落語「老婆の休日」の舞台を行く
   

  

 桂文珍の噺、「老婆の休日」(ろうばのきゅうじつ)より


 

 老婆がケーキ屋さんに来て、「これ下さい」とショウケースを指差していますが、店員さんには見えませんから、「名前を言って下さい」、「ヨネです」。帰って来ても、パクパクと急いで食べています。ケースを見ると『お早くお召し上がり下さい』。

 最近のレストランでも外食チエーンでもアルバイトを使っていますから定型文を覚えさせます。「いらっしゃいませ。アリガトウございます。大ですか、小ですか。お持ち帰りですか、こちらでお召し上がりですか」。一日中そればっかりです。そこに老婆がトイレを借りに行ったのです。もうお分かりですね。

 病院でも同じです。「誰か呼んでるよ。私は後で良いんです。みんなと、ここで話が出来るだけで良いんです。元気なればこそ、病院に来れる。今日はタネ子さんの顔が見えんね。え?病気?可哀相に、早く良くなって病院に来なくては。君子さんは」、「はい」、「どうしたの?」、「身体中が痛くて。頭を押さえても、お腹を押さえても、足を押さえても、痛いので診てもらったら・・・、指の骨が折れていた。隣の人の肩を触っても痛い、ようやく人の痛みが分かるようになった」。
 「幾つになった。八十八やったら、ベージュやな」、「着物の色はグレーや」。
 「連れ合いは?」、「亡くなりました。酒を飲まなければ良い人でしたが、倒れてクダ巻いて、病院に入ったらクダに巻かれて。病室に入ると機械の音がイヤで、ピィ、ピィ、ピィ、と言う音が、ピーーーとなった時、新米の看護婦が『終わりました』と言いましたので、失礼だろうと思いましたが心の中では『やれやれ』と思いました」。「お子さんは」、「六十になりました。生まれた時は玉のような児でしたが、今ではシワだらけで老後が心配です。ひ孫もいまして、年金目当てに来ますが『大きなお婆ちゃん、いつ死ぬの』。お前一人の考えか?誰に頼まれて来たんじゃ」。
 「あんたの髪の毛綺麗に染まりましたな。何を使ったの」、「へへへ、染めたように見えます?これはガスです。ガスの栓をひねってからマッチ探して、それからマッチ擦ったらボーンといって、ジジジとなって、婆でも爺ジとなってしまった。気を付けなアカンよ、我々燃えやすいんだから」。「首に提げている印鑑は何?」、「昔のことは良く覚えているが、最近のことは直ぐ忘れる。わしゃ、ご飯食べていないというのに『食べた食べた』いう。そしたら、嫁が『これからは食事したら判を押す』ことに・・・。これだって良くはない。だって押したこと覚えていない」。「あんた来てはりますな」、「いえ、歩く度にオナラが出て。その力で前に進んでいるよで・・・」。
 「呼んでますよ」、「今日は若先生なんです。この年になると若い人に触ってもらえるのは病院だけです。では、お先に」。「今日はどう致しました」、「喉がガラガラして・・・」、「風邪引いたかな?シタ出して」、「えぇ?」、「シタ出して下さい」、「爺様が死んで、どなた様にもお見せしたことがありません。ひょっとしたら塞がっているかも・・・」、「シタ・シタ舌を診せてください。下を見て喉が診られますか」、「判っていますよ。若先生がどんな反応するか楽しみで」、「若いもんをなぶりなさんな」。
 大騒動で御座います。老婆の休日でした。

 



ことば

桂文珍(かつらぶんちん);(1948年12月10日生まれ)本名、西田 勤。 兵庫県多紀郡篠山町(現:篠山市)福井出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(吉本興業)所属。 右似顔絵、南伸坊画。
 実家は農家。幼い頃はパイロットに憧れていたが、大学に入学してすぐに父が病気で倒れ、仕送りがストップし、ガソリンスタンドでの住み込みのアルバイトを余儀なくされる。大学生時代に落語に憧れ落語研究会に入り、美憂亭 さろん(びゆうてい-、「ビューティーサロン」に由来)と名乗る。この芸名でテレビに出演、共演した桂三枝(現・六代桂文枝)の勧めもあり、1969年10月に五代目桂文枝(文珍の入門当時は桂小文枝)に入門。おりから1969年当時、三枝も売れっ子になり師匠の身の世話をする人物を探していた。 当初三枝から「君は僕の次(2番弟子)やで」と言われていたが、文珍が入門する3日前に桂きん枝が入門したため、3番弟子となったと2002年にナゴヤドームで行われた講演会などで発言した。年齢はきん枝より上であるが、この入門時の経緯から、文珍はきん枝のことを「きん枝兄さん」ではなく「きん枝くん」と呼んでいる。弟子は、桂楽珍(らくちん)、桂珍念(ちんねん)、桂文春(ぶんしゅん)、桂文五郎がいる。同期は間寛平ほか。
 芸名の「文珍」は習字の「文鎮」に由来する。小文枝が物を書いていた時に、風で紙が飛ばされそうになったため、近くにいた西田に「おい、押さえとけ」と言った。言われるまま紙を押さえたところ小文枝がその様子を見て、珍しい人物なので、文鎮にかけた「文珍」と命名したという。新作落語、古典落語の両方演じ、古典では三代目桂米朝から多くのネタの稽古を付けられた。主な得意ネタとして、新作では自作の「老婆の休日」「ヘイ!マスター」「マニュアル時代」など、古典では「愛宕山」「百年目」「胴乱の幸助」「不動坊」「天狗裁き」「地獄八景亡者戯」「はてなの茶碗」「らくだ」等。
 関西大学文学部非常勤講師を務め、学生に文学的に落語を語り、学生に人生のレールを敷きました。
 飛行機の操縦資格を持ち、1990年8月に自家用操縦士の技能証明、1994年4月には計器飛行証明を取得している。自身がオーナーの飛行機(ジャイロフルーク スピード・カナード SC01B-160、日本で1機のみ存在)を操縦、公演先まで遠方飛行するなど「飛行機を飛ばす芸能人」としても全国的に有名である。2003年の能登空港開港の際に第一号到着機になった。下写真。

