落語「悔やみ」の舞台を行く
   

 

 三遊亭円生の噺、「悔やみ」(くやみ)より


 

 夫婦でも男勝りの奥様がいますが、逆を言えば亭主を座布団のように敷いてかかあ天下です。この、ご主人もいつもニコニコして結構人だと言いますが・・・、バカです。噺の方では主人公です。

 「何をのそのそしているんだい。お店(たな)の旦那が亡くなったんだよ」、「『無くなった』って、あんな大きな旦那が・・・」、「お隠れになったんだよ」、「隠れたなら、探しに行こう」、「死んだんだよ。お悔やみに行かなくてはならないから・・・」、「お悔やみって何だよ」、「決まっているだろう。『承りますれば、恐れ入りまして、旦那様がお隠れだそうで、御力落としのことでしょう。お役には立ちませんが、御用の節は何なりとおっしゃって下さい』。早く行っておいで」、「誰が行くんだ」、「誰ってお前が行くんだ」、「今の文句を言うんだったら、今日中には無理だ。長すぎるから紙に書いてくれよ」、「書いてどうするんだよ」、「書いたのを見せて、お辞儀をしていれば良い」。
 「じれったいね。私の言うとおり言ってごらん。向こうに行ったら『こんにちは』と言うんだよ」、「その位言えるよ」、「それが生意気だと言うんだ。『分かってら~』とはなんだ。言ってごらん、『承りますれば』」、「う うけ うけたまわりますれば、ここが一番難しい」、「ゆっくり言ってごらん。その次は、『旦那様には御死去だそうでございます』」、「ご馳走様で御座います」、「『ご馳走様で御座います』はないだろ」、「『御力落としのことで御座いましょう』と」、散々教えてもらって、旦那の所に出掛けた。

 悔やみの文句は、雄弁な方も口の中でモグモグと言います。「え~、承りますれば~、いやはや、どうも、なんとも・・・、ご愁傷様です」、「なんだ帰っちまったよ」。

 「どうぞこちらへ」、「はぁ~・・・、承りますれば・・・、驚き入った次第で御座います。去年から今年に掛けて時候も悪いしぃ、物価が増々上がり・・・、野菜類も値が上がり・・・、法外で・・・。スイカも・・・、惣菜になりません・・・。いずれ改めて・・・。はなはだ失礼を致しました」。「ぷッ、なんだい、お悔やみの挨拶ではなく、お総菜の苦情だね」。

 「へぃ、失礼いたします。家に帰ったら旦那さんが、お亡くなりになったと聞きまして、先日お会いしましたときも『どうです』と聞いたら『あまり良くない』と言ってましたが、私らも歳取っていますから人ごとではありません。先日娘が縁づきましてなぁ~、ははは、もう、腹ボテで、へぃ、『早いとこ勉強したな~』と言いとりますねん。歳取ると節々が痛み、近くのラジオ温泉に行きますが、良いので、行ったらどうです」。「なんだい、あの人は温泉の広告だなぁ~」。

 「番頭さん、遅くなりました。良い旦那だったんですが~。私らにとっては大恩人で、仲人までしてもらったんです。かかあが埼玉で、私が神奈川で生まれて、一緒の屋根の下で暮らすようになりました。かかあがじごくで、あっしが一泊、星回りは悪いのですが・・・、8年経ちますが喧嘩をしたことがねぇ~んです」。この後延々とノロケ話が続きます。「なんだい、あいつは悔やみに来たんではなく、ノロケに来たんだ」。

