落語「豊竹屋」の舞台を行く
   

 

 三遊亭円生の噺、「豊竹屋」(とよたけや)より


 

 習い事は、あれもこれもと、かじると全部中途半端になって、師匠は嫌がるものです。

 豊竹屋節右衛門(とよたけ ふしえもん)さんは義太夫が好きで、朝から晩まで語っていた。まとまった物をやるのではなく、見た物聞いた物に節を付けて語っているという義太夫人間です。

 今日も湯屋で、湯船に浸かりながら語っている。尻の下から熱いのが沸き上がってくると、熱くてたまらず片足を洗い場に出した途端、湯のぼせしてぶっ倒れてしまった。見ていた人が、「長々入っているから倒れたんだ。水をぶっ掛けろッ!・・・気が付いたか?」、「♪ご親切な、御介抱・・・」、「まだやってるな」。
 「飯も食べずに朝風呂に長く入っていたので倒れたんだ、早く食べたいものだ」。
「早くこっちに入りなさいよ。今まで何処に行っていたの。あまり長いので先に食べてしまいました」、
「♪飯の菜(な)は・・・」、「納豆にお漬けですよ。早く食べてしまいなさい」、「♪なにぃ、お漬けに~納豆~~」、「さっさとお上がりよ」、「♪(口三味線で)ツン、箸取り上げて、お椀の蓋ぁ~、チチン。開くれば味噌汁、豆腐、煮干の頭の浮いたるわ~。あやしかり~け~る~。わぁ~」、「ひっくり返しちゃったわ。だだっ子みたいな事をしないで早くお上がりよ」。

 「♪デ~ン。チョッとお尋ね申します。こちらは豊竹屋節右衛門さんはぁ~こちらかえ~」、「また、変な人が来たよ」。
 「どちら様で・・・」、「私は三筋町、三味線堀の近くに住んでいます花梨胴八(かりん どうはち)という者です。生まれ付き、デタラメの三味線を弾くのが何よりの楽しみです。節右衛門さんはデタラメの浄瑠璃を語ると言います、私は三味線でお手合わせをしたいと伺ったわけです」、「どうぞどうぞ、布団をお当て下さい。では、早速お手合わせ・・・を。三味線は?」、「いやいや、三味線と言っても、口三味線です。貴方がどんな浄瑠璃を語ろうが、合わせられます。どうぞ御語りを・・・」、「三味線から弾いていただかないと・・・」、「貴方が大夫だから貴方から・・・」、「いえ、貴方から先に・・・」。

 「♪先、先、先。先ぃに~旗持ちぃ~、踊りつつ~。三味や太鼓で打ちはやす」、「はぁ!チン、チン、チンドンヤ」。
 「おいおい、水をそんなに出しっ放しにしてウルサい。止めなさい」、「隣のお婆さんが洗濯しているんですよ」。「♪なに、水をじゃあじゃあ出しっぱなし、隣の婆さん~洗~濯ぅ ううう~」、「はぁ、ジャジャジャ、ジャッ~、シャボン、シャボン」。
 「♪二十五日の御縁日ぃ」、「はぁ、テンジンサン、テンジンサン(天神さん)」。
 「♪リンを振ったわ~、ゴミ~屋~かえ~」、「はぁ、チリチリン チリチリン チンリンチンリンチンリン  チリツンデユク」、「上手いな。チンリンで塵積んで行くとは」、「次を御語り・・・」。
 「♪去年の暮れの~~、大~晦~日、米屋と酒屋に責められぇて~」、「テンテコマイ、テンテコマイ(てんてこ舞い)」。
 「♪子供の着物を親が着てッ」、「ツンツルテン、ツンツルテン」。
 「♪襦袢に~、袖の無いものは」、「はぁ、チャンチャン」。
 「♪こ~れは、夏の売り物でぇ、蕎麦に似れども蕎麦でなく、うどんに似れどもうどんでなく、酢をかけ蜜かけ食べるのは」、「トコロテン カンテン」。
 「♪それをあんまり食べ過ぎてお腹を壊して~、通う~のは~」、「あっ!、セッチン セッチン、セッチン(雪隠)」、「汚い三味線だな」。
 「♪棚の上にネズミが三つ出でて~、また三つ出でてぇ、むつまじく(三つと三つで、“六つ”と、“睦まじい”、それに、鳴き声の“チュウ”もかけてある)、一つのお供えを~引いて~行くぅ~」。
 ネズミが「チュウ チュウ、チュウ チュウ」、「やあ~、節右衛門さんの所のネズミだけに、よう弾き(曳き)ますな」、
「いいえ、チョッとかじるだけで・・・」。




