落語「松竹梅」の舞台を行く
   

 

 四代目三遊亭圓遊の噺、「松竹梅」(しょうちくばい)より


 

 隠居の所に松つぁん、竹さん、梅さんの三人が手紙を読んで欲しいとやって来た。
 お店(たな)の大黒屋さんでは今夜お嬢様の婚礼が有るので、三人に出席依頼の招待状だった。
 隠居が言うには「婚礼の場所に行ったことはあるか?」、「そんなの無いゃ。我々は映画館の隅で手を繋いで、帰りに屋台のラーメン屋で華燭の典をやって終わっちゃう」、「では、注意をするが、忌み言葉が有って、帰る、戻る、切れる、裂ける、と言ってはいけない。帰るときは、『お開き』と言えば良い」、「『ずらかる』と言ったらダメですか」、「ダメだな」。
 「三人だと松つぁん、竹さん、梅さんで、松竹梅で縁起がイイ。名前が良いので、良いことを教えてやろう。向こうに行ったらご祝儀をやりなさい」、「お金なんか無いよ」、「余興だよ。能狂言の言葉なんだが、難しかったらやらなくて良い。今見本を見せる、正座して、目八分と言って鴨居辺りを見ると姿勢が良い。松つぁん、竹さん、梅さんの順に座る。松つぁんが『なったぁ、なったぁ、蛇(じゃ)になった、当家の婿さん蛇になった』、竹さん『なんの蛇になぁられた』、梅さん『長者にな~られた』。で、『おめでとう御座います』、良いだろう」、「易しいや。やってみよう」。
 「なったぁ、なったぁ、やんなった」、「違うよ『蛇になった』だ」、「なったぁ、なったぁ、蛇になった、当家の婿さん蛇になった」、「文句は良いが、それにフシを付けるんだ」、「都々逸で、『(三味線の)てとトン♪なったぁ~え、なったぁ~よ、当家の婿が~、お~ぃ』」、「都々逸ではだめだ。謡(うたい)だ。『♪高砂やぁ~』の調子だ」、「そんな衛生に悪い声じゃ・・・」、「やってみな」、「なっと~、なっとう・・・」、「洗面器持って来ようか」、「仲間内で言うなよ」、「♪なった~なった~ぁ・・・」、「浪花節じゃダメだよ。今晩に間に合わないから、松つぁんのやり良いフシでやんな」、「納豆、なっと~。『なったぃッ、なったぁぃ、蛇になったぃ、当家の婿さん蛇になったッ』でどうですか」、「威勢が良いとこで、文句が合ってれば良いだろう・・・」。
 「竹さんだ」、「『なに蛇になあられた』」、「ん、竹さん上手いぞ。じゃ~梅さん」、「あっしは、向こうに行ったらやるから・・・」、「俺たちやってるんだからやれよ」、「易しいから後で・・・」、「易しいからやれよ」、「なんて言うんだぃ」、「『長者になられた』だ」、「『長者ですか。なられた』」。
 「では頭からやってごらん」、「『なったッ、なったぃ、蛇になったぃ、当家の婿さん蛇になったッ』」、「上手くなった。竹さん」、「『なに蛇になあられた』」、「そら、梅さん」、「『大蛇に』」、「バカヤロウ。だからお前はやらなくちゃダメなんだ」、「それなら、行かね~よ」、「ダメだよ。松竹梅そろわなければ、お目出たくないんだ」、「では行ってきます」。

