落語「古手買い」の舞台を行く
   

 

 四代目三遊亭圓遊の噺、「古手買い」(ふるてがい)より


 

 バカは隣の火事より怖いと申しますが、落語の世界ではバカが主役です。バカにもA・B・Cのランクがあって、Aでは使い道がありませんが、C組になって来ますと頭が働くのが出て来ます。絵が上手かったり、仕事をさせると素晴らしい働きをし、字が上手いというので表札を書かせると『様』まで書いてしまうのがいます。

 「熊さん!」、「源さんか、入りなよ」、「驚いちゃった。おカミさんと食事をしていたら・・・」、「お前のところでは、自分のカミさんに『お』を付けるのかい」、「そうだよ。家では偉いんだもの。で、若い男が家の前を行ったり来たりしてるんだ。それを見たおカミさんが出て行って、戸の影でベチャベチャ喋ってんだ。それを聞いたら、おカミさんの弟なんだ」、「なんだ、弟か」、「家に上げて話を聞いたら、親父の金を使い込んで放り出され、伯父さんの家でも入れてもらえず、家は弟の姉だから面倒を見ることになったが、汚い物を着ているので、古着の木綿で寒いから綿入れを買うことになった。おカミさんが言うには『熊さんは買い物上手で親切だから一緒に行って貰いな、忙しくて行けないと言ったらおだてればオッチョコチョイだから・・・行ってくれるだろう』。熊さん連れてってくれるかぃ?」、「話はしっかりして欲しいな。で、なんて言ってた」、「熊さんはしっかり者で買い物が上手いと誉めていた」、「それから先言ってみろ」、「忙しくて行けないと言ったらおだてればオッチョコチョイだから・・・、あッ、これは内緒話だ」。

 「行ってあげるよ。八丁堀まで行こうか」、「何処でも良いよ。熊さん、こんちは忙しいとこスイマセンね」、「今頃おだてたってダメだよ。ネタバレしてるんだから」、「熊さん、買い物上手なのはおまじないをするのかぃ?」、「古着を買うときは呼吸があるんだ。ま、足元を見られないようにするんだ」、「では、何を履いて行くんだ」。
 「例えば、お前が小紋の紋付きを買うとするな」、「いや、木綿の綿入れだ」、「仮にだ」、「仮だって、そんなにオアシを持っていないもの」、「向で見せられた物が、柄も紋も良いと言えば、10円のところ12~3円に言ってくる。古着という物はここで傷を付ける」、「ハサミでか?」、「けなすんだ。『柄はぼやけているし、紋は違う、でも冷やかしだと思われたくないから、幾らだ』と聞くと、10円の物が8円となる。ここで上下4~5円の違いが出る。分かるか?」、「小紋で紋付きだから安いのか」、「しょうが無いな」。

 「ここの店は品物が沢山有るな。入るよ」、「いらっしゃいませ。どの様な物を・・・」、「木綿の洗いざらしで・・・綿入れだ」、「これは二子縞(フタゴジマ)の総裏で、丈夫でございます。綿(わた)も新しいのが入っています。こちらは河内木綿で丈夫ですよ」。
 「オイ、源さん、何してるんだ。着物が引きずってるよ」、「足元見られるから・・・」。「河内木綿で丈夫だってよ」、「小紋が寝ぼけている」、「オイオイ」、「紋が家のと違う」、「しょうが無いな。いくらだい」、「朝商いで縁起がよく、同業者が軒を並べておりますから、他の店を見てからでもよろしいのです。(ソロバンを入れる)こんなとこで如何でしょう?」、「ん、これだとよ。どうだ(ソロバンを渡す)。遠慮無しに玉を動かして良いよ。思いっ切り良いんだぜ」、「もう動かすとこが無いヤ」、「貸してみな。12万3千5百、バカ、分からないなら分からないと言え。こんなバカだとは思わなかったな」、「熊さん。分からないから熊さんに来て貰ったんじゃ無いか。良いよ、自分で買うよ」、「俺は知らないから・・・」。
 「私に売って下さい。この人より安く」、「ケンカしちゃ困ります。どなたさんでも同じですから」、「いくらだぃ。ソロバンに入れるからダメなんだ。口で言ってくれ」、「3円50銭です」、「安くしてくれ」、「充分お安くなっています」、「3銭にしておくれ」、「3銭って、負けるのですか」、「3銭にしておくれ」、「たったの・・・」、「立ったも座ったも」、「小僧、しまっておしまい。帰ってくださいよ。ヒマだと思って冷やかしに来るんだから。冷やかしにも程が有りますよ。3銭。3銭(キセルを吞みながらバカにしながら見つめる)。家は泥棒物を商っているんじゃ有りませんよ。アンタ顔を洗った?家に帰ったら塩酸で洗いなさい。お前さん、風の強いときは表に出ない方が良いな、パタッと倒れてしまうから。身体を切っても赤い血は出ないね、白いオカラがパラパラ出るね。お帰り。お帰りなさい。帰ったら井戸に3日も浸かって頭を冷やしたらどうだぃ」。

