落語「あたま山」の舞台を行く
   

 

 桂枝雀の噺、「あたま山」(あたまやま。別名「さくらんぼ」)


 

 芳さんは仕事を休んでいるので、仲間の徳さんが見舞いに来た。部屋の中で頭巾をしているので外させたら、あたまから桜の幼木が生えていた。親戚からサクランボをもらって、大好物だから丼一杯全部一人で食べてしまった。その中に種ごと食べてしまったのがあるけれど、それが芽を吹いたのだろうと言う。医者に行ったが、珍しいと言うだけで、ここでは治せないから他に行きなさいと言われ、植木屋に行った。植木屋は「桜を他に移すのは責任持つが、残った身体は・・・」。
 「縁があってここに生えたのだろうから、もう少し大きくなったら誰かに切ってもらおうと思う」、「顔色も良いので切り株だけ残して生活すれば良い」。見る見るうちに桜は大きくなった。一人前の桜になるまで切らずに見ていることにした。ドンドン大きくなって、植木屋も褒めていた。

 芳さんのところの裏庭には立派な桜があった。よく見るとその下に芳さんがいた。部屋の中では頭がぶつかるので、温かいときは庭に出ている。「又来るからな」と徳さんは帰った。
 あたま山の桜が有名になって、近所中からお花見に来るようになった。酒盛りが始まり、芸者衆は楽器を奏で唄う奴がいる、酔っ払いが騒ぎ、踊る者も居て大騒ぎです。あたまの上を走り回り、桜の枝を折り、小便する者も居た。夜は夜で、夜桜見物と言うことで、ドンチャン騒ぎ。さすがの芳さんも眠れず、桜の木を根元から引き抜いてしまった。身体には異常が無かった。

 夏の有る日、夕立に遭ったが、引き抜いた根元のくぼみに水が溜まって、池になった。あたまに馴染んだら、ボウフラが湧き、鮒が湧き、鯰が湧き、鰻が湧き、鯉が湧き、池の周りには草が生えて池の雰囲気になった。釣りをする者が出てきて、子供達は池の周りで走り回った。夜になると、人が集まり、屋根船を出して芸者、酔客が舟遊び、花火も上がって、それは大騒動。
 さすがに秋になると、静かになって月が輝き、虫の音が響いた。人間寂しくなるものです。
 奥さんに「わて、つくずく生きているのがやになった。サクランボの種一つ飲み込んだお陰でこの騒ぎだ。来年のことを考えると、生きているのがやになった」、「それでは、私も連れて行って下さい」と二人揃って、あたまの池にドボーン。

落語ギャラリー60(学習研究社)より 「あたま山の桜」 橋本金夢氏イラスト 

 



ことば

サクランボの花は;食用で一般的なものはセイヨウ実桜と言う品種の実です。
右写真:その花は桜ですからご覧のよう

ソメイヨシノ;花が綺麗なのは世界一の桜ですが、この木は種からは増えない。元来、山吹の花のように種が出来ないのです。ではどうやって増やすかというと、挿し木です。気候の変化や環境の変化があると、遺伝子が同じですから、全滅する危険があります。
 
この噺に戻って、あたまで咲いた桜はソメイヨシノではありません。そんな綺麗な花では無かった。花の観賞用と食べ物用では、同じ仲間ですが、おのずと品種が違っています。

サクランボ;木を桜桃(おうとう)、果実をサクランボと呼び分ける場合もある。生産者は桜桃と呼ぶことが多く、商品化され店頭に並んだものはサクランボと呼ばれる。
右写真:さくらんぼ

どうやってあたまの池に飛び込むの;いろいろうんちくを並べる人が落語家を含め大勢居ますが、落語はそんな些細なことは気にしない。だって、お花見や池で遊ぶ連中がいるくらいですから。

海外にも似た話;ビュルガー原作の小説「ほら吹き男爵の冒険」に、これとよく似たエピソードが存在する。 主人公のミュンヒハウゼン男爵が狩りに出かけ、大鹿を見つける。丁度弾が切れていたので代わりにサクランボの種を鉄砲に込めて撃つと、鹿の額に命中したものの逃げられてしまう。数年後、同じ場所に行ってみると、頭から10フィートばかりの立派な桜桃の木を生やした鹿がいた。男爵はこれを仕留め、上等の鹿肉とサクランボのソースを一緒に手に入れた。世界中には似たような話もあるもの。

可笑しい噺;枝雀がマクラで振っていた話から、
 べかこが言っていた噺。下駄で天気予報を占うことがあります。あるとき、下駄がないので探していると、下駄がテレビの天気予報を見ていた。その天気予報をしている予報官をよく見ていたら下駄を探していた。
 今度は吉朝から聞いた話で、猫が猫背を気にして、ぶら下がり健康器にぶら下がっていた。



                                                                   2015年3月記

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