落語「矢橋船」の舞台を行く
   

  

 桂米朝の噺、「矢橋船」(やばせぶね)より


 

 東海道矢橋から大津に掛けて、琵琶湖の南岸を船で渡しておりました。それを矢橋船と言います。「船が出るぞ~い、出しまっそぉ~ッ。みな早よ来い、早よ来いよぉ~ッ」、「今日は二人で三人前払うよってな、えぇとこゆっくり座らしてや」、「分かっとります。どぉぞこっち、どぉぞこっち」。「おい、三人で五人前や」、「あっちの方へどぉぞ」。「船頭はん、うちの旦那がなぁ、琵琶の景色を見ながら一杯やりたいとおっしゃるで、船縁(ふなべり)のところを二人で四人前頼んますわ」、「へッ、どぉぞこっちの船縁通っとくなはれ」。「お~い、四人で六人前やさかいな」、「どぉぞ、こっち入って・・・」。
 「おいッ、一人で一人前や」、「ひとりで一人前やったら乗り合いやないかい」、「そや、乗り合いや」、「辰ぅ、この客そのへん放り込んどけ」、「人、荷物みたいに言ぃやがんねん」。「おうッ、二人で一人前や」、「二人で一人前っちゅうのはどぉいぅわけや?」、「わしが座るやろ、ほで肩の上乗せてチチクマして向こぉ行くわ」、「そんなことしたら肩も首もたまらんで」、「途中で上下(うえした)入れ替わる」、「アホなこと言えッ、ちゃんと二人前は払ろてもらわんとどんならんで」。
 「あッ、もし、お侍さん。今日はこの通りな、えらい競(せ)り合ぉてますんでな、乗り合いへ入って座ってもらいますっちゅうと、町人や百姓と相席になりますので、そのお腰の物に粗相があったりしたらいけまへんので、わずかの銭でこっちの方へゆっくりと座っていただけますが・・・」、「いや、構わんッ」、「込み合ぉとりまんのでな、粗相があると・・・」、「苦しゅ~ないッ」、「こっちが苦しぃんや・・・、あぁいぅのはしゃ~ないであれ、ホンマに偉そぉに。刀でも肩へこぉ立てかけてくれてたらなぁ、ちょっとは助かんねけど、長々と刀置いてちょっとでも触ったらグズグズ言ぅて銭にしょ~ちゅな。あんな手合いはかなんでホンマにもぉ。見てみぃ、誰も嫌がってそば寄り付けへんやないか、えらい場所ふさぎやで」。
 「我々は二人じゃが、四人前つかわす。で、今のあの武家のそばへ場所を取ってくれぬか」、「おい、えらい違いやでおんなじお侍でも、あら浪人もんや、こっちはお歴々や。助かりました」、「山坂氏、要らざることをなさる。様々なことを申して金銭をむさぼり取るものじゃ。おやめになればよろしぃのに」、「ご貴殿、我々の役目お忘れか? お家の重宝(ちょ~ほぉ)「小烏丸」紛失いたし、それを詮議のために諸国を巡る我々じゃ。今のあの浪人の腰の物、柄頭(つかがしら)から鍔(つば)の具合、そりの形、かねて雛形にて見たる「小烏丸」によく似ておるとは思し召されぬか?」、「しからば詮議のために?」、「さッ、まいられッ」。

 「乗った乗った、こっち来いよぉ~ッ! うぉ~いッ、お前さん荷物こっちかしなはれ」、「いつもの大荷も持ってるでな、二人前払うよってにな、足延ばさしてもらうで」、「どぉぞどぉぞこっちへ」。
 「おい、これ頼むわッ」、「何じゃい、なんじゃい、こんな大きなもん」、「鳥かごや。わしゃ鳥刺しや。今、草津でな、ぎょ~さん雀捕まえてきた。そら、緡(さし)に通してぶら下げたり担げたりすりゃ嵩(かさ)は取らんけれどもやで、やっぱり生きて動いてるやっちゃないとお前、大津へ持って行った時、銭にならんがな。せやから、それそっちへ」、「こんな大きな鳥かごお前、三人も四人も座れるでおい。ちょっともぉ一人前でも出しとくれ」、「持ち物は構わんねやろ」、「こんな大きな・・・、持ちもんは持ちもんやないか」。
 「どいたどいた、どいたどいた・・・」、「何じゃ、なんじゃ、戸板担ぎ込んで来たで。そら何や?」、「こら急病人じゃ『草津の医者では間に合わんので大津へ連れて行け』ちゅうんで、今から大津のお医者はんとこへ連れて行くんや」、「病人さんちょっと座ってもらうわけにいかんか」、「あかん、あかん、『動かしたらいかん、寝たきりで運べ』ちゅわれてんねやさかいな、もぉこら座らすわけにいかんねん。おいちょっと二人前払うわ」、「これッ、おい、病人の分は?」、「こら、持ちもんやがな」、「病人持ちもんにされてたまるかいな。あんなとこへ戸板据えやがって、六人も七人も場所ふさぎや。もぉ何をすんねやいな」。
 「おぉ~いッ、早よ乗れ、早よ乗れ~ッ」、ワァワァ言ぃながら乗り前が決まります。船頭さん舫(もやい)綱を解いて、船をギ~ッと出しますが、外海(そとうみ)とは違いましてやっぱり琵琶の湖、穏やかなもんでございます。