 「熊さん帰ろ」、「馬鹿な野郎も無いぜ。オイ、お前は番頭か?主人か?」、「番頭でございます」、「そうだろう。主人って器じゃ無いよ。ハナ入って来たのは誰だぃ」、「貴方です」、「そうだろう、俺だ。ここに居るのは、ソロバンを持たせればみんな動かす奴だ。こいつが気に入らないことを言ったからって、煙草をバクバク飲みやがって、こいつは良いよ、俺は一日中ここに突っ立っているのか。向こう先を見て言えよ。俺の言っていることが聞こえているのかよう。『塩酸で顔を洗え』と言ったな、金隠しじゃ無いんだ。お前を先に洗ってやろうか。『切っても血が出ない』・・・、切ってもらえ、血が出なかったらスイカじゃ無いが取り替えてやら~。俺が10年でも若かったら、上あごと下あごを持って、ピッっとヒッ裂いてやるんだが・・・。この盗人やろう~」、「盗人とはなんですか。私も言い過ぎたと思って黙って聞いていましたが、明日からここに座っていられません」、「立ってでも座ってでも好きにしろ。物を取るのが盗人と言うんじゃ無い、商売の道を外れた奴が商売盗人と言うんだ。今に拳固でツラをたたき腹の中にめり込ませるぞ。源さん、悔しくないのか、何か言ってやれ」。
 「なんて言おう。オイ、古着屋さん」、「さんは要らね~」、「熊さんはしっかりしているんだ。刑務所まで行っているんだぞ」、「余計なこと言うな」、「ハナ入って来たのは俺だろう、こいつはソロバン持たせればみんな動かす奴だ」、「それはお前だろう」、「そうだ、間違えるな。商人なんてそんな物じゃ無いよ。たとえ、5銭の物を5円に付けられても」、「あべこべだよ」、「あべこべだよ。間違えるんじゃ無い。商人なんて、そんなものじゃ無いよ。ご無理ごもっともと言うのが商人の道だろう。道が判らないの?交番で聞いて来な。俺が10年若かったら、上あごと下あごをブーっと引き裂いちゃうんだから」、「なんだかヘビみたいだな」、「まごまごしていたら、このゲンコツで頭バクッと殴ると、顔が腹の中に潜ると・・・、おヘソから覗くんだろう。覗いちゃイヤダよ」、「何言ってるんだぃ」。
 古手買いというお笑いでございました。

 



ことば

四代目三遊亭 圓遊(さんゆうていえんゆう);(明治35年(1902年)2月12日 - 昭和59年(1984年)1月9日)は東京都中央区京橋越前堀出身の落語家。生前は落語芸術協会所属。本名は加藤 勇(かとう いさむ)。出囃子は『さつまさ』。
 大正11年(1922年)11月に六代目雷門助六に入門し音助となる。大正13年(1924年)春ころに二つ目に昇進し、おこしと改名。大正15年(1926年)5月、六代目都家歌六を襲名し真打に昇進。 その後昭和金融恐慌による経済不況もあって、昭和5年(1930年)ころに柳家三太郎として品川区西小山で幇間に出る。その後戦争により花柳界が禁止されたため、昭和18年(1943年)に二代目桂小文治の門下で初代桂伸治として落語界に復帰。
 戦後、昭和21年(1946年)に四代目三遊亭圓遊を襲名。落語芸術協会の大看板として、またTBSの専属落語家として活躍した。 芸風はあくまでも本寸法でありながら、聴衆に大御所風の威圧感を与えない軽快な語り口と独特の艶を帯びたフラで人気を博した。楽屋では同輩、後輩の誰かれとなく語りかけ、賑やかに笑わせていた。古き良き江戸の「粋」の精神を体現するかのような存在であった。81歳没。

