落語「結婚式風景」の舞台を行く
   

 

 五代目春風亭柳昇の自作噺、「結婚式風景」(けっこんしきふうけい)より


 

 私は春風亭柳昇と言いまして、大きな事を言うようですが、今や春風亭柳昇と言えば我が国では・・・、私一人で御座いまして・・・。(柳昇の決まり文句。これが無いと始まらない)

 縁談でも長い間待っていればいつかは花が咲きますよね。80歳まででも。焦ることは無いです。
 結婚式の祝辞は長いのはいけませんね。5分以上やったら死刑だとか、4分だったら無期懲役にすれば良いのです。話のヘタな人に限って長くて、終わりかなと思うと「なお」と言うんですね。話が戻って「更に」と言って、長々やって「続いて」、長々やって、「私もいろいろ申し上げました」と言うから終わりだろうと思ったら、「では、最後にもう一言」、ガッカリしますね。最後に、長くやったのに「はなはだ簡単で御座いましたが・・・」、ひっぱだきたくなります。
 「私が言いたいことは、前の方がみんなおしゃったので」、偉いな~と思います。「何も言うことは御座いませんが、一言だけ・・・」。こーいうのはサギですね。
 一番イイのは、原稿を見ながら言う人ですね。あ~ぁ、後2枚だな。

 宮中の晩餐会では最初に食事をして、後で挨拶をします。私は寄席があるので、先に帰ることがあります。引き出物を渡す係の人が居ないので、祝儀を払って食事もしないで帰るんです。手ぶらで帰ると女房が怒るんです。
 女房は、奄美大島の出身でハブと暮らしていたんです。その上ヘビ歳生まれ、私はカエル歳ですから、すくんでしまいます。相手は毒を持っていますからね。でも最後は私の一言で納めます。
「私が悪かった」。
後悔しているんですが、女房は器量の良いのを選んじゃ駄目ですよ。

 お仲人さんのご挨拶でいつ聞いても不思議に思うのは、学校の成績はみんな優秀、お嫁さんはみんな美人。「こんな美しい・・・」、お嫁さん恥ずかしいから、うつむいたまま。もっとも、年頃の娘で、文金高島田で、打ち掛け付けて、真っ白な白粉塗って、それでも見られなかったら、女やめた方がイイ。
 披露宴の最後には花束贈呈があります。泣いているのはみんなお嫁さんのご両親。どこの馬の骨とも分からない男に持って行かれるんですよ。犬だってあげればお礼ぐらいくれますよ。
 私にも器量の良い娘が居まして、でも、しょうが無い娘で、母親に似ますね。こんな娘の貰い手はいないだろうと思っていたら、馬鹿な男がいて「ください」と言ったので、気が変わらないうちに急いでやっちゃった。やったものは返品利きませんからね。翌年長男が結婚して、向こうの親の所に夫婦で行ったら、「有り難うございます。こんな娘を・・・」、それ聞いてガッカリしましたね。悪いのをやって、良いのをもらおうと思ったら、同じのが来ちゃった。私の家は収穫無し。それで良いのでしょうけれど・・・。

 花束贈呈というのがありますが、式場側からやりますかと言われたが、「ヤダ」と断った。人の前で涙を流すのは・・・。他の結婚式ではやりますよ、と言われたが、断った。新郎新婦が自分で買ってきたら貰うが、花の代金は料理の中に含まれている。勘定払うのは親なんです。親が自分で買って、自分でもらって、自分で泣いて、儲かるのはホテルと花屋だけ。

