落語「蛇含草」の舞台を行く
   

 

 三遊亭小圓遊の噺、「蛇含草」(じゃがんそう)より


 

 タオルでこしらえた甚兵衛を着て隠居の所にやって来た男。隠居の家の造りが真夏だというのに涼しい風が入ってくる。釣り忍に付いた風鈴が涼しげな音を立てている。

 「ご隠居さん、釣り忍に刺さっている草は何ですか?」、「山奥に自生する蛇含草と言って、ウワバミがフトしたときに人間を鵜呑みにすることが有る。ウワバミだって人間を飲んだんだ、苦しくてしょうが無い。その時、この草をムシャムシャ食べると、人間が溶けて苦しさから逃れられる」、「ウワバミの胃腸薬?」、「まあまあ、そんなものだな」、「隠居さんのとこにウワバミがいるの?」、「馬鹿なこと言うな。これは、悪い虫が入ってこないおまじないだ」、「なるほどね~。おまじないならこんなに無くても良いですよね。半分ください」、「持って行っても良いよ」、「ではいただきます」。

 「さっきから気にしていたんですが、火鉢に火が熾ってますね」、「わしが餅好きな事を知っている者が、箱イッパイの餅を送ってくれた。夏の餅はカビやすいから、お茶菓子代わりに焼いて食べようとしたところにお前がやって来たんだ」、「アッ、餅ですか。餅大好き。大好きですよ」、「『大好きですよ』と言ったって、食べろとは言っていないよ」、「『お上がり』位は言ってください」、「そんな言ってる余裕はないだろ~。そんなに好きならお食べ」、「餅となると目がないんですよ。あれッ、これだけ?」、「失礼な。切り餅で5~60有るんだよ」、「こんなの朝飯前だよ」、「キッと、全部食べるか」、「キッと全部食べさせるか」、「よ~し、全部食べるな。下地を付けるか、砂糖か」、「いえ、餅自体に味が有りますから、こんがり焼いて食べます」、「餅好きだな。ひとつでも残したら承知しないよ」、「隠居さんは焼く人、私は食べる人」。
 「焼けましたか。猫舌だから、手の中で冷ましてから・・・。ドンドン焼いてください。フ~フー、ハッフ、ハフ~」、「せわしないな。冷や奴だってもう少し味わって食べるよ。おまえ、噛まないな」、「噛みません。黒砂糖だけは噛みます。こないだ石炭飲んでビックリしちゃった」。
 「おまえが一人で食べるんだ。ゆっくりお食べ」、「隠居にはじかれると思うから、噛まなかったが、ではゆっくり噛んでいただきます。旨い餅だな~。良く伸びる」、「黙ってお食べ。お茶でも入れようか?」、「要りません。餅の入る所が無くなっちゃう」。
 「ハフハフ。隠居さんの前だが、口は利き用ひとつだね。口の利き方が上手いと、タダで餅が食えて、口の利き方がマズイと、人に食われて、見ていなければならない。ハフハフ。見ているだけではつまらないから芸当をお見せしましょう。餅を引っ張りまして、『鯉の滝登り』といきましょう。伸ばしたのを上にして、下からパクパクと・・・。今度も伸ばして『幼稚園のブランコ』をお見せしましょう。手でブランブランとして口からお迎え。ズルズル~~。今度は二つ一緒に『お染久松相生の餅』、二つを投げて口で受ける・・・。ハイ・・・。ウゥッ~~、・・・」、「この野郎、二ついっぺんに食べて喉に詰まらして。(背中を叩いて)大丈夫か」、「ウ、ウップ、ウ~、ハアハア、・・・あ~、驚いた。餅と心中するとこだった。ア~、ビックリした。さ~ぁ、食べよう」。