 「今日はなぁ、凪(なぎ)でこのとぉり気持ちがよろしぃ」、「あそこに高い山が見えてますが、あら何ちゅう山でんねん?」、「あら比叡のお山、延暦寺で有名な比叡山や」、「その横手にあるのは?」、「あら、比良の連峰じゃなぁ」、「こっちは?」、「江州で有名な山でっせ。あら三上山、一名『ムカデ山』とも言ぃますなぁ~」。
 「どぉです、退屈しのぎにひとつ向こぉへ着くまで問答でもやりまひょか」、「問答にも色々あるが・・・」、「色問答ちゅうやつなぁ。まぁ、赤なら赤い色を三つ重ねまんねやなぁ『赤い赤いが赤いなりけり』。例えば、『金時が鯛ぶら下げて火事見舞い』てなこと言ぅてな、金時は赤い顔してまっしゃろ、赤い鯛に、火事は赤い」、「わしもやりまひょか、『ほおずきで赤子をあやす笹きげん』とはどぉでやす?」、「上手いなぁ、酒に酔ぉてると顔が赤いわなぁ、で赤子とほおずきが赤い色、あぁ~よぉでけましたなぁ。ほんだら、今度は青でいきまひょか」、「青ねぇ・・・、『晴天に海原晴れて松林』」、「奇麗なぁ、青い空と青い海と松林、青い青いが青いなりけり。あんたもどぉでやす?」、「『幽霊が柳の下に蚊帳を吊り』っちゅうのはどんなもんです。ユウレンちゅうのは青いもんでっせ、ほんで蚊帳も浅黄の青い蚊帳でんねん、柳も青い」、「ほな何で幽霊がそんな柳の下に蚊帳吊りまんねん?」、「あら夜中に出るんでっせ、ユウレンは。宵から蚊ぁに攻められて、苦しぃやろと・・・」。
 「今度は白でいきまひょか」、色問答が続きます。