 「こんばんは」、「手紙が着いたか心配してたんだ」、「今晩は、おめでとう御座います」、「有り難う」。
 明るい内は出入りの者は手伝っていたが、落ち着いたところで膳も出ているからと奥に通された。「無礼講で・・・」、「無礼講をいただきますから」、「無礼講は食べ物じゃないんだ」、「カレーか何かかと思って・・・。ご馳走になります」。
 「酔っ払う前に、忘れるといけないから、今のうちにやっておこう」。「旦那、私ら松五郎、竹三郎、梅吉で、松竹梅なんです。そこで、余興をやらさして頂きます」、「そうか、それは有りがたい。奥に行って皆に紹介しよう」。
 「皆様、ここに居ますのは、出入りの職人でして、こちらが松五郎で、中が竹三郎と、梅吉の三人で松竹梅です。その上、何か仕込んできたようで、これからご覧に入れます」、「よォ、よう、頼むよ。待ってました」。「今晩は、松五郎で御座います」、「竹三郎です」、「長者に」、「バカッ、早いよ。名前を言うんだ。出し抜けに言ったらダメだよ」、「梅吉です」。
 「ではやるよ。♪なっと、なっとう~。あッ、これはやっちゃいけない。では、『なったッ、なったぃ、蛇になったぃ、当家の婿さん蛇になったッ』」、「松つぁん、『蛇になった』なんて、縁起でも無い」、「旦那大丈夫です。梅が目出度くシメますから」。
 「ではもう一度。『なったッ、なったぃ、蛇になったぃ、当家の婿さん蛇になったッ』。ほれ」、「『なに蛇になぁられた』。梅ッ」、「『大蛇に』」、「この野郎は、どうして間違ったんだよォ。旦那申し訳ありません。最後がこれっぽっち間違ったもんで。もう一度やります」。
 「竹ッ、梅に教えておけょ。『なったッ、なったぃ、蛇になったぃ、当家の婿さん蛇になったッ』」、「『なに蛇になぁられた』。ほれッ」、「『番茶に』」、「しょうがないな。もう一度やります」。
 「(泣きべそかきながら)『なった、なった、蛇になった、当家の婿さん蛇になったッ』」、「『なに蛇になぁられた』。ほれ、梅公」、「『亡者に』」、「この野郎ッ」、ポカポカポカ。

 「どうしたんだぃ、慌てて」、「隠居、エライ事になっちゃった」、「やはり、梅さんがしくじったかい。『大蛇』ぐらい言ったかい」、「『大蛇』どころか『亡者』になられたと言った」、「マズいこと言ったね」、「お店(たな)しくじったかね」、「梅さん、いないじゃないか。どうしたぃ」、「あんまり癪に障るから、二人で張り倒したら、やつはしおれて、お店に残っているんです」、「なに、梅さんがしおれた?お店はしくじらないよ。やがて詫びが叶って、お開きになる」。

 



ことば


四代目 三遊亭 圓遊(4だいめ さんゆうてい えんゆう);(明治35年(1902年)2月12日 - 昭和59年(1984年)1月9日)、東京都中央区京橋越前堀出身の落語家。生前は落語芸術協会所属。本名は加藤 勇(かとう いさむ)。出囃子は『さつまさ』。
 日本橋箱崎の尋常小学校を卒業後、浅草の下駄屋に奉公に出た。その後下駄の行商、陸軍糧秣本廠の臨時工などを経て、大正11年(1922年)11月に六代目雷門助六に入門し音助となる。大正13年(1924年)春ころに二つ目に昇進し、おこしと改名。大正15年(1926年)5月、六代目都家歌六を襲名し真打に昇進。 その後昭和金融恐慌による経済不況もあって、昭和5年(1930年)ころに柳家三太郎として品川区西小山で幇間に出る。その後戦争により花柳界が禁止されたため、昭和18年(1943年)に二代目桂小文治の門下で初代桂伸治として落語界に復帰。戦後、昭和21年(1946年)に四代目三遊亭圓遊を襲名。落語芸術協会の大看板として、またTBSの専属落語家として活躍した。 芸風はあくまでも本寸法でありながら、聴衆に大御所風の威圧感を与えない軽快な語り口と独特の艶を帯びたフラで人気を博した。楽屋では同輩、後輩の誰かれとなく語りかけ、賑やかに笑わせていた。笑わされ過ぎて高座に上がれなくなった者もいたという。
 古き良き江戸の「粋」の精神を体現するかのような存在であった。 昭和55年(1980年)10月5日に愛弟子の四代目三遊亭小圓遊に先立たれるという不幸に見舞われ高座からも遠のき、引退同然のまま昭和59年(1984年)1月9日に亡くなった。81歳没。
(ウイキペディアより)

