落語「阿弥陀池」の舞台を行く 桂米朝の噺、「阿弥陀池」(あみだいけ)より
■和光寺(わこうじ);大阪市西区北堀江3-7にある浄土宗の仏教寺院。尼僧が住職をつとめる。山号は蓮池山。院号は智善院。摂津国八十八箇所第3番札所。
阿弥陀池(あみだいけ)の通称で知られ、大阪市の南北幹線道路のひとつである『あみだ池筋』の名称は当寺院に由来する。
摂津名所図会 「和光寺・阿弥陀池」
阿弥陀池は信州善光寺本尊出現の池、長野県の善光寺本尊である一光三尊の阿弥陀如来は欽明天皇13年、百済国より仏教伝来とともに伝わり、日本最古の仏像とされている。仏教伝来以降、崇仏・廃仏の論争が続く中、廃仏派の物部氏により難波の堀江に棄てられた。
信濃国国司・本田善光が難波の堀江に棄てられた阿弥陀如来を池より救った。このことからこの池が阿弥陀池といわれるようになった。後に池から救い出された阿弥陀如来は長野県飯田市に祀ったが、624年(皇極天皇元年)に現在の善光寺のある長野市元善町に移した。
■この噺「阿弥陀池」は、『新作和光寺』の題で上方の桂文屋が創作したもの。明治39年(1906)4月8日の「桂派落語矯風会」で初演。のちに初代桂春團治が現在に伝わるクスグリの多くを加味して得意ネタとしたものが、スタンダードな演じ方の『阿弥陀池』として確立した。主な演者に三代目桂米朝、二代目桂枝雀、などがいる。落語「新聞記事」は、上記の『阿弥陀池』を、昭和初期に昔々亭桃太郎(山下喜久雄=柳家金語楼の実弟)が東京へ移植した。このとき登場人物を改変し、『新聞記事』と改題。主な演者に四代目柳亭痴楽や三代目三遊亭圓歌などがいる。
■俄(にわか);吉原での俄狂言の始まりは安永、天明の頃、仲ノ町の茶屋桐屋伊兵衛が、歌舞伎の真似事が好きで、角町の妓楼中萬字楼その他二、三と相談し、思いつきの俄狂言を作って仲ノ町を往還しました。これが大当たりに当たり、面白い、風流だと評判になり、引き続いて狂言の趣向をこらしたのが俄の始めで、毎秋の定例になったといいます。
■柔道・柔(じゅうどう・やわら);日本独特の武道の一。武器を使用せず、相手の攻撃力に順応して相手を投げ倒し、または抑え、もしくは当て身などの攻撃・防御の技を行い、同時に身体の鍛錬と精神修養とを目的とする術。その起源は相撲とともに極めて古く、流派の生じたのは戦国時代で、柔術・やわらと総称され、江戸時代、武士階級の武道の一として盛んになった。明治に入って嘉納治五郎により、各流派を統合して講道館柔道が大成され、第二次大戦後にはスポーツとして世界的に普及。
■生兵法は大怪我の基(なまびょうほうは おおけがのもと);少しばかりその道を心得た者は、これを頼って軽々しく事を行うから、かえって大失敗をする。「生兵法は大疵(オオキズ)の基」とも。
■匕首(あいくち);(合口・相口とも書く)、鍔(ツバ)がなく、柄口(ツカグチ)と鞘口(サヤグチ)とがよく合うように造った短刀。九寸五分(クスンゴブ)。鐔のない懐中用の短剣。切腹の時に使われる短刀。下図:東京国立博物館蔵
■十三(じゅうそう);大阪市淀川区にある地名。阪急電鉄十三駅付近のエリアを指すこともある。
地名の由来は、旧摂津国西成郡の南端を一条とし、北へ順次数えると十三条の場所に当たるという条里制に基づく説や、昔ここにあった淀川の渡しが摂津国において上流から13番目であったとする説など、諸説存在する。
ウィキペディアより
■戎さん(えべっさん);関西弁で言う戎。七福神の一。もと兵庫県西宮神社の祭神蛭子命(ヒルコノミコト)。海上・漁業の神、また商売繁昌の神として信仰される。風折烏帽子(カザオリエボシ)をかぶり、鯛を釣り上げる姿に描く。三歳まで足が立たなかったと伝えられ、歪んだ形や不正常なさまの形容に用い、また、福の神にあやかることを願って或る語に冠し用いたともいう。
■中風(ちゅうぶ);(チュウフウ・チュウブウとも)
半身の不随、腕または脚の麻痺する病気。脳または脊髄の出血・軟化・炎症などの器質的変化によって起るが、一般には脳出血後に残る麻痺状態をいう。古くは風気に傷つけられたものの意で、風邪の一症。中気。
2017年8月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |