落語「矢橋船」の舞台を行く 桂米朝の噺、「矢橋船」(やばせぶね)より
■落語矢橋船(やばせぶね);上方落語の一つで、原話は不明。道中噺『伊勢参宮神乃賑』の一編。二代目桂三木助が得意としていた。三木助の死後、演者が途絶えていたのを三代目桂米朝が明治期の二代目曾呂利新左衛門の速記本や三木助の高座を覚えていた桂右之助の記憶などを頼りに昭和37年(1962)に復活した噺。
■矢橋(やばせ);今回の噺の舞台となる矢橋は大津の対岸、琵琶湖東側、草津市にあります。東海道を草津から大津まで行くと瀬田の唐橋を通って約12km。草津から矢橋まで約4kmを歩き、あとは大津まで船旅で行くと楽をすることができたところから、たいへんな賑わいだったようです。今の新しく出来た近江大橋に並行して北側を船で渡ります。
矢橋船の乗り合い運賃は乗船するだけの料金です。余裕のある座席確保には割増料金が必要になってきます。それには一人にても一人半分、あるいは2~3人分を借ります。これを仕切(しきり)といって、竿を横たえて席を分けます。淀川を上り下りする三十石船でも同じでした。落語「三十石」の船旅でも同じです。
■大阪の三木助;二代目 桂 三木助(2だいめ かつら みきすけ、1884年11月27日 - 1943年12月1日)は、大阪の落語家。本名: 松尾 福松。享年60。
大阪生まれ。1894年1月、二代目桂南光(後の桂仁左衛門)に入門、子役として桂手遊(おもちゃ)を名乗り、同年2月、桂派の金沢亭で初高座。1904年に入営、日露戦争に従軍後、1906年に帰国し、「滑稽ホリョー踊り」なる演目で高座に復帰。同年11月27日に真打で二代目三木助を襲名。
■矢橋(やばせ);滋賀県草津市矢橋町。矢橋から船に乗り対岸に達すると東海道の近道になることから、古くから琵琶湖岸の港町として栄えた。近江八景の「矢橋帰帆」として有名。港のあったところは現在ゴミ処理用地として使用後埋め立てられ、矢橋帰帆島となって、当時の趣はない。
■大津宿と船着き場;江戸時代は、湖岸ぎりぎりに行く旧東海道沿いの石場(いしば)港(現大津警察署横)にあり、矢橋の渡しの船着場の常夜燈があった。弘化2(1848)年の建立。台座部分に建立者名がびっしりと刻まれていることから、「多くの旅人の願いによって建立されたことが理解できる」と言われている。
■小烏丸(こがらすまる);平家に代々伝えられた宝剣で、鋒両刃作(きっさきもろはづくり)と呼ばれる刀身の先端から半分以上が両刃に作られたもの。そのため、鋒両刃作の刀剣を総称して小烏丸太刀と呼ぶ。落語「小烏丸」にも写真が有ります。下写真、日本刀大百科事典より「小烏丸」。太刀 無銘 天国(名物:小烏丸)
宮内庁蔵
図:広辞苑
■鍔(つば);刀剣の柄(ツカ)と刀身との境目に挟み、柄を握る手を防護するもの。平たくて中央に孔をうがち、これに刀心を通し、柄を装着して固定する。円形・方形その他大小種々ある。つみは。位置上図参照
「鐔」。 左、「松月図鐔」久英(花押)。 右、「稲穂文鐔」吉岡因幡介。 どちらも江戸期 東京国立博物館蔵
■鐺(こじり);鞘尻。刀剣の鞘(さや)の末端。また、そこにはめる金物。上図参照
■そり;太刀・刀などの刀身の湾曲。また、太刀・刀・脇差・短刀などの、刀身が湾曲している部分。鋒(キツサキ)の先端と棟区(ムネマチ)とを結ぶ直線と、刀身との距離が最大の所。
■緡(さし);銭差し。細い縄。緡銭では、九六文を一差しとし百文として扱った。また、百度緡(ひゃくどさし)は、百本のこより、または細い縄を束ねて根元をくくったもの。神仏への百度参りのとき、数を数えるのに用いた。
