落語「お玉牛」の舞台を行く
   

 

 桂朝丸(二代目 桂 ざこば)の噺、「お玉牛」(おたまうし)より。別名「堀越村」。


 

 若い男連中が集まりますと、女性の話題に尽きます。堀越村の若い男たちが集まって、京都の奉公先から戻ってきた美女・お玉の噂話をしています。

 アババの茂兵衛が現れ、「玉ちゃんのことは、あきらめてもらおか。俺が『うん』と言わせたんやさかい」と告げ、畑の中でひとつのキセルをふたりで吸い合った、と自慢する。「好きな人でも居るのか、と聞いたら『目の前の人』と言って、俺の太ももをつねった」、だからお玉の胸元に手を差し入れて、「この手、奥まで入れさしてもろてええか?」と言ったら「あんたにまかせた体じゃもの、どうなと信濃の善光寺」と答えた、と言う。「ホントに言ったのか?」、「言うた、思て目ェ覚ましたら、夢や」。

 通称小突きの源太が鎌を振り回して踊りながら嬉しそうに、「玉ちゃんのことは、俺が『うん』と言わせた」と宣言。「夢の話しでは無いよ。俺は今、玉ちゃんに会(お)うて聞いたったんや。『断れば、この鎌で胴ン腹(どんばら)にお見舞い申すぞ。うん、と言え、うんか?鎌か?ウンカマか?』。玉ちゃん、『うん』言いよった。『こっちおいで』言うて竹藪へ連れて行たら、『昼間から・・・、今晩、裏の切り戸開けときますさかい、忍んできてくれたら、うん、言おうやおまへんか』やて・・・。今晩忍んで行くんだ」。
 「お前ら黙って聞いていないで・・・。あいつは腕力で行くぞ」。

 帰宅したお玉は、泣きながら両親に源太の乱暴ぶりについて訴えた。父親は怒って、「わしの部屋にお玉寝かせ。お玉の部屋に、こないだ博労してきた牛ィ寝かしとけ」。牛は結構な布団の上で喜んで寝てしまいます。そこに源太が忍び込んできます。
 真っ暗闇のなか障子を開けて布団を探り当て、「玉ちゃん、玉ちゃん・・・。布団めくったら『キャ~』なんて言うなよな」、めくって中をまさぐる。「玉ちゃん、えらい毛だらけやなあ・・・。ああ、可愛い娘だから布団の下に毛布着(き)してもうとんねん。(まさぐると)大きい体やなあ。寝肥(ねぶとり)かいな?頭どっちや?恥ずかしがってんと、玉ちゃんなんとか言いな」。源太の手は何かブラブラしたものに当たった。「うれしいなあ、昼と夜で髪を変えて、お下げに結うてくれたあンねん。お下げでどつかんかてええやないかい。何かベチャベチャする・・・。鬢付け(びんつけ)やな。さぞええ匂いするやろな、嗅がしてもらおか。ウーッ、クサ。いや、俺の鼻が下衆鼻(げすばな)やさかいこんな臭いすんのや」、源太が触っていたのは牛の尾と肛門であった。
 手を滑らして牛の頭の方に・・・。「ああ、こっちが頭やな。なるほど一本こうがい。ウニコールの一本こうがいは高いと聞いてるがな。どこの質屋へ持って行ても、50両の値打ちあるで。それだけあったら・・・、ほ、ほう。こっちにもあるわ、二本こうがいか。こら100両。これだけ有れば遊んでいられるわ。玉ちゃん、ホンマに頭はどこや」、角を引っぱられ、揺さぶられた牛は怒り、「モオ~~」と大きなうなり声を上げた。

 驚いた源太はお玉の家を飛び出し、兄貴分の家に転がり込んだ。「誰やと思たら、小突きの源太やないかい。今晩『お玉とこ行く』とえらそうにぬかして、お玉を『うん』と言わしたか」、「『うん』どころか。ホンマに『もう』まで、言わしたった」。
 



ことば

二代目 桂 ざこば;(にだいめ かつら ざこば、1947年9月21日~ )上方の落語家。本名、関口 弘(せきぐち ひろむ)。 大阪府大阪市西成区出身。米朝事務所所属。上方落語協会会員(代表理事)。前名は桂 朝丸(かつら ちょうまる)。出囃子は「御船」(ぎょせん)。愛称は「ざこびっち」。桂雀々とは夫人同士が姉妹であるため義兄弟の間柄。甥(ざこばの妻の弟の子)にJAY'ED。
  桂 ざこば(かつら ざこば)の芸名は、上方落語の名跡。 「ざこば」の名は、1931年(昭和6年)まで大阪市西区靱(じん=現在の靱公園の位置)に存在した鮮魚卸売市場「雑喉場(ざこば)」に由来する。二代目は襲名に際して、後身の大阪市中央卸売市場に挨拶に行っている。
 この噺の録音時期は昭和56年12月です。まだ、ざこばを襲名(昭和63年=1988)する前のことです。

堀越村(ほりこしむら);上方落語の舞台として多く登場する典型的な田舎。
「紀州(和歌山)と大和(奈良)の国境、または大坂から奈良に入る国境で、山また山、草深い」堀越村であった。落語界の架空の村ですから、一見有りそうですが、地図を開いても出て来ません。