ことば

義太夫(ぎだゆう);義太夫節の略。特に関西で浄瑠璃の異名。
 義太夫節:浄瑠璃の流派の一。貞享(1684~1688)頃、大坂の竹本義太夫が人形浄瑠璃として創始。豪放な播磨節、繊細な嘉太夫節その他先行の各種音曲の長所を摂取。作者の近松門左衛門、三味線の竹沢権右衛門、人形遣いの辰松八郎兵衛などの協力も加わって元禄(1688~1704)頃から大流行し、各種浄瑠璃の代表的存在となる。ぎだ。義太夫三味線は、義太夫節に用いる太棹(フトザオ)の三味線を使って伴奏する。

・浄瑠璃(じょうるり);三味線伴奏の語り物音楽のひとつ。室町末期に始まり、初めは無伴奏(時に琵琶や扇拍子)で語られた「浄瑠璃姫物語」が広まり、他の物語を同じ様式で語るものをも浄瑠璃と呼ぶに至る。江戸時代の直前、三味線が伴奏楽器として定着し、同じころに人形芝居と、後には歌舞伎とも結合して、江戸初期以降、上方でも江戸でも庶民的娯楽として大いに流行する。多くの浄瑠璃太夫が輩出し、発声・曲節・三味線が多様化し、初期には金平節・播磨節・嘉太夫節などの古浄瑠璃が盛行、義太夫節・半太夫節・河東節・大薩摩節・一中節・豊後節・宮薗節・常磐津節・富本節・清元節・新内節など、江戸後期までに数十種の流派が次々に派生した。なかでも元禄時代、竹本義太夫・近松門左衛門らによる人形浄瑠璃の義太夫節が代表的存在となり、浄瑠璃の称は義太夫節の異名ともなっている。

■落語家で義太夫が本格的に語れるのは円生しかいません。円生は6歳の頃、母親の豊竹小かなの三味線で寄席の舞台に立ちました。芸名、豊竹豆仮名大夫で、義太夫を語り、寄席を掛け持ちで母親と回っていました。2~3年後に伊香保に出掛けました。子供のことで坂の多い町中を走っていたら、階段でつまずいて胸を強く打って動けなくなった。医者が声を搾って語っていると、身体に無理が掛かり早死にすると宣告され、やむを得ず親が「何になりたい」と言うので、噺家になると言って許して貰って、橘家円童(たちばなや えんどう)と言う名で高座に上がるようになった。(三遊亭円生「書きかけの自伝」より)。
 子供時分、この様に義太夫を語っていたので、その素養があって、無理に、らしく演じているのでは無く、自然に語り聞かせるのです。途中で「上手い!」と、掛け声が掛かるほどです。義太夫の素養の無い噺家は難しい話の代表格です。私も、概略で文字に書き起こしていますが、どんなに意を尽くしても、円生の義太夫には近づきません。義太夫の節、というよりウタですから、その全体をお伝えするのは残念ながら不可能なことです。

花梨胴八(かりんどうはち);カリンの木で三味線の胴を作ることから、それをもじった名です。
 三味線は花梨(かりん)・樫(かし)・紅木(こうき)・紫檀(したん)・桑(くわ)・鉄刀木(たがやさん・落語「金明竹」参照)などを用いて、両面に猫または犬の皮を張ります。今回のお噺中の登場人物、花梨胴八さんとは、三味線の花梨で出来た胴の洒落という事。

花梨(かりん);花櫚とも書く。マメ科の高木。高さ40mに達し、東南アジアに分布。材は美しく、花櫚材として細工物・建具などに重用。印度紫檀。
 古くから唐木細工に使用される銘木。心材は黄色がかった紅褐色から桃色がかった暗褐色。木材にはバラの香りがあり、赤色染料が取れる。木材を削り、試験管に入れて水を注ぎ、これを太陽にかざすと、美しい蛍光を出す。 家具、仏壇、床柱、床框、装飾、楽器、ブラシの柄などに使われる。シタンに似ており、代用材としても使われる。
 似たものに、同名で
バラ科の落葉高木。果実は黄色となるが、通常三味線には使われない。カラナシ、キボケとも言われます。
右写真:その実。
 また、マルメロの木もありますが、厳密には違う木です。

三味線堀(しゃみせんぼり);上野不忍(しのばずの)池南端から東に流れ出た、”忍川(しのぶがわ)” が小島一丁目5番に有った三味線の形に似ていたので、三味線堀という堀に流れ落ちた。忍川が最初に横切る街道が御成街道(中央通り)ですが、この場所を火伏せの為道幅を広く取っていて、下谷広小路と言った。第16話「黄金餅」で出てきた三橋が架かっていた所です。
 三味線堀から南に流れ出た川を”鳥越川”と名前を変えて、今の蔵前橋通りの道一本南側を東に流れ、北から流れてきた新堀川と合流して第10話「蔵前駕籠」で出てきた蔵前通り(江戸通り)を横切ります。ここに架かっていた橋が天王橋です。「蔵前駕籠」ではここから先、浅草の間で追いはぎが出ると言われた。
 鳥越川はこの先、浅草御蔵(米蔵)の南端に沿って隅田川に合流します。
 明治の初めから大正6年頃にかけてほとんど埋め立てられ、現在は忍川も鳥越川も新堀川も道路になって有りません。三味線堀もありませんし、埋め立てられた跡は高層住宅が建っています。落語「後生鰻」より転記