 「大変お待たせしました。これより斎藤・小川、ご両家の結婚披露宴を始めさせていただきます。ご媒酌人であります安岡様ご夫妻よりの、ご挨拶をお願いいたします」。
 「え~~、こんちは、モゴモゴ、ムニャムニャ、○X▲で、ここに一組の夫婦が出来たと言うことは、まことにご愁傷、では無く、ご同慶に堪えません。ただ今、新郎・新婦におかれましては、ご両親始め、ご親類一同が見守る中、神前において、いとも厳粛に、しかも、しめやかなる葬儀が・・・いや、結婚の儀が執り行われました事を、皆様と共にお慶び申し上げます。では、ここで新郎・新婦の経歴についてご紹介を・・・(あちこちのポケットを探る)あー、う~、(何処を探しても出て来ない)・・・経歴でござますがあ~、経歴はありません。簡単に申しますと、新郎は▲●年に、ご両親の間から生まれました。 新婦はお爺様、お婆様の孫として生まれたと言う、大変珍しいカップルでございます。
 私は非常に仲人が好きで、これで五十組ばかり掛け合わせをいたしました。いろんな夫婦がございまして、社長になって立派にやっている者があるかと思うと、生活苦のために夫婦心中したのも、六組ばかりございます。この間、そのうちの一組のお葬式がありましたが、まことに華やかでございました。今日のは、その内のどっちになるか、それが楽しみでございます・・・。私の感で行くと心中の方ではないかと思います。
 仲人は骨が折れるだろうとご心配下さる方がありますが、骨は折れますが、終わった後で少なくて三万円、多ければ数万円の謝礼がいただけますので、それを楽しみにやっております。この間、全然よこさないのがありましたが、ああ言うのは行き先、ろくな事は無いと思います。さて、今日のでございますが、どの位になりますか、もらってみなければ分かりませんので、只今それが非常に気になっておりまして、なかなか思う通りの事が言えません。ではこれを持ちまして、御挨拶といたします」。

 「続きまして、新郎の会社の部長様のご祝辞をお願いいたします」。
 「新郎の彼と私は、同郷でございまして、しかも県も同じでございます。 そんな関係で、私に仲人をやってくれと言うお話しがございましたが、その任で無いとお断りいたしました。しかし、この次の時は、ぜひ私がやりたいと思っています。彼の少年時代は子供でござましたが、大きくなるに従いまして大人になりました。彼は小さいときから非常に勉強が好きで、小学校など普通六年やるところを、八年もやりました。大学の方は、試験官の手違いの為に入学できました。在学中は、彼は非常にスポーツが好きで、柔道、剣道、弓、馬、羊、猿、鳥・・・とりわけボクシングは非常に強く、どんな試合に出ても、負けた時以外は必ず勝ちました。会社に入りましてからも非常に真面目で、遅刻するなどと言う事は、週に五、六回しかございません。 先月、会社の金を使い込みましたのがバレましたのて、近々、首になる 予定でございます。では、これを持ちまして祝辞といたします」。

 「部長様より、懇切丁寧なご祝辞を賜り、さぞかし新郎も地下で喜んで・・・いや、地下じゃない。では最後に、新婦花子さんの元の女学校の校長田原俊彦先生より、ご祝辞をお願いいたします」。
 「新婦花子さんは、私の学校を首席で卒業なさいました方と、いっしょに卒業なさいました。まれに見る才媛でございます。本来なら、私の学校に来る前は、お茶の水女子大の方へ入る予定だったのですが、試験問題と意見が合わず、当校に来られました。在学中は、洋裁、和裁は申すに及ばず、琴、生け花、三味線、茶の湯、などは全部やらず・・・、花嫁修業を続けてまいりました。
 この方のお父さんは、この人の生まれる4年前に亡くなりまして、大変、苦労されております。お母さんは、若い男が出来て、只今行方不明でございます。では、これを持ちまして、祝辞といたします」。




ことば

結婚式(けっこんしき、 wedding);婚姻を成立させるため、もしくは確認するための儀式。片仮名でウェディングまたはウエディングと表記することもある。 結婚式の習慣は古くから世界各地に見られる。地域や民族により様々な様式があり、宗教的なものやそうでないものもあるが、どの場合でも喜びの儀式である。一般に、結婚式の後に結婚披露宴を行うケースでは、結婚式それ自体は比較的少人数でとりおこなわれ、結婚披露宴は親族一同や知人まで含めて数十人~数百人と参加者の人数が膨らむことが多い。

