に一千石を拝領し復帰した。慶長19年(1614)、大坂の陣にも槍奉行として従軍。家康死後も二代将軍・徳川秀忠の上洛に従い、三代将軍・徳川家光の代になって旗奉行となった。このころ更に一千石を加増されている。 寛永12年(1635)ごろから常陸国 鹿嶋に300石ほどの地を移し、余生を送りながら『三河物語』の執筆に没頭したようである。寛永16年(1639)に80歳で死去。死の間際に家光から五千石の加増を打診されたが、「余命幾ばくもない自分には有り難いが不要」と固辞したと伝えられている。
 後世、彦左衛門は「天下のご意見番」と呼ばれ、魚屋の一心太助と共に江戸の数々の事件を解決した、徳川家光の直言も辞さない相談役となった、輿が禁止されたので大きなたらいに乗って江戸城を登城したなど、様々な逸話が残されている。これらの多くはフィクションだが、彼が記した『三河物語』が多くの人々に広まったことから、いつしか彦左衛門は庶民に愛される大スターとなった。

雪隠詰め(せっちんづめ);将棋で王将を、盤の隅に追いこんで詰めること。転じて、逃げ道のない所へ追い詰めること。



                                                            2016年12月記

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