 「久助、みなさん方の話聞ぃてると面白い。この景色を見ながら一杯やりたいが、お燗は?」、「へッ、ちゃ~んと今火がおこりました。いや、お芝居に持って行く手焙り(てあぶり)でんねやがな、まさか船ん中に大きなカンテキは持ち込まれへんさかいな、この手焙りの中へ船に乗る前にちゃ~んと火を仕込みましてな、最前からこぉやってると、今真っ赤にいこってきましたんで、へぇ。酒はなぁ、草津の酒屋で一番上等ちゅうのん詰めさしとりま、一升。肴はこの、鮒の飴煮(あめだき)やとか小魚の煮しめとか・・・」、「結構じゃ。ほな早いこと」、「えらいことした。肝心のあんた、燗徳利を忘れてきましたがな」、「火がでけても何にもならんじゃないか」、「冷やで呑んでもらえまへんか」、「わしゃ冷や酒呑んだらじきにお腹が下るじゃろ、で、わざわざ火の用意をさしたぁんのに・・・」。
 「もし、もぉし。燗徳利、貸したげまひょか」、「あんさん燗徳利なんか持って乗ってなはる?」、「燗徳利は持ってまへんねけどな。代わりになるもんがおまんねん」、「何んでんねん?」、「これどぉです。尿瓶です」、「シビンて、あのシビンでっかいな?」、「あのシビンどすがな」、「こんなもんであんた、お酒の燗ができますかいな」、「これあんた、さらどっせ」、「久助、それお借り申せ。旅の空の、こら趣向じゃ。面白いなぁそれ、お礼を言ぅて使わしてもらい」、「どぉぞどぉぞ、使ことくなはれ」、「なるほどまだ中にワラが入ってまんなぁ、ほなちょっと洗わしてもらいまひょかなぁもったいないことするけど、ちょっとお酒入れて・・・」、「しかし、何でんなぁ、手あぶりの上へシビン乗せてこぉやってると、酒の燗してんのやら病人の看病してんのやら分からん」、「要らんこと言ぃなはんな」、「ぼんやりと、つかってきたよぉな具合でっせ」、「あんまり熱せぇでもえぇがなぁ。肴は近江の鮒か、結構けっこぉ。あのな、ここにお茶を飲んだ湯のみがあるで、これでいただきます。あんまり熱ならん方がえぇさかい」、「うわぁ~ッ、色がよぉ似てるしなぁ」、「(クゥ~)上燗、上燗。いやぁ~ッ、お酒もなかなか結構じゃ。こりゃ風流なシビン酒、こら一生の想い出じゃわい(クゥ~)。久助、今のな、このお借りしたところへちょっとお振る舞いせんかい」、「よろしかったら、お嫌いやなかったらひと口」、「えらい済んまへんなぁどぉも。わたしもなぁ、晩酌やる方でやすけどなぁ、こんな上等のお酒なかなか呑めまへんで(クゥ~)。何遍でもお貸しします」。
 「わしらだけで呑んでんのも気詰まりな、ご近所のお方にちょっとずつお振る舞いしたらどぉじゃ」、「そぉでんなぁ・・・、みなさん方お嫌やなかったらひと口どぉでやす。入れ物はこんなんでやすけど」、「いやぁ~、もぉえぇ匂いがするもんやさかい、最前から喉グビグビいぅとりまんねん。へぇ、湯のみはこっちにございます茶碗が・・・」、「あぁさよか、ほなまぁ」、「頂戴いたします(クゥ)えぇお酒でやすわ」、「ほなわたしもお相伴にあずかります、えらい済んまへんなぁ・・・、どぉもおおきにいただきます」。
 「おいッ、わしまだやで」、「これはな、あのお方がお振る舞いをしてくれたはんねやさかい。あんた『わしまだや』てな、そんなこと言ぃなはんな」、「わしかてちゃんと乗り合い払ろたぁるがな一人前」、「船賃とこれとは別やねんさかい。わけの分からん人が出て来ましたがな。まぁまぁ、そっちもよばれなはれ」、「言わなんだら当たらんとこやがな、離れたとこ座ってるさかい。お前らばっかりよばれて、離れてるさかいな、いっぱい注いやでいっぱい注いでや。ウッ、ゲッ! こんなションベン呑ましやがってッ」、「これこれこれ、何を言ぃなはんねんあんた。入れもんはシビンやけど中身は結構なお酒」、「何を言ぅてんねん、何が酒や。これションベンやないかい」、「そんなはずはないけど・・・」。
 「あんのぉ~ッ」、「戸板の病人が頭上げて何や言ぅてまっせ」、「ひょっとしたら、それわたしの尿瓶と間違ごぉてはんのと違いまっしゃろか?」、「病人さんの尿瓶やがな、あんた草津の人やろ。おんなじ型やがな、ややこしぃとこ置いときないなホンマに。あんた今呑んだん間違いなしにそらションベン」、「そんな殺生な。ちょっと酒おくれ」、「ほんだらまぁ、今のんこっちに、これが酒」、「こぉなったらもぉ二、三杯立て続けにいかなんだらアホらしぃて・・・、さっきはよぉ呑み込まなんだこっちゃホンマに。ゲッ、ゲッ!これもションベン」、「何を言ぅてる、今のはこれ、これは酒」、「ションベン臭いやないかいッ」、「そんな・・・、ホンにそぉやなぁ」。「あんのぉ~ッ」、「また病人が何や言ぅてるで、どないした?」、「ひょっとしたら、わたし最前それの方へしたかも分からん」、「両方ともションベンになってもた、あんた二、三杯続けざまにいき」、「アホなこと言え」、「気の毒な。冷やでよかったらこっちにまだありますでな、どぉぞ口直しに、口清めておくなされや。あぁ~、えらい騒ぎじゃったなぁ」。

