落語「喜撰小僧」の舞台を行く 八代目春風亭柳枝の噺、「喜撰小僧」(きせんこぞう)より
■八代目春風亭柳枝(しゅんぷうてい りゅうし);(1905年12月15日 - 1959年10月8日)は、戦後活躍した東京出身の落語家。本名は島田勝巳。東京本郷の生まれ。音曲師である四代目柳家枝太郎の子。温厚篤実な性格で、何を言われても「結構です。」と言うので「お結構の勝っちゃん」と呼ばれた。客に対しても丁寧な物腰で語る芸風に人気があった。ただ、それは普段のときであり、酒が入ると一変。酔うと(酒が入っていない時の物腰の柔らかさとは裏腹に)人格が変わって荒れるのが欠点だったと言う。 入門から睦会所属だった。1937年の睦会解散後、落語協会に入会した。
■この噺に似た落語に、小僧さんが主役の「悋気の独楽」(お妾さんの解説有り)、権助さんが主役の「権助魚」、「一つ穴」があります。どれも、旦那が出掛けるので奥様が後を付けさせます。お妾さんの家は分かりましたが、旦那の言い付け通り対処するのですが、どこかが違っています。夜出掛けるときは寄席だけにしておいた方が良さそうです。
■喜撰(きせん);お茶の銘柄喜撰と、踊りの喜撰を掛けたオチになっています。
* 茶、「茶にする」、まじめな応対をしない。ちゃかす。ばかにする。
* 踊り、軽妙な調子で、桜の枝を担ぎ、花道から登場する。
茶汲み女のお梶(小野小町=右図)に見とれて茶碗を落とした喜撰はふたりでクドキの踊り、最後は、花道から大勢のお迎え坊主が出て「住吉踊り」となり、喜撰は両肌脱ぎから悪身の振り、中央で合掌で終わる。その時に詠われる歌が『♪ 世辞で丸めて 浮気でこねて 小町桜の眺めに飽かぬ 彼奴にうっかり眉毛を読まれ
・・・
』。
「住吉踊り」 新板大道図彙・季(せき)ぞろい 葛飾北斎画 東京国立博物館蔵。
■世辞で丸めて 浮気でこねて;口先だけの世辞と色気とで巧みに人を操る。
■黒船来航;日本へもアヘン戦争などでの蒸気船の活躍の情報は、オランダ風説書や輸入書物によって少しずつ伝わっていた。1843年(天保14年)には幕府がオランダ商館長に、蒸気船の輸入や長崎での建造を照会するなどしていた。
実物の蒸気船が日本を訪れたのは、1853年の黒船来航が初めてである。1853年7月8日、浦賀沖に現れた4隻のアメリカ海軍の軍艦は、2隻の外輪蒸気フリゲート「サスケハナ」(右図)、「ミシシッピ」が、帆走スループの「サラトガ」、「プリマス」を曳航して江戸湾内へ侵入してきた。来航した黒船のうち2隻が蒸気船であった。
嘉永7年(1854)横浜への黒船来航図 東京国立博物館蔵。
■按摩(あんま);なでる、押す、揉む、叩くなどの手技を用い、生体の持つ恒常性維持機能を反応させて健康を増進させる手技療法である。
また、江戸時代から、按摩の施術を職業とする人のことを「按摩」または「あんまさん」と呼ぶ。
2017年11月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |