落語「色事根問」の舞台を行く
   

 

 笑福亭仁鶴の噺、「色事根問」(いろごとねどい)より


 

 私のはベタベタの上方落語ですから、異国情緒を楽しんでください。

 「何バタバタしてるんだ」、「女のことで忙しい」、「それは結構なことだ」、「いないから追っかけ回しているのが忙しい」。「えらいもんが入って来よったな~・・・、女性にモテよと思たらな~、昔の人が言うてることをちょいと小耳に止めておくと良いな~」、「昔の人は何ぞ言うてますか?」、「いちミエ、にオトコ、さんカネ、 しゲェ、ごセェ、ろくオボコ、ひちゼリフ、やジカラ、きゅ~キモ、とヒョ~バン。てなことを言うな~」、「アブラ虫のまじないか? そんな事言ったら、アブラ虫もかなわんな」、「一つでもできたら女性に持てるてなもんやな~」。

 「その『いち兵衛』ちゅな、何んです?」、「一見栄、と言うてな、身なり形だな~、粋な物を着ていると『あのお兄さんお洒落やわ~』てなことになって、寄って来るな~」、「わたしのこの格好はど~でございます?」、「昼間から着物着てゾローっと歩いていたらあかんな~。それに小さいが・・・?」、「九つの弟のです」、「それでは色事はでけんな~」。

 「それでは『二』は何んです?」、「二男、と言うて男前やな~」、「わたしの男前、どーです?」、「近くに寄るな。遠くで見ているだけでも気分が悪い」、「わたいの顔を物に例えたらどうなります」、「そーやな~、田舎から重箱にぼた餅をもらってきて、家族で食べたが、残ったのを台所の涼しい棚の上へあげといた。そこへネズミが出て来て猫に追われ、ドーンとぶつかり重箱は転がり落ちて、ぼた餅はバラバラと散らばった。そこに出入りの魚屋が来て長靴でニュニュニュと踏んだちゅーな顔や」、「えげつない顔だな~。もっとあっさり言うとくなはれ」、「ま~、ブリの粗(あら)か」、「それは何ですか?」、「骨太ーて血生臭~ィわ」、「これはあかんな。『二』もあきませんな」。

 「『三』は何です?」、「三金、と言うてカネやな~。地獄の沙汰も金次第と言うな~。金が有ると色事がしやすい」、「わて、よそで言ったことがありませんが、チョッと貯めておりまんでぇ~」、「そうか」、「大きな金では無いが・・・、3年間夜寝もせんで貯めたん」、「やったがな~。いくら貯めた」、「・・・ッ、あ~恐ゎ~。もうチョットで言うとこやった」、「言うたら良いがな~、わしの家や」、「壁に耳あり障子に目ありと言うし、奥におかみさんがいます。女は口が軽く尻の重いもんだす。井戸端でチョッと喋ったのを泥棒が聞いていて、夜中に殺されて有り金持って行かれたら恐い。どっかやってください」、「んッ、嬶、風呂にゆっくり行ってこい。・・・、風呂に行ったから、その合計は?」、「・・・ッ、あ~恐ゎ~。もうチョットで言うとこやった」、「どつくで、もう誰も聞いてへん」、「猫がいます。猫は魔物といいます。鍋島騒動、有馬騒動、みな、猫が元です」、「シッ。猫も追いやった。なんぼや」、「3年間掛かって・・・、350円」、「いね、ボケ、瓢箪、ラッパ。350円位でよくも嫁さん風呂にやったな。猫が立ち聞き?誰が聞くか。大は幾らだ」、「大も小もそれっきり」、「かち割ってやろうか」、「350円で吉永小百合、何とかなりますか」、「研ナオコだって、嫌がるわ」、「『三』はダメですな」。

 「『四』は何ですか?」、「四芸と言って芸事だ、お前、無いやろな~?」、「二つほど芸事出来ます」、「当たり前の芸ではダメだぞ。どんな事する」、「アツイ熱いうどんを鼻からズッと入れて、反対側から・・・」、「好いている女御だって逃げていくよ。色事だよ」。
 「踊りです。『宇治の名物蛍踊り』っちゅうねんです」、「あまり聞かんな~」、「家の親父さんが死に際に教えてくれたんで、誰も知りません」。「どうするんだ」、「素っ裸になって」、「裸になるっちゅ うのはえーこっちゃ。ほんで・・・」、「フンドシも外しますのや」、「あっさりしすぎやな~」、「でね、頭の先から足の先までね、真っ黒けに墨塗りますねん真っ黒けに。で、赤い手拭で頬かぶりして、ローソクに火ぃともしてそれをオイド(オケツ)に差しますねん。ローソクの火が蛍の光になってまん。誰もやりません」、「嫌がって誰もやらんのだろう」、「三味線で、チャチャラカチャンと弾いて貰い、踊るように座敷を5~6ぺん飛び回るんです。蛍がくたびれたという感じでバタッと倒れるんです。そして、ローソクの火を屁で消しますんですわ。他、誰もやりません」、「いんだらどうや。家に帰ったら・・・。色事の話をしているんだ」、「でも、わたいだけしかやらんが・・・」、「やり~な。そんな物見て、女御が喜ぶか。何考えているんだ」、「四芸もいかんな~」。

