落語「のびる」の舞台を行く
神津 友好作
■神津 友好(こうづ ともよし);大正14年8月長野県生まれ。昭和22年上智大学新聞学科卒業。昭和25年法政大学文学部英米文学科卒業。雑誌、業界紙記者を経て、昭和28年より演芸台本の専門作家となる。日本放送作家協会理事、文化庁芸術祭審査委員、芸術選奨選考委員、三越名人会企画委員などを歴任。NHK番組専属作家。花王名人劇場プロデューサー。著書に『笑伝・林家三平』『にっぽん芸人図鑑』『少年少女落語名作選』。平成13年文化庁長官表彰。
この落語「のびる」の作者。
■日本刀(にほんとう);一般に日本刀と呼ばれる反りのついた太刀(たち)が作られるようになるのは10世紀末から11世紀初めで、そのもっとも古い刀工が京都の三条宗近(むねちか)と伯耆(ほうき=鳥取)の安綱(やすつな)です。平安時代後期には、これらのほか備前・備中(岡山)・大和(奈良)などに刀工が集団で居住して製作するようになり、鎌倉時代には、刀工はほぼ日本全国に分布して、日本刀全盛期を迎え、それぞれの地域独特の作風を示すようになった。京都の粟田口吉光(あわたぐち
よしみつ)、鎌倉の正宗、備前福岡の一文字吉房(よしふさ)、助真(すけさね)、同じく長船(おさふね)の光忠(みつただ)、長光(ながみつ)などの名工が知られています。
■村正(むらまさ);伊勢国桑名(三重県桑名市)で活躍した刀工の名。または、その作になる日本刀の名。
■鯉口(こいぐち);(楕円形で鯉の口に似ているからいう)
刀の鞘(サヤ)口。
太刀 長船兼光(名物 福島兼光) 重要文化財 この茎擦り上げたために目釘孔が三も開いています。
太刀 綾小路定利 重要文化財 これも摺り下ろされて短く調整されています。
■茎(なかご);刀身の、柄(ツカ)に入った部分。作者の銘などをこの部分に切る。刀心。上図、写真。
■刀銘(かたなめい);打刀に切ってある銘。また、その切り方。刀の刃が上向きになるように左腰にさした時、銘は表側になる。太刀銘。上図、写真。
■業物(わざもの);名工が鍛えた、切れ味のよい刀剣。わざよし。
■芝日影町(しばひかげちょう);江戸時代から昭和の初期にかけて日比谷神社が鎮座していた芝日陰町、いまでいう東新橋一帯、第一京浜国道を一本西側に入ったあたりですが、江戸の昔は古着屋や古物商などで賑わった場所だといわれています。
■麻布十番(あざぶじゅうばん);古くは、麻布村に属する低湿地帯であった。江戸時代、仙台藩の江戸屋敷は今の韓国大使館から二の橋にかけての広大な土地を持っていたが、低地側の湿気の多さがどうにも出来ずに困り果て、高台側はそのまま藩邸として使い、低地側半分を幕府に返上したほどである。幕府はその土地には低給の役人に住まわせたが彼らも苦労が多かったようである。しかし河川改修などによって干拓、開拓が進み、明治時代には、神楽坂と並ぶ繁華街に発展した。地名は、早くから通称として定着していた。
■2寸(2すん);長さの単位。1寸=3.03cm。2寸=6.06cm。
■暮れ六(くれむつ);夕刻の日没時間。現在の午後約6時頃。
■芝の山内(しばのさんない);現在の港区芝公園。芝増上寺の境内地内。当時は将軍家菩提所であり、深夜には漆黒の闇であった。芝日影町からここを抜けて麻布に抜けるには近道になったが、辻斬りや追い剥ぎが出て、物騒な場所であった。落語「首提灯」でも辻斬りに合い、大変なことになります。
■辻斬り(つじぎり);辻斬りをする理由としては、刀の切れ味を実証するため(試し斬り)や、単なる憂さ晴らし、金品目的、自分の武芸の腕を試す為などがある。また、千人の人を斬る(千人斬り)と悪病も治ると言われる事もあった。千人斬りで有名なのが、久米平内で、落語「安産」で説明しています。
■柳生但馬守(やぎゅう たじまのかみ);柳生 宗矩(やぎゅう むねのり)(柳生但馬守宗矩 やぎゅう たじまのかみ むねのり)は、江戸時代初期の武将、大名、剣術家。徳川将軍家の兵法指南役。大和柳生藩初代藩主。剣術の面では将軍家御流儀としての柳生新陰流(江戸柳生)の地位を確立した。著「兵法家伝書」。
右写真:奈良市・芳徳禅寺の座像。柳生家の菩提寺。
兵法家伝書より
宗矩と家光の逸話
■一眼二足三旦四力;目が利くというのは間合いを取った時に、相手の刀の長さが分かり、足が俊敏に動き、肝が据わって、力=技が立てば、剣の達人だと言った将軍指南番柳生但馬守の極意です。
■宮本武蔵(みやもと むさし);(天正12年(1584年)? - 正保2年5月19日(1645年6月13日))は、江戸時代初期の剣術家、兵法家。二刀を用いる二天一流兵法の開祖。また、重要文化財指定の水墨画や工芸品を残している。
右図;上、「武蔵像」自画像。下、「枯木鳴鵙図」(こぼくめいげきず)武蔵筆。どちらも重要文化財
五輪書は、武道書。宮本武蔵著。地・水・火・風・空の五巻。厳しい剣法修業によって究め得た兵法の奥義を述べたもの。正保元年(1644)頃成る。以下、広辞苑より
五輪書
地之巻
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