落語「しの字嫌い」の舞台を行く
   

 

 三遊亭円生の噺、「しの字嫌い」(しのじぎらい)より


 

 世の中には強情な人が居るもんです。逆らうのが面白い、こ~言う人が一番使いにくいと言います。

 下男の清蔵(せいぞう)に「火を熾(おこ)してくれ」と言えば、「それは炭を熾すだんべ。火を熾せば灰になってしまう」。「出来たら、煙草盆に火を入れて持って来な」、「煙草盆に火を入れたら燃えるが良いか?それを言うなら、『煙草盆の中の火入れの中の灰の中へ火を入れる』と言うのが道理だべ」、「そんな事言えるか」。
 「お客がいたから言わなかったが、『清蔵、提灯に火を点けろ』では、提灯が燃えてしまう」。「そんな屁理屈を言っていたらダメだ。気が短いところだ。『オイそれを取(トン)な』、『ヘイ、これですか』で、用が足りるんだ。言葉の無駄を省くんだ」、「だったら、『煙草盆に火を入れて持って来な』は無駄だ。煙草盆は火が入っている物だ。『火を入れて』は無駄だ」。
 「向こうに行ってイイよ。よく働く良い奴なんだが・・・。ギュウと言わせたいな」。

 「清蔵、チョッと来な」、「ヘイッ」、「おまえは、当て物が出来るか?出来るなら聞くが、(ポンポン)『今手が鳴ったが、どっちの手が鳴った』?」、「右と言えば・・・左。真ん中で鳴った」、「片方が鳴った。オイオイ、清蔵どこに行く?」、「敷居の上に立ったが、前に出るか、引っ込むか、先に答えてもらいて~。答えられめ~。これは水掛け論だ」、「まいったよ。チクショウ。まだ有るんだ。湯飲み茶碗に蓋がしてある。これが呑めるか」、「苦い茶は飲めないから、湯か水を足して欲しい」、「ウルサイやつだな~」、「ア~ッ。蓋を取らずに入れて欲しい」、「バカッ、蓋を取らずに入れられるか」、「湯が入れられなければ茶は飲めない理屈だ。気の毒に、又まいったな」。
 「クヤシイね。あいつをギュウと言わせたいな。曽呂利新左衛門が『尻』と言う言葉を封じられ困ったと言うが、『シリ』では長いから『』の字にしよう」。

 「清蔵、チョッと来な」、「また当てもんか?」、「違うが、今後『』の字を使わないことにする。『死ぬ』『しくじる』『始終幸せが悪い』、縁起が悪い言葉だからだ」、「アンタが言うなら言わねぇ~」、「『』の字を言ったら給金はやらない。いいか」、「そらダメだ。始め、決め式で言うなら分かるが、途中で言われても・・・。旦那さんが言ったらどうする・・・」、「わたは決て言わない」、「二つも言ったよ」、「わたが・・、んッ、俺が言ったら、何でもやる」、「キリが無いから決める(ポンポンと手を打って)これで決まった」、(おっかなびっくりで、単語を探しながら言っている)「おれいわぬがわれいうな」、「おいおい、いくならそこを、んッ、こうやれ」、「こうするか・・・」。

 「ひとまずよ、あれ~、しがでたよ。良いようで悪いことを決めたな。清蔵、水汲んだか」、「汲んで・・、あ~ッ危ない。水汲んで終わった」、「『終わった』か。強情だから言わないな」。
 「それでは、四貫四百四十四文(しかんしひゃくしじゅうしもん)の銭を勘定させよう。そのとき「あ『』の、『』びれが切れま『』た、と言わせるよう、清蔵を正座させることも決めて、清蔵はいるか」、「言わせようと・・・、この狸やろう」。
 「なんだ、このぜにかんじょをやれ」、「(さと言えないので)わらのさきにこぶたんむすんだ、あんたいえるか」、「いえない」、「う~、(足と言えないのでさすりながら)よびれた」、「清蔵、どうか、ん、なったか?」、「う~~、いてぇ~、きれた。よびれが。あっ~、一貫二貫三貫、ん、百二百三百、ん、拾二拾三拾、一文二文三文、やろう、たくんだな。ちょくらソロバンおいてもらいてぇ~」、「いくらだ」、「まず二貫二百二十二文に、また二貫二百二十二で・・・合わせていくらだ?」、「バカ、きさまがやるんだ」、「よ貫よ百よ十よん文」、「そんなかぞえかたがあるか」、「それで悪けりゃ三貫一貫(さんがんいっかん)、三百百(さんびゃくひゃく)、三十十(さんじゅうじゅう)、三文一文(さんもんいちもん)だ」、「『』ぶといやつだ」、「ほ~ら、でた。この銭はおらのものだ」。

 