 三味線堀は、「佐竹通り南口」交差点角にあります。区の11階建て集合住宅で、1階に三味線堀商店街があります。丁度このビルの敷地全部が三味線堀の胴であったのでしょう。交差点角に三味線堀の説明板が付いています。過去にはこの商店街で建てた碑があったのですが、手狭になって撤去されています。上図。

右図;三味線を弾く女(喜多川歌麿「江戸の花 娘浄瑠璃」 享和3年(1803年)) 

湯屋(ゆや);上方では風呂屋、江戸では湯屋と銭湯のことを言いました。江戸の湯屋は、熱好きのお客のためにピリピリするほどの肌に食いつくような熱い湯温です。そこに入って長湯をすれば、結果は当然、水をかけられる状態の湯のぼせになってしまいます。

飯の菜(めしのな);食事のおかず。

煮干し(にぼし); 煮て干すこと。また、煮て干した食品。特にカタクチイワシなどを煮て干したもの。主に、ダシの材料にする。だしじゃこ。いりこ。ダシを取ったら汁から引き上げるが、カルシウムなどの栄養があるからと、家庭では取り出さないことがある。家庭の味噌汁の具では、豆腐、ワカメ、長ネギがベストスリーです。

チンドンヤ(ちんどん屋);人目につきやすい服装をし、太鼓・三味線・鉦・らっぱ・クラリネットなどを鳴らしながら、大道で広告・宣伝をする人。関西では「東西屋」「広目屋(ヒロメヤ)」という。
右写真:ちんどん屋。

シャボン(sabo ポルトガル・jabn スペイン);石鹸。

天神さん(てんじんさん);菅原道真の神号。(道真を火雷天神とする信仰が起り、後に京都に北野天神が創建された) 。江戸には有名なところで、湯島天神、亀戸天神があります。

湯島天神は、文京区湯島三丁目30番。正式には「湯島天満宮」という。祭神は天乃手力雄命(あめのたぢからをのみこと)と、菅原道真公を祀る。雄略天皇の勅命により、御宇2年(458)創建と伝えられ、天乃手力雄命を奉斎したのがはじまるで、降って正平10年(1355)2月菅公の偉徳を慕い、文道の太祖と崇め本社に勧進しあわせて奉祀し、文明10年(1478)10月太田道灌これを再建した。元禄16年(1703)の火災で全焼し、宝暦元年(1707)再建したが、平成7年老巧化のため総檜の新社殿が建立された。(湯島天神記より)。富くじ開催地として江戸の三富のひとつ。
落語「初天神」、「鶴亀」で紹介しています。 http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/index.htm 

亀戸天神は、江東区亀戸3丁目6番。江戸時代から学問の神様として信仰を集め、寛文2年(1662)九州太宰府天満宮の神職が、飛梅の木で菅原道真公の像を造り、祀ったのが創建と言われています。毎年1月24、25日に、「うそ替え神事」が行われます。 http://www.kameidotenjin.or.jp/
落語「水たたき」、「怪談・阿三(おさん)の森」に出て来ます。

 また、北野天神の縁日が25日だったので、揚代が銀25匁であった遊女を天神さんという。 遊女の階級のひとつ。太夫に次ぐもの。

リンを振った~、ゴミ屋;私の若い頃、ごみの収集にはリンを振って来たものです。それまではゴミを出さずに各家庭で保管しておいて、リンがなると一斉に奥様達が出て来て、収集車に入れたものです。今では先に出しておいて、決まった時間に黙って収集していきます。

襦袢(じばん);じゅばん。肌につけて着る短衣。はだぎ。垢取り。汗取り。じゅばん。
ちゃんちゃんこ;(子供用の)袖なし羽織。多く綿入れで防寒用。そでなし。右図。

トコロテン(心太);(「心太ココロブト」をココロテイと読んだものの転か) 。テングサを洗ってさらし、煮てかすを去った汁を型に流しこんで冷却・凝固させた食品。心太突きで突き出して細い糸状とし、芥子醤油・酢・黒蜜などをかけて食べる。寒天からもつくる。こころぶと。
右図:トコロテン。

カンテン(寒天);乾燥寒天を冷水に浸し沸騰させて炭水化物鎖を溶かし、他の物質を加えて漉し、38℃以下に冷ますことによって固める。寒天はゼラチンよりも低い、1%以下の濃度でもゲル化が起こる。一度固まった寒天ゲルは85℃以上にならないと溶けないため、温度変化に強く口の中でとろけることがない。食用のゲル(ゼリー)の材料という点では、牛や豚から作られるゼラチンに似ているが、化学的には異なる物質。

雪隠(せっちん);便所。かわや。せんち。(雪竇禅師(セツチヨウゼンジ)が浙江の雪竇山霊隠寺で厠の掃除をつかさどった故事からという)。



                                                            2017年1月記

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