 「ご同役、今でござる」、「卒爾(そつじ)ながら・・・」、「身共でござるか?」、「え~、我々は西国辺のさる藩に仕える身でござるが、かねがね刀剣類に心を寄せ、あまねく名品名作の類に接して目を養い、心を澄ますのを何よりの喜びといたしておる者でござる。今、拝見いたしますと貴殿のお腰の物、いや柄頭(つかがしら)から鐺(こじり)に至るまで、そりの具合、鍔(つば)の様子、まことにこれは希代(きたい)の逸品と拝察つかまつる。なにとぞ拝見つかまつりたいが、いかがなものでござる?」、「いや、その儀は平にお断り申す」、「でもござろぉが、見れば見るほどゆかしきひと品、なにとぞ拝見させていただきますよぉに、平にお願いを申し上げます」、「かかる船中にて白刃を抜き放つのも異なもの、お断り申す」、「なるほど、これもごもっとも。しからば、大津へ着船をいたしてより、どこぞのひと間を借り受けて・・・」、「くどぉ申すな、断るッ」、「どのよぉにお願い申しても?」、「くどいッ!」、「さよぉか。しからば、達(たっ)て拝見、つかまつる」、「何をッ!」、「それ、ご同役ッ」。左右から取り挟むよぉにいたしまして、その浪人を押さえ付けといて、腰の刀をズ~ッと抜く。「なッ、何をいたすッ」、振り回す弾みに最前の鳥かごへ、この鐺(こじり)が、鞘(さや)の方がバ~ッ、網へ当たってバリバリバリッ。中の雀が空へパ~ッと飛び上がる。「何をするんじゃい、わしがせっかく捕まえてきた雀、逃がしやがって」、「それご同役、ご油断あるな」。ズ~ッと抜いて構えますと、一旦空へ舞い上がりました雀がそれへ、サァ~ッ、パタパタパタ。「こりゃこりゃ、これはいかなこと『小烏丸を抜くときはカラス群がる』とこそ、伝え聞きしに、かく雀の群がるとは?」、よぉ見たら、竹光でございました。   

 



ことば

落語矢橋船(やばせぶね);上方落語の一つで、原話は不明。道中噺『伊勢参宮神乃賑』の一編。二代目桂三木助が得意としていた。三木助の死後、演者が途絶えていたのを三代目桂米朝が明治期の二代目曾呂利新左衛門の速記本や三木助の高座を覚えていた桂右之助の記憶などを頼りに昭和37年(1962)に復活した噺。
弟子の枝雀達も演じています。

矢橋(やばせ);今回の噺の舞台となる矢橋は大津の対岸、琵琶湖東側、草津市にあります。東海道を草津から大津まで行くと瀬田の唐橋を通って約12km。草津から矢橋まで約4kmを歩き、あとは大津まで船旅で行くと楽をすることができたところから、たいへんな賑わいだったようです。今の新しく出来た近江大橋に並行して北側を船で渡ります。
 米朝のマクラをかりると、江州近江の国の草津から大津まで、陸上を歩きますと三里と幾らかあるんですなぁ、それを琵琶湖の水の上を行きますといぅと、矢橋といぅ所まで出て来て、そっから船ん乗って行くっちゅうと一里余りやそぉで、だいぶ楽になるんですなぁ。
右図:「矢橋帰帆= 矢橋(草津市)」。落語「近江八景」より歌川広重画

大阪の三木助;二代目 桂 三木助(2だいめ かつら みきすけ、1884年11月27日 - 1943年12月1日)は、大阪の落語家。本名: 松尾 福松。享年60。 大阪生まれ。1894年1月、二代目桂南光(後の桂仁左衛門)に入門、子役として桂手遊(おもちゃ)を名乗り、同年2月、桂派の金沢亭で初高座。1904年に入営、日露戦争に従軍後、1906年に帰国し、「滑稽ホリョー踊り」なる演目で高座に復帰。同年11月27日に真打で二代目三木助を襲名。
 持ちネタは膨大で、神戸湊川の寄席で3年間真打を勤めた時、一度も同じ噺を掛けなかったという。東京時代に人情噺に傾倒したことから、帰阪後も笑いを取るネタより、むしろ『立ち切れ線香』『菊江仏壇』『ざこ八』『箒屋娘』『抜け雀』など、はめ物を極力抑えた東京風の演出による素噺を得意とした。時折り東京弁が混じったり、上方情緒を失ったりと、賛否両論はあったが、三代目三遊亭圓馬とともに東西落語に精通した名人として上方落語が衰微して行く中、その実力を謳われた。