ことば

■上方の『正月丁稚』(東京では『かつぎや』)の前半部分が独立したもの。 原話は、明和5年(1768年)に出版された笑話本『絵本軽口福笑ひ』にある小咄。
 登場人物が二人で大真打がやる噺では無く、若手がやる噺と言われていますが、初代遊三とか三代目小さんもやっています。こんな噺とタカをくくってやると、うっかり本当に『し』の字が出てしまい、どうにもならなくなって恥をかくことがあり、芸とはバカにしてはいけないという噺の見本です(円生)。この円生の噺の中にはありませんが、大真打の速記が残っていますが、無意識の中に『し』を言っていることがあります。
 もとは古い噺で、天明年間(18世紀末)からある噺のようです。曽呂利新左衛門のエピソードは17世紀の安楽庵策伝著『醒睡笑』にあります。新左衛門は面白い話で秀吉のご機嫌を取った「御伽衆」で、落語家の先祖といわれることもある人物です。

曽呂利 新左衛門(そろり しんざえもん)は、落語家の名跡。二代目の死後は空き名跡となっている。
 豊臣秀吉に御伽衆として仕えたといわれる人物。落語家の始祖とも言われ、ユーモラスな頓知で人を笑わせる数々の逸話を残した。元々、堺で刀の鞘を作っていて、その鞘には刀がそろりと合うのでこの名がついたという(『堺鑑』)。架空の人物と言う説や、実在したが逸話は後世の創作という説もある。また、茶人で落語家の祖とされる安楽庵策伝と同一人物とも言われる。 茶道を武野紹鴎に学び、香道や和歌にも通じていたという(『茶人系全集』)。『時慶卿記』に曽呂利が豊臣秀次の茶会に出席した記述がみられるなど、『雨窓閑話』『半日閑話』ほか江戸時代の書物に記録がある。本名は杉森彦右衛門で、坂内宗拾と名乗ったともいう。 大阪府堺市堺区市之町東には新左衛門の屋敷跡の碑が建てられており、堺市内の長栄山妙法寺には墓がある。 没年は慶長2年(1597年)、慶長8年(1603年)、寛永19年(1642年)など諸説ある。
 ある時、秀吉が望みのものをやろうというと、「ご褒美はいりませんので、一日一回、殿下の耳の匂いを嗅がせてもらえまへんか?」と言い、口を秀吉の耳に寄せた。諸侯は陰口をきかれたかと心落ち着かず、新左衛門に山のような贈物を届けたという。
 また別の時、秀吉から褒美を下される際、何を希望するか尋ねられた新左衛門は、今日は米1粒、翌日には倍の2粒、その翌日には更に倍の4粒と、日ごとに倍の量の米を100日間もらう事を希望した。米粒なら大した事はないと思った秀吉は簡単に承諾したが、日ごとに倍ずつ増やして行くと100日後には膨大な量になる事に途中で気づき、他の褒美に変えてもらった。計算してみると、19日で、約10kg、まだ大したことはありません。29日で約10トン、チョッと気になる量です。49日で現在日本の米の総生産量8、483、000トンを軽く越えます。100日だったら全世界の穀物生産量の何年分も軽く超えてしまいます。

下男(げなん);下働きの男。しもべ。下僕。(女性では下女)。

煙草盆(たばこぼん);喫煙用の火入れ・灰吹(ハイフキ)などを載せる小さいはこ。右図。

水掛け論(みずかけろん);(ひでりの時、百姓が互いに自分の田へ水を引き込もうとして争うことから) 双方が互いに理屈を言い張ってはてしなく争うこと。みずかけあい。

給金(きゅうきん);給料として渡される金銭。給銀。下男として働くには口入れ屋を通して働くが、その時契約書をお互いに取り交わす。その契約書に契約内容が記されており、大きく変更があれば清蔵が言うように、それは認められない。

さし;(「緡」とも書く) 銭差(ゼニサシ)。銭貫(ぜにつら)。銭縄(ぜになわ)とも言う。 さしを使って一定枚数を束ねた銭を貫、九六銭などと言った。銭の穴に通して銭を束ねるのに用いる細い紐(ひも)。わら、または麻で作る。
右図:歌川国貞(三代豊国)筆 「十六むさしの内 銭さし」 文久一酉年(1861)頃。神社でお百度を踏む際、その回数を数えるものとしても代用され、これに用いる銭差しを「お百度緡(おひゃくどざし)」と呼びました。
 江戸時代に使われた銭緡(ぜにさし)で、百文(銭100枚)の銭緡は習慣的に九六文(96枚)であった。これは、九六銭(くろくせん)といって、百文の支払いを九十六文で済ませる取引慣行が一般的であった。また、九六銭の不足分四文は「手数料」であったといわれる。また、「96」は2、3、4のいずれでも割り切れ、便利なことから普及した。ただしバラして使うとその銭貨であるので、束ねたままで使う。

 

左、さしに纏められた100文が2本で、200文。 右、200文が五つで1000文=1貫文。

(し);日本では四は死に通じると言って嫌います。四も『し』ではなく『よん』と呼べば事足りますが・・・。
 病院の診察室や病室には、4号室や末尾に4が
付く部屋番号は使いません。こないだ行った遊びのビルには4階が無く、3階の上は5階でした。何もそこまでしなくてもと思うのですが、オーナーさんは気にするのでしょう。

(ぜに);四貫四百四十四文は、この銭は十進法ですから、1貫は1000文です。また、1両は江戸の初期では公定歩合で4貫文、1両は4000文。中期以降になるとインフレで5貫文となります。5貫文の時代、1両=5000文です。この噺では1両に556文届かない金額です。



                                                            2017年7月記

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