 「『五』は何んですか?」、「五精と言うて、精を出して働いてると女性に持てるちゅなもんやけど・・・」、「精出して働くというのは、わたいは苦手やさかいにな~。これはあきまへんな~。ほな『六』 は何んです?」。

 「『六オボコ』と言うてな~、男はオボコいと年増に好かれるな~」、「わたいはオボコいですか?」、「お前はアホのくせに、こせこせしてませているから、どうにもならんな」、「『七』は?」。

 「『七科白』と言うてセリフやな~、人前でポンポンと啖呵が切れる。気っ風が良いお兄さんと、その筋の女御が寄って来る」、「例えば?」、「喧嘩の仲裁でもできるよーな気っ風があるか」、「それだったら、有りますや」、「ホンマか」、「近所で、グワーとえらいケンカがあって、わたいその中に入って行って、止めました。どないしても止まないので、バケツに水汲んでいって、ザーッと水掛けたら、キャーンと言って別れました」、「犬の喧嘩はアカンのじゃ」、「あきまへんか・・・。それでは『八』は?」。

 「八力と言うて力やな~」、「わてだって力ありますよ」、「お前だったら有るだろうな。何とか力と言ってな~」、「アホ力と言うんだろう」、「判るだけおもろいがな。昔、双蝶々曲輪日記という芝居の中で濡髪長五郎という相撲取りは手の平に湯飲み茶碗を乗せて、そのまま『ウ~ン』と唸ったら、湯飲み茶碗がビシッと割れたという。どや、この位の力有るか?」、「なんでんね。わたいはこないだすり鉢割った」、「えっ、手でか」、「落として・・・」、「そんなものあるかい」、「『やちから』もあきませんか、ほんだら『九』は何んです?」。

 「『九肝』と言うて、肝っ玉、度胸やな~」、「どんな『度胸』で?」、「そーやな~、夜の夜中、誰も怖がって行かんよーな所へ一人で行って、一人で帰って来るよーな肝が座ってんと・・・」、「わたいだってそれぐらいあると思うのですが・・・。」、「あるかいッ」、「1週間ほど前、えらい暴風雨の晩」、「あったな~」、「寝苦しい晩だな~。どうしても寝付かれへん。プッと目を開いたら、柱時計がボ~ン、ボ~ン、ボ~ンと、2時に鳴った」、「三回鳴ったら3時やないか」、「家のは1回余計に鳴りますのや」、「直しておけ。アホ」、「これは気持ち悪い晩やな~と思っていたら停電になって真っ暗闇。一人で行って一人で帰ってきた」、「おまはんに、そんな度胸があるなんて・・・。何処行って来たんや」、「便所行ってきた」、「終いにどつくぞ。便所ぐらい子供だって行くぞ」、「わたい、こないだまでお母んに連れて行ってもろうてた」、「お前がアホやな」、「いけませんか。ほんだら最後の『十』は何んです?」。

 「『十評判』と言うて、本人見なくても、評判良ければ評判惚れするな~」、「なるほどな~。わたいの評判どうです」、「あまり良い評判無いぞ~」、「さよか?」、「不思議そうに言うな。おまえ、風呂屋行たら下駄を履き替えて帰って来るらしいな~」、「もう耳に入ってまっか。方々で言われますわ」、「評判悪いぞ。手癖悪いと言われるのと変わらんぞ」、「それ、聞いておくれやすな」、「どないしたんだ」、「その下駄というのは、柾目の通った、まだいっぺんしか履いていないという更の下駄なんですわ」、「そんな下駄履いて行くやつあるかい」、「それわたいが履いて帰ってきた下駄でんね。良く聞いておくれや。行きしな、どんなボロ下駄履いて行って、その更の下駄履いて帰って来たら『履き替えた』と言われても、何も言いませんが、行きしな裸足で行ってまんねん。それを『履き替えた』なんて言われたらムカムカして・・・」、「よーそんなアホなこと言うてるな~。そんな事ではあきまへんな」。

