落語「古手買い」の舞台を行く 四代目三遊亭圓遊の噺、「古手買い」(ふるてがい)より
■四代目三遊亭 圓遊(さんゆうていえんゆう);(明治35年(1902年)2月12日 - 昭和59年(1984年)1月9日)は東京都中央区京橋越前堀出身の落語家。生前は落語芸術協会所属。本名は加藤 勇(かとう いさむ)。出囃子は『さつまさ』。
■この噺は、買い物上手と買い物が良く分からない二人組のトンチンカンな噺です。類型とすれば、落語「壺算」の二人組が同じシュチエーションです。
■古着屋(ふるぎや);江戸にはリサイクルが浸透していて、古い物は壊れるまで使い、壊れたら修理をしてまた使った。着物は反物で買い、それを仕立てて貰い初めて着物になった。その着物が何らかの事情で着なくなると古着屋に出して、次の顧客がそれを買い求めた。古着屋は古着だけではなく、仕立て下ろしの新品の着物も扱っていた(今の既製品の衣料品)。その着物が古くなって着られなくなると、オシメにしたり、雑巾にしたり、コヨリにしたり、下駄の鼻緒にしたり、火を移す素材にして、最後の最後まで使い込まれた。
■木綿の綿入れ;日常生活向きな木綿で仕立てられた、裏生地との間に綿(わた)が仕込まれた暖かい着物。綿が入りすぎると、『どてら』のように粋さがなくなります。
■八丁堀(はっちょうぼり);東京都中央区の地名で、旧京橋区にあたる京橋地域内です。江戸時代初期には、多くの寺が建立され、寺町となっていた。しかし、1635年、八丁堀にあった多くの寺は、浅草への移転を命じられた。その後、寺のあった場所に、町奉行配下の与力、同心の組屋敷が設置されるようになった。で、八丁堀の旦那と言えばここに住み、十手を持った者達を言います。でも、古着屋は多くはなかった。
「柳原」歌麿画 吾妻遊び「上巻」 寛政2年(1790年) 落語「鼻利き源兵衛」より孫引き。
■足元を見られないように;相手の弱点を見つけてつけこむこと。
足元につけ込む。
■小紋の紋付き(こもんのもんつき);小紋、細かい文様を散らしたもの。また、それを型染めとしたもの。
■双子縞・二子縞(フタゴジマ);縞柄の名。太縞の両側に細縞を一本ずつ配した物。二子持ちともいう。同じ太さの縞が左右2本づつ並んだ縞。
■総裏(そううら);着物や洋服の身ごろ・袖などの全体に裏地をつけること。また、そのように仕立てた服。着物では袷(あわせ)と言います。裏がないと、綿の入れようがありません。
■河内木綿(かわちもめん);河内国に産する白木綿織物。普通のより地が厚く、丈夫なところから、女帯の芯(シン)や暖簾(ノレン)・足袋裏(タビウラ)などに用いてきた。
■塩酸で顔を洗え;タイルや陶器の便器(熊さんは『金隠し』と言っています)、御影石等の汚れを洗い流すのに薄めた塩酸で洗うと汚れが落ちます。原液だと強すぎて塩酸の煙が出て目や鼻を痛めますので、薄めてある「サンポール」で洗うとベターです。
2018年2月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |