落語「松竹梅」の舞台を行く 四代目三遊亭圓遊の噺、「松竹梅」(しょうちくばい)より
■松竹梅(しょうちくばい);松と竹と梅。三つとも寒に堪えるので、中国では歳寒の三友と呼んで画の題材とされた。日本では、めでたいものとして慶事に用いる。正月の門松は松竹梅が配されている。
■忌み言葉(いみことば);この落語「松竹梅」に限らず、「高砂や」や「たらちね」など結婚式の噺で必ず出てくるのがこの忌み言葉。結婚式の司会などもする噺家にとって、この風習は実に恐るべきものらしい。
この噺は比較的短いので、枕として自らが体験した結婚式でのエピソードを入れる噺家が多いのだが、どの口演を見ても一つは「忌み言葉」に対する苦言が入っている。
忌み言葉とは、不吉な意味や連想をもつところから、忌みはばかって使用を避ける語で、忌詞、忌み詞、忌言葉とも。
結婚式での忌み言葉は、去る、切る、帰る、式が終わる(お開きになる)、重ね言葉等。一般的には、「病気」を「歓楽」、「四=シ」を「よ」「よん」、「硯箱」「擂鉢(すりばち)」をそれぞれ「あたり箱」「あたり鉢」、「梨」を「有りの実」という類。葭原(あしはら)を吉原、スルメをアタリメ、スリッパはアタリッパとは言わない。
■結婚式祝電に関する小噺。中でも傑作などが以下の三遍。
■結婚式;日本神話における伊邪那岐命(イザナギ)と伊邪那美命(イザナミ)の国生み・神生み神話ではオノゴロ島に天の御柱を建て、イザナギが「私と貴方と、この天之御柱を廻って結婚しましょう。貴方は右から廻り、私は左から廻り逢いましょう」という約束をし、出会ったところで「なんとまあ、かわいい娘だろう」、「ほんとにまあ、いとしい方ですこと」と呼び合って結ばれたという描写があり、結婚式の起源ともいわれる。
江戸~明治時代の結婚式、新郎の自宅に身内の者が夜に集まり、高砂の尉と姥の掛け軸を床の間に掛け、鶴亀の置物を飾った島台を置き、その前で盃事をして結婚式をする、いわゆる祝言が行われた。家の床の間は神様が居るとされる神聖な場所で、掛け軸や島台も神さまの拠り所でもあるとされ、当時から結婚式は宗教と密接な関係があった。旧暦の十月は「神無月」であったので、結婚式はこの月を避けて行われた。
『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年(慶応3年)出版。
以前は日本では、少なくとも庶民の間では、結婚式は自宅で行うことが多かった。神社で行う「神前結婚式」はそれ以前にも行われていたものの、数としてはごく少数であった。
■お店(おたな);奉公人や出入りの職人などがその商家を敬ってよぶ称。”おみせ”とは読まない。
■婿さん(むこさん);娘の夫。特に、娘の夫として家に迎える男。結婚の相手としての男。
■祝儀(しゅうぎ);余興。通常は松つぁんが心配した、祝意を表すために贈る金品、または引出物。
■都々逸(どどいつ);流行俗謡の一。雅言を用いず、主に男女相愛の情を口語をもって作り、普通七・七・七・五の4句を重ねる。「潮来(イタコ)節」「よしこの節」より転化したという。天保(1830~1844)年間、江戸の寄席でうたいはやらせた一人が都々逸坊扇歌。
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惚れて通えば 千里も一里 逢えずに帰れば また千里
■謡(うたい);能・狂言、また、それに近い芸能の歌唱。特に、能の謡を謡曲という。
■浪花節(なにわぶし);多く軍書・講釈・物語・演劇・文芸作品を材料とし、節調を加えた語り物。三味線の伴奏で独演する。もと説経祭文(セツキヨウサイモン)から転化したもので、初めは、うかれ節・ちょぼくれ・ちょんがれ節などと呼ばれた。江戸末期に大坂から始まり、浪花伊助を祖と伝えるが、盛んになったのは明治以後で、桃中軒雲右衛門の功績が大きい。浪曲。
■無礼講(ぶれいこう);貴賤・上下の差別なく礼儀を捨てて催す酒宴。破礼講。随意講。
■亡者(もうじゃ);死んだ人。成仏(ジヨウブツ)しない死者の魂魄が冥途に迷っているもの。
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