 食べたの食べないの。この男あらかた餅を平らげたが、6つばかり残してしまった。上を向いて目を白黒させています。「ウプ~、ウプ~、・・・餅、まだ残ってますか」、「6つばかり残っているよ」、「では、ゲフ、・・・、ウプッ・・・、ハァハァ・・・、餅まだ残っていますか?」、「チッとも入りやしないじゃないか。5つ残っているよ」、「(泣きそうな声で)餅、もう食べられない」、「食べたれないッ?ハナこの餅を見たとき『朝飯前』と言ったんだぞォ。これでも朝飯前か」、「昼飯過ぎ」、「バカ。もう、入りはしない、お帰り」、「鏡が有ったら貸して下さい」、「もう、気取る必要は無いだろう」、「下向くとお餅が出てしまうので、鏡で自分の下駄を探すんです」。

 家に帰ると、奥さんに床を取ってもらいます。横になっても苦しい、あぐらをかいても苦しい。立っていても苦しい。その時、さっきもらった蛇含草に気が付いて、ウワバミですら、これを食べたら腹がすっきりした。と、人間が食べても効くだろうと、ムシャムシャと食べてしまった。
 ご隠居さんの方は小言を言ったが心配でやって来た。「なに、奥に入って寝ている?」、「先程までウンウン唸っていましたが、静かになったので寝たんだと思います」、「具合が悪いんだったら、医者を呼ばなくてはならない。私が見てこよう」。
 中に入って行き、唐紙をスッーっと開けると、人間が綺麗に無くなり、餅が甚平を着てあぐらをかいていた。 

 


 マクラから小話を、
 夏の風物詩として、雷さんとお月様とお日様が旅をした。宿の朝が来て、起きたら誰も居なかったので聞いてみた。「お月様は?」、「夕べの内に発ちました」、「お日様は?」、「今朝早く発ちました」、「なんだい、お月様もお日様も発ってしまったか。月日の経つのは速いな。じゃ~、俺はもう少し寝るか」、「雷様、貴方は何時発つのですか?」、「俺か?俺は夕立にしよう」。

 親子の雷がゴロゴロとやっていますと、子供の雷が雲の間から下界を覗きますと、足を滑らせ落っこちるところ、母親の雷も手を繋いだまま落ちてしまった。落ちたところが竹藪で、そこにいた虎が歯をむいてうなり声を上げた。「おっ母さん、フンドシがいじめるよ」。

 お医者さんの庭に落ちた子供の雷が怪我をしていた。医者だから治してやったがお金の持ち合わせが無かった。「医者だから治療代を置いて行きなよ」、「無いので、今度来るまで、カリカリカリ」。雲の上に帰って行ったが、四角い箱を置いていった。開けて見ると弁当箱で、おかずに浅蜊?ではなく、人間のヘソだった。二段重ねの下を見ようとすると、雷が「ヘソの下は見たらダメ」。

 電車に乗ると、夏場は窓を開けたくなります。窓を開けると若い女性がイヤな顔で、「開けないで下さい。セットが乱れるんです」、ツラ見ると、もっと乱れていた。

 バスに乗っていると暑い時期喉が渇きます。「貴方、アイスクリームかソーダ水が無いかしら」、「バスの中にそんな物無いよ」、「死にそうなんですもの」、「もしもし、お困りのようですな。良かったらぶっかき氷なら有りますよ」、奥さんがひとつもらって口の中に、「アンタ、とっても美味しいわよ。アンタももらったら」、旦那ももらって口の中に。ぶっかきとは食べれば食べるほど喉が渇くもんだそうです。「もう一ついただけますか」、と、言って口の中に。「『もう一つ、もう一つ』と言っていると、あの方の食べる分が無くなるだろう」、「私は食べないから構わないんですが、あんまり差し上げてしまって、猫の死骸が持つかどうか」。

 