松竹梅(しょうちくばい);松と竹と梅。三つとも寒に堪えるので、中国では歳寒の三友と呼んで画の題材とされた。日本では、めでたいものとして慶事に用いる。正月の門松は松竹梅が配されている。

忌み言葉(いみことば);この落語「松竹梅」に限らず、「高砂や」や「たらちね」など結婚式の噺で必ず出てくるのがこの忌み言葉。結婚式の司会などもする噺家にとって、この風習は実に恐るべきものらしい。 この噺は比較的短いので、枕として自らが体験した結婚式でのエピソードを入れる噺家が多いのだが、どの口演を見ても一つは「忌み言葉」に対する苦言が入っている。

 忌み言葉とは、不吉な意味や連想をもつところから、忌みはばかって使用を避ける語で、忌詞、忌み詞、忌言葉とも。 結婚式での忌み言葉は、去る、切る、帰る、式が終わる(お開きになる)、重ね言葉等。一般的には、「病気」を「歓楽」、「四=シ」を「よ」「よん」、「硯箱」「擂鉢(すりばち)」をそれぞれ「あたり箱」「あたり鉢」、「梨」を「有りの実」という類。葭原(あしはら)を吉原、スルメをアタリメ、スリッパはアタリッパとは言わない。

結婚式祝電に関する小噺。中でも傑作などが以下の三遍。

  • あたし諦めるわ。ケイコ」

  • 前のことは忘れてがんばれがんばれ。麹町警察署一同より

  • 「仕事が立て込んでおり、結婚式に行かれなくてゴメン。次の機会には必ず行くよ

結婚式;日本神話における伊邪那岐命(イザナギ)と伊邪那美命(イザナミ)の国生み・神生み神話ではオノゴロ島に天の御柱を建て、イザナギが「私と貴方と、この天之御柱を廻って結婚しましょう。貴方は右から廻り、私は左から廻り逢いましょう」という約束をし、出会ったところで「なんとまあ、かわいい娘だろう」「ほんとにまあ、いとしい方ですこと」と呼び合って結ばれたという描写があり、結婚式の起源ともいわれる。

 江戸~明治時代の結婚式、新郎の自宅に身内の者が集まり、高砂の尉と姥の掛け軸を床の間に掛け、鶴亀の置物を飾った島台を置き、その前で盃事をして結婚式をする、いわゆる祝言が行われた。家の床の間は神様が居るとされる神聖な場所で、掛け軸や島台も神さまの拠り所でもあるとされ、当時から結婚式は宗教と密接な関係があった。旧暦の十月は「神無月」であったので、結婚式はこの月を避けて行われた。

 『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年(慶応3年)出版。

 民俗学者の柳田國男著の『明治大正史』及び『婚姻の話・定本柳田國男集15』によると、少なくとも幕末から明治初期までの庶民による結婚式は、明治以降に確定した神前式の形式とは同じではなく、自宅を中心とし、婿が嫁方の実家でしばらくの間生活するという「婿入り婚」と呼ばれる形式であったとしている。この際、新婚生活の初日に嫁方の家で祝いの席がもうけられることがあったが、夜の五つ(現在で言うところの21時頃)から行われることが多かったという。同じく柳田によると、江戸時代であっても、同じ村内の者同士が結婚する場合には祝言が行われないか、あるいは簡素なものであったが、村外の者と結婚する例が増えてくるに従って形式が複雑化し、神前式に近いかたちになっていった、と述べる。また、庶民の結婚式の場合は、神職が吟ずる祝詞より、郷土歌や民謡、俗謡を歌うことが多かったとされる。祝詞であっても、現代の神前式のように「祝詞」が奏上されるようになったのは明治以降である。(ウイキペディアより)