矢橋(やばせ);滋賀県草津市矢橋町。矢橋から船に乗り対岸に達すると東海道の近道になることから、古くから琵琶湖岸の港町として栄えた。近江八景の「矢橋帰帆」として有名。港のあったところは現在ゴミ処理用地として使用後埋め立てられ、矢橋帰帆島となって、当時の趣はない。
 草津市の伯母川三角州と狼川三角州の間で、南湖(琵琶湖南部)で最も湾入した地域に位置し、港町として栄えた。近世には東海道から矢倉で分岐する矢橋道の終着点であった。

大津宿と船着き場;江戸時代は、湖岸ぎりぎりに行く旧東海道沿いの石場(いしば)港(現大津警察署横)にあり、矢橋の渡しの船着場の常夜燈があった。弘化2(1848)年の建立。台座部分に建立者名がびっしりと刻まれていることから、「多くの旅人の願いによって建立されたことが理解できる」と言われている。
 石場のあたりは、明治図で見ると、大津線が湖岸ぎりぎりに走っている。この北の琵琶湖が埋め立てられ、湖岸道路もできた。常夜燈は滋賀県立琵琶湖文化会館前に移転され、さらに現在は、湖岸緑地のびわこ文化会館裏に湖に面して、堂々と立つ。
 この先、西にも小舟入の常夜燈があり、こちらも草津の矢橋からの小舟が着いた。この南側の町が東海道で一番繁栄していた大津宿になります。

小烏丸(こがらすまる);平家に代々伝えられた宝剣で、鋒両刃作(きっさきもろはづくり)と呼ばれる刀身の先端から半分以上が両刃に作られたもの。そのため、鋒両刃作の刀剣を総称して小烏丸太刀と呼ぶ。落語「小烏丸」にも写真が有ります。下写真、日本刀大百科事典より「小烏丸」。太刀 無銘 天国(名物:小烏丸)  宮内庁蔵

  


柄頭(つかがしら);刀の柄の先の部分。また、そこにつける金具。兜金。ふちがしら。かしら。

   図:広辞苑

(つば);刀剣の柄(ツカ)と刀身との境目に挟み、柄を握る手を防護するもの。平たくて中央に孔をうがち、これに刀心を通し、柄を装着して固定する。円形・方形その他大小種々ある。つみは。位置上図参照

 「鐔」。 左、「松月図鐔」久英(花押)。  右、「稲穂文鐔」吉岡因幡介。 どちらも江戸期 東京国立博物館蔵

(こじり);鞘尻。刀剣の鞘(さや)の末端。また、そこにはめる金物。上図参照

そり;太刀・刀などの刀身の湾曲。また、太刀・刀・脇差・短刀などの、刀身が湾曲している部分。鋒(キツサキ)の先端と棟区(ムネマチ)とを結ぶ直線と、刀身との距離が最大の所。

(さし);銭差し。細い縄。緡銭では、九六文を一差しとし百文として扱った。また、百度緡(ひゃくどさし)は、百本のこより、または細い縄を束ねて根元をくくったもの。神仏への百度参りのとき、数を数えるのに用いた。

(もや)う;船と船とをつなぎ合わせる。また、船を岸の杭などに結んで停泊する。むやう。

比叡山(ひえいざん);京都市北東方、京都府・滋賀県の境にそびえる山。古来、王城鎮護の霊山として有名。山嶺に2高所があり、東を大比叡または大岳(848メートル)、西を四明岳(839メートル)という。東の中腹に天台宗の総本山延暦寺がある。叡山。天台山。台岳。北嶺。台嶺。
 延暦寺の山号。叡山。北嶺。天台山。ひえの山。

 

左、琵琶湖から見る比叡山。  右、江戸時代の天台宗の総本山延暦寺根本中堂。

比良(ひら);滋賀県西部、琵琶湖西岸沿いに北東から南西へ連なる地塁山地。高所が二つあり、北の武奈ヶ岳は標高1214メートル、南の蓬莱山は1174メートル。その雪景は「比良の暮雪」と称し、近江八景のひとつ。

 比良の山脈。

三上山(みかみやま);滋賀県野洲郡野洲町の南東部にある円錐状の小山。標高432メートル。俵藤太の百足(ムカデ)退治伝説で百足が7巻き半していたという。近江富士。右写真。

藤原秀郷(ひでさと);俗称、俵藤太(たわらのとうた)平安中期の鎮守府将軍。下野押領使として平将門の乱を鎮圧、下野守となった。東国武士の小山・結城・下河辺氏の祖。近江三上山のムカデ退治の伝説がある。生没年未詳。

