落語「欲の熊鷹」の舞台を行く 六代目笑福亭松鶴の噺、「欲の熊鷹」(よくのくまたか)より
■六代目笑福亭松鶴(しょうふくていしょかく);(1918年8月17日 - 1986年9月5日)。大阪府大阪市出身。生前は上方落語協会会長。本名は竹内 日出男(たけうち ひでお)。出囃子は「舟行き」。父は同じく落語家五代目笑福亭松鶴。母は落語家六代目林家正楽の養女。息子は同じく落語家五代目笑福亭枝鶴(後に廃業)。甥は笑福亭小つるを名乗って松鶴と共に若い頃修行していたこともある和多田勝。右写真:高座の松鶴。
東京の落語家とも親交を持ち、東京でも「六代目」と呼ばれた。特に五代目柳家小さんと三笑亭夢楽とは同じ世代でもあり無二の親友であった。松鶴自身東京の若手をもよく可愛がり、七代目立川談志と三代目古今亭志ん朝は松鶴に心酔した。後年、談志は松鶴について、外見は豪放だったが実に繊細で面倒見がよく、毎晩のように御馳走になったり、普段の高座は「相撲場風景」などの軽いネタしかやらず「大したことないな」と思っていた矢先、「らくだ」をたっぷりと演じたのを聴いて体が震えるほど感動したなどと証言している。
■欲の熊鷹(よくのくまたか);「欲の熊鷹股裂ける」欲が深過ぎる者は禍をこうむる。徳島県東祖谷山(ひがしいややま)村に伝わる民話「熊鷹(タカ科の大きな鳥)が二頭の猪を両足で掴み、猪が左右に駆け出したのを放さなかったので股が裂けて死んだ」より。「欲の熊鷹股から裂ける」とも。
(故事ことわざ事典)
■チン;犬の一品種。狆(ちん)の体高と体長がほぼ同じ長さの小型愛玩犬です。耳は前方に垂れており、毛は長く、丸く大きな眼と短い口吻です。体高はオスでは25cm、メスはやや小さ目とされています。
■袂糞(たもとくそ);和服のたもとの底に自然とたまる綿ぼこり。袂糞は血止めによく効くといわれる。
■新町遊廓(しんまちゆうかく);大坂で唯一江戸幕府公認だった遊廓(花街)。現在の大阪市西区新町1
- 2丁目に存在した。
「大阪府新名所の内 新町鉄橋」二代目長谷川貞信画。 「大阪名所 新町廓 太夫の道中」。
■台の物(だいのもの);遊廓で遊ぶときは、まず、酒と料理を頼んで部屋で芸者・太鼓持ちなどを揚げて楽しむ。酒はその見世で用意するが、料理は専門の料理屋や仕出し屋に頼む。その料理は大きな台の上に乗ってくるので台の物と言い、持って来のは台屋と言います。見てくればかりで美味しくなく、その上、飾り物が多く、食べられる量が少なかった。でも、たまには、この様な贅沢をして、女と遊びたかった。
■鰻谷(うなぎだに);「近世」江戸期~明治5年の町名。江戸期は大坂3郷南組のうち。1~2丁目がある。 慶長14年の三津村検地帳に「おなぎだに」の名が見え、元和元年間の町割荷よって大坂 三郷に編入され町名となった。鰻谷の名は地勢に由来する。空堀まちはその北部の谷筋に当たる所が西へかけて幾分かの高低を残し、この凹地が鰻と何らかの関係あり呼びならわされたという。(鰻谷中之町の今昔)
明暦元年の水帳で鰻谷1~3丁目が見えるが、元禄7年の水帳では1~2丁目となっている。(南区志)2、3丁目を合わせて2丁目となったのは延宝8年という。(鰻谷中之町の今昔)ただし明暦3年の新板大坂之図には、長堀川南2つめの通りが、東横堀川から西横堀川にかけて鰻谷1~11丁目とある。正式町名か俗称かは不詳、また高間町はもと鰻谷7丁目と称したという。(初発言上候帳面写/大阪市史5)
■5円札に1円札;金貨では江戸時代から小判だとか一分金、一朱金等がありましたが、明治に入って新政府は1両を1円と読み替えて使い、明治6年20円、10円、5円、2円、1円の新紙幣が発行されました。
旧国立銀行券として発行された5円札
図案は田植えと稲刈り
サイズ、80x190mm
旧国立銀行券として発行された1円札
図案は源頼朝と兵船
新国立銀行発行5円札
明治15年(1882)7月発行
図案は、神功皇后。イタリア人のデザインで外人風の美女です。
サイズ、83x146mm
新国立銀行発行1円札
明治14年(1881)2月発行
図案は、神功皇后。イタリア人のデザインで外人風の美女です。
サイズ、77x131mm
日本銀行券5円
昭和21年(1946)3月発行
図案は彩紋
サイズ、68x132mm
昭和21年(1946)3月発行
図案は二宮尊徳
サイズ、68x124mm
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