 以前は日本では、少なくとも庶民の間では、結婚式は自宅で行うことが多かった。神社で行う「神前結婚式」はそれ以前にも行われていたものの、数としてはごく少数であった。

お店(おたな);奉公人や出入りの職人などがその商家を敬ってよぶ称。おみせとは読まない。

婿さん(むこさん);娘の夫。特に、娘の夫として家に迎える男。結婚の相手としての男。
 この舞台では、娘の家で祝言が執り行われているので、この家に入る養子の夫。

祝儀(しゅうぎ);余興。通常は松つぁんが心配した、祝意を表すために贈る金品、または引出物。

都々逸(どどいつ);流行俗謡の一。雅言を用いず、主に男女相愛の情を口語をもって作り、普通七・七・七・五の4句を重ねる。「潮来(イタコ)節」「よしこの節」より転化したという。天保(1830~1844)年間、江戸の寄席でうたいはやらせた一人が都々逸坊扇歌。
 都々逸坊扇歌:(初代) 江戸後期の芸人。常陸の人。江戸へ出て船遊亭扇橋に入門。「どどいつ」などの音曲や謎ときで一世を風靡した。(1804?~1852 )。

・ 惚れて通えば 千里も一里 逢えずに帰れば また千里
・ この酒を 止めちゃ嫌だよ 酔わせておくれ まさか素面じゃ 言いにくい
・ 浮名立ちゃ それも困るが 世間の人に 知らせないのも 惜しい仲
・ 三千世界の カラスを殺し ぬしと添い寝が してみたい
・ 岡惚れ三年 本惚れ三月 思い遂げたは 三分間
・ あとがつくほど つねっておくれ あとでのろけの 種にする
・ あとがつくほど つねってみたが 色が黒くて わかりゃせぬ
・ ねだり上手が 水蜜桃を くるりむいてる 指の先(田島歳絵)
・ ぬいだまんまで いる白足袋の そこが寂しい 宵になる(今井敏夫)
・ 内裏びな 少し離して また近づけて 女がひとり ひなまつり(寺尾竹雄)

(うたい);能・狂言、また、それに近い芸能の歌唱。特に、能の謡を謡曲という。
 能楽:日本芸能の一。能と狂言との総称。平安時代以来の猿楽から鎌倉時代に歌舞劇が生れ、能と呼ばれた。それに対して猿楽本来の笑いを主とする演技は科白劇の形を整えて、狂言と呼ばれた。両者は同じ猿楽の演目として併演されてきたが、明治になって猿楽の名称が好まれなくなり、能楽の名と置きかえられた。現在、観世(カンゼ)・宝生(ホウシヨウ)・金春(コンパル)・金剛(コンゴウ)・喜多(キタ)のシテ方五流のほか、ワキ方三流(宝生・福王・高安)、狂言方二流(大蔵・和泉)、囃子方十四流がある。

浪花節(なにわぶし);多く軍書・講釈・物語・演劇・文芸作品を材料とし、節調を加えた語り物。三味線の伴奏で独演する。もと説経祭文(セツキヨウサイモン)から転化したもので、初めは、うかれ節・ちょぼくれ・ちょんがれ節などと呼ばれた。江戸末期に大坂から始まり、浪花伊助を祖と伝えるが、盛んになったのは明治以後で、桃中軒雲右衛門の功績が大きい。浪曲。
 桃中軒雲右衛門(とうちゅうけん くもえもん):(1873~1916) 浪曲師。本名、岡本峰吉。茨城県(一説に群馬県)の人。はじめ九州・関西で人気を得、1907年(明治40)東京本郷座で「義士銘々伝」と題し赤穂義士の事跡を口演。台本を整備、伴奏・芸風を一新。浪曲中興の祖といわれる。

無礼講(ぶれいこう);貴賤・上下の差別なく礼儀を捨てて催す酒宴。破礼講。随意講。
 目上の者に「無礼講で・・・」と言われても、決して相手と同じだと思ってはいけない。羽目を外さないように・・・。(吟醸)。

亡者(もうじゃ);死んだ人。成仏(ジヨウブツ)しない死者の魂魄が冥途に迷っているもの。
 (金銭などに対する)執念に取りつかれている者。



                                                            2017年6月記

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