 この「堀越村」で起こった話が前半部分で、後半が「お玉牛」になります。その前半部分を紹介しますと、

 場所は、山また山の中で、堀越村という山村でございます。ここのお庄屋さんが、慈悲深い親切な方。村で、みなしごになりました、お塁さんという子を引き取って、大切に育てました。そのうち、年頃・十八歳になりましたが、これが、“鬼も恥らう番茶も出花”どころか、鬼も逃げ出すぐらい、えげつない顔。しかし、気立ては、至って、よろしい。ちょうど作男の与治兵衛が真面目でよかろうと、村はずれで、世帯を持たせてやります。
 夫婦仲は、これも至って、よろしい。ところが、どういうものか、子宝に恵まれません。お正月前、朝から、鉛色の雲が広がっており、そのうちに、白いものがチラチラ。夕方にもなりますと、あたり一面の銀世界。与治兵衛さんは、お塁さんの言葉に従いまして、囲炉裏のそばへ。夜なべの仕事を二人でしておりますと、表の戸を叩く音。しかし、風も雪も強いので、風の音と思いのほか、「お頼みいたします」と人の声。驚いて、戸を開けてみますと、人が立ってる。聞いてみますと、旅の方で、「道に迷って、泊めて欲しい」と。ところが、旅の人を泊めて、騒動が起こったとかで、泊めてはならんという、お触れが出てる。もうちょっと行くと、宿屋ではないが、お庄屋さんがあるので頼んでみて欲しいと言います。しかし、この雪で、足弱を連れていてもう一歩も、前へは進めません。かわいそうなので、囲炉裏で温めてから、また、外へ出たらどうであろうと、お塁さんが勧めますので、とりあえず、戸を開けて中へ。
 足弱とは連れの娘さんで、しかも、誰もが驚くほどキレイな娘子。同じ女でも、お塁さんとは、エライ違い。お父さんも、お武家様のようで、何ぞ仔細があるに違いないと、聞いてみますと、この方は、武士で、娘さんは、玉菊といいますが、母親とは、すぐに死に別れて、乳母が養育をした。成長の後、お仕えするお殿様の目にとまりまして、奉公することとなりましたが、事のほかのご寵愛。周りのものが憎んで、“謀反者”と言いふらされて、そのために、父親の家屋敷もお取り上げ。育ててくれた乳母が、紀州の加太にいるとの話なので、行ってみましたが、もうこの世の者ではなく、あても無く帰る道すがら、道に迷ったという。
 そこを、また出て行ってくれというのも、かわいそうな話なので、誰も聞いていないのを幸い、一晩泊めてあげることといたします。「時に、おなかの具合は?」、「夕餉は、食まず(はまず)にございます」、食べてないちゅうことですわ。雑炊の残りを出しまして、奥の部屋に布団を敷いてもろうて、寝ることと相成ります。与治兵衛さん夫婦は、代わりに、囲炉裏のそばで、夜を明かすことといたしました。真夜中、奥の部屋で、なんじゃ、ガサガサ音がする。ふっと目を覚ました、お塁さんが、声を掛けてみますと、お父さんが、冷とう硬うなってる。要するに、もう、この世の人ではないということですわ。
 さあ、大変。旅人を泊めてはならんお触れが出ているのに、泊めて、その上、死んでしもたんでは、大騒動。夜が明けるのを待ちまして、こっそりと、お庄屋さんに届けます。もちろん、悪気でしたことではないので、内々で野辺の送りをいたしまして、事は丸く収めてもらいます。と、残りましたのが、娘の玉菊さん。本人に聞いてみますと、身寄り頼りのある体ではございませんので、何分、よろしくお願いしたいとのこと。そこで、このお塁さんの、妹さんということに仕立てます。生まれるとすぐに、京へやっていたのですが、今度、訳あって、戻ってきた。名前も、お玉さんといたしまして、村中へ届け出る。さあ、こんな山の中の田舎のことですから、べっぴんさんがやってきたというので、この噂は持ちきり。“掃き溜めに鶴”ですもんな。若い連中は、仕事も手に付かんというような具合。寄り集まりますというと、玉ちゃんの話ばかり。
(桂小南の噺から「堀越村」、この後は「お玉牛」と続きます)


どうなと信濃の善光寺;どうとでもしなさい、という地口。

博労(ばくろう);(「馬喰」とも書く) 馬のよしあしを鑑定する人。馬の病をなおす人。また、馬を売買・周旋する人。博労市で買い付けてきた牛。

鬢付け(びんつけ);鬢付け油。髪油のひとつ。菜種油などと晒木蝋(サラシモクロウ)に香料をまぜて製した固練りの油。主に日本髪で、おくれ毛を止め、髪のかたちを固めるのに用いる。固油。びんつけ。
 伽羅の油、鬢付油の一種。もと、ろうそくの溶けたものに松脂を混ぜて練ったもの。のちには大白唐蝋・胡麻油・丁子・白檀・竜脳などを原料とした。正保・慶安(1644~1652)の頃、京都室町の髭の久吉(ヒサヨシ)が売り始めて広まった。
 日本髪を結うと、鬢付け油で調髪してくれます。お相撲さんの髪はこれを使っています。

下衆鼻(げすばな);身分の低い者。使用人。心のいやしいこと。また、その者が持っている鼻。

ウニコールの一本こうがい;ウニコールは一角(イツカク)鯨の牙から製した生薬で、毒消し及び健胃剤。昔は痘瘡の薬として用いた。その元となる角(牙)から出来た髪飾りの笄(こうがい)。現在は根付けとして、象牙細工のように使われています。

牛を寝かす;寝太りと言っても、こんな大きくはならないでしょう。いくら「うん」と言わしても、気が焦っていても、真っ暗だって、もう少し考えて行動しないと、いつまで経っても、女性からはなびかれません。
 女性は寝る時、カンザシ、コウガイは髪から抜いて寝ます。牛の角をウニコールだと思って取ろうと揺すったら、牛も怒るでしょう。

 

 亀戸天神の伏せ牛。こんな牛が寝床に寝ていたら、それはビックリするでしょう。



                                                            2017年3月記

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