 「番頭さん、表の暖簾が裏返しになっていますよ」、「また、変なのが来たよ」、「良いんだよ。旦那が死んで、逆さ事と言って、皆逆さまになっているんだ」、「屏風も逆さまだ。火鉢は真っ直ぐだ」、「火鉢は逆さまに出来るか。奥に行っておかみさんの贔屓役者なんだから、お悔やみを言ってきな」。
 「こんにちは。うけ、うけたまわりますれば、旦那さんにはお隠れになって、御力おっこどしでしょう。お仕事があれば、何なりとお申し付けください」、「どこで、そんな口上を教わってきたの。改めて悔やみを言ってもらわなくても良いんだよ。生前お世話になっていたんだから、お線香を上げなさい」、「お線香って、お灸をすえるんですか?」。
 「だめだよ、ロウソクまで吹き消しちゃ~」、「旦那がいるんですか? 恥ずかしいから手拭いを被っている。・・・、ん?、別に熱は有りませんよ」、「お死になすっているんだから、熱なんか無いよ」、「胸の所に刀が乗っている。切腹したんですか」、「くだらないこと言ってないで、早く拝んで・・・」、「はい(ポンポン)」、「柏手は打たないの」。「南無阿弥陀仏 なむあみだ ナムアミダ ナムアミダ・・・、(お経を唱えるようなリズムで)旦那には長らくお世話になりました。去年の夏のこと、庭で仕事をしていると、旦那が出て来て『焼酎を一杯どうだ』と言われ、お腹を壊しているからよしますと言ったら、『一杯ぐらいは大丈夫』と言われたので、冷や奴で吞んだら気持ちが良くなったが、お腹が調子悪くなってはばかりに行ったら紙を忘れ・・・」、「何を言っているんだい」。
 「南無阿弥陀仏 なむあみだ ナムアミダ ナムアミダ・・・、旦那が先に逝っておかみさんが一人で残って、寂しいことだろう。こんなイイ女を一人でおくのは勿体ない。勿体ない、ンニャ、ムニョニョ」、「何を言っているんだぃ」。
 お馴染みのお笑いで御座います。

 



ことば

悔やみ(くやみ);人の死を弔うこと。また、弔うことば。「お悔やみを申し上げる」。

 元々この落語「くやみ」は、上方の噺です。それを江戸に直して語られるのですが、江戸の方は上方のベタベタが無くなって、サラリと上品(?)になっています。ノロケの部分もほんの一部で、メインは与太郎さんの言動が中心になっています。仏様の前で柏手を打ったり、旦那に対して「ん、別に熱は有りませんよ」と言わせたり、おかしみが随所に有ります。

 上方落語では桂枝雀が絶品です。旦那の葬儀に来て、女房のノロケを延々として帰って行く男が噺の大部分です。葬儀とノロケでは相反する事象ですから、聞く方はそのギャップに驚きながらもおかしみが伝わってきます。
 始まりは、「今でもあんなおなごでっさかいね、その時分かて別嬪ちゅうごやおまへんでしたけれども、若い時分のこってさかい色の白いぽちゃぽちゃ~っとした、いわゆる男好きのする顔ちゅうやつ。わてもちょいちょい目がいきますわ。何の気なしにひょいと向こう見たらね、ど~かした拍子か向こ~もこっちをひょっと見よったんだ。互いに見合わす顔と顔っちゅうやつ。ニコッと笑ろたりますちゅうと、その時分うちのカカまだウブなもんで、耳の根元までボーッと赤こしやがってからに、ニコッと笑ろて袂で顔隠しよったんでおますッ!」。これから延々と噺が続いていきます。葬儀だというのに・・・。

 円生が言うノロケ噺は、友達に無理に誘われた男が、泊まることになって、朝帰りです。照れくさいもんで、そのまま家に入り辛く、友達の家で時間を潰し、暗くなって帰って来ると、女房は針仕事をしているので、奥に敷いてある布団に潜り込もうとすると、「汚いから湯に行ってきな!」。湯から帰って来ると「私が湯に行ってくるから、それまでは寝ちゃダメだよ」。女房が戻ってくると、昨夜のことをいろいろ聞き出すが「酔っていたので女の顔も分からない」と弁解したら、「そんな事は無いでしょ」と、顔をつねられた。こっちも弱い立場だから、黙っていたら、夫婦ですね、つねったところをなぜてくれて、アゴの下をクチュクチュとくすぐられた。くすぐられると弱いので・・・。

お店(おたな);奉公人や出入りの職人などがその商家を敬ってよぶ称。

ラジオ温泉
 一、ラジオアイソトープ。ラジオは「放射性の」を、アイソトープは「同位元素」を示す言葉です。「ラジオアイソトープ」のことを「放射性同位元素」または「放射性核種」と呼びます。
 元素の中心にある原子核は、プラスの電気を持つ陽子と電気を持たない中性子などの粒子から出来ています。陽子の数は同じで、中性子の数が異なっている元素は、電気に関係する化学的性質はとても似ていますが、重さ(質量)が異なってくるのです。これらの元素のことをアイソトープ(同位元素)といいます。
 アイソトープの中で陽子の数と中性子の数の兼ね合いから、原子核が不安定になるものが出てきます。原子核が不安定ですから、外にエネルギーを放出して安定になろうとします。この時、外に出てくるものが放射線です。アイソトープのなかで放射線を出すものをラジオアイソトープといいます。
 放射線には宇宙線、大地からの放射線など、私たちの身の回りにある自然放射線と人工的につくられた人工放射線とがあります。