 「『十一』は何ですか?」、「そんなものあるかい。『十』で終わりだ」、「わたいの色事どうなりまんの。女にどうしたらモテるのか・・・」、「女御のこと、人に教えてもらうのが間違いや。昔から言うやろう。『色は指南のほか』じゃ」。 

 



ことば

この噺は、「稽古屋」の前半部分をまとめたもので、上方では時間の都合で前半部を「色事根問」の演目名で独立して演じられることが多い。

根問い(ねどい);根元まで掘り下げて問いただすこと。どこまでも問うこと。根問い葉問い。根掘り葉掘り問うこと。

宇治の名物蛍踊り;上方の噺に登場するこの踊りは、全裸になり全身を真っ黒に塗り尻の穴に火のついた蝋燭を挟む。舞台を真っ暗にして「宇治の名物蛍踊りの始まり始まり」の口上のあと賑やかな下座に合わせて踊り、最後、屁でろうそくの火を消すというもの。噺では「腹下してたもんやさかい、あんた、勢いよう屁は出ましたが、身イまで出てしもた」 というクスグリが入る。もっとも、桂文枝のようなはんなり上品な芸風で演じるとあまり汚さが感じられない。東京の桂小文治は、上方風のはあくが強いのか「トンボ切って、床に落ちて、そこにあったカンナくずに火ィ点いてしもた」 というようなクスグリに変えている。上方落語協会総会の余興でこの踊りが演じられるそうです。 
 笑福亭仁鶴も東京の落語、特に小朝の噺には、こんなえげつない台詞は出て来ない。

モテるための条件
 江戸落語界で、もてる男性の10ヶ条というのがあって、
「一見栄(服装・身なり)、二男(イケメン・男前)、三金(金回りのよさ・経済力)、四芸(趣味・特技)、五精(頑張り)、六おぼこ(純情さ)、七台詞(弁舌)、八力(力持ち)、九胆(度胸のよさ)、十評判(人望)となっています。
 上方では、『いちミエ、にオトコ、さんカネ、しゲェ、ごセェ、ろくオボコ、ひちゼリフ、やジカラ、きゅ~キモ、とヒョ~
バン。てなことを言うな~』。
 モテる条件はどこでも同じです。ははは。

・女の美しさは、
「一髪、二化粧、三衣装」。

・遊廓で女を得るのに必要なものは、
「一金、二男」(いちきん、になん)
これだけ。
特に金がないと絶対モテません。当たり前です、相手は仕事ですから。三、四が無くて、五金
落語「稽古屋
」より孫引き。 落語「あくび指南」にもモテる条件が出て来ます。

おぼこまだ世間のことをよく知らず、世なれていないこと。また、その人。

年増(としま);娘盛りをすぎて、やや年をとった女性。江戸時代には二十歳過ぎを言った。中年増というと、中ぐらいの年増で、二十三、四歳から二十八、九歳ごろの女。大年増というと、年増の中でも年かさの女。広辞苑

小耳止めておく;小耳に挟む=聞くとはなしに聞く。偶然に聞く。

地獄の沙汰も金次第;地獄の裁判でも金で自由にできるという、金力万能をいう諺。

壁に耳あり障子に目あり;密談などの洩れやすいたとえ。

鍋島騒動(なべしま そうどう);肥前国佐賀藩の二代藩主・鍋島光茂の時代。光茂の碁の相手を務めていた臣下の龍造寺又七郎が、光茂の機嫌を損ねたために斬殺され、又七郎の母も飼っていたネコに悲しみの胸中を語って自害。母の血を嘗めたネコが化け猫となり、城内に入り込んで毎晩のように光茂を苦しめるが、光茂の忠臣・小森半佐衛門がネコを退治し、鍋島家を救うという伝説。
 この伝説は後に芝居化され、嘉永時代には中村座で『花嵯峨野猫魔碑史』として初上演された。題名の「嵯峨野(さがの)」は京都府の地名だが、実際には「佐賀」をもじったものである。この作品は全国的な大人気を博したものの、鍋島藩から苦情が出たために間もなく上演中止に至った。しかし上演中止申請に携わった町奉行が鍋島氏の鍋島直孝だったため、却って化け猫騒動の巷説が有名になる結果となった。講談・戯曲類に脚色され、実録物では「佐賀怪猫伝」、講談では「佐賀の夜桜」などが代表的。