■この噺は、買い物上手と買い物が良く分からない二人組のトンチンカンな噺です。類型とすれば、落語「壺算」の二人組が同じシュチエーションです。

古着屋(ふるぎや);江戸にはリサイクルが浸透していて、古い物は壊れるまで使い、壊れたら修理をしてまた使った。着物は反物で買い、それを仕立てて貰い初めて着物になった。その着物が何らかの事情で着なくなると古着屋に出して、次の顧客がそれを買い求めた。古着屋は古着だけではなく、仕立て下ろしの新品の着物も扱っていた(今の既製品の衣料品)。その着物が古くなって着られなくなると、オシメにしたり、雑巾にしたり、コヨリにしたり、下駄の鼻緒にしたり、火を移す素材にして、最後の最後まで使い込まれた。

木綿の綿入れ;日常生活向きな木綿で仕立てられた、裏生地との間に綿(わた)が仕込まれた暖かい着物。綿が入りすぎると、『どてら』のように粋さがなくなります。

八丁堀(はっちょうぼり);東京都中央区の地名で、旧京橋区にあたる京橋地域内です。江戸時代初期には、多くの寺が建立され、寺町となっていた。しかし、1635年、八丁堀にあった多くの寺は、浅草への移転を命じられた。その後、寺のあった場所に、町奉行配下の与力、同心の組屋敷が設置されるようになった。で、八丁堀の旦那と言えばここに住み、十手を持った者達を言います。でも、古着屋は多くはなかった。
 江戸の街では有名な古着街と言うのは、芝日影町(落語「江島屋騒動」)で、現在の港区新橋2~6丁目、第一京浜国道西側に平行する道が、俗に言う芝日陰町です。古着屋が多くて集まっていた。
 また
、柳原は、柳原土手と言われ、神田川の南岸万世橋の所にあった、筋違い御門から浅草橋御門までの土手を言った。ここには柳が植えられ並木になっていたので、その名が起こった。この地には古着屋が軒を並べていて、芝日陰町と並んで江戸では有名な所でした。

柳原」歌麿画 吾妻遊び「上巻」 寛政2年(1790年) 落語「鼻利き源兵衛」より孫引き。
 落語「五月雨坊主」、「法事の茶」にも柳原土手の絵が有ります。

足元を見られないように;相手の弱点を見つけてつけこむこと。 足元につけ込む。
 街道筋や宿場などで、駕籠かきや馬方が旅人の足元を見て疲れ具合を見抜き、それによって値段を要求していた。客は法外な値段であっても疲れていればその金額で了承してしまうことから、相手の弱みにつけ込むことを「足元を見る」や「足元につけ込む」と言うようになった。

小紋の紋付き(こもんのもんつき);小紋、細かい文様を散らしたもの。また、それを型染めとしたもの。
 江戸時代、諸大名が着用した裃の模様付けが発祥。その後、大名家間で模様付けの豪華さを張り合うようになり、江戸幕府から規制を加えられる。そのため、遠くから見た場合は無地に見えるように模様を細かくするようになり、結果、かえって非常に高度な染色技を駆使した染め物となった。
庶民もこの小紋を真似するようになり、こちらは生活用品など身近にある物を細かい模様にして洒落を楽しんだ。
紋付き、家紋の入った着物のこと。紋服(もんぷく)ともいう。紋付という言葉には二義あり、一つは紋の入った着物一般もしくは着物に紋が入っていることを指して用い、もう一つは特に男物の紋付小袖の略称として用いる。しかし、紋付とのみ言った場合には後者のほうが一般的で、羽織、裃、女ものの着物は含まれない。

双子縞・二子縞(フタゴジマ);縞柄の名。太縞の両側に細縞を一本ずつ配した物。二子持ちともいう。同じ太さの縞が左右2本づつ並んだ縞。
右図、双子縞の柄と、その着物を着た女。

総裏(そううら);着物や洋服の身ごろ・袖などの全体に裏地をつけること。また、そのように仕立てた服。着物では袷(あわせ)と言います。裏がないと、綿の入れようがありません。

河内木綿(かわちもめん);河内国に産する白木綿織物。普通のより地が厚く、丈夫なところから、女帯の芯(シン)や暖簾(ノレン)・足袋裏(タビウラ)などに用いてきた。

塩酸で顔を洗え;タイルや陶器の便器(熊さんは『金隠し』と言っています)、御影石等の汚れを洗い流すのに薄めた塩酸で洗うと汚れが落ちます。原液だと強すぎて塩酸の煙が出て目や鼻を痛めますので、薄めてある「サンポール」で洗うとベターです。
 その塩酸で顔を洗えだなんて、番頭もすごいことを言うもんです。お前から洗ってやろうという熊さんの反撃がまた、格好いい。



                                                            2018年2月記

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