二、ラジウム温泉。ラジウムからラドンという気体(ガス)が発生していて、このラドンという気体を入浴中に呼吸により肺から吸収します。皮膚からも吸収されますが、大部分は呼吸により、肺から吸収することになります。そして血液に溶け込んだラドンが全身に運ばれます。ラドンから発せられる放射線により、治療効果が期待されています。実際に色々と効果があるといわれており、その実例は枚挙にいとまがないほどたくさんあるにもかかわらず、現時点では、科学的な解明が追いついていないのが現状のようです。
 ラジウム温泉はいわゆる放射能泉です。放射能の意味は、自分自身で放射線を出す能力がある、という意味です。人間自身も放射線を微量ですが、出しています。ラジウム温泉ではラドンという形で体内に取り込んで放射線をだすという感じです。イオン化して人体から3時間ほどで抜け出すといわれています。

かかあが埼玉で、私が神奈川で生まれ;東京の北側が埼玉県で、東京の南側は神奈川県に接しています。そんな遠くの二人だったが、今では一緒に暮らしている。

じこく(二黒土星);S元年・S10年・S19年・S28年・S37年・S46年・S55年・S64年・H10年・H19年・H28年生まれの人。
 星座占いのこの星はまさに大地を意味します。 母のような大きな心と、その奥にある芯の強さを持っています。 全てを包み込む大きな愛と、万物を生み育む力があります。 粘り強い我慢強さがあるので、地道な努力のできる長所の持ち主です。 ただ、勤勉で真面目な分、要領が悪かったり、融通のきかない性格が損をする短所として表れる事もあります。 勇気を持ち、豊富な経験を沢山し、自信へむすびつける事が、開運となり成功へつながるのです。

一白水星(いっぱくすいせい);S2年・S11年・S20年・S29年・S38年・S47年・S56年・H2年・H11年・H20年生まれの人。

 二黒土星と一白水星の相性は やや凶。 お互いに気配りの配慮が足りない相手になりそうです。二黒土星の幻想的な恋愛観は、一白水星には伝わりません。 また、現実的に考える二黒土星の二面も、 価値観の違いにより分かってもらえないでしょう。 二黒土星の細やかな愛情表現は、一白水星から見ると『しつこい・干渉しすぎ』と思えるようです。考えてる以上に、お互いに理解しにくい相手でしょう。 上手くやるコツは、一定の距離感を保ちながら、二黒土星がいかに「心を広く持って接することができるか」が鍵のようです。

逆さ事;順序が逆になること。特に、親が先立った子を弔うこと。さかさごと。
  物事の位置・順序・表裏などが正常なあり方と反対になっている・こと(さま)。さかさ。
○葬儀において、通常とは逆に行うことを、逆さ事と呼んでいます。経帷子は左前に着せる、足袋を左右逆にはかせるなどが、逆さ事です。従来、人は死という特異な事態に対処するため、葬儀の際には死と自分たちが生きているこの世とを隔絶させようとしました。日常的に行うことを逆にする逆さ事も、その一つです。逆さ屏風とは、故人の枕元に枕屏風をさかさまに立てかけること。丁度イイ湯加減の湯にするとき、通常は湯の中に水を足してうめるのですが、水の中に湯を足すことを嫌います。湯灌するときの方法で、私の母はその方法を大変嫌いました。
いくら逆さ事と言っても、火鉢は逆さまには出来ません。

贔屓役者(ひいきやくしゃ);役者を贔屓にすると同じように、出入りの職人の与太郎さんに心を許す状態。

柏手(かしわで);神を拝む時、手のひらを打ち合せて鳴らすこと。開手(ヒラテ)。仏様に対しては、神様では無いので手は叩かない。

南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ);阿弥陀仏に帰命するの意。これを唱えるのを念仏といい、それによって極楽に往生できるという。六字の名号。



                                                            2017年8月記

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