 百足退治伝説、近江国瀬田の唐橋に大蛇が横たわり、人々は怖れて橋を渡れなくなったが、そこを通りかかった俵藤太は臆することなく大蛇を踏みつけて渡ってしまった。その夜、美しい娘が藤太を訪ねた。娘は琵琶湖に住む龍神一族の者で、昼間藤太が踏みつけた大蛇はこの娘が姿を変えたものであった。娘は龍神一族が三上山の百足に苦しめられていると訴え、藤太を見込んで百足退治を懇願した。 藤太は快諾し、剣と弓矢を携えて三上山に臨むと、山を7巻き半する大百足が現れた。藤太は矢を射たが大百足には通じない。最後の1本の矢に唾をつけ、八幡神に祈念して射るとようやく大百足を退治することができた。藤太は龍神の娘からお礼として、米の尽きることのない俵などの宝物を贈られた。また、龍神の助けで平将門の弱点を見破り、討ち取ることができたという。
 秀郷の本拠地である下野国には、日光山と赤城山の神戦の中で大百足に姿を変えた赤城山の神を猿丸大夫(または猟師の磐次・磐三郎)が討つという話があり(この折の戦場から「日光戦場ヶ原」の名が残るという伝説)、これが秀郷に結びつけられたものと考えられる。また、類似した説話が下野国宇都宮にもあり、俵藤太が悪鬼・百目鬼を討った「百目鬼伝説」であるが、これも現宇都宮市街・田原街道(栃木県道藤原宇都宮線)側傍の「百目鬼通り」の地名になっている。 伊勢神宮には、秀郷が百足退治に際して龍神から送られた、という伝来のある太刀が奉納されており、「蜈蚣切」(蜈蚣切丸、とも)の名で宝刀として所蔵されている。
 「三上山を7巻き半と聞けばすごいが、実は八巻き(鉢巻)にちょっと足りない」という洒落がある。これは古典落語この噺「矢橋船」などで用いられている(概略には削除)。
下図、「近江国むかで山ゆらい」。

 

もう一つ俵藤太の噺が有ります。
 「上記のように、矢を放ったが当たらない。神に願掛けしてツバを付けて射ると見事命中。続けて二の矢を放つためツバを付けようとすると、ムカデが『二度目はツバは要りません』」。
 スイマセン。これバレ噺です。題名「俵藤太」と言います。

手焙り(てあぶり);手をあぶるのに用いる小さい火鉢。観劇などでも個人用の暖房器具。

カンテキ;土製のこんろ。ものを煮るのに炭の価が七厘ですむ、という意によるという。七輪。コンロ。転じてよく怒る人のこともカンテキという。

燗徳利(かんどっくり);燗をするための徳利。
右写真:尿瓶ではなく、燗徳利です。長火鉢などの灰の中に差し込んで燗をします。

飴煮(あめだき);煮汁に水飴などを加えて甘辛く煮ること。または飴のようなつやと粘りがでるまで煮ること。また、その料理。あめに。甘露煮。

サラ;新品。新しいこと。新規。手付かず。

草津の尿瓶(くさつの しびん);草津焼といわれ、滋賀県草津に産する陶器。天明年間(1781~1789)の創始という。姥ヶ餅焼を模した信楽土の陶器。「草津焼」の刻印を押す。姥(うば)ヶ餅焼は、姥ヶ餅を食する器は当初素焼であったが、餅屋の繁栄と相まって釉薬をかけた陶器へと移行。「姥餅」の窯印を押して茶器の類まで及んだ。
 落語「しびん」にも画像が有りますからご覧下さい。

 

姥ヶ餅(うばがもち);草津の名物餅、餅を餡で包み老女の乳房に似る。右写真:姥が餅

相伴(しょうばん);饗宴の座に正客に陪席して同じく饗応を受けること。また、その人。

卒爾(そつじ);突然であること。にわかなさま。軽率なさま。

希代(きたい);世にまれなこと。珍しいこと。めったにない。

(ぎ);ことがら。こと。わけ。
 
(たっ)て;要求・希望などをどうしても実現しようとするさま。無理に。しいて。どうしてでも。

竹光(たけみつ);竹を削って刀身に見せかけた刀。また、鈍刀をあざけっていう。現在は芝居などで使う。



                                                            2018年1月記

 前の落語の舞台へ    落語のホームページへ戻る    次の落語の舞台へ

 

 

inserted by FC2 system