患者の高齢化;全体では100人に1人、歳上ほど入院患者率は増加(2016年)
 医療技術の進歩に伴い、多種多様な病症への対処法が具体的な治療法として確立され、医療施設で受療可能となり、多くの人が病院へ足を運び、治療あるいは入院する機会を得られるようになった。また高齢化に伴い老化に伴う病症の増加もあり、入院・通院(外来)患者も歳を召した人が増えている。今回は厚生労働省が定点観測的に実施している患者調査の最新版公開資料を基に、日本の入院・通院患者数の「対人口比」における、入院・外来受療率を確認していく。
 
次に示すのは、年齢階層別の入院・外来の受療率。例えば1歳から4歳の入院受療率は170とあるので、1歳から4歳までの子供10万人に対し、該当日には170人が入院していた計算になる。対人口比は0.17%。589人に1人が入院中。

↑ 年齢階層別入院受療率(各階層人口10万人対)(2014年10月)
↑ 年齢階層別入院受療率(各階層人口10万人対)(2014年10月)

↑ 年齢階層別外来受療率(各階層人口10万人対)(2014年10月)
↑ 年齢階層別外来受療率(各階層人口10万人対)(2014年10月)

 入院受療数よりも外来受療数の方が桁違いに多い。そして入院はゼロ歳以外はほぼ年齢階層の上昇と共に値が増えていく。興味深いことに、絶対数では大きな段差が見られた60歳前半と50歳後半との間もほぼスムーズな流れを示している。これは元々の人口において、60歳前半が多分に及んでいた事を意味する(いわゆる「団塊の世代」である)。

 外来受療率は絶対数同様、ゼロ歳から10代前半まではやや多めで、10代後半が最小。その後はじわりと増加するが、増加が急ピッチになるのは40代後半から。「四十肩」なる言葉が思い返される。 対10万人対が1万人を超えるのは70代前半。70代前半では10人に1人以上が通院している計算となる。そして70代後半から80代前半がピークであとは多少値を減らしていくが、これは通院するような軽度の病症に陥る可能性が減ることを意味する。子供や成人ならちょっとの怪我で済むような事案でも、高齢者では大事に陥ることも多い。
http://www.garbagenews.net/archives/2303082.html 「ガベージニュース」より

 この落語はメチャメチャに面白いのですが、外側(部外者)から見ているからで、今に自分がなったら、同じ事をしているんではないかと、警鐘を鳴らされているようです。笑ってばかりではいられません。

心拍数計測器(病院用);生体情報モニタTM-2590(バイタルセンサS)。心電図(ECG)、呼吸(Resp)、非観血血圧(NIBP)、 動脈血酸素飽和度(SpO2)、体温(Temp)が計れます。
右写真:エー・アンド・デイ社の医療用機器

 入院治療中に、ピィ、ピィ、ピィ、と言う音が、ピーーーとなった、そればビックリしますよね。

病院(びょういん);医療法で医療機関は、病院と診療所に分けられる。 医院やクリニックは、医療機関の施設に付けられる呼称(屋号)で、医療法で特に規制されていないため、「病院」「診療所」のどちらでも使用可能であるが、一般に「医院」や「クリニック」が付いているところは診療所であることが多く、診療所と医院とクリニックは同じと考えてよい。
  医療法で、病床数20床以上の入院施設をもつものを「病院」、無床もしくは病床数19床以下の入院施設をもつものを「診療所」という。 病院には医師・看護師・薬剤師などの最低配置人数に規制があるが、診療所には医師1名のほかに人数の規制はされていない。
 建築基準法により、病院は第一種低層住居専用地域・第二種低層住居専用地域・工業地域・工業専用地域に設置できないが、診療所は条例等で特別の定めがない限り、用途地域の別に関わらず設置が可能である。

年金(ねんきん); 公的年金制度は、いま働いている世代(現役世代)が支払った保険料を仕送りのように高齢者などの年金給付に充てるという「世代と世代の支え合い」という考え方(これを賦課方式といいます)を基本とした財政方式で運営されています(保険料収入以外にも、年金積立金や税金が年金給付に充てられています)。  また、日本の公的年金制度は、「国民皆年金」という特徴を持っており、20歳以上の全ての人が共通して加入する国民年金と、会社員が加入する厚生年金などによる、いわゆる「2階建て」と呼ばれる構造になっています。
  具体的には、自営業者など国民年金のみに加入している人(第一号被保険者)は、毎月定額の保険料を自分で納め、会社員や公務員で厚生年金や共済年金に加入している人(第二号被保険者)は、毎月定率の保険料を会社と折半で負担し、保険料は毎月の給料から天引きされます。専業主婦など扶養されている人(第三号被保険者)は、厚生年金制度などで保険料を負担しているため、個人としては保険料を負担する必要はありません。老後には、全ての人が老齢基礎年金を、厚生年金などに加入していた人は、それに加えて、老齢厚生年金などを受け取ることができます。
 このように、公的年金制度は、基本的に日本国内に住む20歳から60歳の全ての人が保険料を納め、その保険料を高齢者などへ年金として給付する仕組みとなっています。
 厚生労働省の年金について、より。



                                                            2017年3月記

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