■舫(もや)う;船と船とをつなぎ合わせる。また、船を岸の杭などに結んで停泊する。むやう。
■比叡山(ひえいざん);京都市北東方、京都府・滋賀県の境にそびえる山。古来、王城鎮護の霊山として有名。山嶺に2高所があり、東を大比叡または大岳(848メートル)、西を四明岳(839メートル)という。東の中腹に天台宗の総本山延暦寺がある。叡山。天台山。台岳。北嶺。台嶺。
左、琵琶湖から見る比叡山。 右、江戸時代の天台宗の総本山延暦寺根本中堂。
■比良(ひら);滋賀県西部、琵琶湖西岸沿いに北東から南西へ連なる地塁山地。高所が二つあり、北の武奈ヶ岳は標高1214メートル、南の蓬莱山は1174メートル。その雪景は「比良の暮雪」と称し、近江八景のひとつ。
比良の山脈。
■三上山(みかみやま);滋賀県野洲郡野洲町の南東部にある円錐状の小山。標高432メートル。俵藤太の百足(ムカデ)退治伝説で百足が7巻き半していたという。近江富士。右写真。
■藤原秀郷(ひでさと);俗称、俵藤太(たわらのとうた)平安中期の鎮守府将軍。下野押領使として平将門の乱を鎮圧、下野守となった。東国武士の小山・結城・下河辺氏の祖。近江三上山のムカデ退治の伝説がある。生没年未詳。
百足退治伝説、近江国瀬田の唐橋に大蛇が横たわり、人々は怖れて橋を渡れなくなったが、そこを通りかかった俵藤太は臆することなく大蛇を踏みつけて渡ってしまった。その夜、美しい娘が藤太を訪ねた。娘は琵琶湖に住む龍神一族の者で、昼間藤太が踏みつけた大蛇はこの娘が姿を変えたものであった。娘は龍神一族が三上山の百足に苦しめられていると訴え、藤太を見込んで百足退治を懇願した。
藤太は快諾し、剣と弓矢を携えて三上山に臨むと、山を7巻き半する大百足が現れた。藤太は矢を射たが大百足には通じない。最後の1本の矢に唾をつけ、八幡神に祈念して射るとようやく大百足を退治することができた。藤太は龍神の娘からお礼として、米の尽きることのない俵などの宝物を贈られた。また、龍神の助けで平将門の弱点を見破り、討ち取ることができたという。
■手焙り(てあぶり);手をあぶるのに用いる小さい火鉢。観劇などでも個人用の暖房器具。
■カンテキ;土製のこんろ。ものを煮るのに炭の価が七厘ですむ、という意によるという。七輪。コンロ。転じてよく怒る人のこともカンテキという。
■燗徳利(かんどっくり);燗をするための徳利。
■飴煮(あめだき);煮汁に水飴などを加えて甘辛く煮ること。または飴のようなつやと粘りがでるまで煮ること。また、その料理。あめに。甘露煮。
■サラ;新品。新しいこと。新規。手付かず。
■草津の尿瓶(くさつの しびん);草津焼といわれ、滋賀県草津に産する陶器。天明年間(1781~1789)の創始という。姥ヶ餅焼を模した信楽土の陶器。「草津焼」の刻印を押す。姥(うば)ヶ餅焼は、姥ヶ餅を食する器は当初素焼であったが、餅屋の繁栄と相まって釉薬をかけた陶器へと移行。「姥餅」の窯印を押して茶器の類まで及んだ。
■姥ヶ餅(うばがもち);草津の名物餅、餅を餡で包み老女の乳房に似る。右写真:姥が餅
■相伴(しょうばん);饗宴の座に正客に陪席して同じく饗応を受けること。また、その人。
■卒爾(そつじ);突然であること。にわかなさま。軽率なさま。
■希代(きたい);世にまれなこと。珍しいこと。めったにない。
■儀(ぎ);ことがら。こと。わけ。
■竹光(たけみつ);竹を削って刀身に見せかけた刀。また、鈍刀をあざけっていう。現在は芝居などで使う。
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