ことば

四代目三遊亭 小圓遊(4だいめ さんゆうてい こえんゆう);(1937年(昭和12年)8月3日 - 1980年(昭和55年)10月5日)は、群馬県前橋市出身で東京育ちの昭和40年代から50年代にかけて活躍した落語家。本名は関根尚雄(せきね ひさお)。東京都立文京高等学校中退。生前は落語芸術協会所属。出囃子は『二上がり鞨鼓(にあがりかっこ)』。『笑点』レギュラー出演中の1968年(昭和43年)9月に 真打昇進。四代目小圓遊を襲名。以降、終生この名跡を名乗った。
 『笑点』の大喜利コーナーのレギュラー解答者を務め、キザなキャラクターで人気を博す。一方で高座では「へっつい長屋」「浮世床」「蛇含草」などの古典落語を得意とした。過度の飲酒による病のため、43歳の若さで亡くなっている。
 『笑点』では、歌丸との罵倒合戦が名物となった。1972年(昭和47年)8月27日放送で特別企画として司会の三波伸介と五代目圓楽の仲介による「手打ち式」が行われるも、すぐに仲違いした。二人の罵倒合戦は『笑点』の高視聴率を打ち出す原動力の一つとなった。「ボクちゃん~」で始まるセリフの「キザなキャラクター」を演じていた小圓遊であったが、実際は古典落語を得意とする落語家であり、そのキャラクターとのギャップに苦しんでいたとされる。

この落語「蛇含草」は何処かで聞き覚えが有る落語だとは思いませんか。そうです、「蕎麦清」と、同じ蛇含草が出て来て、食べ物は蕎麦で、オチは同じような情景で落としています。
 「蛇含草」は、蛇眼草とも表記します。大食いを自慢する男と謎の薬草をめぐる滑稽噺。「蕎麦清」は、東京の三代目桂三木助が、大阪から持ち帰った噺で、『蛇含草』の登場人物と主題になる食べ物を大きく改変した演目だからです。 上方の餅と江戸の蕎麦が、その地方の文化を表して、落語に粋さを出しています。

蛇含草(じゃがんそう);蛇含草は山奥に住む大蛇が消化薬として使うといいます。この名の薬草は中国の薬物書に記載があります。しかしこちらの蛇含草は消化を促すのではなく、蛇や虫にかまれたときの消炎や解毒などに用いられます。間違っても飲まない方が身の安全かも知れません。
焦三仙(しょうさんせん);漢方で実際に消化を促進させる目的で用いられるものに、山楂子(さんざし)、麦芽(ばくが)、神麹(しんきく)といった生薬があります。山楂子は中国で酸味のある果物としても常食され、肉類の消化に役立ちます。さらに最近では血中の脂質を下げる作用があることでも注目されています。麦芽は大麦を発芽させたもみを乾燥させたもので、ビールの原料にもなります。穀類の消化に役立ち、胃腸を丈夫にするとされています。神麹は小麦ふすま(米でいうぬかの部分)や小麦粉、小豆、杏仁などを合わせて発酵させたものです。穀類、野菜、酒類などの消化を促進させるといわれています。山楂子・麦芽・神麹の3つをそれぞれ表面を薄く焦がす程度に炒めて配合すると焦三仙と呼ばれる処方になります。中国医学では素晴らしい効果を持つものに「仙」の字を用います。病気の災いから人を救うという思いが込められています。

 

  上写真、左から山楂子、麦芽、神麹。 これら消化を促進する生薬は、治療の主役になることは少ないのですが、胃腸虚弱や食欲不振を改善する処方にしばしば配合されます。
 さくら堂漢方薬局ホームページより

甚兵衛(じんべい);元来は甚兵衛羽織と言い、(「陣羽折」また「陣兵羽織」の転という) 男子用の袖無し羽織の名。もと関西地方に起り、木綿製綿入れの防寒着で、丈(タケ)は膝を隠すくらいとし、前の打合せを付紐で結び留める。今、麻・木綿製で筒袖をつけた夏の家庭着にいう。じんべ。甚平。(右図)
 丈が短く、袖(そで)に袂(たもと)がなくて衿(えり)と身頃につけた付け紐は、右を表左は裏側で結び、ふつうの和服のように右前に着る。そろいの半ズボンをはくのが今では一般的であるが、昭和40年頃までは、甚平といえば膝を覆うぐらい長い上衣のみであった。現在は長く白い物は神官が使う。

吊り忍(つりしのぶ);シノブを葉のついたままたばね、井桁や船の形などに作ったもの。夏、軒先に吊って涼味を味わう。のきしのぶ。通常この下に風鈴が吊り下がっています。
(右写真)