有馬騒動(ありまそうどう);河竹黙阿弥の「有馬染相撲浴衣」で、初演は江戸期ではなく維新後の明治13年猿若座と新しく、その筋は藩主有馬頼貴が寵愛した側室「お巻の方」が他の側室の嫉妬で冤罪を被せられそれを苦に自害してしまう。すると「お巻の方」の飼い猫が主人の仇を報いようと奥女中のお仲に乗り移り側室たちを食い殺して火の見櫓にいるのを、有馬家のお抱え力士小野川喜三郎が退治する。
と言う筋書きでした。これ以前に風聞として、明和9年(1772)、大田南畝の「半日閑話」に有馬公の家臣、物頭の安倍群兵衛が怪しい獣を鉄砲で討ち取ったとあり、同じ頃の随筆「黒甜鎖語」にも有馬家では夜な夜な怪異があったが、番犬を置くとおさまるとあり、また怪異とは狐のたたりであると岸根肥前守(寛政10年の町奉行)「耳袋」にもあります。

いね;大阪言葉「いの」の命令形。帰れ。去れ。いんだら=帰ったら。帰れ。

吉永小百合(よしながさゆり);(1945年3月13日- )女優、歌手で、本名、岡田 小百合(おかだ さゆり)。東京都渋谷区代々木西原町(当時)出身。そのファンは、「サユリスト」と呼称される。1960年代を代表する人気映画女優で10年間で70本以上の映画に出演した。吉田正(作曲家)の門下生として、数多くのレコードを世に送り出している。早稲田大学第二文学部西洋史学専修卒業、学位は文学士(早稲田大学)。夫はフジテレビディレクター、共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任した岡田太郎。

研ナオコ(けん なおこ);(本名:野口 なを子(旧姓:浅田)、1953年7月7日 - )は、歌手、タレント、女優、コメディエンヌである。所属事務所は田辺エージェンシー。 身長162cm、体重51.5kg、血液型A型。一男一女の母。娘は歌手・タレントで、Bro.KONEの長女・近藤麗奈と田代まさしの長女・田代小夏と組んでいた小夏・ひとみ・レイナのひとみ(本名:野口ひとみ)。 静岡県田方郡天城湯ヶ島町(現・伊豆市)出身。静岡県立三島南高等学校中退。1970年代中盤から1980年代中盤にかけて、歌手として数々のヒット曲を世に送り出した。研の代表曲には『あばよ』『かもめはかもめ』『夏をあきらめて』などが挙げられる。

啖呵(たんか);(「弾呵」の転訛か。維摩居士(ユイマコジ)が十六羅漢や四大菩薩を閉口させた故事から) 勢い鋭く歯切れのよい言葉。江戸っ子弁でまくし立てること。

アホ力(あほじから);馬鹿力。ビックリするほどの力。

双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき);(双蝶蝶は二人の相撲取の名の「長」に因む) 浄瑠璃の一。並木千柳ほか合作の世話物。1749年(寛延2)初演。近松門左衛門作「寿門松(ネビキノカドマツ)」に西沢一風の「昔米万石通」をもちこみ、相撲取の濡髪長五郎と放駒長吉の任侠を脚色。相撲場と引窓の場が最も有名。後に歌舞伎化。

濡髪長五郎という相撲取り;若旦那山崎屋与五郎は遊女吾妻と恋仲である。また八幡の住民南与兵衛は吾妻の姉女郎都とこれまた恋仲である。だが、二人の女郎には平岡と云う侍と悪番頭権九郎とがそれぞれ横恋慕して、諍いが起こっている。本日の一番の取り組みは濡髪と放駒の対戦である。だが、意外にも濡髪があっさりと土俵を割ってしまう。
 長五郎は恩ある与五郎のため、わざと平岡が贔屓する放駒との相撲に負け、代わりに平岡に吾妻から手を引いてもらおうと画策していたのだ。放駒はそんな頼みを一蹴する。怒った長五郎「あの、ここな素丁稚めが」と叫んで二人はにらみ合いとなる。「互いに悪口にらみ合い、思わず持ったる茶碗と茶碗」の浄瑠璃の詞通りに長五郎は「物事がこの茶碗のように丸く行けばよし、こうしてしまえば元の土くれ」と握りつぶす。長吉は握りつぶせず、刀の鍔で打ち砕き、双方再会を期して別れる。

 

二段目『角力場(すもうば)』 三代目坂東三津五郎の濡髪長五郎と七代目市川團十郎の放駒長吉 (歌川国貞画)

便所行ってきた;戦後まで長屋には共同便所が屋外に建っていて、そこまで暗い中恐々行っていた。小さな子供は親に付き添われて行くのが当たり前で有ったが、彼は色恋を言うようになってもお母さんに連れて行ってもらった。一人で行けたと自慢しているが・・・。

色は指南のほか;色は思案の外(ホカ)。 男女の恋は常識では判断できず、とかく分別をこえやすい。「恋は思案の外」とも。



                                                            2017年7月記

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