 結婚披露宴(けっこんひろうえん)は、結婚を広く発表するため、親戚・知人・友人らを招いて催す宴会である。結婚を広く地域・社会に知らせ、皆で祝う結婚披露宴を催す習俗は、世界各地に古くから見られる。結婚披露宴は、宗教的色彩の濃い儀式としての結婚式(婚礼)と併せて開かれることが多く、結婚式と結婚披露宴を一体として結婚式(婚礼)ということもある。 古くは、結婚披露宴をもって結婚の成立とした。その後、宗教の組織化と社会制度の整備により、宗教的儀式たる結婚式が重視され、結婚式をもって結婚の成立とみなされるようになり、結婚披露宴はそれに付随する宴会となった。現代では、多くの国で結婚(婚姻)は単に民事契約とされているものの、結婚式の宗教的色彩は色濃く継承され、結婚披露宴も広く行われている。
 戦後、1946年に公布された日本国憲法(特に14条、24条など)と、これに基づいて改正された現行民法(家族法)の規定により、結婚と夫婦・家族に関わる制度と認識が大きく変わった。現代では、結婚は、一方が他方の家に入るという形ではなく、「両性の合意」のみに基づいて、新しく独立した夫婦・家族を形成するという認識が強い。そのためお見合いは減少し、恋愛結婚が重視される。また生活の実態としても、夫婦とその子だけで生活する核家族が多い。そのため、結婚式・結婚披露宴は、夫婦の家やその実家で行われることが少なくなり、ホテルや結婚式場、レストランなどで行われることが多くなった。もっとも、家と家の結びつきという側面は、現代の結婚式・結婚披露宴にも随所に見られる。大仰な宴席や家意識を敬遠して、レストラン等で新郎新婦の両親や兄弟姉妹、親しい友人・知人のみで簡素に祝う、いわゆるジミ(地味)婚も多くなっている。

 二次会は、結婚披露宴のあと、新郎新婦の友人や同僚が幹事となり、主に若い人が集まって二次会が開かれることも多い。二次会は会費制とされることが多く、くだけた雰囲気の会となる。若い人が多いため、新たな男女の出会いの場となることも多く、更に賞品と賞金を掛けたゲーム等のアトラクションを行う事も多い。ブーケ・トスも二次会で行われることが多い。披露宴と同様、新郎新婦の幼い頃から結婚前の写真・ビデオ画像を編集して流すことも多く、更に新郎新婦が退場し、出口に並んで客を見送る。
近頃では二次会 幹事代行業者に依頼する新郎新婦も多い。

・ 憲法第14条:すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
・ 第24条:婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2.配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

■「第一回 笑芸人 超・特撰落語会」(2003年4月23日)で口演した『結婚式風景』が最後の高座となり、2003年6月16日、胃癌で逝去。82歳没。

 1982年には落語好きの女子大生を中心に人気が集まり、彼女たちを中心に28人の親衛隊ともいえる「柳昇ギャルズ」が結成された。書記長は素人時代の木村万里。さん生改め川柳川柳の弟子となる川柳つくしも一員だった。 

縁談(えんだん);結婚や養子縁組の相談。結婚話。

祝辞(しゅくじ);祝賀の意を表すことば。祝詞。

文金高島田(ぶんきん たかしまだ);(同じころ男髷(オトコマゲ)の文金風が流行したため) 女の髪の結い方の一。島田髷の根を最も高くした、高尚・優美なもの。もと辰松島田。針打ち。文金島田。
 男の髪形の文金風、辰松風(タツマツフウ)から出て、まげの根をあげて前に出し、月代(サカヤキ)に向かって急傾斜させたもの。豊後節の祖宮古路(ミヤコジ)豊後掾の始めた髪型。宮古路風。
右写真:高島田に結ったお人形。

首席(しゅせき);第1位の席次。首位の席。1番。また、その人。「首席で卒業する」

お茶の水女子大(おちゃのみず じょしだい);(東京都文京区大塚2-1-1)。同学は1875年に開校した官立の東京女子師範学校が起源で、1885年に東京師範学校の女子部となり合併されたが、7890年に分離し女子高等師範学校となる。1908年、奈良女子高等師範学校(現 奈良女子大学)の設置に伴い東京女子高等師範学校と改称する。戦後の1949年、国立学校設置法により新制大学「お茶の水女子大学」となり現在に至る。
 元々は御茶ノ水にあったが、1923年の関東大震災で校舎を焼失し、現在の大塚の地に移転した。現在は、茗荷谷駅近く、正門はちょうど日本図書センターの向かいにある。 国立の女子大学はお茶の水と奈良女子大学の2校のみであり、長年にわたり多数の人材を輩出してきた。

田原 俊彦(たわらとしひこ);落語「日照権」をご覧下さい。柳昇は彼のこと好きなんですね。何かというと出て来ます。



                                                            2017年6月記

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