シノブ(Davallia mariesii Moore ex Baker);シダ植物門シノブ科に属するシダです。樹木の樹皮上に生育する着生植物で、葉は三~四回羽状複葉っぽく裂け、全体としては卵形になる。小葉は先がやや細い楕円形。やや厚みがある革状の葉質をしている。小葉の裏面には、小葉全体より一回り小さいだけの胞子のう群がある。胞子のう群は包膜に包まれて、全体としてはコップ型で、先端の方に口が開いている。葉は冬に落ちる落葉性。ただし、南西諸島のものは常緑である。 茎は太くて長く伸び、表面には褐色の鱗片が一面にはえる。茎は樹皮に根で張りつき、枝分かれしながら樹皮の上をはい回る。よく育てば、木の幹の回り一面に広がって葉をつける。

ウワバミ(蟒蛇);(ハミはヘミ・ヘビと同源)
 大蛇(ダイジヤ)。特に熱帯産のニシキヘビ・王蛇などを指す。

餅焼き(もちやき);焼きもち=悋気(りんき)、ジェラシーでは有りません。お餅を焼いて食べること。
 よくお餅を食べると太るとか胃にもたれるといった言葉を耳にしますが、それはお餅が食べやすくおいしいため、つい食べ過ぎてしまうからなのです。(お正月の場合は、運動不足も重なるようです)むしろお餅は消化のよい食べ物ですから、食べすぎさえ気をつければ胃にもたれることもなく、太ることもないわけです。ましてや、蛇含草を食べることもありません。

  

朝飯前(あさめしまえ);(朝飯をたべる前にできることから) 容易なこと。餅を完食出来なかったので悔し紛れに、昼飯過ぎ。

猫舌(ねこじた);(猫は熱い食物をきらうからいう) 熱い物を飲み食いすることのできないこと。また、そういう人。熱い食べ物が苦手な人。

黒砂糖(くろざとう);まだ精製してない茶褐色の砂糖。甘蔗汁をしぼって鍋で煮詰めたままのもの。甘味の他各種ミネラル分が含有しているので、身体には良い。ま、間違っても石炭との違いは大きく差が有ります。
 沖縄では1623年(元和9年、琉球王朝尚豊3年)に、中国から儀間真常が製糖法を習得し普及させ、沖縄の生活や文化、農業や経済と深くかかわりながら発展した。現在では、沖縄県と鹿児島県の離島や、他の農作物の生産が厳しい島々で、生産され特産品なっています。

お染久松(おそめ ひさまつ);大坂東堀瓦屋橋通の油屋太郎兵衛の娘お染と丁稚久松との情死の巷説ならびに、これを脚色した作品群の通称。紀海音「お染久松袂の白しぼり」、菅専助「染模様妹背門松」、近松半二「新版歌祭文」などの浄瑠璃、また、四世鶴屋南北の歌舞伎「お染久松色読販(ウキナノヨミウリ)」、新内「染模様妹背の門松」、常磐津「初恋千草の濡事」、清元「道行浮塒鴎(ミチユキウキネノトモドリ)」(通称「お染」)など。

 【新版歌祭文】より、和泉国の侍相良丈太夫の遺児で野崎村の百姓久作に養育された久松が、奉公先の大坂の質店油屋の娘お染との許されぬ恋のために心中するに至るという経緯を主筋とし、それに久松の主家の宝刀の詮議、悪人たちによる金の横領、久松の許嫁お光の悲恋等々のプロットを絡めて展開させたもの。先行する紀海音の浄瑠璃《おそめ久松 袂の白しぼり》や菅専助の《染模様妹背門松》を踏まえて脚色された作品で、お染久松物の代表作となっている。お家騒動的な要素を採り入れた複雑な筋立てが、上の巻〈座摩社〉〈野崎村〉、下の巻〈長町〉〈油屋〉の各場にわたって繰り広げられていくが、その中では、お染・久松の死の覚悟を察知したお光が、2人の命を救うために、それまで楽しみにしていた久松との祝言をあきらめて尼になるという悲劇を山場に構成されている〈野崎村〉の段が最も優れた一幕であり、また、上演頻度も高い。
 野崎村は落語「野崎詣り」でも語られる、大阪の名所です。



                                                            2017年6月記

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